エタニティオンライン

足立韋護

救う思い

────エタニティオンラインでの残り日数が一日半となった頃、テンマらは時雨の渓谷を越えた湿地帯から、遥か高くそびえる山脈を見上げていた。


「こりゃあ無理だと思うよー」


「断崖絶壁とはこのことね」


 その山脈の中腹には、確かにレンガ造りの洋館が張り付くようにして建っていた。しかし周辺には、そこへ続く階段など用意されておらず、かと言って登れるような傾斜の甘い山でもなかった。


「もしかしてさぁ、これワームホールでしか行けない仕様になってんじゃないの。あの玄武……クオンは、もうアキを逃がすつもりもないんでしょ?」


 青龍の言葉に、その場の誰もが首を縦にも横にも振らなかった。テンマは右から左からと、様々な角度から洋館を見上げた。


「この建物のドアはあれか……」


 ドアは宙に向かって設置されていた。誰の往来も拒否する意図が見てとれた。地上からは二百メートルほどの高さのそれは、豆粒程度にしか見えない。


「あそこじゃあ、テンマしか行けないわね……」


「青龍よ、少し手を握ってくれ」


 何の前振りもなく、テンマが青龍に手を差し出した。青龍は眉をひそめて困惑した様子だったが、握らないことには話が進まないのだろうと仕方なく手を握った。
 途端、テンマは半回転しつつ遠心力を使って、青龍を天高く投げ飛ばした。妙な悲鳴をあげた青龍は、やがてドアのある高さまで到達し、ドアノブを掴むことに成功した。


「テ、テンマ、その力は……?」


「妖刀の力だ。すべてのステータスを格段に上昇させる代わり、今なおHPは蝕まれ続けている。この力と私のノーマッドの力をもってすれば、このくらいは投げ飛ばせるだろうと踏んだのだ」


「それだけの力があれば、クオンに対抗できたんじゃ?」


 上空の青龍がドアを開けて中へ入ったことを確認してから、テンマはカトレアへと手を差し出した。


「奴を力任せに斬ったが、ビクともしなかった。デバッグモード相手など、そんなものだ」


 テンマは、軽くため息を吐くカトレアをドアへ投げ飛ばした。「残るは……」と、重装の白虎へと視線を向けた。青龍とカトレアは軽装であったが、白虎は厳つい鎧に身を包み、更に愛用の大槌がある。投げ飛ばせたとしても、ドアに到達できるかは未知数であった。
 それを悟った白虎は、おもむろに鎧を外していった。鎧の中からは、綿の質素な服と、見栄えの良い顔が露わになった。


「槌は、アイテムチェストに入る」


「鎧はいらないのか?」


「向こうは一撃必殺。防御力のない鎧はただの重りだ」


「なるほど」


 テンマは納得したように笑みをこぼしながら、大槌をアイテムチェストに入れた白虎の手を取り、上空へ渾身の力を込めて投げ飛ばした。
 それを確認したテンマは、「私もそうするか」と紺の鎧を脱ぎ去り、麻の服から鎖かたびらも外した。ワームホールから取り出した、大剣『バルムンク』を左手に、妖刀『羅刹天』を右手に持ち、ワームホールへと落下していく。


 幾つかのワームホールを経て、テンマも玄関へと降り立った。青龍、カトレア、白虎と視線を交わし、皆とともに武器を握る手を強く握りしめ、前方へと力強く踏み出した。


────現実世界。新戸井高校、職員室。


「これが点字ってぇのは、どうしてわかった」


 刑事の平川が、テーブルに置かれた数列の書かれた紙をトントンと叩きながら、良太に問う。その場には、良太や京子はもちろん、教頭である那須と付き添いの警官らが集まっていた。


「トイレで点字を見つけたことがきっかけだった。現代の医療技術じゃ、後天性であれば盲目の患者も見えるようにすることだってできる。だから、バリアフリーとかが形骸化の一途を辿ってるってのは、なんとなく知ってるよな?」


「まあ。だが、それとこれは何か関係があるか?」


「以前の修は、弱者の心なんて知らなかった。知ろうともしていなかったと思う。トップを走り続ける奴だったからな」


 良太は数字が書かれた紙を、そっと指で撫でた。


「だけど、変わったんだ。きっと弱者の心を知りたくて、点字まで勉強してやがった。心を知れば人間が理解できる。それで、人間に近づけるとでも思ってたんじゃないか」


「んー、だが点字とこれとでは、あまりにも違いやしないか?」


「小学校で習わなかったか? 点字は六つの出っ張りで一文字。これも、六つおきに区切られてる。ゼロを平面、イチを出っ張りだと考えれば────いけそうだろ。俺も点字は読めないからこれ以上はわからないが、きっとこれだ」


 良太の確信めいた話に、場の空気が一気に弛緩した。しかし、「読める奴、すぐ呼べるのか?」という平川の一言に、弛緩した空気は引き締められた。


「あと一日もねぇ。その間に、そんなイマドキ珍しい奴ここに呼べるか? それにもし点字じゃなかったら? 完全にタイムアウトだ。本当に、点字なんだな……?」


 平川の突き殺すような鋭利な視線が、良太に向けられた。良太は暫し黙りこくった後、視線を跳ね返すようにして見返す。


「俺は修を信じる。点字に間違いない」


 息子の命がかかっている決断に、京子は下唇を噛み締めながら静観している。そんな中、那須がひょこっと手を挙げた。


「あのー、私、五十音までなら点字読めますよ?」


 平川は眉をひそめ、良太が口を大きく開いた。


「な、なんで! あんたすごいな!」


「まあ一応、教師なので。これは、どう点字にするのでしょうか」


「あ、ああ。多分点字の六点に、縦か横に割り振っていくんだ。きっと、恐らく!」


 ペンを取り出した那須は、「まず縦から」と、慣れない手付きで別の紙に黒い丸と白い丸を規則的に書いていく。点字の出っ張りが黒い丸、平面が白い丸を表しているようだった。
 やがて書き終えると、ゆっくりと口に出していった。


「て、あ、い、の、ま、な、ひ、や、に、て、ま、つ。最初の『て』と『ひ』の前の点字が読めませんでした。すみません」


「てあいのまなひやにてまつ? 那須さぁん、日本語じゃないですよ~」


 平川が深々とため息をつくが、那須の書いた点字を京子がじっと見下ろしている。


「読めなかった点字は、同じ形ね。五十音じゃ、ない。記号? 音符とか、句読点……。もっと深く、文字の性格を変えるような……拗音……濁音……そう濁音とか!」


 それを聞いた良太が、頭の中で文字を組み立て直し、修の残した最後のメッセージを口にした。


「『出逢いの学び舎にて待つ』」


 途端に平川が警官らに向かって大声を上げた。


「捜査に加わってる奴ら全員ここに来るように無線入れろぉ! 西倉はこの学校にいるぞ!」

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