彼処に咲く桜のように

足立韋護

六月三十日(ニ)

 その日の放課後、曇りの予報に反して天気は荒れていた。無風状態ではあるものの雨粒は多く、帰ろうとするものに容赦なく突撃してくる。アルバイトである誠司と別々に帰ることになったさくらは、昇降口に置いてある自分のストラップ付きビニール傘を探したが、いくら探そうとも見つからなかった。誰かに持っていかれたと、さくらは確信した。このバケツを返したような雨の中、傘無しに帰ることが無謀であることは明白だ。
 学校に残っている人間の傘が昇降口に集められている。誰のかも判別がつかないようなビニール傘が、数多くあったが、さくらはそれを見つめるのみで、決して手を出そうとはしなかった。


「他の人が困っちゃうもんね。降られながら帰ろうかな……」


 昇降口からひょいと顔を出し、雨雲を見つめた。雨雲は厚く広がっており、止む様子は微塵もない。ひたすらに雨の匂いと、雨粒の弾ける音が充満しているだけだった。下駄箱の前で肩にかけていた茶色い鞄を開き、何かないか漁ってみる。役に立ちそうなものといえば、小さなコンビニのビニール袋が二枚のみだった。
 その一枚に手帳を入れてから持ち手をしっかりと縛り、周りに人がいないことを確認してからもう一枚をおもむろに頭に被った。「よしっ」と短く言ったさくらは、昇降口から駆け出そうと足を踏み出した。


「────なにやってんだ」


 背後から声をかけてきたのは、寝癖だらけの頭を掻いている誠司だ。


「あれ誠司君、先に帰ってなかったの?」


「この大雨だからな、バイトに遅れて行くと連絡していた」


 ビニール袋を頭に被ったまま、さくらは誠司のそばへと近づいて行く。


「誠司君、携帯電話持ってないのにどこから電話したの?」


「太一のケータイを借りた。あいつはまた生徒会に行くらしいが。それにしたって、その頭は一体なんだ」


「これで雨を少しでも防げるかなって」


「その発想はもってのほかだが、何にせよこの豪雨じゃビニール袋では帰れないだろうな」


 誠司はさくらの横を通り過ぎて行き、下駄箱付近のロッカー裏に隠してあった自分の傘を取り出した。そしてそれを見守るさくらを手招きした。


「その頭のビニール袋を取ったら傘に入れてやる」


「あ、誠司君、今私を幸せにしようとしていますね?」


 さくらは頭に被っていたビニール袋を手に取り、丁寧に折りたたんでからブレザーのポケットへ入れる。滲み出すように笑いながら、さくらは誠司のやけに大きい傘の中へと入った。


「小さなとこからコツコツと、だろ?」


「うんっ」


 二人は歩き出すも、豪雨にも関わずさくらは一切濡れていなかった。それをさくらは、校門から出てすぐの坂を降りるまで、傘が無駄に大きいおかげだと思っていた。ふと誠司の右手側を覗き見ると、右肩から右足の革靴の先までビッシリと雨に濡れている。制服のズボンの裾からは、雨水が滴っていた。


「相合傘、だね」


「そ、そうだな……」


 穏やかな表情のさくらはそっと、誠司の左腕に体を寄せた。一瞬だけピクリと反応した誠司も、やがて納得したようにゆっくり体を寄せる。この喧しい傘の水を弾く音ですら、誠司とさくらにとっては長く聴いていたくなるような音色に聞こえた。
 体を寄せ合ったおかげで、誠司の右半身はすっかり傘の中に隠れきった。


 坂を下り、平坦な道のりを歩いて行くと、程なくして駅が見えてきた。ひとまず、雨宿りのためにその大きな駅へと入る。誠司はこの時、初めて自らがさくらの家の位置がわからないことに気がついた。


「いつも駅まで送ってくれるから一応駅まで来たが、さくらの家はここら辺なのか?」


「うん、ちょうど戸井高校から見て、駅の反対側辺りにあるよ。そこまで遠くない高校選んだからね」


「ならせっかくだ、そこまで送ろう。バイトまで時間もある」


 大袈裟に手を振り拒むさくらを、誠司は先に外へと出て傘を差して待った。諦めたようにとぼとぼと歩いてきたさくらは、指を差して自宅までの道案内を始めた。さくらがどんな家に住んでいるのか、それが今の誠司の興味を引きつけていた。

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