彼処に咲く桜のように

足立韋護

十月二十日

 それから数日経ち、学校で太一から、もちろん葵を含めた誠司達へ話があった。まず借金の件は解決したということ、そして、家族会議の結果、那須家と兄が縁を切ったということ。それらを伝え終えた太一は、何も言わずに頭を下げてから、いつも通りの活気のある笑顔を見せた。


────十月二十日、誠司はこの日のために昨晩なかなか寝付けなかった。二泊三日の修学旅行、この一大イベントを誠司達実行委員達が準備をした。
 果たして、皆を満足させることができるのかという不安。そして、人生で初めて体験する修学旅行というものへの期待。これらが混ざり合い、ごちゃごちゃとして寝付けなかったのだ。


 既に正吉のいないリビングには、葉月が笑みを携えながら朝食を用意していた。


「楽しんでくるのよ?」


「あの、お金の件、本当に……その……。いつか、お返しさせてください」


「ふふ、もう少し一丁前になってから、また言ってほしいものね。それじゃあ、仕事行ってきます」


「はい、行ってらっしゃい」


 用意されていたビーフストロガノフを口に運びながら、ちらと壁掛けの時計を見る。まだまだ出るまでな時間はある。やはり風呂へ入る習慣だけは消えないらしく、せっかくのビーフストロガノフを食べつつ、体をソワソワさせた。
 気晴らし程度にテレビを点けると、この時間にちょうどは天気予報やニュースが紹介されていく。女子アナの作った声がテレビから垂れ流される。今日は全国的に晴れるようだ。


「ビーフストロガノフ、一番好きかもしれん。ごちそうさま」


 食べ終えた食器を洗うために席を立とうとしたところで、聞き覚えのある駅名がアナウンサーの口から発せられた。ふと、誠司は振り向く。


「戸井駅周辺の歩道で、通り魔が現れた事件について、未だ犯人の足取りが掴めていません。被害者の男性は背後から刃物で刺され、現在も重傷────」


「通り魔……今日さくらに伝えておこうか。まあ、あの父親から先に忠告されるだろうがな。それにしても隣町とは言え、物騒だな」




 それから準備を終わらせた誠司は、大きな肩掛けの鞄を持って家を出た。外は清々しいまでの晴天だ。直接空港にて集合なので、いくつか電車を乗り継いで空港へと着いた。
 空港の広場には戸井高校の二年生達が、既に整列を始めていた。その先頭には、洒落た白いティーシャツとダメージジーンズを着込んだ咲が忙しく指示を出している。秋元に気がついた咲が手招きしてくる。


「やっと来たー! 並ばせるの手伝って!」


「ああ、わかった」


 実行委員である誠司と咲が生徒達を見回すと、ところどころにさくらと太一と葵の姿が見えた。それぞれクラスメイト達と何か談笑しているようだ。


 整列が終わり、教師からの注意事項とこれからの予定を聞き、そしてようやく飛行機へと乗り込むこととなった。ここからしばらくは、教師らが先導するため、誠司達実行委員はクラスメイト達と合流した。


 あらかじめ、修学旅行の大まかな流れを集会で説明した為、スムーズに進んでいく。
 大きな荷物を預け、手荷物だけにしてから、手荷物検査を抜けると、長い長い廊下をひたすら歩いた。検査の順番が近かったさくらが、誠司の横に並ぶ。青のブラウスと白のボトムスというシンプルな服装もまた似合っていた。


「誠司君、楽しみだね!」


「ああ、けれど……不安もある」


「不安ってことは、それだけ本気ってことだよね? だったら、その不安の分もきっと楽しめるはずだよ」


「……お前はよくできた奴だよ、本当に」


「へへ、どういたしまして」


 どうにも最近、お礼の代わりに使っている言葉を見抜かれている気がする。
 誠司とさくらの前には、太一と葵が何か話しながら歩いていた。二人とも、よく笑っている。


「ふふ、そっとしとこっか」


 耳元で囁いてくるさくらに、誠司は口元を緩ませながら、ゆっくりと頷いた。その誠司達から数メートル離れたところに、手荷物検査で引っかかっていた咲が青山、藍田とともにいた。談笑する三人だが、咲の視線は誠司の背中を捉えている。


 いよいよ飛行機に乗り込み、席を確認すると隣は咲であった。実行委員とクラスメイト達は別の場所に固まって座っている。そのせいで、さくらや太一達の姿は周りにない。


「誠司はさー、飛行機初めて?」


「ん、ああ。何せ小さい頃はそんな余裕もなかったからな」


「あ、じゃあ、窓際座んなよ! きっと最初ならこの眺めは感動するに違いねぇから!」


「窓際……わかった」


 咲は誠司とここまで二人きりになったことがなかったため、妙に緊張していた。のそのそと奥へ座り込む誠司は、興味津々に窓の外を見つめている。


「ウチ……誠司の過去の話、知りたいな」


「突然どうしたんだ。あ、そろそろ動き出すぞ」


「そ、そだね……」


 飛行機は徐々に動き出し、滑走路の中をゆっくり移動していく。誠司は珍しく、内心興奮していた。


 こんな人数を乗せた鉄の塊が、本当に空を飛ぶのか? 知識はあるが、実際に体験してみると疑いたくなる。それに飛ぶ感覚はどんなものなんだろう。地上から離れていく様を、見逃さないようにしなくては。


 シートベルト着用のランプが灯り、添乗員が手荷物のしまう場所の確認と、シートベルトの確認を行い、やがて飛行機は全ての準備ができたようだ。


「く、来るのか?」


「そろそろっ!」


 飛行機は機内にまで響く轟音を鳴らしながら、急激に加速していく。体全体に重力がかかり、何故だか地面からふわりと離れた瞬間がわかった。
 しかし、誠司は緊張のあまり体が強張り、外を眺める余裕がなかった。肘掛けを力一杯掴む手に、咲がゆっくり手を乗せる。


「誠司、外見てみな」


 怖々と窓から外を見ると、既に空港は遥か下に見え、周囲の街が小さく小さくなっていった。雲を超えた辺りまで、誠司はその景色に見入っていた。


「すごいな、これは……!」

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