この世には、数字にできないことがある

一刻一機

第8話 首無し騎士

 涙や鼻水を垂らしながら、震える禿げたゴダスを見ても、アインはまだ満足していなかった。

「フィオナ、もうっていいですよ」

 アインは、スケルトンに拘束されているビッヒガルドへの止めを指示した。

「はっ!承知しました!」

「まさか!?止めろ!止めてぐっ……」

 すぐさまフィオナの剣が振られ、スケルトンに囲まれていたビッヒガルドの首が宙を飛んだ。

「ぎゃあああああ!?」

 その首がゴダスの元へ転がって行くと、部屋中にアンモニア臭が漂いだす。

「むぅ……臭いですね。この屑は、最期の最期まで汚らしいまま死にたいのですか。最期ぐらい、貴族としての誇りプライドを見せたらどうですか」

「そ、そうだ!儂は貴族……男爵だぞ!?この儂を殺せば、お前だけじゃない!一族郎党全員極刑になるんだぞ!?考え直せ!」

「はあ……挙句の果てに、絞り出した言葉がそれですか。一族郎党も何も私には一族なんていませんよ。何せ貴方が蔑んで止まない孤児ですからね」

「ま、待て!ならお前を雇う!いや、雇わせて下さい!毎月金貨1枚……ではなく、2枚払おう!だから、だから……」

 脅迫が通じないと判断すると、ゴダスは蟲のように地べたに頭を擦り付けた姿勢で懐柔してきたが、既にアインはゴダスを視界に収めることすら辟易してきていた。

「わかりました。もういいです」

「えっ……そ、そうか!ではさっそく金庫に……」

「悪魔よ、姿を現しなさい」

 高位存在である悪魔は、ある程度の魔力がなければ、その姿を見ることもできない。

 アインはゴダスに恐怖を与えるため、わざわざ悪魔に姿を見せるように指示したのだ。

「ひいい!?ひいいいい!?」

「おや?泡を吹いて気絶しましたね?どうしたのでしょう。お前、何かしましたか?」

『ギヒヒッ。悪魔の姿や声は、精神に直接恐怖を与えるからな。普通の人間にはちぃっとばかし刺激が強過ぎるらしい。こうして普通に会話ができる、ご主人様が異常なんだぜ?』

「ほう、それは知りませんでした。あの悪魔公爵と話す時も、何ともありませんでしたが……まあどうでもいいですね。では、約束の肥えた豚野郎の魂です。存分に貪り尽くしなさい」

『ギヒッ、ギヒヒヒ!流石はご主人様。生きたまま喰わせてくれるってのが、わかってるねえ。では、さっそくこいつの肉体を概念化してっと……』

「概念化とは何ですか?」

『ん?ああ、ご主人様達のような現生の生き物は、物理法則に則った不便な体をしてるから、すーぐ死んじまう。魂をより美味しく頂くには、この豚を物理的な存在から概念的な存在に書き換えることで肉体的に死ななないようにして、さっき話したみたいに、俺の腹の中で永遠の恐怖を与えたほうが、ずぅっと美味しく頂けるって寸法さ』

 そう言って悪魔は舌舐めずりをしているが、アインはこめかみの一筋の汗を流していた。

「さらっと言いますが、それってかなり凄いことなのではありませんか?」

『まあ、自力で精神生命体に至れば凄いがな。これは悪魔が【めし】を喰うための調理の一種みたいなもんさ。……んじゃ、さっそくいただきまーす』

 どこから取り出したのか、ナプキンを首に結んだ悪魔は、口を大きく開け、ゴダスのぶよぶよに太った指を喰いちぎった。

「ぎぃぃ!?な、何だ!?何が起きた!?」

 余りの痛みに気絶から覚めたゴダスは、視界一杯に広がった悪魔を見て、再度気を失いかけた。

『おっと。お寝んねされれば、せっかくの御馳走が味気なくなっちまう。ちゃーんと起きて、自分の体が端からゆっくり喰われていくのを見ていきなよ。 なあに安心してくれ。これから、少なくとも100年は死なない体と精神に作り変えてやるからよ。ギヒヒヒッ!』

「何を言っている!?止めろ!止めてくれ!あああああ!俺の腕があああああ!待て!待ってくれ!儂も上から命令されただけなんだ!!好きであの娘を嬲ったわけじゃないんだ!」

 悪魔がゴダスの右腕を一齧りしたところで、想定外の事を喚きだした。

「ちょっと食べるのを止めてください。命令?上から?どういうことですか?」

「ぐっ……うう……話す。全て話すから、そこの化け物を儂の視界に入らないようにしてくれ」

 アインが悪魔を手で制すと、ゴダスは残った左腕で自分の胸元を握り締めながら話し始めた。

「そもそも、あの娘を儂は本気で愛妾にしようとしたわけじゃない!いや、あの美貌なので、ものに出来るなら欲しかったが……ことの発端は、ユースとか言う餓鬼が騎士団に入った所為なんだ!」

「ほう……それは興味深い話ですね」

 ユースーーアインとミリアの義理の兄の名前が、突如ゴダスの口から出たことで、アインの目が鋭く細められた。

「その餓鬼は、庶民の分際で栄えある王国騎士団に入団し、挙句の果てに、王族の目の前で副団長に一騎打ちで勝ってしまったらしい。怒り狂った副団長から、ユースの恋人であるあの女を襲えと指示が来たのだ。なあ、もういいだろ!?だから儂の腕を返してくれ!」

「貴様みたいな屑が、副団長とやらに頼まれただけで動くわけないでしょう?その裏には誰がいるのですか?」

「言……言えん!それを言えば、儂はお終いだ!ぎゃあああああ!止めろ!ダメだそこをかじれば、肋骨が見えちゃううう!?」

 言い渋るゴダス再度悪魔をけしかける、ゴダスは顔中からあらゆる液体を流し、話を続けた。

「ひいっ!ひぃぃぃ!言いますぅ……言わせて下さい……だから、だからもう勘弁してくれぇ……」

「馬鹿な奴ですね。今が生きるか死ぬかの瀬戸際なのに」

「ううっ……副団長は、貴族派筆頭のヴィンダイス公爵家の次男だ。もはや事態は副団長の面子の問題だけではなくなったのだ。ヴィンダイス公爵家、ひいては貴族派全体の面子が関わってきている。かと言って、仮にも騎士団員であるユースを暗殺もできない。わかるか?儂がやらなくても、誰かが必ずあの娘を狙うのだ!儂が悪いわけじゃない!だから助けてくれぇ!!」

 ゴダスの話を聞き、アインは首を捻った。

 話の大きさの割には、やり方が迂遠に思えたのだ。

 今の話が本当なら、ミリアを拉致してユースを脅した方が効果的だし、未だにアインが狙われていない理由もよくわからない。

 ただ一つわかることは、アインの愛する家族達に危険がーー明確に牙を剥いた者達がいるという事だ。

「いいでしょうーー貴族派だか、公爵家だか知りませんが、私の家族に手を出した報いは受けてもらわなければなりませんね。あ、食事の邪魔をしてすいませんでした。どうぞ、続けて下さい」

『おう。もういいのか?じゃ、さっそく……あー、腐ったはらわたの味が美味ぇなぁ』

「ぎいいい!?腸が、腸がこぼれるうう!?あれ?何で!?何で血が出ないいいいいい!?あは、これは夢か。そうだ夢だ!夢だあああああはははああああ!」

 全身を少しずつ喰らわれる痛みと恐怖に耐えかね、ゴダスはあっという間に理性を飛ばした。

『おい。狂うの早いな!でも、発狂も禁止だからな。【魂魄魔法】』

「はっ!?これは……痛い?痛い!!あああああ!やっぱり夢じゃなかったああああ!」

 しかし、悪魔がすぐに【魂魄魔法】で発狂を戻し、遂にゴダスは生首一つになっても叫び続ける、醜いオブジェになってしまった。

「ふむ。これで私の用事はあらかた終わったのですが、フィオナとローズはこれからどうしますか?【神聖魔法】は、あまり得意ではありませんが、貴方達の合意があれば、天に還すことができると思いますよ?」

 目玉をほじくられて絶叫しているゴダスの生首を尻目に、アインはフィオナとローズに向き合った。

 アインのとりあえずの目標は達成された。

 ヴィンダイス公爵家と貴族派と言う新たな問題が見つかったが、仮にも聖職者であった身としては、こうして自分に仕えてくれた魂ぐらいは救済してやりたかった。

「いえ。我等2人、未だこの現生でやり残したことがございます。可能であれば、我等2人、このままご主人様にお仕えしたく存じ上げます」

「それは構いませんが。そうなると。貴女達の器(からだ)を考えなければなりませんね。本当は女性なのでしょう?」

「はっ、それはそうですが、貧弱なただの小娘の体を頂いても仕方がありません。当面は、適当な体で過ごしたいと思います。ローズ。お前もそれで構いませんね?」

「はい……私の技は……体格関係ありませんから……」

 感情を見通せない声色でローズは頷いたが、どことなく不満そうであった。

「いずれにせよ、その体は不便そうですね。その辺に新鮮なのが4つあるので、好きに選びなさい」

 フィオナの体は、ビッヒガルドとの戦闘でかなり毀損している。

 アインはゴーストに【憑依】されたため、悪魔を見ても叫び声一つ上げられず気絶していた、4人の重装備の兵士を指差した。

「はっ、ありがとうございます」

「あ……ついでに私も……」

「ええ。好きなのをどうぞ」

 フィオナの入っていた体がどしゃりと床に倒れると、ローズの入っていた小男も倒れた。

 そして、代わりに2人の兵士が、ガクガクと痙攣し始めた。

「兜を取れば、そんな見た目だったんですねえ。ゴダスの奴、そっちの趣味もあったのでしょうか……」

 無事に【憑依】を終えたフィオナとローズが立ち上がり、邪魔な鎧兜を剥ぐと、中からは1人のスラリとした美丈夫と、1人の美少年が現れた。

 両者とも中世的で、整った線の細い顔立ちをしていた。

「そのようですね。しかし、不幸中の幸いにして、男は見るだけで満足していたようです。いくら借り物の体とは言え、男に穢されている体は嫌でしたので」

「私も……同じく……」

 新しい体に乗り換えた2人は、色々と確かめるように体を動かながら、残り2人の兵士の首を淡々と剣で突き刺していた。

 ◆

『おい。そこの男は放っておいていいのか?』

 さて、帰ろうかと言う時、腹の膨れた悪魔がそんな事を言って、首の飛んだビッヒガルドの死体を指差した。

『こいつも屑だったが、人間にしちゃあ中々の剣の腕だった。折角俺がやった【死霊術】があるんだから、アンデッドにすりゃ役に立つんじゃね?』

「なるほど。しかしどうやって?」

『適当なゴーストを突っ込んでもいいが、一番難しい本人の【魂】の捕獲が、何故かご主人様は出来るみたいだからな。本人の【魂】に【死霊術】で隷属と誤認の魔法をかけて、死体に戻せばいっちょあがりって奴よ』

 悪魔は気軽に言っているが、きっとそんな簡単なものではないはずだ。

 アインは猜疑心に満ちた眼で悪魔を見た。

「何かたくらんでいませんか?」

『おいおい。何を疑ってんだよ。俺はご主人様の害になるような事はしないーーってかできないぜ?そういう契約だからな』

「……まあいいでしょう。契約がありますからね。……『産まれよ、首の無い騎士よ。死を呼ぶ黒き友よ』【死霊創造】」

 魂 4/100,000
 ↓
 デュラハン ×1
 魂 3/100,000

 悪魔の甘言に従って、アインはまた1つの罪を重ねた。

 人の尊厳を奪うアンデッドの作成は、禁忌中の禁忌である……もっとも、ここまで存分に【魂】を餌に様々なことをしでかしてきているので、今更だとは言えるが。

 ただし、悪魔の狙いはアインに罪を重ねさせる事ではなかった。

『おっし!さすがご主人様!こいつぁー具合が良さそうだ!』

「お前、何をする気ですか!?」

 死霊化したビッヒガルドに悪魔が飛び乗ると、するりとその体内に溶けて消えた。

「ギヒッ!何をって、ちょっといい乗り物を用意してもらっただけじゃないか!」

「その話し方は……まさか、お前はあの悪魔ですか!?」

 すると緑色の髪に、茶色の瞳だったビッヒガルド(の生首)は、あっという間に赤髪金眼に変わり、鋭い牙黒い角が生えてきていた。

「私を騙したのですね?」

「ヒッ!そ、そんな訳ないだろ!?実際、凄腕のデュラハンナイトができたじゃねぇか!俺はその体をちょぉっとばかし借りてるだけさ!」

 アインの冷たい声と視線に、悪魔は魂から起こる震えを抑えることができなかった。

(信じられねぇ、この化け物!地獄の使者である俺(あくま)を、視線一つでビビらせるなんてよ……ご主人様には本気で逆らわねえ方が良さそうだな)

「ふむ。まあ、見た目が変わったのは好都合ですので、良しとしましょう。ですが、今度から何かする際は事前に確認を取ってください。いいですね?」

「ギヒッ……わかってるぜ」

 悪魔は、左腕に抱えた、自分の首を軽く持ち上げて答えた。

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