この世には、数字にできないことがある

一刻一機

第2話 時よ止まれ

 貴重な紙を無駄にされたが、子犬に罪はない。

 アインは、黒い子犬を捨てずにポルトと名前を付け、教会で飼うことにした。

 ポルトはすぐにミリアや近所の女性陣に受け入れられ、一躍教会のアイドルとなり、ユースの居なくなった寂しさを埋めるようにミリアに可愛がられた。


 それから何事も無く、平穏な――アインにとって最後となった――平穏な日々が数ヶ月続き、とうとうその日、全ての始まりとなる事件が起こった。


 ◆


 ユースに引き続き、アインも成人となり、正式な神父候補となった数日後の出来事だった。

 その日は、近日中に成人を迎えるミリアと2人で、本山へ赴き正式に出家し修行をするための算段を計画するはずだった。

 しかし、買い出しに出かけたきりのミリアが、一向に帰ってこない。

 胸騒ぎがするアインは、そわそわと落ち着きのない態度で、こちらを心配そうに見上げてくるポルトの頭を撫でた。

「アイン!アインはいるか!?」

 静寂を破ったのは、近所に住む人の良い肉屋の主人だった。

「シュワトさん?どうしました?そんなに慌てて……」

「いいから早く来てくれ!神父様がいないから、回復魔法を使えるのはお前だけなんだ!」

 回復魔法がすぐに必要な状況。

 すなわち怪我人が出たのであろうと、アインは顔を引き締めて、立ち上がった。

「わかりました。すぐに参ります」

「ああ!だが、その……いいか。絶対に動転するなよ。お前がパニックを起こせば、全てが終わりだからな?」

「何のことですか?いいから、早く連れて行ってください。緊急の患者なんですよね?」

「そうだ。落ち着いてよく聞け、その患者はミリアだ。どうやら、何者かに襲われて激しく抵抗したみたいで……おい!アイン!落ち着けと言っただろう!?」

 肉屋の主人が言い終わる前に、アインは走り出していた。


「ミリア!ミリアはどこですか!?」

教会に併設された治療院の戸を開けると、そこには近所の住人達がいた。

「ア、アイン……いいか。ミリアを見ても、気を動転させるんじゃ……」

「いいからどいてください!」

 ベッドを囲むように立っている町民達を押しのけて、ベッドの脇に立ったアインは言葉を失った。

 誰かが、アインの肩を掴んで何か言っていたが、アインの耳には届くことはなかった。

「こ、これは……」

 ベッドの上には、血みどろになったミリアが横たわっていた。

 呼吸に合わせて胸が上下していることから、辛うじて生きているであろうことはわかるが、ミリアの美しかった顔は二倍に腫れ上がり、顎の骨が砕かれ歪んでいた。

 また、両手両足の骨も砕かれ、ありえない角度を向いているだけではなく、骨が飛び出している箇所もある。

 だが、何よりも酷い傷は、何回も繰り返し刺されたであろう腹の傷だった。

「応急処置の魔法役ポーションはかけたが、町の市販品じゃ命を繋ぎ止めるのが精一杯だった。すまん……」

 肉屋の主人が、震える声でそう言ったが、アインの耳には届かなかった。

「【治癒】【治癒】【治癒】……!くそっ!くそぉぉ!」

 アインは全力で回復魔法を行使するが、ミリアの傷は一向に良くならない。

 むしろ、どんどんとミリアの状態が悪化し、死の淵が迫っていることがわかる。わかってしまう。

 傷が深すぎるためか、アインの回復魔法では何の効果も発揮せず、何の意味もないままやがてアインの魔力も枯渇し、ただ呆然と襤褸布ぼろぬののようになったミリアを見つめることしかできなくなった。


 何故――何故、自分アインの家族がこんな目に――ユースに任されたのに――自分に出来ることは何も無いのか。


 無力だ――

 
「アイン……ゴダス男爵を覚えているか?前からミリアを妾として囲おうとして言い寄ってきていた、あの豚野郎だ。あいつが遂に強引にミリアを拉致しようとしたんだが、ミリアの抵抗も激しくてな。ミリアが奴に唾を吐きかけたら、奴の私兵が寄ってたかって……」

「すまん!俺もその現場に居たんだが、相手は剣を持っていたし、俺なんかじゃとても……」

「私も、貴族に目をつけられるのが怖くて、何もできなかったわ……ごめんなさい」

 町民達の懺悔にも似た説明が、アインの意識に遠く聞こえて来た。


 そうか――と、アインは閃いた。


 できることが何もない?

 あるさ。

 あったじゃないか。


 そうだ、復讐だ。


 誰でもいい――私に力を、私の家族ものを奪おうとする愚か者に、懺悔のいとまを与えぬ程の後悔をさせる力を!!

 アインの魂の叫びが放たれたその時。


 全てのピースが揃った。


『時よ止まれ、そなたは美しい』

 透き通るような美声と共に、世界は色を失い、その動きを止めた。

『素晴らしい!素晴らしいですよ、アイン君!』

 そのセピア色の世界の中で、動いているのはアインと――黒いむく犬のポルトだけだった。

『やはり、貴方を見込んで正解でした。慈善と慈悲の心を持ちながら、合理性を超越した冷徹な判断をする狂った思想。――何のことかわからない?ああ、そういう仮面が人間のフリをするためには必要なんですね。フリじゃない?おや、知らなかったんですか?――こういう時、普通の人間は――『家族を助けたい』と願うものなのですよ』

 人畜無害だったはずのポルトは、人間臭い、嫌らしい笑みを浮かべて言った。

『貴方は、今、何と願いました?『復讐したい』『復讐のための力が欲しい』と願いませんでしたか?――嘘吐きめ――クククッ、本当は復讐だけなら簡単にできるのでしょう?貴方がひた隠しにしている、化け物じみた魔力量のことは知っています。そして、その判断力と実行力も。力があり、実行できる能力がある。だが、それは普通・・の人間が持っていていいものではない。だから本当は『復讐する力を得た事にして欲しい』と願いたいのでしょう?そして『復讐』と言う力を振るう機会が得られたことが嬉しいのでしょう?』

 アインには、黒犬が話す言葉が理解できなかった――いや、理解できない振りがしたかった。

 しかし、反論する言葉がでてこない。

『ポルト、あなたは一体全体何者ですか?』

 ただ震える声で、目の前の子犬ばけものに問い返すだけだった。

『ポルト――ああ、この媒体の名前ですね?今貴方と話をしている私は、真名はお伝えできませんが、まあ悪魔公爵デーモンロードとでも名乗っておきましょうか。それとも、前に私を呼んだ召喚主のように、メフィストフェレスと呼んでいただいても構いませんよ』

 そう言って平然と佇む子犬あくまの言葉を聞き、アインは叫び声を上げた。

『悪魔!?私は悪魔を召喚してしまったと言うのですか!?』

『おや?それがどうかしましたか?』

『悪魔ですよ!?歴史上、貴方たちがどれ程の死を振りまいてきたか、知らないとは言わせませんよ!?』

『そうですか?さて、悪魔わたしたちが人間を殺した数と、人間が人間を殺した数とどっちが多いでしょうね?それこそ、聡明なアイン君がわからないと思ってはいませんが――まあ、それはどうでもいいのです。そうです、その悪魔です。私は悪魔ですので、あくまの存在意義に従って問いましょう。さて、人間アインよ――貴方の願いを叶えて欲しければ、契約をしましょう――』

 にやにやと笑う悪魔の手には、一枚の古ぼけた羊皮紙が握られていた。

『何を……何を言っているのですか?』

『わかっているのでしょう?悪魔は公平・・な取引をするものです。貴方の願いを叶えましょう――相応の対価と共に』

 本当なら教義に従い、悪魔の言葉には耳を貸す必要は無い。

 悪魔は、現れた瞬間滅ぼすのが聖職者であるアインの役目だ。

 だが、ポルトに憑依した悪魔の言葉には、跳ね除けられない魅力があった。

『貴方には、さっきお話した私の以前の召喚主の魂で作った【能力スキル】を差し上げましょう。それがあれば、復讐はもちろん、目の前の彼女を救うことも簡単です』

『っ……!それは本当ですか!?』

『当然です!嘘を吐けば、我々は対価を得ることができませんからね。貴方に差し上がる能力は【数魔法マス・マジック】。この世の全てを知りたいと本気で願った、知識欲に溺れ、遂に悪魔わたしに全てを売り渡した男の魂をすり潰して材料にしたところ、何故かこの世の全てを、数字で測る事ができる魔法が出来上がりましてね』

『数字……?たったそれだけなのですか?』

『おや?この魔法の凄さがわかりませんか?アイン君なら、理解できると思っていたのですが……まあ、この世界の数学はそこまで発達していませんからね。よろしい。では、少し実演してみせましょう。これをご覧ください』

 子犬(悪魔)が宙で前足を動かすと、アインの脳内に黄金色の文字が浮かび上がった。

 ミリアの生命力 3/10

『こ、これは?』

『見たままです。彼女の命の灯火が、あとどの程度で消えるのかを示したものです』

『それはわかっています!これだけで、ミリアをどうやって救うのかを問うているのです!』

『はいはい。もちろん。わかっていますよ』

 アインの叫びを軽くいなし、子犬(悪魔)が再度その小さな前足をふるうと、新たな金色に光る文字がアインの前に浮かび上がった。

 アインの回復魔法 2/10
 アインの寿命 15/85

『これは貴方の回復魔法の練度――つまり、レベルと、寿命を示したものです』

『レベル……?』

『力量と言い換えてもいいでしょう。アイン君は、今後の長い人生で、回復魔法をまだ8段階も伸ばす余地があると言うことです。とても素晴らしい才能です。……ですが、それは今ではない』

『それは……まさか……』

『おや?お察し頂けました?流石、私が見込んだアイン君だ。そうです!【数魔法マス・マジック】はこの世の森羅万象を【数値】として教えてくれるだけではありません。アイン君が【自己の所有物】と認識するものの【数】を操作することができるのです!もちろん、それにも相応の対価が必要となりますが……今回は簡単ですね。貴方の長い人生をかければ、回復魔法のレベルを上げることができる。つまり、貴方の人生――寿命を捧げれば、今すぐに!ここで!回復魔法のレベルを上げてみせましょう』

 ポルトの――悪魔の口は横に裂け、血走った両眼が爛々と輝いていた。


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