彼処に咲く桜のように

足立韋護

六月二十九日

 もしかしたら俺は、受け入れてもらいたかったのかもしれない。汚れた俺の本性を。だが結果は散々だ。あれからさくらは俺を避け始めた。向かって行こうとも、わざと離れていく。少しずつ、少しずつではあるものの、着実に距離は遠のくばかりだ。


 気がつけば、あれから既に一ヶ月もの月日が経とうとしていた。相変わらず休みがちな御影の存在は、次第にクラスで薄まってきていた。そして、俺や太一、咲に関わらなくなっていたさくらは、御影とは比べ物にならないほど、影が薄くなってきている。それを見計らってか、咲の猛攻は増すばかりだ。
 まだあのことを考えているのか。それとも、既に俺を見限ったのか。それならせめて、太一や咲、葵とはいつも通り話してほしいものだ。表面上は様々なバカをやらかしてはいるものの、皆もさくらのことを忘れてなどいないのだから……。




 夏も近づいてきた六月末の、やけに蒸している曇りの日。誠司がクラスへと入ったところで、さくらが誠司の机に何かをしている場面に出くわした。誠司に気がついたさくらは、半ば焦った様子で机の中をゴソゴソと漁り、赤面しながら自分の席へと戻って行った。


 誠司の心臓が高鳴る。一ヶ月ぶりの接触。淡い期待と、僅かな不安が交錯する言いようのない感覚に襲われた。周りの人間には、どうやらさくらがしていたことなど眼中にもないようだった。しかし、誠司にだけは、はっきりと赤らめたさくらの顔が見えていた。


 喉を鳴らしながら机へと近づいて行き、さりげなく机の中を調べてみる。すると、丁寧に折り畳まれてある、見覚えのない小さな紙が入っていた。中を開けると一言だけ、『放課後、屋上に来てください』と書いてある。


 思わずさくらの方を向こうとしてしまったが、視界の端で既にさくらがこちらの様子を伺っていることが分かり、やめておくことにした。そっと紙をポケットにしまい、推理小説『不死の探偵』を読み始めた。誠司は、探偵の名推理などを読んでいるわけではない。ただ探偵の放つ好きなセリフを、ページを飛ばして読んでいるだけだった。


 一限目、二限目……とこなしていくうちに、放課後がやって来ることへの緊張感が高まっていた。そしてついに放課後。辺りはまだ明るく、夏の始まりを告げているかのようだった。
 階段をずっと上って行き、ついに屋上への扉が見えて来た。考えてみれば、一ヶ月前と同じシチュエーションであると、誠司の頭には最悪のシナリオしか浮かんでいない。扉を開けると、校庭を眺めているさくらの姿があった。こちらの存在に気がつくと、笑うでもなく、しかめるでもなく、複雑な表情のまま歩いてきた。


「誠司君」


「久しぶり、だな」


「うん」


「この一ヶ月お前が何を考え、どう思ってきたのか。その答えをくれるんだろう?」


「うん」


「……聞かせてくれ」


 さくらは深呼吸してから、そのクリッとした瞳を誠司へと向けた。


「人を殺す。それは人生を一瞬で終わらせる、最低最悪の行為。どんな理由があっても、殺しだけはしてはいけない。私は、そう教わったよ」


「ごもっともだ」


「少しの間だけど、私は誠司君と一緒に過ごした。誠司君は、偏屈だけど、優しくて真面目な人だってことがわかったよ」


「……そうか」


「許されないことだけど、それはもうやり直せない。過去には戻れない。だから人間って、前に進むことしかできないんだよ」


「前に……?」


「そう。人を殺めたことはどんなに後悔したってなくならない。だからその分、人を幸せにしてあげようよ! 優しくて真面目で、お人好しな誠司君ならきっと出来るから!」


 お前は、人殺しを前にしても、自分を貫けるのか。怖がらずに、正面から同じ目線で、俺を見てくる。尊敬を通り越して、バカなんじゃないかと思えてくる。本当に、正真正銘のお人好しはお前だよ。


「わかった、約束しよう。出来る限り多くの人間を幸せにする」


「私が誠司君を受け入れるための、勝手なワガママなんだ。だからすぐにじゃなくても良いんだよ。小さなとこからコツコツと、ね」


「……小さなとこから、か」


 さくらがようやく、いつも通りの笑顔を見せる。そして手を差し出してきたかと思えば、小指だけを立てた。誠司も薄く微笑み、その白い柔らかな小指に、自らの小指を重ね合わせた。お互いに指の関節を曲げ、きつく結び合う。

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