彼処に咲く桜のように
十一月十五日(三)
さくらは坂を下りきった頃に、ポツリポツリと雨が降り始めた。鼻先を雨天時特有の匂いがかすめる。途端に気温が下がり、肌を寒気が襲う。
淡い桃色の傘を差したさくらは、誠司が傘を持ってきたか気にしつつ、駅方面へと歩いた。
「あ、クッキーにつけるジャム、あった方が良いかな」
そう呟いたさくらは、駅ビルへと足を運び、甘さが控えめのマーマレードを購入した。手元に残ったのは、わずか四百円だけであった。
外に戻ると、雨はさらにひどくなり、気温もさらに落ち込んでいたので、足早に家を目指して歩き出す。通りすがった自販機で温かい飲み物でも買おうかとも考えたが、今は家へ帰ることを優先した。
「ちょっとそこの、待ちなよ」
さくらの全身が一瞬跳ね上がる。この感じは、明らかに不良に絡まれようとしている。そう悟ったからだ。
体を縮こませながら振り向くと、駅ビルの隣にあるコンビニの屋根の下から、だらしのないだぶついた服装の男二人と、以前の咲のように金髪に染め上がった女がこちらを見つめていた。
案の定、不良に絡まれたのだと確信した。
「キミ戸井高の子だろ。可愛いね」
「そ、そんなこと、ないですっ」
体は緊張しつつも、心の中では最近変な人によく声をかけられるなぁ、と意外に冷静であった。
「俺にはこの女がいんだけどさ、こっちのヤツ彼女いねぇのよ。ちょっと一緒に遊び行かない?」
先程から話を勝手に進める茶髪パーマ男が、隣の鼻ピアスの男を指差した。
「ごめんなさい。知らない人には、ついて行かないように言われてるので……」
「おっ、真面目だ。良いじゃん良いじゃん、雨で帰んの遅れたとか言えばさ」
「ごめんなさい。私の家、すぐそこなので」
「リョウジ、ちとそれまずいんじゃ……」
鼻ピアスの男がパーマ頭のリョウジに耳打ちしたつもりらしいが、さくらにもそれは聞こえていた。金髪の女が苛立ったようにして、さくらの目の前に傘も差さずに立った。思えばこの三人とも傘を持っていない。
「じゃあ金置いてけや」
「ああ、濡れちゃう。この傘、入って下さい」
「は……?」
さくらは金髪女を自らの傘に招き入れた。女は若干動揺したが、あくまで目的は変わらないようだ。
「ほら早く、金」
「ごめんなさい。今これしか持ってなくて」
さくらが財布から取り出したのは、マーマレードのお釣りの四百円だけだった。金髪の女が財布を取り上げ、くまなく確認するが本当に四百円しか入っていないようだ。
「お、お前跳んでみろや! どうせ他の財布隠してんだろ!」
さくらはその場で跳んだが、何も音はしない。これには、男二人も顔を見合わせた。
「マジでか……」
唖然としている女の後ろから、リョウジがやや大きめに声をかけた。
「もういいや。どっか行ってくれ」
「は、ちょ、待って絶対金持ってるからこいつ!」
「ケイコ、もういい。なんか冷めたわ」
金髪頭のケイコはリョウジに言われるまま、渋々とコンビニの屋根の下に戻って行った。
暫しその場で何か思案したさくらは、突然来た道を戻って行った。
「なんだあいつ」
帰ってきたさくらは、三つの缶コーヒーを三人の不良に手渡した。一つ百二十円のものを三つ買ってきたので、残金は四十円になってしまった。
「寒くなってきたから、これ、良かったら飲んで下さい」
「……あったかいけどよ。何のつもりだ?」
リョウジが訝しげにさくらを見つめた。
「私がしてるのは、私の好きな人の真似事なだけです。あまり気にしないで下さい」
「そんなんで納得できるかよ」
「本当はお父さんとお母さんにあげるつもりだったけど、また作ればいっか。
あの、このクッキー、今日作ったので、良かったら食べて下さい。あ、あと、マーマレードも。合わせて食べたらきっと美味しいから」
「う、うす」
それらを手渡された鼻ピアスの男は、思わずさくらに頭を下げた。
「てめ、なに考えて……」
ケイコがさくらへ詰め寄ろうとしたところで、さくらは傘の持ち手を突き出した。ケイコの手を持ち上げて、握らせる。
「きっと、風邪ひいちゃいます。女性は寒さに弱いから気をつけないと」
「は、はぁっ?」
雨に濡れてもなお、さくらは微笑んでいた。
「本当に、気にしないで下さい。結局私の自己満足です」
「……俺らみたいなヤツにここまでするって、お前のその好きな人ってのは────」
「素敵な人なんです。それじゃ、失礼しました」
照れ笑いしながらお辞儀し、去っていくさくらを見送った三人は、コーヒー片手に持ちながら呆然とした。
リョウジがコーヒー缶を開け、一口飲んだ。それに続いて二人もコーヒーに口をつける。雨雲を見上げながら、リョウジは深々とため息をつく。
「なあ、俺ら高校中退しちまって、こんなとこでくだらねぇことして、何が楽しいんだろうな……」
「なに、つまんないこと言ってんの……」
そんな会話している二人の隣でクッキーを食べていた鼻ピアスの男が、感嘆の声を上げる。
「これ美味い! リョウジもケイコも食べてみ!」
ケイコは鼻を鳴らして顔を背けたが、リョウジはクッキーを手に取って口に含んだ。ほのかな甘みと、素朴な食感が口に広がる。
「あんな奴がこんな近くにいるなら、まだ世の中捨てたもんじゃないのかもしれねぇな」
「確かになぁー」
「……俺、働こうかな」
雨音と駅前を通る車のエンジン音が忙しく鳴り続ける。その時、不良三人組の目の前に、紺色のレインコートを目深に被った人間が立ち止まった。
「なんだぁ?」
「…………」
レインコートの内側から取り出した刃物を見て、鼻ピアスの男が体を強張らせ、声を上げた。
「リ、リョウジ! こいつ包丁持ってる!」
「お、お前、噂の通り魔か……!」
レインコートの人物は、口を閉ざしたまま、ゆらりゆらりとリョウジ達へ歩み寄っていく────────
淡い桃色の傘を差したさくらは、誠司が傘を持ってきたか気にしつつ、駅方面へと歩いた。
「あ、クッキーにつけるジャム、あった方が良いかな」
そう呟いたさくらは、駅ビルへと足を運び、甘さが控えめのマーマレードを購入した。手元に残ったのは、わずか四百円だけであった。
外に戻ると、雨はさらにひどくなり、気温もさらに落ち込んでいたので、足早に家を目指して歩き出す。通りすがった自販機で温かい飲み物でも買おうかとも考えたが、今は家へ帰ることを優先した。
「ちょっとそこの、待ちなよ」
さくらの全身が一瞬跳ね上がる。この感じは、明らかに不良に絡まれようとしている。そう悟ったからだ。
体を縮こませながら振り向くと、駅ビルの隣にあるコンビニの屋根の下から、だらしのないだぶついた服装の男二人と、以前の咲のように金髪に染め上がった女がこちらを見つめていた。
案の定、不良に絡まれたのだと確信した。
「キミ戸井高の子だろ。可愛いね」
「そ、そんなこと、ないですっ」
体は緊張しつつも、心の中では最近変な人によく声をかけられるなぁ、と意外に冷静であった。
「俺にはこの女がいんだけどさ、こっちのヤツ彼女いねぇのよ。ちょっと一緒に遊び行かない?」
先程から話を勝手に進める茶髪パーマ男が、隣の鼻ピアスの男を指差した。
「ごめんなさい。知らない人には、ついて行かないように言われてるので……」
「おっ、真面目だ。良いじゃん良いじゃん、雨で帰んの遅れたとか言えばさ」
「ごめんなさい。私の家、すぐそこなので」
「リョウジ、ちとそれまずいんじゃ……」
鼻ピアスの男がパーマ頭のリョウジに耳打ちしたつもりらしいが、さくらにもそれは聞こえていた。金髪の女が苛立ったようにして、さくらの目の前に傘も差さずに立った。思えばこの三人とも傘を持っていない。
「じゃあ金置いてけや」
「ああ、濡れちゃう。この傘、入って下さい」
「は……?」
さくらは金髪女を自らの傘に招き入れた。女は若干動揺したが、あくまで目的は変わらないようだ。
「ほら早く、金」
「ごめんなさい。今これしか持ってなくて」
さくらが財布から取り出したのは、マーマレードのお釣りの四百円だけだった。金髪の女が財布を取り上げ、くまなく確認するが本当に四百円しか入っていないようだ。
「お、お前跳んでみろや! どうせ他の財布隠してんだろ!」
さくらはその場で跳んだが、何も音はしない。これには、男二人も顔を見合わせた。
「マジでか……」
唖然としている女の後ろから、リョウジがやや大きめに声をかけた。
「もういいや。どっか行ってくれ」
「は、ちょ、待って絶対金持ってるからこいつ!」
「ケイコ、もういい。なんか冷めたわ」
金髪頭のケイコはリョウジに言われるまま、渋々とコンビニの屋根の下に戻って行った。
暫しその場で何か思案したさくらは、突然来た道を戻って行った。
「なんだあいつ」
帰ってきたさくらは、三つの缶コーヒーを三人の不良に手渡した。一つ百二十円のものを三つ買ってきたので、残金は四十円になってしまった。
「寒くなってきたから、これ、良かったら飲んで下さい」
「……あったかいけどよ。何のつもりだ?」
リョウジが訝しげにさくらを見つめた。
「私がしてるのは、私の好きな人の真似事なだけです。あまり気にしないで下さい」
「そんなんで納得できるかよ」
「本当はお父さんとお母さんにあげるつもりだったけど、また作ればいっか。
あの、このクッキー、今日作ったので、良かったら食べて下さい。あ、あと、マーマレードも。合わせて食べたらきっと美味しいから」
「う、うす」
それらを手渡された鼻ピアスの男は、思わずさくらに頭を下げた。
「てめ、なに考えて……」
ケイコがさくらへ詰め寄ろうとしたところで、さくらは傘の持ち手を突き出した。ケイコの手を持ち上げて、握らせる。
「きっと、風邪ひいちゃいます。女性は寒さに弱いから気をつけないと」
「は、はぁっ?」
雨に濡れてもなお、さくらは微笑んでいた。
「本当に、気にしないで下さい。結局私の自己満足です」
「……俺らみたいなヤツにここまでするって、お前のその好きな人ってのは────」
「素敵な人なんです。それじゃ、失礼しました」
照れ笑いしながらお辞儀し、去っていくさくらを見送った三人は、コーヒー片手に持ちながら呆然とした。
リョウジがコーヒー缶を開け、一口飲んだ。それに続いて二人もコーヒーに口をつける。雨雲を見上げながら、リョウジは深々とため息をつく。
「なあ、俺ら高校中退しちまって、こんなとこでくだらねぇことして、何が楽しいんだろうな……」
「なに、つまんないこと言ってんの……」
そんな会話している二人の隣でクッキーを食べていた鼻ピアスの男が、感嘆の声を上げる。
「これ美味い! リョウジもケイコも食べてみ!」
ケイコは鼻を鳴らして顔を背けたが、リョウジはクッキーを手に取って口に含んだ。ほのかな甘みと、素朴な食感が口に広がる。
「あんな奴がこんな近くにいるなら、まだ世の中捨てたもんじゃないのかもしれねぇな」
「確かになぁー」
「……俺、働こうかな」
雨音と駅前を通る車のエンジン音が忙しく鳴り続ける。その時、不良三人組の目の前に、紺色のレインコートを目深に被った人間が立ち止まった。
「なんだぁ?」
「…………」
レインコートの内側から取り出した刃物を見て、鼻ピアスの男が体を強張らせ、声を上げた。
「リ、リョウジ! こいつ包丁持ってる!」
「お、お前、噂の通り魔か……!」
レインコートの人物は、口を閉ざしたまま、ゆらりゆらりとリョウジ達へ歩み寄っていく────────
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