彼処に咲く桜のように

足立韋護

二月二十五日(二)

 咲は制服の上に茶色のコートを来ていた。そのポケットに手を入れたまま、こちらに近づいて来る。
 

「誠司」
 

「どうかしたか」
 

「ちっと、ツラ貸してよ」
 

 咲は誠司の腕を引いて駅から出た。表情こそ穏やかだが語気は強く、腕を掴む手にも力がこもっていた。
 表通りから離れ、雑居ビル横の裏道へ連れ込まれた。人通りもないその道に入った途端、咲は誠司の背中を押して奥へと立たせる。
 

「一体何がしたいんだ」
 

「それはウチのセリフ」
 

「なに?」
 

「昨日、さくらの見舞いに行ってきた」
 

「……ああ」
 

「あいつさ、前より痩せてた。それでも心配かけまいと必死に笑いかけてくんだよ」
 

 何も言えない。さくらはあれからまた痩せてしまったのか。
 

「ところがなんでかな、最近誠司と何話したかって聞いた途端、泣き始めたんだよ。人前じゃ意地でも泣きたがらない女がさ。泣きじゃくってんの」
 

「さくらが……?」
 

「……誠司、どうして見舞いに行ってねぇの」
 

 まさか一日に二度もその話をすることになろうとは、思っていなかった。それだけさくらが皆に想われているということか。
 

「見舞いを拒絶されたんだ。行く度に『どうしてきたのか』『もう来なくても良い』と言われ続けた。それに心折れたわけじゃない。もしかしたら、毎日見舞いに行くのは迷惑だったんじゃないかと考え始めたんだ。だが聞いてみても答えは出なかった。俺はさくらの考えていることが、わからないんだ」
 

「今さくらは弱ってる。誠司が行かないでどうすんの?」
 

「……迷惑なら、俺の出る幕は────」
 

 咲は誠司の胸倉を掴み上げ、拳を作って頬を思い切り殴りつけた。誠司はその場に崩れる。
 

 反抗する力もない。むしろ殴られてみたかった。そうすれば、何かの弾みでさくらの心がわかるかもしれないと思った。そんなわけはないのに。そんな俺を目の前に仁王立ちする咲は、目くじらを立てながら見下ろしている。
 目を合わせられない。思わず俯いてしまう。頬がじんじんと痛む。
 

「テメェはさくらへの感謝が足りないんじゃねェのか!」
 

「感謝……?」
 

「クラスからハブられてたのが、今じゃ人気者。そのきっかけを作ってくれたのは誰なんだよ! さくらしかいないだろ! 悔しいけど、あいつと出会ってからの誠司は誰の目から見ても変わったよ!」
 

「俺が、変わった……」
 

「さくらが見舞いを……まして誠司の見舞いを迷惑に感じるわけないだろうが!」
 

 誠司は顔を上げた。咲が目に涙をためている。声を枯らし頬を真っ赤に染めながら、咲は思いをぶつけた。
 

「『心底惚れてる』って、『大切にすべきなのは自分の気持ち』って誠司が言ったんじゃん!」
 

 そうだ。確かにそうだ。全部咲が合っている。全部俺が間違っていた。ならば俺が今すべきこと、それは────
 

 誠司は膝に手を当て立ち上がると、咲の肩を叩いた。
 

「目が覚めた。手間かけさせたな」
 

「ウチはいいから早く……行ってきなよ」
 

 鞄を小脇に挟み、誠司は走り出した。大通りに出ると冷たい風が容赦なく吹きつけて来る。だが誠司には関係なかった。ようやく自分の足が、さくらの元へ向いたのだ。迷う必要はもうなくなった。アスファルトを踏み出し、街灯に照らされた薄暗い道を駆け抜ける。
 

 うだうだと一人で抱え込むのはやめだ。さくらに必要以上に気を遣い、気を遣わせていた。正面からぶつかっていなかったのは俺だった。だから今度こそ、真正面から自分の思いを伝えてみよう。


 俺の心を変えてくれたのはさくらだ。誰より先に、感謝しなければならなかったのはさくらだったんだ。
 決心がついたら、言ってみよう────────ありがとう、と。

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