彼処に咲く桜のように

足立韋護

五月三十一日

 それから約三日もの間、前期の中間テストが行われた。四月から五月末までに授業内にて教わったことの、成果を発揮する時期であった。多くの生徒が萎え、耐え忍ばなければならない時期でもある。誠司達も例外ではなく、頭を悩ませながらテストに臨んでいた。
 そして、テスト最終日が終わり、校内から歓喜の声が上がり始めた日の放課後。昼までのテストであったため、放課後とはいえまだ日は高かった。誠司はさくらに呼び出され、屋上へとやってきた。


「この時期の屋上は、なんとも風が心地良いとは思うが、一体どうした?」


 さくらはいつもと何ら変わりない様子で誠司へと振り返った。やはりその手には手帳が握られている。


「とりあえずはテスト、お疲れ様だね。勉強会の成果あったよっ」


「ああ、お陰様で平均点には届きそうだ。だが、本題はそれではないんだろ?」


「うん、御影君のことなんだけど、誠司君は気がついてた?」


「何のことだ」


 さくらは誠司へと何歩か近付き、誠司の顔をじっくりと覗き込む。不遜な態度であるのは変わらず、ただ、以前より瞳の輝きが僅かばかりか戻っている。何を言っているのかさっぱり見当もつかない誠司は、さくらの顔面へと息を吹きかけた。


「ぬわっ!」


「本当に何も知らないぞ。何が言いたい」


 瞼をこすりながら、さくらはフェンスの向こうに見えた、校庭に生える桜の木を眺めた。既に青葉に包まれたそれは、生き生きと風に揺らされている。


「彼ね、最近ずっと、顔がやつれてる。それに、前みたいな元気もなくなっちゃったみたいだよ。テスト中だって、たまに苛立ったみたいに頭掻きむしったりしててね……」


「それがもし、さくらのせいだと思っているのなら、それは違うぞ。あれはどう見ても自業自得だ」


「言い過ぎちゃったかなって……。私に嫌われてもどうってことないと思ってたんだけどさ」


 下唇を軽く噛み締めたさくらは、眉をハの字に下げた。


 ようやく合点がいったな。あいつはさくらのことが好きだったんだ。そうでなくては、俺に絡む理由がない。しかし、これはさくらに教えておくべきではないな。自分を好いていた人を傷つけたと知れば、誰よりお人好しなさくらが、傷つくことになる。


「御影君みたいな人は溜め込むからさ。そのうちに、御影君が何らかの形で爆発しないか心配なんだ」


「はっ。そんなことでへこたれていては、この先が思いやられるな」


「いい気味だ、なんて思っちゃダメだよ。御影君だって、大切な一人の人間なんだから」






「大切な人間だろうが、生きる力が弱い奴は、そこで振り落とされる。それが人生だろう」


 ほんの一瞬だけ、さくらはその一言に目を伏せた。しかし隠すように俯き、声を一つ低くして答えた。


「どうして、そう言えるの?」


「……俺はな、かつてどん底にいた。人生の最底辺と言っていい時期だ。そんな中でも、周りの人間と変わらぬ生活を送るため、振り落とされないため、必死にもがいていた。そしてそれは結局今も変わらない。振り落とされたら終わり。人生なんてのは、ひどく冷たいもんだ」


「私は誠司君のどん底を知らないよ。教えてもらってないから、考えて、納得することもできない」


「俺のどん底を知ったって、お前は納得することはないだろうし、納得してもらうつもりもない」


 誠司は、冷めた口調で言い放った。さくらは今にも泣き出しそうな瞳で、手帳を胸に抱えながら誠司を見上げる。互いがお互いに、心拍数が上がっていることがわかっていた。


「ずっとずっと気になってた……。私は誠司君のことが知りたい。そのどん底が、真っ黒なものだとしても、考えて考えて噛み砕いて、納得したいよ! 誠司君が私を受け入れてくれたように、私も誠司君を受け入れてあげたいんだよ!」


 さくら、お前は何もわかっていない。この上なく最底辺で、この上なく肥溜めに近い日常を送ってきた俺のことを、受け入れられるはずがないんだ。だが……。


「なら納得してみろ! 俺は……」


 いけない、これを言ってはいけない。築きあげたものが崩れてしまう。さくらとの関係までもが、崩れる。何を熱くなっているんだ俺は。たった二ヶ月の間、一緒にいただけの相手だろうが。御影の話からどうしてこうなった。話を元に戻さなくては。頼むから、息を吸うな、空気を声帯に送り込むな、それをしてはダメだ。それをしては────








「────俺は、両親を殺したことがある」



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