彼処に咲く桜のように

足立韋護

十一月十五日(二)

「さくらが怒るなんて、珍しいじゃないか。どうしたんだ」


 息を落ち着かせて体育座りしたさくらは、苦笑いしながら立てた膝を見つめた。


「多分、誠司君達は会話を聞いてたんだよね」


 誠司達は、互いに顔を見合わせながら誰ともなく頷いた。


「最初は、かっこいい人が告白してくれて素直に嬉しかったんだ。でも、やっぱり誠司君のほうが大切だから、断った。そしたらね、誠司君のこと何にも知らないのに……好き放題、好き勝手に、話し出したからもう、もう我慢出来なくて!」


 散々言われたことを思い出したのか、さくらは下唇を噛み締めながら、膝の上に拳を作った。


「私が言われるだけなら我慢できるけど、私が大切に思う人をあんなに貶されるのは、我慢出来ないし、したくなかった。だから、私はあの人に謝りに行かないし、当然のことをしたと思ってるよ」


 毅然とした態度で宣言したさくらは、鼻をふんと鳴らした。
 さくらが実は、一度決めたことはちょっとやそっとでは変えたがらない頑固な性格であるのを、さくらの父親との会話から誠司は感じ取っていた。


「だがこのままだと、さくらは誰かに嫌な思いをさせたままだ」


「因果応報です」


「向こうが何か復讐してきたらどうする」


「そのときは、仕方ないよ」


「さくらはそれで本当に良いのか」


「良いんです」


 太一や咲、葵は頑固なさくらに呆れ、ため息をついた。
 しかし誠司には、どうしても納得出来なかった。




『人を殺めたことはどんなに後悔したってなくならない。だからその分、人を幸せにしてあげようよ!』




「……俺が良くない」


「え、え?」


「行くぞ」


 誠司はさくらの手を引き、半ば強引に立ち上がらせた。そのまま何も言わずにバスケ部員達がいると思われる体育館へと強く歩き出した。
 体育館の扉を開けると、その隅で先程のバスケ部員達が集まって何かを話し合っていた。何の躊躇もなく、その輪へと突っ込んで行く。


「げ、大月……!」


 告白をした男子生徒を始め、他の部員達も同じような反応を示していた。イケメンと太一に称されていたこの生徒にとって、さくらは好意の対象から何をするかわからない畏怖の対象へと変わっていた。


「さっきは殴ったりしてすまなかった! どうか許してほしい」


 隣でそっぽを向くさくらをそのままに、誠司は真摯に頭を下げた。相手が許してくれるまで、この頭を上げる気などなかった。


「……大月はなんで、頭下げてないんだよ」


「おい丹羽たんば……!」


 丹羽と呼ばれたイケメンと称されていた男子生徒は、他の部員達に制止されたが、それでもその不遜とも言える態度は変わらない。
 態度を変えないのは、さくらもまた同じであった。


「あなたが、誠司君に先に謝るべきだよ。私が謝るのは、それから」


「俺がどうして秋元に謝らなきゃならないの。単に事実言っただけだし」


「それでも、貶してたでしょ? それも事実だよ」


「貶されるようなことしてっからだろ?」




「────俺のことはどうでもいいっ!!」


 誠司は我慢しきれず、俯きながら怒鳴った。周囲の空気が、張り詰める。


「さくら、これはどちらかが先に謝らなければ終わらない。少しでも、ほんの僅かでも非があるという自覚があるなら、俺と一緒に謝るんだ」


「……誠司君」


「さくら」


 誠司の強い言葉にさくらは渋々、ぎこちなく頭を下げた。それに合わせて、誠司も再び深々とお辞儀した。


「確かに、いきなり殴ったのはダメ、だね……。ごめんなさい」


 場が静まった。頭上で、部員達がしきりに「おい、おい丹羽」と丹羽に何かを催促している。誠司が顔をだけを上げ、丹羽を見つめる。
 少しばかり唸った丹羽は、やがてため息をつきながら顎を突き出して引っ込める。


「なんか、サーセンしたぁ」


 適当な謝罪であっても、それはさくらを許したと同義であった。誠司は頭を上げ、バスケ部員達と丹羽に一度目礼し、さくらを連れて体育館を出た。
 体育館の出入り口では太一に咲、葵が待っていた。
 誠司と手を繋いでいるさくらは、丹羽の態度が気に入らないのか、未だにむくれていた。そんなことはお構いなく、太一が誠司の肩を叩いてくる。


「誠司ー! 漢見せたじゃねぇか!」


「……他人の幸福を願う人間が、不幸を振りまいてどうする」


 むくれていたさくらが、まぶたを大きく見開き、その輝く瞳を誠司へと向けた。誠司はそれをあえて無視する。


「んぉ? そんな聖人っぽい志があったのか?」


 さくらとした約束のため、太一らには伝わっていないのは当然だった。「ああ」とめんどくさそうに答えた誠司は、誰に言うでもなくボソリと付け加えた。


「俺の代わりに怒ってくれたんだ。それは本当に、感謝してる……」




────午後の調理実習を終えて、時刻は十六時を過ぎ、放課後を迎えていた。日が沈むのも、夏や秋に比べ格段に早く、空は暗雲に包まれていた。
 気温は肌寒く、下校する生徒を見てもワイシャツの上からセーターを羽織る人数が増えているのがわかる。


 薄暗い昇降口で、さくらは誠司へと調理実習の時に作ったクッキーを手渡していた。既に期限は直り、『いつものさくら』へと戻っていた。


「はい、これ誠司君の分!」


「家族のために作ったんじゃなかったのか?」


「ちゃんとあるよ!」


 さくらは満面の笑みで、黒いテカリのある学生鞄をぱんぱんと叩いて見せた。
 さくらは、料理の経験がなかった誠司に包丁の持ち方から指導しつつ、咲の班を出張して手伝い、更には自らの班の進行も的確に行い遅らせることはなかった。
 これが評価され、担当教師から余った材料で好きにクッキーを作って持ち帰って良いという特権を得たのだった。
 手渡された可愛らしい袋に入っている手作りクッキーを眺め、思わず誠司は口角を上げた。


「何かお返しをしないとな」


「じゃあ泣きながらお礼を言ってください!」


 意地悪く笑うさくらに、困ったように誠司が首を振った。


「俺の出来ないことを的確に指示するなよ」


「ふふ、冗談だよ。クッキー出来立てが一番美味しいから、早めに食べて! 今日は早く家に帰りたいから、先行くね!」


 さくらは嬉々として上履きから外履の革靴へと履き替え、昇降口に置いていた傘を取ってから、こちらに手を振って走って行ってしまった。
 取り残された誠司は、袋からクッキーを一つ取り出し、口に放り込んだ。


「めちゃくちゃ美味いな」



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