彼処に咲く桜のように
道標
────仕事先のスーパーで、誠司の担当している野菜売り場の売れ行きは非常に好調だった。
周辺に住む消費者の需要を参考にし、近隣のライバル店にはない商品を置くことで差別化を図っていた。暇を見つけてはバイヤーと共に卸売業者の元へ足を運び、より良い品物を選び取る手伝いもしていた。
地元が近いことから、時折正吉と葉月が顔を見せることもあり、その度に正吉の厳しい指摘と葉月の褒め言葉を参考にした。
そのあまりに仕事熱心な姿から、同期の間では一番に出世するのではないかと噂されるほどにまでなっていた。
人付き合いも欠かさず上司や同僚からの信頼も厚く、その世話焼きな性格で後輩やアルバイト達からの評価も高かった。
しかしそれでも、誠司の心が満たされることはなかった。
人を幸せにする。新鮮で良い品物を売り場に出すことで、消費者に対してごく僅かな幸せは配っているかもしれない。
誠司は、もっと明確で直接的な術はないのか、本当にこのままで良いのか、悩んでいた。
他の職業も誰かの役に立つ仕事であるのに変わりはないが、すぐに結果が出るわけでもない。
誠司は自らが焦っていることに気がついた。
「どうすれば……」
野菜売り場の裏側、バックヤードの段ボールが積み重なっている前で誠司は立ち尽くした。
段ボール箱の山を開き続け、人を幸せにすることなどできるのか。
新鮮でより良い商品を仕入れ続け、果たして誰かの幸せに貢献などできるのか。
誠司の視界がまるで水面のように揺らぎ始めた。現実を見つめれば見つめるほど、『人を幸せにすること』がどれだけ途方もないことなのかが理解できた。
誠司は、スマートフォン全盛期のこの時代には割合に珍しい折りたたみ式携帯電話を取り出す。その待ち受け画面を見て、ふっと息を整える。そうすると次第に揺らいでいた視界が元に戻っていった。
突然、背後の床から金属音が鳴り響く音がした。振り向くと、日頃から誠司が世話を焼いているアルバイトの高校生男子が歩いている。すっかり顔が真っ赤になってしまっていた。
金属音と赤面の理由はすぐにわかった。その貧相な腕で品物の陳列に使う、背丈に合わない鉄製の棒を運び出そうとしていたからだ。しかしそれも叶わず、結局地面に引きずりながらバックヤードの中を進んでいた。
「真人、引きずるなと何度言えばわかるんだ」
誠司は開いた携帯電話を指差し棒代わりにしながら、真人と呼ばれたアルバイトに向けた。
「重いですよこれぇ!」
誠司は真人がアルバイトに入った二年前から、彼の相談によく乗っていた。友人の恋愛、自身の成績、果ては人生についてまで相談してくるような仲だった。
どんなに下らない相談であっても親身に話を聞く誠司に、すっかり真人は懐いていた。
「お前それでも高三か? 若者はもっと力がみなぎってるものだろう」
真人は露骨に表情を歪め、うだうだと文句を言いながらも鉄製の棒を持ち直し、なんとか地面に引きずらないよう工夫している。
根は真面目だが、まだまだ足りないものが多い。俺も、高校生の頃ずいぶんと苦労した記憶がある。
誠司は歩いて行く真人の後ろ姿を眺めてから、改めて待ち受け画面を見下ろす。
画面には優美な桜の花と、晴れ渡った空のような色の勿忘草の花が寄り添うように写っていた。
────忘れないための形は時代とともに変遷する。
忘れさえしなければ、この心に根付いた苗は留まることなく成長していく。
それがいつか、彼処に咲く桜のように咲きこぼれたなら、その時が約束を守りきった時なのだろう。
俺は俺の歩幅で……進み続けよう。
そうだな、言う通りだ。焦らなくとも良い。
小さなとこからコツコツと、だろ────さくら。
終。
周辺に住む消費者の需要を参考にし、近隣のライバル店にはない商品を置くことで差別化を図っていた。暇を見つけてはバイヤーと共に卸売業者の元へ足を運び、より良い品物を選び取る手伝いもしていた。
地元が近いことから、時折正吉と葉月が顔を見せることもあり、その度に正吉の厳しい指摘と葉月の褒め言葉を参考にした。
そのあまりに仕事熱心な姿から、同期の間では一番に出世するのではないかと噂されるほどにまでなっていた。
人付き合いも欠かさず上司や同僚からの信頼も厚く、その世話焼きな性格で後輩やアルバイト達からの評価も高かった。
しかしそれでも、誠司の心が満たされることはなかった。
人を幸せにする。新鮮で良い品物を売り場に出すことで、消費者に対してごく僅かな幸せは配っているかもしれない。
誠司は、もっと明確で直接的な術はないのか、本当にこのままで良いのか、悩んでいた。
他の職業も誰かの役に立つ仕事であるのに変わりはないが、すぐに結果が出るわけでもない。
誠司は自らが焦っていることに気がついた。
「どうすれば……」
野菜売り場の裏側、バックヤードの段ボールが積み重なっている前で誠司は立ち尽くした。
段ボール箱の山を開き続け、人を幸せにすることなどできるのか。
新鮮でより良い商品を仕入れ続け、果たして誰かの幸せに貢献などできるのか。
誠司の視界がまるで水面のように揺らぎ始めた。現実を見つめれば見つめるほど、『人を幸せにすること』がどれだけ途方もないことなのかが理解できた。
誠司は、スマートフォン全盛期のこの時代には割合に珍しい折りたたみ式携帯電話を取り出す。その待ち受け画面を見て、ふっと息を整える。そうすると次第に揺らいでいた視界が元に戻っていった。
突然、背後の床から金属音が鳴り響く音がした。振り向くと、日頃から誠司が世話を焼いているアルバイトの高校生男子が歩いている。すっかり顔が真っ赤になってしまっていた。
金属音と赤面の理由はすぐにわかった。その貧相な腕で品物の陳列に使う、背丈に合わない鉄製の棒を運び出そうとしていたからだ。しかしそれも叶わず、結局地面に引きずりながらバックヤードの中を進んでいた。
「真人、引きずるなと何度言えばわかるんだ」
誠司は開いた携帯電話を指差し棒代わりにしながら、真人と呼ばれたアルバイトに向けた。
「重いですよこれぇ!」
誠司は真人がアルバイトに入った二年前から、彼の相談によく乗っていた。友人の恋愛、自身の成績、果ては人生についてまで相談してくるような仲だった。
どんなに下らない相談であっても親身に話を聞く誠司に、すっかり真人は懐いていた。
「お前それでも高三か? 若者はもっと力がみなぎってるものだろう」
真人は露骨に表情を歪め、うだうだと文句を言いながらも鉄製の棒を持ち直し、なんとか地面に引きずらないよう工夫している。
根は真面目だが、まだまだ足りないものが多い。俺も、高校生の頃ずいぶんと苦労した記憶がある。
誠司は歩いて行く真人の後ろ姿を眺めてから、改めて待ち受け画面を見下ろす。
画面には優美な桜の花と、晴れ渡った空のような色の勿忘草の花が寄り添うように写っていた。
────忘れないための形は時代とともに変遷する。
忘れさえしなければ、この心に根付いた苗は留まることなく成長していく。
それがいつか、彼処に咲く桜のように咲きこぼれたなら、その時が約束を守りきった時なのだろう。
俺は俺の歩幅で……進み続けよう。
そうだな、言う通りだ。焦らなくとも良い。
小さなとこからコツコツと、だろ────さくら。
終。
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