彼処に咲く桜のように

足立韋護

十月二十日(五)

 誠司はホテルを裏口から抜け出し、裏庭へと出た。ホテルから十メートルほどの鬱蒼とした木々の先は、ひたすらに暗黒が広がっている。
 自分を落ち着かせながら、その小さな空間から夜空を見上げてみると、都会の空とはまた違い、星や月がより煌めいて見える。


 部屋へ戻ったら、神田達に謝らなくてはな。


 誠司は裏口の扉が開く音に気がついた。既に夜中の十二時手前。教師や警備員であったなら厄介ではあるが、素直に頭を下げれば済むだろうと腹をくくった。しかし、出てきたのは全く予想外の人間だった。


「咲?」


「ん、え、え? 誠司どうして!」


「それはこっちセリフだ。一体どうした? 夜中に女子一人がうろつくなんて、危ないだろ」


 スウェット姿の咲は、何故かしょんぼりと肩を落としながら、誠司の隣に立った。ほんのりとシャンプーの匂いが香ってくる。よく見れば、髪の毛もしっとりとしていて、どこか艶やかだ。


「さっき、実は告られてたんだよねウチ」


「告白、すごいじゃないか」


「でもさ、やっぱりウチは誠司が好きだし、断ったわけ。したら、相手がいきなり性格変えて、文句言い出してきてさ」


「バカにつける薬はないだろう。放っておけば良い」


「『お前みたいな奴、もう誰も好きにならねぇよ』って、手のひら返された」


 咲はその場にしゃがみこんだ。それがヤンキー座りなのは、そちらの方が慣れてしまったからなのだろう。


「でもなんか、妙に納得した。ウチみたいな、中身のない、頭空っぽの奴をわざわざ好きになる奴も、いないんじゃねぇかなって。事実、誠司にも振られ続けてるじゃん?」


 乾いた笑い声をこぼした咲に、誠司はよく言葉を考えながら一言一言紡いでいく。


「俺は、確かにお前を振っている。そして恐らくこれからも振り続けるだろう。だが、それはお前に魅力がないわけじゃない。俺にはさくらがいて、こいつに心底惚れ込んでいるからだ」


「それさくら以上の魅力はないってことになんじゃん。全然慰めになってないし」


「……わかった、なら俺がお前の魅力を列挙してやる」


「えっ……」


「まずは見た目から。顔はよく整っていて美人、その力のある目つきも良いな。髪だってあれだけ染めていても、際立って荒れた様子がない。スタイルも良い、出るとこは出て引っ込むところは引っ込んでいる。これは多くの男子達を魅了しているから、間違いない。足もすらっと長く、モデル顔負けだ」


「な、なに、なにっ!」


「次に中身。スポーツ万能、そして学業も今となっては優秀。教えたことをすぐに覚え、自分のものにする能力は目を見張るものがある。仲間にもよく親しまれていることから、コミュニケーション能力だって高い」


「はず! 恥ずいから!」


 咲は両手で顔を覆い、紅潮した顔を隠している。


「そして何より、お前は人のために動ける人だよ」


 上からかけられる優しげな声に、咲は思わず顔を上げた。誠司は優しく微笑しながら、咲を見下ろしている。咲は、誠司のズボンの裾をつまんだ。


「誠司だって、そうじゃん」


「……今はな」




「ねえ、やっぱり聞くね。昔、誠司に何があったの?」


「今日で二度目だぞ、突然どうしたんだ」


「さくらと太一が、そういう話になったとき、明らかに避けてる。ウチにもそんくらいわかるし、どうしてって思う。葵も知らない風だったから、きっとさくらと太一にしか教えてないんでしょ。
 もう、ウチら友達……いや友達以上の関係じゃん。ウチから見た誠司は、なんか浮いたような、イマイチ理解しきれない、そんな存在なんだよ。そんなの、なんか気持ち悪いからさ」


「軽々しく口にしてはいけない過去なんだ。さくらだって、飲み込んでくれるのに一ヶ月かかった。好奇心だけなら、聞かない方が何倍も良い」


「言いたくないの?」


「言えないんだ。頼むから、これ以上は察してくれ……」


 誠司は顔を背けた。二人の間に、長い沈黙が流れる。咲は納得できていないようだが、やがて深い深いため息を吐き、勢いよく立ち上がった。


「あーもう……わかった。誠司がそれで苦しむなら、ウチはもう何も聞かないよ。大切なのは過去よりこれからじゃん?」


「咲……」


「過去を知ってる知らないなんて、ウチらの関係にはまったくこれっぽっちも問題ないかんね!」


 気丈に振る舞う咲は、にっと笑って見せてから誠司に背中を向けた。しかし、そこから動きを見せない。


「……ごめん誠司、足痺れちゃった。肩貸してよ」


「まったく、何やってるんだ」


 誠司が肩を貸そうと、咲の腕を自分の肩に回した。突然、咲は体を反転させ両腕を誠司の首に回した。


「なっ……!」


「誠司ぃ、さくらとキス、まだなんでしょ?」


 互いに向かい合った顔が、段々と近づいていく。誠司は逃れようとするが、態勢的に咲のほうが有利であった。視線と視線が絡み合い、咲がゆっくり唇を突き出してくる。


 誠司の唇の下の窪みにそっと口づけされた。咲はパッと離れると、再び笑って見せた。


「これ、今日慰めてくれたお礼! そんじゃね!」


 心臓が高鳴ったまま、誠司はしばらくその場に立ち尽くしていた。唇の下に残る柔らかい感触が、誠司の頭をぼうっとさせる。


 虫の声だけが、その場を包んだ。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品