彼処に咲く桜のように

足立韋護

十一月二十三日

 結局、あれからさくらの体調が万全になったのは見舞いに行ってから一週間後のことだった。
 熱が下がってはぶり返しを繰り返していたそうだ。見た目はいつも通りだが、実は体重がだいぶ落ちてしまったらしい。
 そのため、今目の前に座るさくらはいつも以上にカロリーの高い親子丼弁当をつついている。


 十一月二十三日。教室の窓の外は晴れやかだったが、気温は一週間前に比べて低くなり、教室には石油ストーブが置かれていた。その周りに集まる生徒達は、制服が焦げる寸前までストーブに近寄っている。
 めっきり姿を現さなくなった御影言成のことなど、皆の記憶から消え失せつつあった。
 生徒会の用事で太一と葵はおらず、誠司とさくら、そして咲と珍しく青山が机を合わせて昼食をとっていた。


「今日は青山も一緒か」


「藍田が風邪引いちまってさぁ。ボッチ飯ってのもなんか虚しいじゃん? 良いっしょ大月?」


「うん、一緒に食べる人は多いほうが楽しいよ!」


「話わかんじゃーん」


 青山は「お礼」と言いつつ、自らの弁当に入っていたニンジンとブロッコリーをさくらに与えた。


「あ、お野菜だ。ありがとう!」


「おい麻耶ァ、それお前が嫌いなだけじゃんかよ」


「こっちは食べたくない、あっちは食べたがってる。ウィンウィン!」


「あ、そっか。なら良いのか」


 良くない。大体さくらは食べたいだなんて一言一句も言ってないだろうに。お前本当に自頭が良いのか?


「そういえば、今日と明日は三者面談だね。私は今日の放課後だけど、何のお話するのかな」




────放課後。さくらと同じく、三者面談は今日であった。それは偶然にもさくらの直後に予定されている。
 あらかじめ頼んでおいた時間通りに、廊下の端から葉月が歩いてきた。フォーマルな服装で、いつもの柔い印象とはまた違っていた。


「葉月さん、わざわざすみません」


「何を言っているの。保護者なんだから、当たり前のことでしょう?」


「……はい」


 前の両親はどんなに頼もうとも、授業参観や三者面談ですら付き添ってはくれなかった。
 誠司は親代わりとなってくれている葉月や正吉に、心の底から感謝しなくてはならないと思った。


 既に教室の中で母親とともに面談していたさくらが、扉を開いて廊下へと出てきた。つい先週会ったばかりのさくらの母親が、誠司と葉月を見つけ駆け寄ってきた。


「あら誠司君! こんにちは!」


「この前は突然押しかけてしまってすみませんでした」


「いえ良いのよ。さくらったら、誠司君がお見舞いに来てくれたって大喜びしてたよ。こっちがお礼を言いたいくらい」


「ちょっとお母さん……!」


 母親の背中をバシバシと叩くさくらに誠司は苦笑いした。相変わらず仲が良さそうだ。
 タイミングを見計らい、葉月が耳打ちしてくる。


「前に言っていたのはあの子?」


「はい、そうです」


 葉月はさくらとその母親に向き直り、うやうやしくお辞儀した。
 誠司は女性特有の長話が始まる予感がした。


「私、秋元葉月と申します。この子がお世話になったようで」


「ああ、これはこれはご家族揃って礼儀正しいこと。大月千春おおつきちはるといいます。誠司君、うちの娘とお付き合いしてるんですってね!」


「話には聞いていましたが、まさかこんなに可愛らしいお嬢さんだとは知りませんでした」


「そちらもずいぶん男前な子で! うちも男の子だったらそんな子が欲しかったくらい!」


「うちの人も紹介しろって言ってまして、良かったら近々うちにさくらちゃん呼んでも良いかしら?」


「ええどうぞどうぞ! いくらでも持って行って下さい」


「今日なんかは主人も帰りが早いので都合つけられるのですが、突然過ぎます?」


「さくら、今日平気?」


「え、う、うん」


「大丈夫そうなので、そちらの面談が終わるまでさくらは待たせておきますね!」


 誰の意見を取り入れることもなく、さくらが家に来ることが突如決定してしまった。さくらが正吉さんと葉月さんとどんな話をするのか、全く想像がつかない。
 俺が様々な思案に暮れているところで、教室の扉が開き、中から田場が顔を出した。準備ができたようだ。


「秋元ー、いるな。えっと、秋元葉月さんですね。じゃあ二人ともどうぞー」


「じゃあ誠司君、少し待ってるね」


「あ、ああ」


 教室に入ると中心に四つの机を二つずつ向かい合わせにし、片側に田場、反対側に誠司と葉月が座る。田場は多くある資料にせわしなく視線を送りながら、話を始めた。


「えーと、最近どうだ秋元、何か変わったこととかあったか?」


「いや、特には」


 田場はふんふんと頷きながら、次は葉月に顔を向ける。


「まずは秋元君に関して。昨年度や今年度の初めまで学校での生活態度は……正直褒められるものではありませんでした。別に暴力を日常的に振るったとか非行に走ったとかそういうことでなく、あくまで態度のみ悪かったということです」


 葉月は田場から目を離さず、至って真剣に話を聞き続けている。田場は葉月が多くの問題ある子供を担当する保護司であることを知っている。そのため、話を慎重に進めた。


「年度初め辺りで、同じクラスの女子をかばって、他の生徒の顔を水槽に沈めたこともありましたが、本人も反省し、その生徒とは既に仲直りしており、今では一緒に昼食を食べるくらいには仲良くなっているようです」


 こいつ、いつの間に見ていたんだ。昼食の時は絶対に職員室から離れないくせに。いや、見たのではなく聞いたのか。


「五、六月辺りから徐々に生活態度、ならびに成績が芳しくなり、多くの先生方からも『変わった』と言われています。
 それに彼は体育祭実行委員、文化祭実行委員、そして修学旅行実行委員を見事にやり遂げました。今のところ、文句のつけどころがない優等生です」


 誠司は、まさか田場の口から優等生などという言葉が出てくるとは思いもしなかったので、どう反応して良いかわからず、とりあえず俯いておいた。


「家での生活もずいぶん変わりました。何か、きっかけがあったのでしょうね」


「そこまで踏み入ると、さすがに秋元に怒られてしまいますから、また別の機会にしましょうか。進路について、何かご家族でご相談とかなされますか?」


「ああ……いえ。誠司君はどう考えているの?」


 葉月と田場に見つめられる。俺だって出来ることなら大学に行きたい。だが、これ以上葉月さん夫婦に迷惑をかけるわけにはいかない。少しでも早く自立したい。それが今の俺の望みだ。


「就職、しようと考えています。職業は……今やっているアルバイトのような、接客業でも構わないと思っています」


「そうらしいです、先生」


「なるほど、就職組か。でも今のお前の成績なら中堅の大学くらいになら行けると思うが、良いのか」


「……初めから、高校に行かせてもらえてるだけでも贅沢なんだ。就職する」


「ん、そうか。なら強制はできないな! 学校側も就職組には全面的にサポートする。なんせ就職難だからな。家族の方も、是非協力のほうお願いします」


 なんだかんだと話は進み、二十分ほどで面談は終わった。特に問題もなく、これからの予定や就職に関する説明会の案内などされた。
 廊下に戻るとさくらが一人、窓の外を眺めていた。夕日と髪が緩やかになびく姿は、まさに美麗という二文字にふさわしかった。

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