奴隷を助けたはずが奴隷になったのでタスケテください!
28ー2 蔑如のアルテミス⑤
月が輝く。
アルテミスが俺の髪を片手でつかむ。
「よくぞ、ここまでホモ・デウスを模した。
涙を流せる程度には、感情を分析したようだ」
頭がいまだに揺れているように感じる。
「模した……、なんのことだ?」
アルテミスが鼻で笑った。
「トランス・ゲルヴァシャ・ニズム、生命の促進の為に人間と魔法カガク(機械)を融合する思想だ。
まさか、聞いたことねえのか?」
このカリュ大陸に来てから、そんな言葉は一度も聞いたことがない。
俺は機械人間にされてしまったようだ。
死ぬことはないが、生きているわけでもない状態。
今になって、胸が冷たくカラッポに感じる。
アルテミスが俺を数メートルほど投げた。
こちらへ這ってくるアンジェリカが見える。
「狩人よ、獲物へ死を——」
アルテミスが右手を自らの正面へ伸ばした。
銀色の光がそこへ現れて、矢の形へ変化してゆく。
「終わりだ」
魔法の矢が放たれた。
リーシェやノアたちを助けるまで、俺は死ねない。
まだ、赤爆という希望が残っている。
死ねないんだ、こんな森では。
————赤爆の火球————
威力に制限をかけていない赤爆、赤黒い球体を手の平へ作る。
体に絡んでいた繊維のようなモノを一瞬で焼いた。
「燃えてしまえッ、その蔑みと共に!」
赤爆で魔法の矢を迎えうつ。
うねる赤黒い光と銀の光が衝突すると、拮抗状態となった。
矢の勢いがすさまじい。
赤爆がすぐに押され始めた。
——連弾。
赤爆を追加で四つ撃った。
赤黒い光はすぐに増大し、魔法の矢を覆ってゆく。
「あがくな」
アルテミスが魔法の矢をひとつ放つ。
それは拮抗状態を一瞬で壊した。
そして、赤黒い光を押し返しながらこちらへ迫る。
日本国旗のような光景。
火力が足りない、もっとだ。
もっと焼き尽くせ。
————一万五千発の赤爆————
一万五千の赤黒い球体を空へ浮かべ、それを一か所へ収束させる。
アルテミスが何かに気づいたような表情で仰いだ。
「面白いぞ、オレ様を汚れた太陽で焼くか!」
——赤爆の太陽、それが隕石のように落ちてゆく。
「夢中になるな、前がおろそかだっての」
アンジェリカの声が聞こえた。
銀色の光が赤爆をもうすでに破っていた。
彼女が、魔法の防壁を展開しながら俺をかばう。
直後。
矢がその防壁に着撃した。
アルテミスが銀の矢を空へ放ってゆく。
落下の勢いはわずかも衰えない。
「矢が通らない? 非力だと?
こんな、純然たる力に敗北するなど……。
オレ様こそが狩人なんだあああアア!」
赤爆の太陽が森を押しつぶして沈んでゆく。
最初の衝撃はゲルヴァシャの大地を割った。
空気の震える音しか耳に入ってこない。
目を開けているのがやっとだ。
いくつもの火柱がこの星の地層をえぐってゆく。
そして、赤爆の太陽にある核がアルテミスへ到達する。
真昼の百倍以上の光度が星を包む。
月を貫くほど太く高い火柱が上がり、ゲルヴァシャの大地は一瞬で火の海と化した。
大量のプロミネンスが、大地をイルカのように泳いでゆく。
星はいくつにも割れ、雲は空のどこかでアメ玉のように圧縮され続け、夕暮れの空をも魔法は赤く染めた。
爆発の余波がようやく収まった。
割れたゲルヴァシャの大地は浮いたままだ。
ブナのような木が大量に生えてゆく。
「アンジェリカ、しっかりしろ。おい……、オイ!」
苦しそうな息が彼女から聞こえた。
黒い霧が一か所へ集まってゆき、エヴァリューシュの姿へ変わる。
「ホモ・デウスとしては破格だが、神には及ばない」
アルテミスがこちらへ歩てくる。
「どれだけ殺せば死ぬんだよ、クソッ!」
「このカリュ大陸だけで、植物は八百万種以上も存在する。星全域を合わせれば、一千万種はくだらない。さらに、一種につき一個体はありえないことだ。
初代ゲルヴァシャがなぜオレ様を封印したか、察しろ」
アルテミスは片手で腹をさすりながらそう言った。
俺はうつむく。
視線がアンジェリカの細い目と合う。
「前を、見なさい。顔は、自分で……上げるもの」
無理だ、俺はここで死ぬ。
よくやったさ、そうだ、俺にできることは全てやったんだ。
だって、どうしようもないじゃないか。
こんな、理不尽な……、チートな……。
ヤケドしている細い拳が鼻にふれた。
「もっぺん(もう一回)、言う。顔、あげなさい」
彼女は辛そうな表情で拳を俺の鼻へもう一度添えた。
「俺にどうしろってんだ。
魔法も効かない、赤爆もダメ、あげくに攻撃は見えすらしない」
アルテミスの大きな笑い声が聞こえた。
「いいぞ、女を抱きながら泣きごとをめそめそともらせ!
無様を噛みしめながら死ぬがいいッ!」
笑い声が急に消えた。
「なんだ……、急にかゆいな」
アルテミスが首や腹・ふとももなどを指でかいてゆく。
黒い肌ごしでも分かるほどの紅斑が、その体中にできていた。
多少のダメージがなんだよ。
俺にはもうどうすることもできない。
アルテミスが俺の首をねじ切ろうとする。
「ううごうあっふあ、くわっっぶおあ」
「汚ねえし、みっともねえぞ、ホモ・デウス」
アンジェリカがアルテミスの足へかみつく。
「奴隷にした後は、たっぷりと楽しませてやるから、待っとけ」
アルテミスは彼女の頭を踏みつけて、地面へ少し埋めた。
また、腹部を片手でかきながら痛そうな表情をしている。
意識が薄れてゆく。
リーシェの姿を頭に思い浮かべた。
リーシェ……、許してくれ。
…………。
何かが引っかかる。
全身の紅斑や腹部の痛み……。
————赤爆病。
「アンジェリカ、赤爆素を治療してくれ!」
精一杯の力でそう叫んだ。
「今さらご機嫌をとろうなんざ」
アルテミスが両手で口を押さえた。
液体がその両手から少しずつもれてゆく。
強烈な吐き気を我慢しているように思った。
吐き気……、そうか、急性だ。
「紅斑だ、赤爆病が発症しているッ!」
アンジェリカがアルテミスの腹へ手を添えた。
彼女は、歯が全て見えるほどに噛みしめている。
その両目は限界まで開いている。
「死ね——パナケイアの癒し」
その手が緑色に少し発光する。
舌打ちしたアルテミスが彼女の頭部を殴り抜いた。
「バカが、どこを治している!
命ごいなら、全裸で豚のマネでもしてみせろ」
アルテミスの腹にある紅斑が広がってゆく。
その前腹が腐り落ちた。
「なんだ……、いったい、オレサマに何が起きている」
森が光ると、その胴体が修復されてゆく。
直後。
全ての紅斑から出血が始まった。
「あああッ、カラダがあああああああ!」
これは急性赤爆病。
リーシェを検査した医者が言っていた。
「彼女は赤爆病です、それも重度の汚染による急性のモノです。
おうとやゲリ、それにほぼ全身に渡っての内出血による斑点がでています」。
また、それを治療することが死を意味することも。
「赤爆素は魔法と接触すると、その魔法を焼き尽くし、さらに増殖してしまいます」。
一万五千発の赤爆が直撃したんだ。
一週間の余命など夢、命は数分後で尽きるだろう。
アルテミスの体は、出血し腐り落ちては再生してゆく。
再生の度に、赤爆素を除去する治療作用も起きる。
その反作用によって、赤爆病が悪化してすぐに死ぬ。
命が尽きるまでそれらを繰り返してゆくんだ。
想像すらできないほどの苦痛をたずさえて。
「生き地獄だ、後悔しながら味わえ」
大量の血が地面へ飛び散ってゆく。
「ふぁうおふあうおあふぉ、ああああ!
オレサマがああああああアアアア!」
森が枯れてゆく。
肉のない部分がその体に目立ち始めた。
欠損部位の再生がにぶい。
「ああああああああああああああああああああああッ、ああ、ああああああああああああああアアあああああああああ、ああああああああッあッ、ああ、ああ、ああ、ああああああああああああ、もうッあああああああああああああああああああ、ああああやめああああああッ、ああぁあああぁあああ、あくむだあああぁああああ、こんなあああああああああああああ、あああアあああああぁあああアあああああぁ、ころしてくれえッ、ああぁぁあああああアアゝゝゝゝアアアアあああああ!」
アルテミスが頭を抱えながら仰ぐ。
「ヤメろッ、あアアア、セレナめ、出てくるなあああッ!」
三本の手がその口から突きでた。
「このときを待っていた、この体からようやく解放される」
エヴァリューシュと非常に似ている声が聞こえた。
女性がアルテミスの口から出てくる。
右肩には手がみっつ、左肩には足がひとつ。
左骨盤に手がひとつ、右骨盤に足がみっつ。
そして、肩甲骨の辺りに頭がもうひとつ。
「ああ、憎しや……、全知全能の神よ。
生がふたりを別つことなど、あってはならぬ」
なんだ、このひどくおぞましい生き物は。
————赤爆の焔鎌————
陽炎をまとう鎌を魔法で作りだす。
ソレと目が合う。
瞳孔が完全に開き切っていた。
「この盛衰の神・セレナが恐ろしいか?
言葉があるにもかかわらず、未知への恐怖だけで武器を手に取るか?」
「殺されてからでは遅い」
「しかり、では先んじて殺すか?
危険が予想されるというだけで、対話の相手を亡き者にするか?」
こちらに敵意はないようだ、今のところは。
アルテミスの腹からエヴァリューシュに似たモノがまた出てきた。
後ろ髪をお団子にまとめた女性だ。
その四肢に過不足はない。
彼女は周囲を見渡し、驚いたような声を出した。
「こんなにひどい環境は初めて」
そして、魔法で作った宇宙服のようなもので自らを覆った。
「セレナ、ここをすぐに離れたほうがいい」
「赤爆素であろう、ヘカテ。よく……、これだけの量をばら撒いた。
もはや、死神と呼んで差支えない」
セレナは口から出おわると、どこかへ移動した。
直後。
アルテミスの体がくずれてゆく。
もはや原型をとどめていない。
一キロほどのブロック肉が散乱した状態だ。
それさえも再生と破壊を繰り返して、次第に小さくなってゆく。
森が枯れた。
ヘカテは、近くにある木の株へ座り、本を開いた。
武器を構える。
「あら、生きてたの。三日ぶりかしら」
ヘカテは本から一度も目を離さずにそう言った。
「次はオマエだ、ヘカテ。必ず討つ」
ため息が聞こえた。
「しつこい。いまは本を読みたい」
彼女の考えはよく分からない。
とりあえず、戦意はないようだが。
先にケガ人を治療する。
アンジェリカを背負う。
彼女は、発泡スチロールかと疑うほどに軽い。
「アンジェリカ、すぐに医療関係者へ診せるから」
返事は背中からなかった。
出血多量による失神か、急いで治療をしなくはならない。
「ねえ、どこの病院へ連れてゆく気?」
ヘカテの声が聞こえた。
なにいってんだコイツ。
「近くで医者や看護師が救出活動をしているだろうが。
自称神のクセに、そんなことも理解できないか?」
ヘカテはページをめくる手を途中で止め、こちらへ目をやった。
「アナタとこのヘカテ以外、ここには誰もいない。
脳だけでなく、目もご立派な飾りね」
俺は立ち止まった。
爆風でいたるところが深くえぐれた大地。
黒土により、見渡す限りの焼け野原。
水平線へもうほとんど食い込んでしまった夕日。
さんぜんと輝く、穴のある満月。
重さが、俺の背中から抜けてゆく。
「アナタは力のジレンマに囚われてしまった」
「お前たち神が、俺たち人間をおびやかすからだろ」
「箱庭(この星)は神の所有物。
人間は特別な存在ではない」
「人間は神の奴隷じゃない」
「いいえ、神の力に従うようにできている」
「神による絶対主義など、俺が燃やしてやる」
ヘカテは立ち上がった。
「仮に神を燃やしたとして、次は人間を焼くことになるでしょう。
これ以上は何を言っても無駄そう。
さようなら、死神さん」
ヘカテは黒い霧になって消えた。
ノアは無事だろうか。
俺は中央区の病院を目指して、ほのかに赤い土を歩いてゆく。
アルテミスが俺の髪を片手でつかむ。
「よくぞ、ここまでホモ・デウスを模した。
涙を流せる程度には、感情を分析したようだ」
頭がいまだに揺れているように感じる。
「模した……、なんのことだ?」
アルテミスが鼻で笑った。
「トランス・ゲルヴァシャ・ニズム、生命の促進の為に人間と魔法カガク(機械)を融合する思想だ。
まさか、聞いたことねえのか?」
このカリュ大陸に来てから、そんな言葉は一度も聞いたことがない。
俺は機械人間にされてしまったようだ。
死ぬことはないが、生きているわけでもない状態。
今になって、胸が冷たくカラッポに感じる。
アルテミスが俺を数メートルほど投げた。
こちらへ這ってくるアンジェリカが見える。
「狩人よ、獲物へ死を——」
アルテミスが右手を自らの正面へ伸ばした。
銀色の光がそこへ現れて、矢の形へ変化してゆく。
「終わりだ」
魔法の矢が放たれた。
リーシェやノアたちを助けるまで、俺は死ねない。
まだ、赤爆という希望が残っている。
死ねないんだ、こんな森では。
————赤爆の火球————
威力に制限をかけていない赤爆、赤黒い球体を手の平へ作る。
体に絡んでいた繊維のようなモノを一瞬で焼いた。
「燃えてしまえッ、その蔑みと共に!」
赤爆で魔法の矢を迎えうつ。
うねる赤黒い光と銀の光が衝突すると、拮抗状態となった。
矢の勢いがすさまじい。
赤爆がすぐに押され始めた。
——連弾。
赤爆を追加で四つ撃った。
赤黒い光はすぐに増大し、魔法の矢を覆ってゆく。
「あがくな」
アルテミスが魔法の矢をひとつ放つ。
それは拮抗状態を一瞬で壊した。
そして、赤黒い光を押し返しながらこちらへ迫る。
日本国旗のような光景。
火力が足りない、もっとだ。
もっと焼き尽くせ。
————一万五千発の赤爆————
一万五千の赤黒い球体を空へ浮かべ、それを一か所へ収束させる。
アルテミスが何かに気づいたような表情で仰いだ。
「面白いぞ、オレ様を汚れた太陽で焼くか!」
——赤爆の太陽、それが隕石のように落ちてゆく。
「夢中になるな、前がおろそかだっての」
アンジェリカの声が聞こえた。
銀色の光が赤爆をもうすでに破っていた。
彼女が、魔法の防壁を展開しながら俺をかばう。
直後。
矢がその防壁に着撃した。
アルテミスが銀の矢を空へ放ってゆく。
落下の勢いはわずかも衰えない。
「矢が通らない? 非力だと?
こんな、純然たる力に敗北するなど……。
オレ様こそが狩人なんだあああアア!」
赤爆の太陽が森を押しつぶして沈んでゆく。
最初の衝撃はゲルヴァシャの大地を割った。
空気の震える音しか耳に入ってこない。
目を開けているのがやっとだ。
いくつもの火柱がこの星の地層をえぐってゆく。
そして、赤爆の太陽にある核がアルテミスへ到達する。
真昼の百倍以上の光度が星を包む。
月を貫くほど太く高い火柱が上がり、ゲルヴァシャの大地は一瞬で火の海と化した。
大量のプロミネンスが、大地をイルカのように泳いでゆく。
星はいくつにも割れ、雲は空のどこかでアメ玉のように圧縮され続け、夕暮れの空をも魔法は赤く染めた。
爆発の余波がようやく収まった。
割れたゲルヴァシャの大地は浮いたままだ。
ブナのような木が大量に生えてゆく。
「アンジェリカ、しっかりしろ。おい……、オイ!」
苦しそうな息が彼女から聞こえた。
黒い霧が一か所へ集まってゆき、エヴァリューシュの姿へ変わる。
「ホモ・デウスとしては破格だが、神には及ばない」
アルテミスがこちらへ歩てくる。
「どれだけ殺せば死ぬんだよ、クソッ!」
「このカリュ大陸だけで、植物は八百万種以上も存在する。星全域を合わせれば、一千万種はくだらない。さらに、一種につき一個体はありえないことだ。
初代ゲルヴァシャがなぜオレ様を封印したか、察しろ」
アルテミスは片手で腹をさすりながらそう言った。
俺はうつむく。
視線がアンジェリカの細い目と合う。
「前を、見なさい。顔は、自分で……上げるもの」
無理だ、俺はここで死ぬ。
よくやったさ、そうだ、俺にできることは全てやったんだ。
だって、どうしようもないじゃないか。
こんな、理不尽な……、チートな……。
ヤケドしている細い拳が鼻にふれた。
「もっぺん(もう一回)、言う。顔、あげなさい」
彼女は辛そうな表情で拳を俺の鼻へもう一度添えた。
「俺にどうしろってんだ。
魔法も効かない、赤爆もダメ、あげくに攻撃は見えすらしない」
アルテミスの大きな笑い声が聞こえた。
「いいぞ、女を抱きながら泣きごとをめそめそともらせ!
無様を噛みしめながら死ぬがいいッ!」
笑い声が急に消えた。
「なんだ……、急にかゆいな」
アルテミスが首や腹・ふとももなどを指でかいてゆく。
黒い肌ごしでも分かるほどの紅斑が、その体中にできていた。
多少のダメージがなんだよ。
俺にはもうどうすることもできない。
アルテミスが俺の首をねじ切ろうとする。
「ううごうあっふあ、くわっっぶおあ」
「汚ねえし、みっともねえぞ、ホモ・デウス」
アンジェリカがアルテミスの足へかみつく。
「奴隷にした後は、たっぷりと楽しませてやるから、待っとけ」
アルテミスは彼女の頭を踏みつけて、地面へ少し埋めた。
また、腹部を片手でかきながら痛そうな表情をしている。
意識が薄れてゆく。
リーシェの姿を頭に思い浮かべた。
リーシェ……、許してくれ。
…………。
何かが引っかかる。
全身の紅斑や腹部の痛み……。
————赤爆病。
「アンジェリカ、赤爆素を治療してくれ!」
精一杯の力でそう叫んだ。
「今さらご機嫌をとろうなんざ」
アルテミスが両手で口を押さえた。
液体がその両手から少しずつもれてゆく。
強烈な吐き気を我慢しているように思った。
吐き気……、そうか、急性だ。
「紅斑だ、赤爆病が発症しているッ!」
アンジェリカがアルテミスの腹へ手を添えた。
彼女は、歯が全て見えるほどに噛みしめている。
その両目は限界まで開いている。
「死ね——パナケイアの癒し」
その手が緑色に少し発光する。
舌打ちしたアルテミスが彼女の頭部を殴り抜いた。
「バカが、どこを治している!
命ごいなら、全裸で豚のマネでもしてみせろ」
アルテミスの腹にある紅斑が広がってゆく。
その前腹が腐り落ちた。
「なんだ……、いったい、オレサマに何が起きている」
森が光ると、その胴体が修復されてゆく。
直後。
全ての紅斑から出血が始まった。
「あああッ、カラダがあああああああ!」
これは急性赤爆病。
リーシェを検査した医者が言っていた。
「彼女は赤爆病です、それも重度の汚染による急性のモノです。
おうとやゲリ、それにほぼ全身に渡っての内出血による斑点がでています」。
また、それを治療することが死を意味することも。
「赤爆素は魔法と接触すると、その魔法を焼き尽くし、さらに増殖してしまいます」。
一万五千発の赤爆が直撃したんだ。
一週間の余命など夢、命は数分後で尽きるだろう。
アルテミスの体は、出血し腐り落ちては再生してゆく。
再生の度に、赤爆素を除去する治療作用も起きる。
その反作用によって、赤爆病が悪化してすぐに死ぬ。
命が尽きるまでそれらを繰り返してゆくんだ。
想像すらできないほどの苦痛をたずさえて。
「生き地獄だ、後悔しながら味わえ」
大量の血が地面へ飛び散ってゆく。
「ふぁうおふあうおあふぉ、ああああ!
オレサマがああああああアアアア!」
森が枯れてゆく。
肉のない部分がその体に目立ち始めた。
欠損部位の再生がにぶい。
「ああああああああああああああああああああああッ、ああ、ああああああああああああああアアあああああああああ、ああああああああッあッ、ああ、ああ、ああ、ああああああああああああ、もうッあああああああああああああああああああ、ああああやめああああああッ、ああぁあああぁあああ、あくむだあああぁああああ、こんなあああああああああああああ、あああアあああああぁあああアあああああぁ、ころしてくれえッ、ああぁぁあああああアアゝゝゝゝアアアアあああああ!」
アルテミスが頭を抱えながら仰ぐ。
「ヤメろッ、あアアア、セレナめ、出てくるなあああッ!」
三本の手がその口から突きでた。
「このときを待っていた、この体からようやく解放される」
エヴァリューシュと非常に似ている声が聞こえた。
女性がアルテミスの口から出てくる。
右肩には手がみっつ、左肩には足がひとつ。
左骨盤に手がひとつ、右骨盤に足がみっつ。
そして、肩甲骨の辺りに頭がもうひとつ。
「ああ、憎しや……、全知全能の神よ。
生がふたりを別つことなど、あってはならぬ」
なんだ、このひどくおぞましい生き物は。
————赤爆の焔鎌————
陽炎をまとう鎌を魔法で作りだす。
ソレと目が合う。
瞳孔が完全に開き切っていた。
「この盛衰の神・セレナが恐ろしいか?
言葉があるにもかかわらず、未知への恐怖だけで武器を手に取るか?」
「殺されてからでは遅い」
「しかり、では先んじて殺すか?
危険が予想されるというだけで、対話の相手を亡き者にするか?」
こちらに敵意はないようだ、今のところは。
アルテミスの腹からエヴァリューシュに似たモノがまた出てきた。
後ろ髪をお団子にまとめた女性だ。
その四肢に過不足はない。
彼女は周囲を見渡し、驚いたような声を出した。
「こんなにひどい環境は初めて」
そして、魔法で作った宇宙服のようなもので自らを覆った。
「セレナ、ここをすぐに離れたほうがいい」
「赤爆素であろう、ヘカテ。よく……、これだけの量をばら撒いた。
もはや、死神と呼んで差支えない」
セレナは口から出おわると、どこかへ移動した。
直後。
アルテミスの体がくずれてゆく。
もはや原型をとどめていない。
一キロほどのブロック肉が散乱した状態だ。
それさえも再生と破壊を繰り返して、次第に小さくなってゆく。
森が枯れた。
ヘカテは、近くにある木の株へ座り、本を開いた。
武器を構える。
「あら、生きてたの。三日ぶりかしら」
ヘカテは本から一度も目を離さずにそう言った。
「次はオマエだ、ヘカテ。必ず討つ」
ため息が聞こえた。
「しつこい。いまは本を読みたい」
彼女の考えはよく分からない。
とりあえず、戦意はないようだが。
先にケガ人を治療する。
アンジェリカを背負う。
彼女は、発泡スチロールかと疑うほどに軽い。
「アンジェリカ、すぐに医療関係者へ診せるから」
返事は背中からなかった。
出血多量による失神か、急いで治療をしなくはならない。
「ねえ、どこの病院へ連れてゆく気?」
ヘカテの声が聞こえた。
なにいってんだコイツ。
「近くで医者や看護師が救出活動をしているだろうが。
自称神のクセに、そんなことも理解できないか?」
ヘカテはページをめくる手を途中で止め、こちらへ目をやった。
「アナタとこのヘカテ以外、ここには誰もいない。
脳だけでなく、目もご立派な飾りね」
俺は立ち止まった。
爆風でいたるところが深くえぐれた大地。
黒土により、見渡す限りの焼け野原。
水平線へもうほとんど食い込んでしまった夕日。
さんぜんと輝く、穴のある満月。
重さが、俺の背中から抜けてゆく。
「アナタは力のジレンマに囚われてしまった」
「お前たち神が、俺たち人間をおびやかすからだろ」
「箱庭(この星)は神の所有物。
人間は特別な存在ではない」
「人間は神の奴隷じゃない」
「いいえ、神の力に従うようにできている」
「神による絶対主義など、俺が燃やしてやる」
ヘカテは立ち上がった。
「仮に神を燃やしたとして、次は人間を焼くことになるでしょう。
これ以上は何を言っても無駄そう。
さようなら、死神さん」
ヘカテは黒い霧になって消えた。
ノアは無事だろうか。
俺は中央区の病院を目指して、ほのかに赤い土を歩いてゆく。
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