彼処に咲く桜のように

足立韋護

十二月二十三日

 あの夜から、正吉は誠司へと徐々に話しかけるようになった。内容は他愛もない世間話程度だったが、誠司にはそれが嬉しくてたまらなかった。
 あれからちょうど一ヶ月経った今日、十二月二十三日、夕方。
 冬休みのこの日はしんしんと冷え込んでいた。誠司は黒い服装に紺色のコートを重ね着して、わざわざ隣町の戸井町までやって来ていた。戸井駅の前は、つい一ヶ月前に発生した未解決の通り魔事件のことなど、まるでなかったように大きなクリスマスツリーが設置されていた。


「……寒いな」


 自らの腕を摩りながら駅前から歩き出そうとした時、背後の改札方面から声をかけられた。


「おっ!誠司じゃーん!」


 誠司は聞き覚えのある声を無視して、わざと振り返らないまま早足で信号を渡ろうとしたが、肩を強く掴まれ追いつかれたことを悟った。信号が赤に変わり、やむなく立ち止まって振り返る。
 紫のパーカーに黒いジーンズというラフな格好の咲が、若干頬を染めながらも快活に笑っていた。


「そんな蔑ろにされると興奮しちゃうじゃん!」


「なんでお前がいる」


「だってクラス主催のクリスマスイブ前夜会って、ウチも含まれてんしょ? まあー楽しそうだし、来てみたってワケ」


 神田ら運動部を主導に、クリスマス前夜会という名の雑談会のようなものが開かれるということで、誠司は太一に誘われてやって来ていた。


「しかし、前夜会と言うが何をやるんだ?」


「こういうのは飲んで食ってワーキャー騒いでればいーの!」


 さすがこういう遊びに関して、場数を踏んでいるだけはあるな。


 二人は隣同士歩きながら、目的の場所へと向かっていた。
 誠司は抱きつかれたり、キスをせがまれたりするかと心配していたが、その様子はない。至って普通に、他の人と同じように接してくれている。


「最近、ウチが誠司に絡まないの、気がついた?」


 突然咲がそう言い始めたため、誠司は心でも読まれたのではないかと心臓を跳ねらせる。しかしどうやらそういうわけでもなさそうだった。
 横目で見てくる咲に、こくりと頷いた。


「諦めてくれたのか?」


「まーだまだ諦めてないっ!」


 そうキッパリ言われ、誠司は肩を落とす。咲は「でも」と続けた。


「誠司の心がさくらから離れないってことはよくわかったよ。逆も同じ。なら、ウチがどんだけアプローチしたって無駄だし、邪魔じゃん。
 悔しいけどウチは今、さくらに負けてる。それはウチの力じゃ覆せない。だから二人の心が離れるまで待つことに決めたのよっ」


「そうだったのか……」


「それにさ、さくらのことも友達として応援してやりたいって気持ちも、なくはないんだよね。そう、複雑だから面倒になったってのもある! ま、そんな感じ!」


 自分勝手だが相手思いで、不真面目だが曲がったことが嫌い。咲は決して悪い奴じゃない。複雑な中身を理解さえしてやれば、気の良い奴なんだ。
 ただ恋人として、というのはどうにも違った。どうしてもそういう感情は芽生えない。なんだか申し訳ない気もしてきた。


「ようやく納得した」


「よっし、話したらスッキリした! あー、会場にりんご飴置いてあるかなー!」


「さすがにりんご飴はないだろう」


 やがて辿り着いた会場は高級マンションの一室だった。表札はなく、シックな黒いドアが等間隔に並んでいる。
 チャイムを鳴らすと、中から同じクラスの宮下がドアを開けた。


「秋元と倉嶋さん、いらっしゃい! 上がってよ!」


 随分と慣れた様子だったが、その些細な疑問はすぐに解消された。玄関先の下駄箱の上に、宮下一家らしき写真が立てかけられている。皆宮下に似て、人の良さそうな顔をしている。恐らくここは宮下家の所有する空き部屋なのだ。
 咲が肘で宮下を小突く。


「宮下ァ、ここのマンションお前のもんなのぉ? 金持ちがよ~」


「このマンション僕のお爺さんが持っていて、イベントのために一日だけ貸してもらえたんだ。だから、決して僕の家がお金持ちというわけでもないんだよ」


 宮下は咲の小突きを半ば本気で痛がりつつ苦笑いした。
 一番奥のリビングは広々として、人が集まっても余りが出来てしまうほどだった。既に十数人集まっている中には、お馴染みの神田や後藤、真壁が飲み物を持ちながら談笑していた。さくらの姿を探すがまだ来ていない。
 ちらと台所を見ると、何故か別のクラスである西京が割烹着姿で鳥の唐揚げを揚げていた。


「あら、さくらさんの彼氏さんとお友達、お久しぶりね」


「あたかも当然のようにいるが、今日は宮下がいるから来たのか?」


「ええ。お料理を作って差し上げたいと言ったら、是非にと」


 まさか西京がここまで尽くしてくれる人間だと宮下も思わなかったろうな。わからないものだ。ただ礼儀礼儀とがんじがらめになった宮下の心労を考えると、いたわしく思える。


「今日は無礼講ですので、お互い楽しみましょう」


「ああ。唐揚げ、楽しみにしている」


 運動部の人間が中心となり、様々なゲームを執り行っている。ビンゴゲームで一喜一憂し、王様ゲームで後藤が無理難題な指示をしてブーイングを受け、宮下の持参した格闘テレビゲームで盛り上がった。これが高校生らしい遊び方か、と誠司は妙に納得した。


 都合が悪いのか、さくらはまだ来ない。

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