彼処に咲く桜のように
五月八日(四)
少し俯き気味になったさくらは、か細い声で答えた。
「……これが、私の本心で、私の生きてる証なんだよ。だから、手放しちゃダメなんだ」
こいつは……話し下手の中でもタチの悪い部類だな。話を重くするつもりはないんだが。
「下手くそな絵の四コマ漫画がところどころあったが、何か意味があるのか?」
「へ、下手くそとは失礼なっ。その日の嫌なことを、全部夢でした、で終わらせたら、少しは、傷も和らぐと思ってね」
なんとも能天気な話だ。しかし、何故こいつ、ここに俺がいることがわかった? それに、女子はもうしばらく走るはずだが。
誠司のその訝しげな視線を察して、さくらはゆっくりと、ダークブラウンの髪を僅かに左右に揺らしながら、身振り手振りを加えて説明し始めた。
「誠司君が校舎に入っていくの見えて、先生に断って保健室行ったけどいなかったんだ。だから、教室に来てみたら……ってことだよ」
「……先生に断って?」
「あ、昔、私が臓器を移植したってこと、前に言ったよね? それは戸井高校の先生方にも知らされてて、体調が悪そうなら、休ませるようにって言われてるみたい」
「随分と優遇されているな。ところで、その臓器移植とやらは、大手術だったのか」
「うん。入院中はぶくぶくにむくんじゃうから、まともに水も飲めなくて大変だったよ。それに、元々体が弱いこともあって、まさに大手術!」
突然さくらは目を見開き、体の内側から外側へ両手をいっぱいに広げて見せる。
「あと、手術、こーんなに時間かかったの!」
「そう、なのか……?」
わからん。どうすれば、その両手の間にある空間から、時間を読み取れるんだ。理解し難い。
誠司がどう反応しようか迷っていたところで、廊下から見回りの教師が声をかけてきた。若干しゃがれたその声は、理科担当教諭の田中に違いなかった。
「ん? 誰かいるのかー?」
しまった、声が大きすぎたか。ここでばれてしまえば、後々面倒なことになる。しかもさくらと一緒では尚更────と誠司は瞬時に考えを巡らせる。
咄嗟に誠司は、さくらを片手で抱きしめながら壁際に張り付き、さくらの口をもう片方の手で優しく塞いだ。そして廊下にいる教師の反応を窺う。暫しの間、沈黙が場に流れ、緊張の糸が張る。
「……気のせいかぁ。俺も歳かなぁ」
足音はゆったりと遠ざかって行った。場に張り詰めていた緊張の糸がほぐれたところで、誠司はさくらの口から手を離した。だが、さくらの様子がおかしいことに気がついた。
「……? どうかしたのか」
「あの、あの、近い、です……」
その顔面は真っ赤に染まっており、肩は小刻みに震えていた。誠司も肩に回していた手をすぐに戻し、少し照れつつ謝った。
「……す、すまん。弾みで、つい」
「でで、でも、恋人なら、こういうのも、その……その……」
耳まで赤くしたさくらは手を体の前でいじりながら、目に涙を浮かべていた。そんなもじもじとしたさくらを、誠司はふと『可愛い』と思ってしまった。
そんな自分の感情に気がついた誠司は、目をつむり、深呼吸して冷静になろうと努める。
俺は、俺は何を考えている。こいつのどこに魅力があるというんだ。勘違いもここまでくれば笑ってしまうな。こんなもの、雰囲気に酔っているに決まっている。
「……これが、私の本心で、私の生きてる証なんだよ。だから、手放しちゃダメなんだ」
こいつは……話し下手の中でもタチの悪い部類だな。話を重くするつもりはないんだが。
「下手くそな絵の四コマ漫画がところどころあったが、何か意味があるのか?」
「へ、下手くそとは失礼なっ。その日の嫌なことを、全部夢でした、で終わらせたら、少しは、傷も和らぐと思ってね」
なんとも能天気な話だ。しかし、何故こいつ、ここに俺がいることがわかった? それに、女子はもうしばらく走るはずだが。
誠司のその訝しげな視線を察して、さくらはゆっくりと、ダークブラウンの髪を僅かに左右に揺らしながら、身振り手振りを加えて説明し始めた。
「誠司君が校舎に入っていくの見えて、先生に断って保健室行ったけどいなかったんだ。だから、教室に来てみたら……ってことだよ」
「……先生に断って?」
「あ、昔、私が臓器を移植したってこと、前に言ったよね? それは戸井高校の先生方にも知らされてて、体調が悪そうなら、休ませるようにって言われてるみたい」
「随分と優遇されているな。ところで、その臓器移植とやらは、大手術だったのか」
「うん。入院中はぶくぶくにむくんじゃうから、まともに水も飲めなくて大変だったよ。それに、元々体が弱いこともあって、まさに大手術!」
突然さくらは目を見開き、体の内側から外側へ両手をいっぱいに広げて見せる。
「あと、手術、こーんなに時間かかったの!」
「そう、なのか……?」
わからん。どうすれば、その両手の間にある空間から、時間を読み取れるんだ。理解し難い。
誠司がどう反応しようか迷っていたところで、廊下から見回りの教師が声をかけてきた。若干しゃがれたその声は、理科担当教諭の田中に違いなかった。
「ん? 誰かいるのかー?」
しまった、声が大きすぎたか。ここでばれてしまえば、後々面倒なことになる。しかもさくらと一緒では尚更────と誠司は瞬時に考えを巡らせる。
咄嗟に誠司は、さくらを片手で抱きしめながら壁際に張り付き、さくらの口をもう片方の手で優しく塞いだ。そして廊下にいる教師の反応を窺う。暫しの間、沈黙が場に流れ、緊張の糸が張る。
「……気のせいかぁ。俺も歳かなぁ」
足音はゆったりと遠ざかって行った。場に張り詰めていた緊張の糸がほぐれたところで、誠司はさくらの口から手を離した。だが、さくらの様子がおかしいことに気がついた。
「……? どうかしたのか」
「あの、あの、近い、です……」
その顔面は真っ赤に染まっており、肩は小刻みに震えていた。誠司も肩に回していた手をすぐに戻し、少し照れつつ謝った。
「……す、すまん。弾みで、つい」
「でで、でも、恋人なら、こういうのも、その……その……」
耳まで赤くしたさくらは手を体の前でいじりながら、目に涙を浮かべていた。そんなもじもじとしたさくらを、誠司はふと『可愛い』と思ってしまった。
そんな自分の感情に気がついた誠司は、目をつむり、深呼吸して冷静になろうと努める。
俺は、俺は何を考えている。こいつのどこに魅力があるというんだ。勘違いもここまでくれば笑ってしまうな。こんなもの、雰囲気に酔っているに決まっている。
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