彼処に咲く桜のように

足立韋護

四月二日

「そういえば、聞いたかい?」


「ん、何を?」


「あれだよあれ……」


 眼鏡をかけた男子学生が指差した先にいたのは、ボサボサの頭髪に光の反射しないくすんだ黒目、制服である紺のブレザーからはだらしなくワイシャツがはみ出している、そんな一人の男子学生だった。


「あれが噂の秋元誠司あきもとせいじって人」


「へぇー、有名なんだ?」


「校内では結構有名だよ。まさか今年から一緒になるとは。僕はあんまり関わりたくないな」


 誠司は光の差し込む窓際の席で、ひたすらページ数がやけに少ない小説を読み進めている。もちろん、嫌でもその噂話は耳に入ってきていた。


「チッ」


 噂話をする眼鏡の男子学生を一睨みし、震え上がらせると、再び本を読み始めた。そして胸の中にふつふつと、沸き起こるようにして男子生徒に憎まれ口を叩く。


 黙っていればいい気になりやがって。言うなら堂々と目の前で言えよ、クソども。


 鬱屈とした気持ちを整理することもなく、誤魔化すようにひたすら本を読み進めようとしていると、今度は隣にいる女子生徒二人が話し始めた。女子生徒は、化粧によって白くなった肌と黒くなった目元、盛り過ぎた髪は、さながらパンダにカツラを無理やり被せたようだった。
 カツラパンダは口を尖らせつつ、恥じらいもなく大声で噂話を交わす。


「あー、来たよ、例の子」


「今教室入ってきた子ぉ?」


「そうそう。大月おおつきさくらって、前のクラスじゃ、いじめられてたんだって」


 誠司が一瞥くれてやると、大月さくらと噂される女子はクラスの廊下側の席へと座った。
 制服はきちんと着こなされ、スカートは膝下まで伸びていた。その手には入学時に大量販売された黒いテカリのある鞄と、何故か使い古された分厚い辞典のような手帳が握りしめられている。顔を見ると目鼻立ちが良く、端正な印象だった。頭髪は肩より少し下まで伸び、地毛なのか茶色がかった色だ。
 しかし、そのどれよりも誠司が気になったのは、その表情だった。


 なんで、あんなに楽しげなんだ?


 口角が常に十五度程上がっており、目元も僅かながらに細めている。いじめられていたという噂が信じられないほど明るい雰囲気を醸し出していた。そんな様子を見た先程の女子生徒は不満を口にする。


「でもわかる。なんか、キモくない……?」


「それね。男子に媚び売ってるってカンジ。わかるわかる」


 わからん。だが女子から見れば、彼女はどうにも気に入らない存在らしい。


────やがてチャイムが鳴り、クラスの生徒が集まったところで、教室に入ってきた担任の男性教諭である田場たばが号令をかけた。


「起立、礼、着席」


 やる気なさげに名簿順で呼ばれ、返事をして行く生徒達。新学期初日で、厚化粧で顔面改造を施した女子生徒、ワックスをベトベトになるまで頭髪に塗りたくった男子生徒、全体的にどこか気合の入った風貌が散見される。


「はい山村~、いないか。じゃあ新学年新学期、最初のホームルームを始めるぞー」


 高校一年である去年まで誠司は、小学生からの腐れ縁のとある友人と話すのみで、それ以外の人間にはまるで興味を示さなかった。友人と言える友人は実質その一人しかおらず、だからといって増やそうともしていない。
 窓の外にはグラウンドの隅に植えられた桜が、青空をバックに八分咲き程度にまで咲いていた。絶好の花見日和だ。窓際に置かれている大きな水槽の中では、出目金が水をすいすいと泳いでいる。


「────ってことで、始業式の流れはこんな感じな。移動指示があるまで待機しとけよ、時間が来たらまた教室来るからなぁ」


 田場が教室から立ち去ると、ここぞとばかりに教室内はざわざわと話し声が飛び交う。
 新学期への期待、浮ついた男女関係、高校二年という中だるみ、全てがないまぜになった教室内を、誠司はただただ嫌悪した。


「おーす、誠司いるかー?」


 教室の開けられたドアには、短い髪をワックスで立てている男子生徒が誠司を探していた。先程、誠司の噂話をしていた眼鏡の男子生徒が、恐る恐る指を差して居場所を教えている。


「おっ、サンキューなぁ」


 その男子が他クラスにも関わらず、迷うことなく入ってくるその姿には、逆に清々しさすら感じた。


太一たいち、他クラスにまで来るな」


「おいおいー、冷てえなぁ」


 太一と呼ばれた男子生徒は、図々しく誠司の机の前でしゃがみ込んだ。読んでいた推理小説から目を外し太一へと目をやると、彼はニッと白い歯を見せて笑った。


「何の用だよ」


「俺は、誠司が新しいクラスで、早くもボッチと化してないか確かめに来たわけよ」


「友達なんて、多くても邪魔なだけだ」


「またまたぁ。欲しいくせに~」


「茶化すな」


「んまぁ良いわ。そんじゃまた帰りに会おうぜ」


 誠司が重々しく手を挙げ、それを返事代わりにすると、太一はその手にパシンッとハイタッチした。軽快な足取りで教室を後にした太一だったが、彼の声はよく通るため、残された誠司はまさに視線の的だった。


 だから奴がクラスに来るのは嫌なんだ。無駄に目立つ。

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