この世には、数字にできないことがある

一刻一機

第1話 黒いむく犬

第一話

 悪魔は飽きていた。

 人間の欲望のぞみを叶え、その魂を奪う事が彼の存在意義であるにも関わらず、永遠にも等しい時を超え、どれだけ欲望のぞみを叶えても、全く進歩しない人間達の浅薄な欲望のぞみに飽きてしまったのだ。

 叶えても叶えても、人間共が口にするのは、命、金、女――下らない下らない。

 悪魔は渇望していた。

 自分の好奇心のぞみを満たすような、強烈な欲望ねがいを持った面白い人間を。

 
 そして、その時は来た。

 悪魔が地上を見下ろすと、1組の男女が泣きながら産まれたばかりであろう赤ん坊を、教会前に置いているのが見えた。

(見つけた!遂に見つけたぞ!)

 まだ首がすわったばかりでの赤子が、既に自分が『捨てられる』ことをしっかりと認識し、そしてその事を『親でも我が身が可愛いのは当然だ』と受け止めている。

 真っ白で輝くような美しい純粋な魂の中に、深淵よりも暗く深いの闇のような黒い狂気。

 それでいて、破裂寸前の爆弾を彷彿させる、人間何万人分にも相当する膨大なエネルギー量。

 悪魔は、誓約と誇りにより自ら契約を押し売りするような真似はできなかったが、何ひとつ心配していなかった。

 これ程の狂気とエネルギーを内包するならば、ちょっと後押しするだけで、すぐに自分を見つけ出してくれるだろう。

 悪魔は絶対の自信を持って、赤ん坊が自分を喚び出してくれる日を待つことにした。




「ユース。絶対に無理はしないで下さいね」

「わかってるよ。ったく、何度も何度も……アインは本当に心配性だな」

 ユースと呼ばれた若者は、口調とは裏腹に嬉しそうな顔でアインの言葉に応えていた。

「ユースはおっちょこちょいだからね。アインに心配されたくなかったら、毎週ちゃんと帰って来なさいよ」

 そのアインの横に立ったミリアも、同様にユースに声を掛けた。

「それもわかってるさ。ただ、最初のうちは訓練漬けの日々だって聞いているからな。当面は中々、帰……顔を見せに来られないかもしれない」

「……そうですか」

 『帰る』ではなく、あえて『顔を見せる』と言い直したことで、孤児院こことの決別を改めて決意したのだろう。

 アインはあえて言及せず、義兄ユースに向かってトレードマークとなっている微笑を向けた。

「男の子ってのは本当に意地っ張りね。血が繋がっていなくても、私達が家族であることに変わりは無いのよ。いつでも『帰って来て』いいんだから」

「……ありがとう」

 だが、マリアはそれでも『帰って来る』ことを望み、ユースもそれを否定するような真似はしなかった。

「アイン。ミリアを頼んだ」

「任されました。いってらっしゃい、ユース」

「ああ、行ってくる」

 微笑のままのアインと、真剣な面持ちのユースは固く手を握ると、ユースはすぐに背を向け城へと歩いて行った。

「ユース!行ってらっしゃい!」

 その背にミリアが一生懸命手を振ったが、ユースは軽く手を挙げるだけで、決して振り返らずそのまま雑踏に飲まれて消えてしまった。

「う、うう……」

「ミリア。よく我慢しましたね。もう泣いてもいいのですよ?」

 アインが、隣に立つミリアの肩に手を置くと、ミリアはアインにしがみつき、堰を切ったように泣き出した。

「ううっ……ユース、ユースゥ、うわあああん!」


 アインとユース、ミリアは同じ教会に捨てられ、その教会が運営する孤児院で共に育った仲間である。

 アインは黒眼黒髪のどこにでもいるような普通の顔。

 ユースは金髪碧眼の美男子で、背も高く女性によくモテていた。

 ミリアは赤髪に翡翠色の瞳をしており、昔はチビだったが、今では街で振り返らない男がいない程の美貌とプロポーションを持つようになった。

 このように、三人が三人とも全く違う外見と特徴をしていたが、三人は互いにこの三人だけが本当の家族だと固く信じていた。

 確かに孤児院の神父は、養父として今まで育ててくれたが、この三人を見る眼はいつも冷たく、三人をただの出世の道具としか見ていないことが明白だった。

 恐らく、この三人が神父に対して自分達の「価値」を見せ続けなければ、他の孤児達と同様に、すぐに独立とは名ばかりの放逐をされていただろう。

 しかし、実際に三人は、一般人とは隔絶した才能を発揮していた。

 ユースは剣の天才で、孤児の身分でありながら、貴族の子弟や騎士の子供を含む多数のライバルを蹴散らし、15歳――この国での成人となる前に、城の騎士候補生試験を剣の腕のみで突破。

 成人となった今日、遂に本当の騎士候補生となった。もちろん、教会の神父が後見人と言う名の看板になっているが。

 対して、ミリアは魔法の天才で、世にも珍しい火・水・風・土の四属性の適正があっただけではなく、その全種類の魔法を高レベルで使いこなし、魔法学校からは特待生の誘いが来ており、貴族から護衛(兼愛妾)として高値の寄付(という名の人身売買)と共に引き取りたいと要望が殺到している。

 もっとも、本人は愛妾なぞ断固拒否の構えを見せており、成人と同時に出家しシスターになるとの事だったが……

 そんな2人から見れば数段見劣りするが、アインも神父候補として人並み以上の回復魔法の腕前を発揮している他、学業でも優秀な成績を修め、治療院や教会主催の学習教室の『手伝い』として大変重宝されていた。

 彼らの育ての親に当たる神父は、天才を三人も育成した優秀な指導者として本山で名前が売れ、末っ子のミリアの成人と共に本山で要職に就くことが決まったらしい。

 実際に、神父がした事と言えば寄付金の上前を撥ねる事と、粗雑な食事の世話をしたこと、そして孤児達と間引いた事だけだが。


 ワインに酔いながら、そんな内容をアイン達に語る神父の姿は、駄目人間そのものであった。


 アインは義妹ミリアが落ち着いた頃を見計らって、顔を上げさせハンカチで涙と鼻水を拭き取った。

「ミリアは、ユースの事が好きでしたからねえ」

「っ……私はアインのことも好きよ」

「ははっ。ありがとうございます。でも、私への『好き』は家族としてであって、ユースへの『好き』は違うのでしょう?」

「うー……アインのいじわる!」

 アインに抱きついていた腕を解いたミリアは、泣き腫らして赤い眼と赤い頬のままアインを睨み付けた。


「ミリア、あの話は考えてくれたか?」
 そんな二人の耳に、妙に耳障りな掠れた声が聞こえた。

 アインとミリア、そしてユースの義父にあたる、神父の声だった。

「神父様。何度聞かれても同じです。私の魔法は、個人のためではなく、世のため人のために使いたいと思います」

「ゴダス男爵も、貴族として王都に貢献されているお方だ。その方に仕えることは、世のために繋がるのではないか?」

「……その話も既にさせて頂きましたが、ゴダス男爵は……いえ、とにかくお断りします」

「……わかった。だが、この教会のこともある。もう少し考えてみてくれ」

「……」

 神父は、アインの冷たい眼を見ると、肩をすくめて足早に去って行った。

「ミリア、例の話ですか?」

 アインが聞いたのは、街でそれなりに大きな商会を抱える、ゴダス男爵がミリアを専属護衛に雇いたいという話であった。

 本来であれば、孤児であるミリア達にとって最大限の好条件であるが、実際にはミリアをただの愛妾として抱えようとしているだけだった。

「そう。でも、無理無理。あの眼と顔を思い出しただけで、鳥肌が立っちゃう」

 多額の寄付金に目が眩んだ神父は、一も二も無くミリアを放り出そうとしたが、ミリアは未だ未成年であり、かつその魔法の才能もあり各所から注目を受けている。

 下手に本人の意向を無視し強引にゴダス男爵の下に送り、その事実が流れてしまえば、周囲の「良い神父」としての評価が落ちてしまう。

 神父は、毎日のようにミリアへの説得を試みたが、決して色よい返事がもらえず徐々に苛立った様子を見せていた。

「ユースの出立を見送りもしない神父様のことなんて、ミリアが考える必要はありません。それにその寄付金だって、どうせほとんどが奴の懐に入るのです」

「わかってるわ」

「……ゴダス男爵は、以前から人身売買の噂や、私兵の暴力事件など黒い話が絶えません。なるべく路地裏や夜の道を歩かないようにするのですよ?」

「それも、わかってるわよ。やっぱりアインは心配性ね。私はユースと違って要領がいいから。大丈夫よアイン」

 ふんわりとほほ笑むミリアを見て、アインも苦笑交じりの笑みを浮かべた。


「もう少しで私達も成人し、正式に出家することができます。ミリアが成人し次第、すぐに本山へ向かいましょう。そうすれば、おいそれとは誰も手出しできないようになります」

「そうね。今から準備をしておくわ」

 実はこの話も既に、何度も二人の間で交わされた会話だった。

 軽い調子で頷くミリアの姿に、アインはどこか嫌な予感を感じたが、現状でできることは何もない。

 アインも、少しゆっくりと顎を引いて頷いた。

 ◆

「ほら、もう怪我をしちゃダメですよ」

 アインは、怪我をして泣いていた子供の頭に手を置いた。

「うわあ、すごい!もう痛くないや!ありがとうお兄ちゃん!」

 転んで膝を擦り剥いた程度だったため、アインの回復魔法でも十分に治すことができた。

「今度から、ちゃんと前を見て歩くのですよ」

「うん。わかった!お兄ちゃんまたね!バイバーイ!」

 頭を下げる母親に手を引かれ、元気に去って行く子供を見送り、アインは教会の中に戻った。

 一日の仕事を終え、鼻歌交じりで教会内の自室――神父候補であるアインの特権だった――に篭ると、一冊の本を取り出した。


 『召喚術教本』


 紙や地面に特定パターンの図や文字を描くことで、遠隔地や異界の魔物を呼び出し生体兵器とする魔法のことである。

 教義では魔物自体が悪とされているため、召喚術は敬遠されているが、何故か教会の蔵書室にこの教本があったので、処分される前にこっそりと持ち出して来たのだ。

 アインは新しい知識を得ることが楽しかったし、自分のような孤児が生き延びるためには身につけた知識と技術だけが武器になることを理解していからだ。

「よし、出来ました。これが成功なら『天使の木洩れ陽』が召喚できるはずです」

 『天使の木洩れ陽』とは、高レベルの回復魔法を用いる霊体の呼称で、普通の人間にとっては非常に役に立つ、教会が認める数少ない『善なる魔物』である。

 悪徳値(カルマ)の高い人間には襲いかかってくるため、一応は魔物扱いであったが、これなら召喚術を覚えたことがバレても怒られないと判断したのだ。

 雀の涙よりも少ない給与で買った大きめの紙に、一ヶ月以上をかけて魔力を練り込みながら慎重に魔法陣を刻み続け、今日やっと完成した。

 アインは逸る心を抑え、紙を床に広げ、四方に重しを置いた。

「善なる魂よ、我が呼びかけに応えよ……【召喚】!」

 召喚に必要な呪文(スペル)は全て魔法陣に描かれているため、本当なら声に出す必要は無かったのだが、こういうのは気分の問題である。

 現にアインからは大量の――それも、アインが今までの人生において体感した事がない程の魔力が魔法陣に注ぎ込まれた。

「ぐっ……!?これは!?」

 アインは、自分でも魔力量は人よりも多い方だと自負していたが、それでもここまでの魔力が自分の体から捻出できるとは思っていなかった。

 まるで魂の底から絞り出すように魔力が抜き取られ、その魔力を魔法陣が無尽蔵に吸収していく。

「う……うおおおおおお!?」

 急な魔力欠乏を要因とする、貧血の一歩手前まで魔力を吸い取られたところで、魔法陣が『黒い』光を放ち出した。

「な、なんですか!?」

 『天使の木洩れ陽』は聖属性の魔物であるため、輝くような白い光を放つはずだった。

 しかし、アインの混乱をよそに、黒い光は次から次へと大量の靄(もや)と変わり、あっという間に部屋中を覆い尽くした。

「うわあああああ!」

 アインは黒い靄に飲み込まれ、自らの死を覚悟した。

「ワンワンッ!」

 だが、死を覚悟して目を瞑っていても痛くも痒くも無く、むしろ何かに頬を優しくペロリと舐められた。

「え?」

 『天使の木洩れ陽』を召喚したはずなのに、目の前には1匹の黒いむく犬がおり、アインにつぶらな瞳を向けている。

「い、犬ぅ!?何故!?何故、魔法陣から何の変哲もない普通の犬が出てくるのですか!?」

 アインは思わず大声で叫んだが、犬は不思議そうに首を傾げるだけだった。

「私の銀貨と、一ヶ月以上の努力が……はぁ」

 しかも、魔法陣が描かれた紙は四散し、二度と使い物にならない状態だった。

 一度契約すれば、魂に魔法陣が刻まれ次からは紙を用意しなくても魔力だけで魔法陣を描けるようになるが、ただの子犬と契約する意味も無く、アインの魔法陣は唯々無為に消えたことになった。

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