彼処に咲く桜のように

足立韋護

十月二十日(二)

 誠司が窓の外を眺める姿は、まるで子供が興味津々に楽しいものを見つめているようだと、咲は隣で微笑んでいた。
 ふと、誠司が自分の手に咲の手が重ねられていることに気がつき、それを急いで振り払った。


「ゆ、油断も隙も無いな」


「せっかく隣なんだしさァ、もっと熱く絡もぉー?」


「やめろ、変な声出すな気持ち悪い」


「あ、久々ーっ! やっぱ良いねぇ」


 良くない、何一つ良くない。やはりこいつだけは苦手だ……。


 最初こそはしゃいで話していた二人だったが、朝早くの集合だったせいでいつの間にか眠りについていた。それは誠司と咲に限らず、生徒達のほとんども同様だ。




「────て」


 ん。俺は……寝てたんだな。


「────きて」


 起きてと言いたいのか? わかった、少し待て。瞼が重いんだ。


「うぉぇ、吐きて」


「は?」


 重い瞼をこじ開けると、隣に座る咲がエチケット袋に嘔吐しようとしていた。到着予定の空港に着陸している真っ最中で、そのせいで気分が悪くなってしまったようだ。


「おい、酔ったのか」


「見ないで、ほんと……。うぇ」


「こんな時に何言ってる。ほら、我慢せずに出すんだ」


 誠司は戸惑いつつも咲の背中をさすった。


「誠司に見られるのだけは……! 嫌だ!」


「嘔吐くらいで咲のことを嫌いになるわけがないだろう!」


「……! 誠司ぃ……うぶ────」


 その後、キャビンアテンダントに処理された吐瀉物は、すべてエチケット袋に収まり、大事にならずに済んだ。
 着陸したあと、沖縄空港内の洗面所にて口内を洗浄してきた咲は、ミントのガムを五つほど口に放り込みながら、誠司の元へと歩いてきた。


 教師達はそれぞれのクラスの生徒達がいるか、確認をとっている。


「クチャクチャ、誠司に情けないとこ見せちゃったわぁ、クチャ」


「ガムを噛みながら話すなみっともない。大体、酔いやすいならどうして窓際の席を譲ったりしたんだ」


「そりゃー、誠司に楽しんでほしいからに決まってんじゃん? ウチのせいで、あの景色見逃させるのだけは、嫌だったし」


 どうして俺の周りには、こうもお人好しばかりなんだ。自分勝手で自己中心的思考で利己的で、それが人の本性のはずなのに。
 こうも思いやりに溢れているのは、なぜだ。


「ふっふーん。誠司さ、わかってないっしょ?」


 咲はいたずら笑みを浮かべ、誠司の顔を覗き込む。


「ん? 何をだ」


「体育祭に文化祭、そんでこの修学旅行。どんだけ誠司が頑張ってきたか、ウチは知ってる。いや、みんな知ってんだよ。だから、感謝の気持ちの一部」


「感謝……」


「上手く言えないけど、人ってさ、きっと感謝しなくちゃいけない生き物なんだよ。それにようやく最近、気がついた、ってか。そんな感じ!」


 小さい頃の俺の周りには、クズしかいなかった。それから、自然と感謝なんて言葉は薄れて、『ありがとう』が喉でつっかえるようになった。
 しかし、感謝をしなくてはいつまでも前に進めない。今を生きる人として。いつか、きっと……。


「あとで、のど飴でも買ってやる」




 一日目は、そのままバスに乗り込み、ホテルへ行くのではなく、夕方まで世界遺産などの歴史的な文化を学びに、本島中を旅行バスで回って行く。大きな荷物はバスへ積んだままに、教師と実行委員が主導となって様々な場所を歩いた。


 夕方、ホテルに着く頃には、皆そこそこに疲弊の色を顔に滲ませていた。ロビーにて夕食の時間や、就寝時間を確認し、注意事項を受け、それぞれの部屋へと振り分けられた。
 決められたその時間までは、自由時間のようだ。


 誠司が自身が泊まる部屋へ入ると、同じクラスの男子数人が揃っていた。グループはランダムのため、運動部から文化部まで揃っていた。配達係で世話になった運動部の神田かんだが誠司を見るなり、笑いかけながら近づいてくる。


「よー大将! 実行委員お疲れ様」


 その後ろで眺めているのは、不良生徒に絡まれていた販売係の宮下みやしただった。


「同じ部屋だね、俺ら。よろしく」


「神田、宮下……」


「よーやっと名前覚えたかー! ったく、他の奴らの名前も覚えてっか?」


 他二人の男子生徒がそれぞれのベッドの上から手をひらひらと振った。いつも二人でいる後藤と真壁まかべだ。


 クラス替え当初の体育のとき、確か後藤は倉嶋、特にその胸が好みだと言っていたな。そして真壁は後藤に毎度呆れている印象がある。かつてさくらを可愛いと言っていた心眼のある男だ。


 後藤がベッドの上でだらだらと転がりながら、修学旅行のしおりを眺めた。


「秋元と一緒なら、予定表確認しなくて良いんじゃね?」


「んなわけないわ。まあでも秋元、なんか俺ら見逃してそうなら頼んだよ」


「ああ、任せろ」


 これも友達、というのだろうか。その境界線をなぜみんな気にしないんだろう。
 だがひとまず、名前は覚えたぞ。

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