彼処に咲く桜のように

足立韋護

五月二十七日(四)

 昼も過ぎた頃、誠司とさくらの二人は、ファミリーレストランに入っていた。さくらの提案で、帰る前にファミリーレストランで昼食をとることになった。二人用のテーブル席に腰掛けた誠司は、水を持ってくる店員に軽く会釈した。
 店内は明るくオープンな雰囲気であった。数人の客が既に食事しており、厨房からは食器の音が忙しく響いてくる。


「誠司君でも礼儀はあるんだね!」


「俺をなんだと思ってる」


 呆れる誠司を、微笑みながら眺めるさくらは、氷の入った水に口をつける。小さく口をつけただけに思えたが、いつの間にかコップ一杯分を飲み干していた。


「もう飲んだのか?」


「え、あ、そうみたい。やっぱり、水が飲めなかった時の反動なのかなぁ……」


「注いでこないのか」


「え、おかわりして良いの?」


「良いだろ、普通は。あそこのドリンクバーに水があるから、そこでおかわりしてくれば良い」


「わ、わかったっ」


 席を立ったさくらの口には、氷が含まれていた。


 水が飲めなかった時……。臓器が悪かった時期のことか。移植手術に成功して、今は健康でいられるということだったな。あの純朴さや、時折見せる思慮深さの原点。些か気になりはするが、あまり詮索しないほうが良いのだろう。少なくとも良い時期ではなかったろうからな。


 誠司が自らのコップに入っている無色透明の水を眺めていると、さくらが席に戻ってきた。その口にはまだ氷が残っていた。


「ろーひたの?」


「口の中のものを溶かしてから話せ」


「ひひ、おめんね」


 メニューを見ると、ファミリーレストランなだけはあり、カロリーや塩分の高いものばかりであった。ローカロリー弁当のような、さくらの理想にかなうものはサラダなどのサイドメニューばかりだ。


「どうしてわざわざファミレスに来たかったんだ?」


「……私ね、来たことなかったんだ」


「なに……?」


 誠司は耳を疑った。高校二年生までの人生で、ファミリーレストランに来たことのない人間がいるとは思えなかった。理由を話さなければ、それ以上に深く聞くつもりはなかったが、さくらはその理由をぽつぽつと語り出す。


「行く機会がなかった、というより、避けてたんだよ」


「どうして?」


「小さい頃に初めて来て、そして色んな失敗をするならまだ、許されると思う。でも、もう高校生。こういう当たり前の場での失敗が怖くなっちゃうんだ。教えてもらう人がいなかったこともあってさ」


「親は?」


「お父さんがね、少し気難しい人で、こういう場所を好まないような人なんだよ。お母さんにも行かせないよう釘を打ってるから、家族では行けないんだ」


 それまた災難に災難が重なったな。


「それで、俺に教えてもらおうってわけか」


「もう一つ教えてもらいました!」


「先が思いやられるな……」


 そう言いながらさくらにメニュー表を見せると、案の定難色を示した。忙しくメニュー表をめくっていくも、その表情が戻ることはない。


「サラダとご飯しか食べられない……」


「何か食べたいものがあったのか?」


 若干目を泳がせながらさくらが指差した先にあったメニューは、エスカルゴだった。誠司は少し青ざめる。


「カタツムリ……?」


「これ、少しで良いから食べたいんだけどさ」


 誠司はしばらく考えてから、テーブルの端にあったスイッチを押して鳴らした。待たないうちに店員がテーブルの前にやって来た。手には注文を入力する機械が握られている。


「ご注文お伺いしますっ」


「サラダ二つ、ライス普通のサイズを二つ。あと、エス、エスカルゴ一つ……」


 注文を復唱され、それに頷くと、店員はそそくさとその場を離れた。さくらが心配げな表情で見つめてくる。


「お前にいる分だけ分けてやる。あとは俺が食う。それで塩分とか調節できるだろう?」


「あ、ありがとう!」


 誠司が気がかりなのは、エスカルゴの味と食感だけであった。

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