彼処に咲く桜のように

足立韋護

八月十八日(三)

「なんだか、ごめんね。涼子ちゃん、いつもはあんなにキツくないんだよ。きっとお家に関係することだったからさ」


「わーってるよ、さくらちゃん。俺も……野暮なこと聞いちまったしな」


「それで? どうすんのナスビ。このまま萎れるってワケ?」


「ナスビじゃねえよ。誠司、お前はあの話聞いてどう思った?」


 唐突に俺のほうへ話を振るな。俺だってあの話を聞いて、少なからず動揺してはいるんだ。あいつにそういった過去があったのは、意外だったからな。だがな、いつまでも後ろを向きながら前進する姿なんていうのは、あまりに滑稽じゃないか。


 武道場の前から、校庭の野球部を眺めている太一へと、思っていることを告げた。


「あれは過去の話だ。玉砕覚悟でも、前を見据えて進むべきだと、俺は思う」


 三人が見つめてきた。さくらは一瞬驚いたような顔をしていたが、やがて優しく微笑んだ。その前にいる太一は、何かを決意したかのように拳を握りしめる。


「……サンキューな。ちょっくらやってみる! まずは、見た目だな!」


「なら駅前にオススメの美容室あるから、そこ今から行こうよ。ナスビでもちっとはカッコよくなるかもしんないじゃん?」


────美容室『ミルキーキャッスル』の席には、太一と、何故だか誠司も座らさせられていた。その後ろには、さくらと咲が胸を踊らせて座って待っている。


 ど、どうしてこうなった……。俺は付き添いじゃなかったのか。


「今日はどのような髪型にするか、決まってますー?」


 そこそこ目鼻立ちの良い男が、誠司の顔の横に、自らの顔を並べ、鏡ごしに誠司を見つめる。そのにこやかな笑顔に、誠司の両腕にぞわぞわと鳥肌が立った。気持ち悪い。そう思ってしまうほど、美容室店員のスキンシップが、どうにも誠司は苦手だった。


「と、特に決めて来ていないんだ」


「ああっ、ならイイカンジに髪の毛を梳いてから、イイカンジにワッシャワッシャ洗って、イイカンジにワックスとか付けて、イイカンジにしちゃいますねー?」


 イイカンジイイカンジうるさい。さっさとしろ。


「それで大丈夫」


「はーい、それではよろしくお願いしまーす」


 若手の店員であったが、その動きは洗練されており、そこは誠司もプロと認めざるを得なかった。
 一時間と数分過ぎた頃、髪の量が少ない太一の方が素早く終わっていた。丁寧に整えられたヘアスタイルは、何故か太一をより良い男に演出していた。見せつける太一に、さくらと咲はぱちぱちと拍手を送っている。どうやら髪型は改善できたようだ。


「皆さんお友達ですかー?」


 待合席からは少し遠い誠司の席から、店員がさくら達を眺めた。相変わらず馴れ馴れしく、突然質問してくる。


「……黒縁メガネの女と男は友人、あの一番まともそうなのが俺の彼女だ」


「へえー! まともそうとか言っちゃうあたり、結構好きなんですねー!」


「あ、ああ……」


 さくらを、恋愛対象として見る。確かに、もう俺はさくらを一人の女性として好きなのかもしれない……。しかしそれを告白した場合、さくらはどういう顔をするんだろうか。元はと言えば、さくらはただ単純に俺に興味を抱いたから、一緒にいたいと思っていただけだ。それが恋人として囃し立てられるのであれば、もはやそれでも構わない、と。
 俺はさくらと、さくらは俺と、一体どうなりたいのだろう。


「はいっ。こんな感じですが、よろしいですかー?」


 我に返った誠司は、鏡を凝視した。ところどころ程よくうねる髪。絶妙な角度と配分で横に分けられた前髪。よく整えられている後ろ髪。その似合いすぎるヘアスタイルを見て、誠司は愕然とした。


「髪型で、だいぶ印象が変わるものだな」


「髪型は、その人の印象を大きく左右する重要な役割があると思います。是非彼女さんを、喜ばせてあげてください」


「あり……。いや、どうも」


 誠司は上手く礼が言えないことを情けなく思いながら、歩いて待合席まで戻ると、待っていた三人は瞳を真ん丸くして、口を開けて見上げてきた。


「誠司君、かっこいいよ! すごいね!」


「すげえ、髪型だけでこうも変わるもんなのかよ!」


「あぁぁん! 超超イカしてるぅ! ヤバ過ぎ写メろっと」


 咲は興奮気味にスマートフォンをポケットから取り出し、無断で誠司を撮り始めた。


「おい、人の肖像権をあっさり侵害してくれるな」


「ウチが眺めるだけだから、ギリギリ肖像権侵害してないっしょ?」


「ぐ……。さっさと支払い済ませて行くぞ」


 誠司がレジへと並ぼうとすると、咲が財布から一万円札を取り出し、誠司へと突きつけた。誠司だけでなく、太一やさくらもぎょっとしたようにその万年真顔の福沢諭吉を眺める。


「ウチが強引に秋元の分も予約しちゃったんだし、秋元の分くらい奢らせてよ」


 誠司はそれを押し返して、レジで自分の会計を済ませた。レシートと夏休みが終わるまでの割引チケットを受け取り、そのままボソリと呟いた。


「満足したから、俺が支払いたいんだ。倉嶋はその金を、藍田や青山と楽しむとか……自分のために使ってくれ」


「あ、ありがと。優しいんだね、秋元は」


 咲は俯きながら、万札をゴテゴテとした薔薇色の長財布に収め、肩掛けカバンの中へ放り込んだ。
 美容室から出た四人は、駅ビルの中のファミリーレストランで昼食をとり、それから同じビルにある服屋も見て回ることにした。

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く