この世には、数字にできないことがある

一刻一機

第16話 妹の心配

「どこか違和感や、体調のおかしなところはありませんか?」

 アインは、3日ぶりに起き上がったミリアの額に手を当てながら尋ねた。

「全然っ。むしろ、3日も寝ていたなんて信じられないぐらい!」

 ミリアを運んで来てくれた、近所の住人達に頼み込み、ミリアは買い物中急に倒れたことにしていた。

 【魂魄魔法】の【忘却】で、トラウマになりそうな周辺の記憶を完全に消去したが、何の弾みで思い出すわからないためだ。

「そうですか。ならいいのですが、無理をしてはいけませんよ?」

「うん。ありがとう、アイン。ところで神父様は?起きてから、一度もお顔を見てないんだけど」

 ミリアは赤銅色の髪を揺らして、アインの顔を下から見上げた。

「ああ……その……ミリア、気を強く持って下さいね。非常に言いにくいのですが、神父様は何らかの犯罪に手を染めていたらしく、逃亡し姿を消しました」

「あ、やっぱり?いつか何かしでかすと思っていたのよね」

「ん?ミリアは、何か知っていたのですか?」

「ううん。そういうわけじゃないけど、あの人はそう言う……なんて言えばいいのかな。小物臭さ?みたいなものあったじゃない?その癖、出世欲とか強くて偉ぶってたし。小説とかに良く出る、かませ犬的な所があったから、いつかきっとこうなると思ってたよ」

「はあ。意外ですね。ミリアが、神父様の事をそんな風に思っていたなんて」

「んー。そうだね、前から好きでは無かったけど……眼を覚ましてから、何故か神父様に対する不快感って言うか、ぶん殴りたい衝動に駆られるって言うか……」

 どうやら、神父がミリアを売った事は忘れたが、その時の怒りは精神の奥底にこびり付いているようだ。

 もしかしたら【忘却】で強引に記憶を消したせいで、記憶と感覚に齟齬が生じているのかも知れない。

 今は、あまり話をさせない方がいいだろうとアインは考え、若干強引にでも話を逸らすことにした。

「あまり興奮しない方がいいですよ。今日明日は、大人しくベッドの中にいなさい」

「はあい。相変わらずアインは過保護ね」

「そうですか?家族なんだから、当たり前でしょう?」

「そうね……家族、だものね。ねえ、アイン」

 ミリアの食事を用意しようと、席を立ち背を向けたアインに、ミリアが声を掛けた。


「貴方、また何か無理をしてない?」


「……何のことですか?」

「雰囲気が……寝て起きたら、雰囲気が全然違う気がしたの。アイン。何か嫌な事があった?雰囲気がとても怖いわ」

 アインは表現の出来ない、喪失感や罪悪感に近い寂寥感に捉われ、一瞬言葉に詰まったが、どうにか無理矢理笑顔を絞り出すことができた。

「気のせい。ですよ」

「そう……ならいいの。ごめんね、変なこと言って」

「いえ。では、ちょっと買い出しに行って来ます。いい子にしていて下さいね」

 そう言って、アインは今度こそ部屋を後にした。

「馬鹿アイン。絶対、私に隠れて、何か無理な事をしようとしてるな……」

 一人残された静かな部屋に、ミリアの硬い声が響いた。



 ◆


 買い出しについでに、アインは盗賊団にユースを襲わせようとした、オーディン家の事を調べていた。

 盗賊のアジトで見つけた書類によれば、具体的な日付は書いてなかったが、ユースの郊外訓練の日取りはかなり近いらしい。

 盗賊団の壊滅はすぐにバレるだろう。そうなれば、ユースはまた別の方法で襲われるだけだ。

 アインは、逸る気持ちを抑えながら、ひっそりとかつスピーディに情報収集に勤しんだ。

 こういう時、教会に仕える身分は非常に便利である。

 買い物をしながら、長時間店主やそこの客と雑談をしても、誰1人嫌な顔をしない。

 日頃から治療院などで丁寧に対応して来た賜物である。

 情報収集の結果、オーディン家は、本来の領地が国境際にある辺境伯、つまり伯爵家の中でも上位に位置する、本当に武で鳴らした名家であるらしい。

 否ーーあったらしい。

 残念ながら、先代の当主は、剣よりも銭を重視し、引退により辺境から出られる立場になった途端、この王都に来て様々な事業に手を出して、事業家ぶっているらしい。

 にも関わらず、その事業が上手くいかない時は、武力で解決しようとするので、周辺の商人達からは腫物扱いされている。

 今代の当主は、辺境伯の宿命として殆ど領地から出た事がないため、あまり情報が無かったが、稀に登城のため王都に来ると傍若無人の限りを尽くして行くらしいので、やはり良い評判は聞けなかった。

「それで、前当主と現当主、どちらがフィオナのお父様ですか?」

「今王都にいるガダルタ・オーディンが私の父ですが……そうですか、あれからもう10年も経っているのですね……」

 夜になり、アインは教会の地下室でフィオナとローズと情報を確認していた。

 その中で、どうやらフィオナが死んだ日から、既に10年が経過している事が判明し、フィオナがショックを受けていたのだ。

「フィオナ様……まだ10年……運が良かった、です」

 しかしローズは、淡々としたいつもの口調で異を唱えた。

「そうね。前向きに捉えましょうか、まだあの父と兄が生きている。私達に殺されるために、今までよく生き延びてくれたと感謝しなければなりませんね。あ、もちろん復讐の機会チャンス機会を下さった、ご主人様に一番感謝しておりますが」

「お兄様が、今のオーディン家の当主ですか?」

「ケアンズ・オーディンは私の兄で間違いありません。武門の子にも関わらず訓練嫌いで、結局剣で一度も私に勝てなかったのろまの愚図です。その癖、武威は誇示したいらしく、いつも見た目だけは良い装備を身に付け、領兵を勝手に連れ回して威張り散らすような男でした」

 苦々しい顔で、フィオナは自分の兄をこき下ろした。

 フィオナの主観が大分入っている気もするが、町の噂も碌なものが無かったので、的外れな感想ではないのだろう。

「そうですか。しかし、辺境となれば困りますね。移動するにしても、馬車で2、3週間はかかるでしょう。お金は、先日の盗賊から頂戴した分がありますが、流石にそんな日数不在になれば、ミリアに疑われてしまいますし、ミリアから長期間目を離すのも心配です」

「ご主人様の御家族様を狙ったのは、父のガタルタの方かと思われます。兄の方は、私とローズの私怨になります……ですが、不躾ながら、ご主人様にお願いがございます。もしも復讐が叶うなら、この借り物の体ではなく、私ども自らの手で、奴らの息の根を止めたいと思っています。ご主人様の奇跡のような御力で、どうかオーディン領に埋葬されている我らの体を使っては頂けないでしょうか」

「フィオナ、ローズ、貴女方の私怨だけではありません」

 悩むアインに、フィオナが遠慮がちに声をかけるが、アインは笑顔で首を横に振った。

「私の家族を狙ったのですから、オーディン家そのものが私の敵なのです。それに、先日のゴダスの件もあります。活動範囲を広げた方が、私と言う犯人に辿り着くのが難しくなるでしょう……付け加えて言うならば、実の娘、妹に復讐してもらった方が、きっと地獄でより反省してくれるだろうと言う目論見もあります」

 にこにこと笑いながら、貴族を家ごとーーしかも伯爵家を潰す宣言をアインのセリフは、客観的に見ても狂人の戯言でしかない。

 しかし、アインにはそれを実行する行動力と計画性、そして【数魔法ちから】がある。

 それにアインは口にしないが、フィオナとローズに肩入れしたい気持ちも強かった。

 ゴーストに堕ちるほどの、凝り固まった強い怨みを抱いて死んだ2人が哀れに思えたのである。

「ご主人様……ありがとうございます。このご恩は生涯忘れません」

「フィオナ様……私達……もう、死んでる」

「ああ、それもそうだったな。では、この【魂】が燃え尽きる、そのきわまでお仕えすることを誓います」

 アインの想いは、言葉にしなくても2人に伝わっていたらしい。

 フィオナとローズは、アインに向かって臣下の礼を取り跪いた。

「ギヒッ、ご主人様は闇の者に好かれ易いオーラが出てるからな。俺も、ご主人様の側は居心地がいいから、契約が切れるまでは、仕えさせてもらうぜ」

 そんな2人を見て、レインも嘘くさい忠誠を誓いながら、ワインをラッパ飲みした。

「ところで、その距離の話なんだがよ。ご主人様に渡した魔法の中に【空間魔法】があるだろ?あれは難しい魔法だがよ、ご主人様の力なら、術者が定めた位置に瞬間移動する【帰還】ぐらい、すぐに使えるようになるんじゃね?」

「【空間魔法】ですか、【魂魄魔法】以上に聞いたことがない魔法ですね」

「ギヒヒッ!そりゃそうだ。人間で使える奴なんて、世界中探しても100人居ないんじゃないか?だが、俺達みたいな精神生命体は存在位置を空間に定義しないと、すぐに虚空に融けちまうからな。空間魔法の術式は使えなくても、空間魔法は使えるんだ」

「……レインの話は時々難し過ぎて、よくわかりませんね」

「精神存在と物理存在。在り方そのものが違うんだ。そんなもんだろ?俺達だって、人間のことはよく分からないぜ、ギヒッ!」

「それはそれで嘘くさいのですが……まあ、いいです。大事なのは、その【帰還】が使えれば、簡単に王都と辺境まで往復出来そうだと言うことです。ですが、そもそもで辺境まで辿り着くのに、2週間も3週間もかけてはいられません。その間に、ユースの郊外訓練が始まってしまえば大変です」

 できれば、オーディン家の制裁とユースの護衛。両方同時に進めたいが、どうしても人手が限られている。

 オーディン家に拘るあまりに、肝心の家族ユースが傷つけられてしまっては、元も子もないのだ。

「しかし、オーディン家は辺境だけあって、周辺環境は過酷です。険しい山や深い森があり、空でも飛んで行かない限りは……」

「それです!そうしましょう!」

 オーディン辺境伯領の道程を説明するフィオナを遮って、アインは柏手を打った。

「【召喚魔法】で、何か私達を乗せて空を飛びそうな魔物が出ないかやってみましょう」

「ギヒッ……人間を複数乗せられるような魔物って竜とかだぞ。さすがにそれはちょっと無理なんじゃ……」

「そうですか……グリフォンとかなら、私だけでも運べませんか?」

「ああ、ご主人様1人でも辿り着けば【帰還】が使えるからな。でも、グリフォンだって伝説級だぜ?そんな簡単に喚べるとは思えねえけど……」

 アインは知らなかったが、竜やグリフォンは、レインでさえ躊躇する程の魔物であったらしい。

 しかし、いずれにせよ移動手段の確保は、必須条件である。

「仕方がありません。とりあえず、良い馬を調達しましょうか」

 とりあえず金だけはある。

 問題は、その金の調達手段を説明できないことである。

 真っ当に稼がない金は、真っ当に使う事ができないのか、とアインは浮世の仕組みに感心しつつも頭を悩ませながら夜の町へと繰り出した。

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