彼処に咲く桜のように
十月十四日
さくらの「帰ろう?」という一言に、誠司はただただ頷いた。その日は、互いに考えることが多すぎるために、それ以上は何も話すことができなかった。
しかし誠司は、改めてさくらが自分にとって必要不可欠な存在であるということを、思い知った。
「ただいま」
帰宅すると、珍しく正吉が葉月より先に帰っていた。いつものように無言でこちらを一瞥し、そしてテレビへと視線を戻す。
その後ろを通り過ぎ、自室へと入ろうとしたところで、意外にも正吉のほうから声をかけてきた。
「修学旅行はいつなんだ?」
ピクリと反応してから立ち止まり、誠司は不思議そうに振り向いた。正吉は相変わらず、テレビに映るニュース番組を眺めている。
「十月二十日、です。あ、お金なら、貯めたバイト代で十分賄えますから、大丈夫です」
「……修学旅行だって、大事な勉強だ。学校の金は出すと、俺は言ったはずだぞ。あとで振込用紙を持ってきなさい」
「は、はい……」
「ついでに、野暮なことだが保護者として聞く。ガールフレンドのような、存在はいるのか」
誠司は正吉の出す質問の意図が、いまいち読めなかった。しかし、保護者として聞かれたならば、正直に答えなければなるまい。
「います。心の底から大切に思う女性が、同じクラスに」
「そう、なのか。それなら今度、暇がある時で良い。紹介しなさい。葉月のためにもな」
「……はい」
誠司は実感していた。自らの態度や行為が、周りからの評価を徐々に変化させつつあるということを。
それが報われないことのほうが多い。けれども諦めずに、たまには阿呆になって突き進むのも悪くない。むしろ必要なのかもしれない。
────修学旅行の約一週間前である十月十四日。
結局のこの日に至るまで、太一と葵は誠司やさくら、咲と共にいることが少なくなった。葵の場合は皆に過去を知られたこと、太一の場合は『とあること』が原因というのは明白だ。
そのうちに、この二つをどうにかしなくてはならないと、誠司は考えていた。
土曜日の今日、誠司は昼間からアルバイトに出ていた。
品出しや商品整理を延々と行う作業は、さして辛いものではない。以前、誠司にしつこく突っかかってきていた沼崎はあっさりと異動してしまい、現在は比較的温厚な社員に代わっていた。
そんな中、売り場に商品を出していたところで、背後から聞いたのことのある男の声がした。
「いよっ、誠司!」
「太一? どうしてこんなところに?」
振り返り、そう質問しながら、誠司にはなんとなく事情がわかっていた。文化祭のとき相談された『とあること』についてだ。
これだけの間、保留にしていたということは、この間に何かあったと考えるべきか。それが良い方向であれば何よりなのだが。
「少し、時間作れるか?」
「今日は夕方までだから、それからなら。お前の家に行けば良いか?」
「あ、いや……家はちょっと。俺もこの後ちょいと生徒会の集まりで学校行くから、戸井駅前のカフェで待ち合わせな!」
そう言い残してから、太一は作った笑顔を見せながら立ち去って行った。さくらの上手すぎる作り笑顔を散々見てきた誠司は、もはや太一程度のものは見抜けるようになっていた。
「あの様子だと、悪化の一途を辿っているようだな」
バイト後、誠司は新戸井駅周辺で唯一存在するカフェへとやって来た。小綺麗な内装と、上質なコーヒーの評判から連日盛況であるがために、席の確保は困難だと思っていた。しかし、だいぶ前から待っていたのか、太一が四つ椅子のあるテラス席で、まだ高い太陽をぼうっと眺めていた。
「席取りはせずに済むな」
「あ、おお! バイトお疲れさんっ」
誠司が席に座ると気を利かせた店員が、注文を聞きに来た。誠司は短く「オレンジジュースを一つ」と頼んだ。
「カフェでジュースって、変わってんなー」
「それより、どうかしたのか」
「あ、あぁ……。前に言ったとおり、兄貴がさ、またあの時みたいに五百万も借金抱えてきちまったんだ」
誠司には遠い過去にも、同じような状況に陥っている太一を見たことがあった。中学校時代に太一の兄である洋一は、度重なるギャンブルによって一千万もの借金を作り出していた。
その時、両親をまだ手にかけていなかった誠司が相談に乗っていたのだった。当時の太一にできることは少なかったが、それでも相談せずにはいられなかったようだ。
────────
新戸井中学校屋上。
「借金は、親の貯金でなんとか返せるらしいんだけどさ。またあいつが借金作ってきたら、俺、どうすりゃ良いんだよ……」
「んー、説得するとか、出て行ってもらうとかじゃないかな。それでもダメなら最悪、二度とそういうことさせないように、兄貴が太一の言うこと聞くようにすれば良いんだよ。お前兄貴よりガタイ良いんだから簡単だろ? それが親ができない、お前だけができるやり方なんじゃない?」
────────
俺の与えた答えは、正しかったのだろうか。あの時から、太一は兄の洋一を圧迫するようになっていったと聞いていた。事実、それから太一の兄に動きはなく今までの平和を保っていられた。
恩返しのつもりなのか、その辺りから太一は俺にこれでもかと付きまとうようになっていた。
だが、圧迫の効果はすでに失われていたようだった。
「今回ばかりは、親も完全に参ってんだ……」
太一の言葉が、誠司に重くのしかかる。
しかし誠司は、改めてさくらが自分にとって必要不可欠な存在であるということを、思い知った。
「ただいま」
帰宅すると、珍しく正吉が葉月より先に帰っていた。いつものように無言でこちらを一瞥し、そしてテレビへと視線を戻す。
その後ろを通り過ぎ、自室へと入ろうとしたところで、意外にも正吉のほうから声をかけてきた。
「修学旅行はいつなんだ?」
ピクリと反応してから立ち止まり、誠司は不思議そうに振り向いた。正吉は相変わらず、テレビに映るニュース番組を眺めている。
「十月二十日、です。あ、お金なら、貯めたバイト代で十分賄えますから、大丈夫です」
「……修学旅行だって、大事な勉強だ。学校の金は出すと、俺は言ったはずだぞ。あとで振込用紙を持ってきなさい」
「は、はい……」
「ついでに、野暮なことだが保護者として聞く。ガールフレンドのような、存在はいるのか」
誠司は正吉の出す質問の意図が、いまいち読めなかった。しかし、保護者として聞かれたならば、正直に答えなければなるまい。
「います。心の底から大切に思う女性が、同じクラスに」
「そう、なのか。それなら今度、暇がある時で良い。紹介しなさい。葉月のためにもな」
「……はい」
誠司は実感していた。自らの態度や行為が、周りからの評価を徐々に変化させつつあるということを。
それが報われないことのほうが多い。けれども諦めずに、たまには阿呆になって突き進むのも悪くない。むしろ必要なのかもしれない。
────修学旅行の約一週間前である十月十四日。
結局のこの日に至るまで、太一と葵は誠司やさくら、咲と共にいることが少なくなった。葵の場合は皆に過去を知られたこと、太一の場合は『とあること』が原因というのは明白だ。
そのうちに、この二つをどうにかしなくてはならないと、誠司は考えていた。
土曜日の今日、誠司は昼間からアルバイトに出ていた。
品出しや商品整理を延々と行う作業は、さして辛いものではない。以前、誠司にしつこく突っかかってきていた沼崎はあっさりと異動してしまい、現在は比較的温厚な社員に代わっていた。
そんな中、売り場に商品を出していたところで、背後から聞いたのことのある男の声がした。
「いよっ、誠司!」
「太一? どうしてこんなところに?」
振り返り、そう質問しながら、誠司にはなんとなく事情がわかっていた。文化祭のとき相談された『とあること』についてだ。
これだけの間、保留にしていたということは、この間に何かあったと考えるべきか。それが良い方向であれば何よりなのだが。
「少し、時間作れるか?」
「今日は夕方までだから、それからなら。お前の家に行けば良いか?」
「あ、いや……家はちょっと。俺もこの後ちょいと生徒会の集まりで学校行くから、戸井駅前のカフェで待ち合わせな!」
そう言い残してから、太一は作った笑顔を見せながら立ち去って行った。さくらの上手すぎる作り笑顔を散々見てきた誠司は、もはや太一程度のものは見抜けるようになっていた。
「あの様子だと、悪化の一途を辿っているようだな」
バイト後、誠司は新戸井駅周辺で唯一存在するカフェへとやって来た。小綺麗な内装と、上質なコーヒーの評判から連日盛況であるがために、席の確保は困難だと思っていた。しかし、だいぶ前から待っていたのか、太一が四つ椅子のあるテラス席で、まだ高い太陽をぼうっと眺めていた。
「席取りはせずに済むな」
「あ、おお! バイトお疲れさんっ」
誠司が席に座ると気を利かせた店員が、注文を聞きに来た。誠司は短く「オレンジジュースを一つ」と頼んだ。
「カフェでジュースって、変わってんなー」
「それより、どうかしたのか」
「あ、あぁ……。前に言ったとおり、兄貴がさ、またあの時みたいに五百万も借金抱えてきちまったんだ」
誠司には遠い過去にも、同じような状況に陥っている太一を見たことがあった。中学校時代に太一の兄である洋一は、度重なるギャンブルによって一千万もの借金を作り出していた。
その時、両親をまだ手にかけていなかった誠司が相談に乗っていたのだった。当時の太一にできることは少なかったが、それでも相談せずにはいられなかったようだ。
────────
新戸井中学校屋上。
「借金は、親の貯金でなんとか返せるらしいんだけどさ。またあいつが借金作ってきたら、俺、どうすりゃ良いんだよ……」
「んー、説得するとか、出て行ってもらうとかじゃないかな。それでもダメなら最悪、二度とそういうことさせないように、兄貴が太一の言うこと聞くようにすれば良いんだよ。お前兄貴よりガタイ良いんだから簡単だろ? それが親ができない、お前だけができるやり方なんじゃない?」
────────
俺の与えた答えは、正しかったのだろうか。あの時から、太一は兄の洋一を圧迫するようになっていったと聞いていた。事実、それから太一の兄に動きはなく今までの平和を保っていられた。
恩返しのつもりなのか、その辺りから太一は俺にこれでもかと付きまとうようになっていた。
だが、圧迫の効果はすでに失われていたようだった。
「今回ばかりは、親も完全に参ってんだ……」
太一の言葉が、誠司に重くのしかかる。
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