彼処に咲く桜のように

足立韋護

八月二十九日(二)

 手帳の最初のページ。最古の記録は二年前になっている。どうやらこれが一代目ではないようだ。元の手帳に、いくらページを継ぎ足しても、それはその本の限界を超えるもので、やはり何冊かに分けて記録しているのだろう。
 誠司は、全て読んでいてはいつまでも終わらないと感じ、気になった部分だけを読み進めた。


『二十七年。五月七日。曇り。
 同じクラスの倉嶋さんに怒られた。私は調子に乗ってて、おまけにブスなんだって。悲しかったけど、誠司君が助けてくれた。それで、ついつい付き合ってる、なんて言っちゃった。でも、気になってるのは本当。この人を、私は知りたいんだ』


『二十七年。五月二十六日。晴れ。
 誠司君の上履きが盗まれました。私もされたことあるから、誠司君の気持ち、わかる気がする。だからつい、御影君に怒っちゃった。……謝りたいな。
 初めて、今日他の人の前で涙を流した。誠司君は、嘘笑いする私も私だって、受け入れてくれた。すごくすごく、心が温かくなりました』


 あれが、初めて他人に見せる涙だったのか。


『二十七年。五月二十七日。晴れ。
 誠司君とネックレスをプレゼントし合った! いつも浮かない顔をしてるから、本当に嬉しいか、分かりづらいね。
 それに今日はとっておきのサプライズがありました。なんと誠司君が、もみの木公園のクリスマスデートに誘ってきました! もうカレンダーのクリスマスの日に星マークをつけちゃったよ』




『二十七年。六月十二日。雨。
 誠司君から打ち明けられた、とあること。まだ答えが出せずにいる。他のみんなとも、全然話したりしてないや。前みたいに、無理して笑顔を作ってる自分が、情けない。
 誠司君だって真っ直ぐに私を受け入れてくれた。だから、私だって真っ直ぐに誠司君を受け入れたいんだ』


『二十七年。六月二十九日。晴れ。
 悩んで悩んで悩んで出した答え。誠司君も納得してくれた。罪に罰を与えていたら、誰も幸せになれないもんね。
 大丈夫。二人でなら、きっと前に進めるよ』


 俺が親を殺したこと、こんなにも考えてくれていたのか。


『二十七年。八月一日。晴れ。
 念願のお祭りの日。私は誠司君と倉嶋さんが抱きしめ合ってるのを見て、つい逃げ出しちゃった。誠司君の前で泣いたのはこれで二回目。あれが不意の事故なのはなんとなくわかってたけど、誠司君を取られた気がして、嫌だったのかも。これって、どういう感情なんだろう。
 みんなに謝ったら許してもらえたよ。倉嶋さんも笑いかけたら、笑い返してくれた。来年も、この五人で行けたら良いな』


『二十七年。八月十八日。晴れ。
 今日は色々なことがありました。太一君が葵ちゃんのこと好きで、葵ちゃんの過去が知れて、倉嶋さんが良い美容院教えてくれて、誠司君がすごくかっこ良くなって、誠司君がイヌホオズキのネックレスかけてくれてた!
 誠司君、何を言いそびれたのかな。気になるけど、もし大事なことなら、きっと誠司君から話してくれるよね』


 ふと、大輪の花火を見上げ、前に立つさくらに視線を向けた。頬骨が上がっており、後ろから見ても笑っていることがわかる。その佇まいは和風美人ともいえる美しいものだった。


 知り合って間もない俺を、さくらは真っ直ぐに受け入れてくれた。
 俺はこいつとなら、これから生きていく未来へ、ちゃんと進める。そんな気がする。こんな出会い、きっと二度とない。
 踏み出せよ秋元誠司。たった一言、たった一言呟けば良いだけだろうが。あれだけの皮肉や嫌味を口にしてきたのに、何故こんな簡単な言葉が言えない。




 不安なのか? 今のままで良いんじゃないのか? そんなことをしてお前は、殺した親や、死んでしまった兄妹たちへ顔向けできるのか?




 煩い、喧しい。俺は未来へ進むんだ。俺は俺が幸せと思う俺の人生を歩んでいくんだ。
 この人は、この女性は、さくらだけは、俺のそばに居てもらわなきゃ困るんだよ!


「さくら!」


「え? は、はいっ!」


 突然の大きな声に飛び跳ねたさくらは、紅潮した顔で座っている誠司を見下ろした。誠司は黒目を泳がしながら、唇をもぞもぞと横に動かし、次第に俯いていく。数回瞬きしたさくらは首を傾げた。


「誠司、君?」


「俺、は……」


 イスから立ち上がり、真正面からさくらと目を合わせた。誠司の頬はほんのり赤くなっており、瞳は若干潤んでいる。息は荒く、肩で息をしている。勢い良く頭を下げ、地面に向かって大きく叫んだ。


「俺はさくらが大好きだ! 本当の恋人として、一緒に前へと歩き出してほしい!」


 ああ……言ってしまった。こげ茶の地面と、視界の上にさくらの可愛らしい草履が見える。花火が景気良く鳴り響いているようだが、そんなもの俺の心音でかき消されてしまう。
 断られたらどうしようか。いっそのこと、逃げ出してしまいたい。
 この間はなんだ、どうしてさくらはうんともすんとも言わない? 迷っている? そういえば俺はいつまで頭を下げていれば良いんだろう。そこまで考えていなかった。


 誠司が顔を上げ、さくらの様子を窺った。さくらは、その細めている目に涙を浮かべていた。口元が笑っている。


「私で、良かったら……」

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