やり直し女神と、ハーレムじゃないと生きられない彼の奮闘記

スカーレット

第54話

夜の駅はラッシュの時間こそ過ぎてしまっているが、それでもまだそこそこに人がいた。
数日前、大輝くんと望月はこの周辺で甘い時間を過ごしていたはず。
そう思うとまた、もやもやした感情が湧いてくる気がした。


「明日香、これ」
「……?」


大輝くんが私に手渡してきたのは、切符だった。
それも割と高額の。


「えっと……これって」
「駆け落ち、しようぜ」
「え?」
「だって、気に入らないだろ。こんな現実。だったらさ、抜け出しちまうんだよ」
「だ、だけど……」
「拒否権なんかねぇぞ?お前は俺の女だ。何ならそのことを今ここで思い出させてやろうか?」


ここでって……一体何をするつもりなのか。
そんなことを考えているうちに、私は大輝くんに抱きすくめられ、唇を奪われていた。


「……っ!?」
「続きもここでするか?そうじゃないと思い出せないってんなら……」
「だ、大丈夫!!思い出したから!!もうばっちりと!!」


こんなに人目のあるところでそんなこと……恥ずかしすぎて死んでしまう。
私はいつもと様子の違う大輝くんに戸惑いながらも、こういう強引な大輝くんもいいかもしれない、とか呑気なことを考えてついていくことにした。
駆け落ち、というフレーズ自体が馴染みなく、実感が湧かないものではあるがそれでも大輝くんが私を特別扱いしてくれようとしているのだということだけは理解できた。


だから私は、この先どうなるのかもわからないけど、二人でならどうなってもいい、そう考えて大人しくついていくことにしたのだ。




「腹減ってるだろ。減ってるよな?さっき食わないで出たんだから」
「……ええ、そうね」


電車に乗り込んで早々、大輝くんが尋ねてくる。
確かに鰻を一口も食べないままで私は飛び出してしまっていたし、その時点で食べたものなど……トイレで食べたきんつばだけだ。
そんなことを考えているうちに、大輝くんは手早く売り子の女性に話しかけて駅弁を購入していた。


「ほら、食えよ」
「…………」
「何だ、口移しで食わせてほしいか?それともあれか、まさか便所じゃねーと食えねぇとか言い出すんじゃねぇだろうな」
「ば、バカにしないで!!」


いつもならまず言わないであろう大輝くんの軽口に、わかっていながらも私はつい頭を熱くしてしまい、弁当をかきこむ。
そんな私も普段ならこんな豪快な食べ方をしたりはしないのだが、そんなにお腹が空いていたのだろうか。


「いい食べっぷりだったな。和歌も食べてる時の顔はなかなかいいもんだったが、お前も食べてる時の顔は可愛かったぜ」
「そ、そう……ありがとう」


違和感しかない、大輝くんの言動。
だって、大輝くんは望月のこと呼び捨てになんかしない。
そしてこんなワイルドさを演出しようというのがやはりおかしい気がする。


傲慢なのは私だけでいい、と思う一方でこういう大輝くんが新鮮で、私はついつい大輝くんの言うがままにしていた。


「もう少しで着くからよ。俺と一緒に今日は旅館に泊まる。嬉しいだろ?」
「は?旅館って……」
「駆け落ちするって言っても、今日この時間じゃ何処の不動産屋も閉まってるからな。愛の巣探しは明日に回すぞ」
「あ、愛の巣って……」
「何照れてんだよ。二人きりで暮らすんだから、愛の巣だろ」
「で、でも……」


ハーレムメンバーは、どうしようというのだろうか。
学校は?
仕事は?


色々な疑問が浮かんでくるが、不思議なことに大輝くんの表情からは不安を一切感じない。
だけど……睦月が言った通りなんだとすれば、大輝くんは私と二人きりで暮らす、なんてことになったら結果としてハーレム状態ではなくなってしまうのだし、死んでしまうのではないか。


「ね、ねぇ……」
「何だよ子猫ちゃん。今日はやたらと口数多いな」
「こ、子猫ちゃん!?……いえ、問題はそこではないの。あなたの運命……睦月が言った通りなんだとしたら、私と二人きりで暮らすなんてこと……」
「ああ、それな。……いいことを、教えてやる」


何だろう、このドヤ顔。
普段ならイラつくはずなのに、とても頼もしく見える。


「運命なんぞクソ食らえだ。この俺が、そんなものに殺されるわけねぇだろうが。俺の底力、見せてやるよ。今日の旅館でも、たっぷりな」
「…………」


やっぱり大輝くんはおかしい。
いや、普段からちょっと変わった人だとは思っていたけど、今日は輪をかけておかしい。
こんな風に下ネタを堂々と、しかもこんな人目のある場所で言う様な人ではなかったと思う。




「さて、着いたな……行くぞ、ちゃんとついて来いよ」
「え、ええ……」


目的地と思われる駅に到着し、私たちは電車を降りる。
おかしいおかしいと思いながらも、私は大輝くんと二人きりでの旅行……いや駆け落ちと言っていたか。
この知らない街に二人きりという、おそらくはメンバーの誰も経験していないであろうシチュエーションの魅力に、どうしても勝てなかった。


ここはどうやら観光地の様で、今が冬だったなら雪景色が堪能できたかもしれない。
今はもう七月だが、夏は夏でまた情緒やら風情やらがあるのかもしれないと思う。
しかし、私には一つの懸念事項があった。


「……ひゃあああっ!!」


やっぱりだ!!
首筋に何かもぞっとした感触があって、私は全身に鳥肌を浮かべながら飛び上がった。


「あん?……バッタか。もういるんだな……とは言え、人の女に手を出そうなんて、百万年は早すぎるぜ」
「え?」


大輝くんがすっと私の首からその虫を取り除く。


「ここで、この俺の女に手を出しちまったことが、お前の運の尽きだったな。……さよならだ」


よくわからないことを言いながら、大輝くんがそのバッタを握りつぶし、あぜ道に放り投げる。
大輝くんは虫が苦手で、触ることすらできないと言っていた様な気がするが、私の記憶違いだろうか。


「可愛らしいところもあるんだな、お前。虫に怯えるなんて」
「あ、あなたこそ虫、苦手って言ってなかったかしら……」
「ああ?そんな昔のことは、忘れちまったよ。行くぞ」


そう言ってスタスタと歩きだす。
本当に、訳がわからないことばっかりだ。
大体そんなに昔の話じゃなかったと思う。


少し歩くと、やや古い建物が見えてきて、そこから明かりが漏れている様だ。
もしかすると、ここが大輝くんの言う旅館なのかもしれない。


「入るぞ」
「ええ……」


中に入ると、受付におばあさんが立っている。
この時間でも急な宿泊などに対応してくれるということか。


「二人だ。部屋は空いているな?空いてなければ空けるんだ。俺と子猫ちゃんのお泊りだからな」
「お二人ですか。二部屋空いていますよ。一部屋でいいんですか?」
「おいおい、二部屋も使って、どんな特殊プレイをしろって言うんだ?一部屋でいいぜ、マダム」
「へぇ、ありがとうございます。ご案内いたしますね」
「…………」


あの大輝くんのおかしい言動に、おばあさんは耳に入らないかの様に対応する。
こういうおかしい客、多いのだろうか。
多いから慣れているとか?


「面白い彼氏さんですね。いつもあんなんですか?」


おばあさんが私を振り返って、問いかけてくる。
どう答えるのが正解なのだろう、と思っていたら大輝くんが代わりに答えてしまう。


「おいおいマダム……人の過去なんか詮索するものじゃないぜ……もっともあんたも、俺があと二十年早く生まれていたらストライクゾーンだった、とだけ言っておこうか」
「!?」
「へぇ、そうですかぁ……お上手ですねぇ。お茶持ってきますから、お待ちくださいね」


いや、大輝くんが二十年早く生まれていても、三十五……普通に考えて三十五だったとしても、あのおばあさんは倍くらい歳違う気がするんだけど……。
それでもストライクゾーンって、広すぎて理解できない。
おばあさんが部屋へ案内してくれる間で通った廊下は、何となく雰囲気がある気がする。


何がって?
言葉にすると、寄ってくるのよ。


それから部屋に案内されて、おばあさんが持ってきてくれたお茶を飲みながら部屋の中を見回すと、部屋の中は外観ほど古くなく、手入れも行き届いている様に見える。


「お風呂は残念ながら男女別なんでさぁ。その代わり温泉は自慢ですがね。ではごゆっくり」


そう言い残して、おばあさんは去って行った。
温泉があるのか。
しかし身一つで来てしまったが、着替え等はどうしよう。


明日買って着替えるか?


「おい子猫ちゃん」
「…………」
「返事くらいしようぜ。寂しくなっちまうからよ。それより風呂、別々だけど我慢してくれよな。寂しくて体が夜泣きするかもしれねぇが」
「え、ええ……」


体が夜泣きとか、リアルで言う人を初めて見た。
次は越冬ツバメが、とか言い出すのだろうか。




「いいお湯だわ……」


温泉に入ることにした私たちは、脱衣所の前で男女に分かれていたので部屋で待ち合わせようと言ってそれぞれ脱衣所に入って行った。
湯船に浸かって、他の入浴客もいない様なので足を伸ばして一人考えてみる。


しかし今日の大輝くんのあの変貌っぷりは一体何だというのか。
正直別人にしか思えない。


なのに有無を言わせないあの魅力……一体どうしたことだろう。
私が傲慢な人間であるということは前々からわかっていたつもりだが、今の彼はそんな私の遥か上を行く。
彼に何があったというのか。


両親から何か言われて……いやそんなことで人間がガラッと変わったりするだろうか。
なんていうことをグダグダ考えていた。
すると、ゴトっと音が……。


最初は桶でも落ちたのかと思ったが、どうも違う。
音は上の方から聞こえた。
まさかと思って恐る恐る上を見ると……。


「おお、気づかれちまった。絶景だな」
「な……何してんのよ!!他に入浴客がいたらどうするの!!早く戻りなさい!!」


そこには壁をよじ登って、堂々と覗きに興じる大輝くんがいた。


「バッカお前温泉って言ったら覗きだろ。やらなきゃ損損ってな」
「いいから戻りなさいよバカ!!警察でも呼ばれたら駆け落ちどころじゃないでしょうが!!」


傍にあった桶を投げつけると、残念そうな顔をしながら大輝くんは壁を降りていく。
一体彼は何がしたいんだろう……。
あんな大胆なことする人じゃなかったと思うんだけど。


やっぱり彼はおかしい。


風呂を上がって、部屋に戻ると大輝くんは私よりも先に部屋に戻っていた様で、何か飲んでいる……なるほど、コーラか。
飲むか、とか言って私にコーラを手渡してきて、私も遠慮なく頂くことにする。
普段あまりコーラは飲まない私だが、たまにはこんなのも良いか、と思って久しぶりの炭酸を堪能していると、いきなり大輝くんは私の腕を掴み、私を真っすぐ見つめてきた。


「えっ?」
「なぁ……今夜は……いいだろ?」


妖艶な雰囲気を湛えたその瞳。
やはりこれは大輝くんのものではない。
睦月の様な神も実在するとわかっている今、仮に得体の知れない何かが大輝くんを操っていたりということがあるにしても、不思議な話ではないというのが私の考察だった。


「い、いや……コーラ、零れちゃうから……」


だがあくまでも冷静に、刺激しない様に私は後ずさる。
これが本当に大輝くんでなかった場合、逆上したこの誰かに殺されてしまうなんて言うことも考えられる。
冷静に、あくまで冷静に……そう考えてまずはペットボトルのコーラの蓋を閉じる。


しかし、冷静に考えてみるとおかしな言動と先ほどからの奇行以外は紛れもなく大輝くんだ。
なのであれば、私は大輝くんを独占できる……?
そう考えるとこのまま身を任せてしまうのも良いのかもしれない、なんて考えが及ぶ。


少し考えて、私はペットボトルをテーブルに置き、大輝くんを受け入れようと覚悟を決めた。
大輝くんが私の腰に手を回してくるのを、多少の恐怖を感じながらも受け入れる。
そして大輝くんが、私を布団に押し倒してその時は来たのだと思った。


「…………」
「…………」
「……ぐぅ……」
「…………」


にも関わらず目の前の男は私にもたれかかったまま、眠りこけているではないか。
この私の覚悟、何処へやったら……とは思うものの、慣れないことをして疲れたのかもしれない、と考え直す。
大輝くんはこの歳でもまだ寝冷えをする。


本当、子どもみたいな人だ、なんて笑いながら私は布団をかけてやり、自らも布団に入って眠ることにした。




そして翌朝。
朝日が眩しい。
枕が変わると、なんてよく言うがそういうのを気にしないはずの私があまり安眠は出来ずに早起きをしてしまっていた。


昨夜までは駆け落ちという、今までになく他のメンバーも経験していないはずのシチュエーションに舞い上がっていたのだが、寝て起きてみると私の頭は冷静さを取り戻していた。
冷静に考えてみると、父や母、望月にも何も言わずに出てきてしまっているということや、他のメンバーを出し抜いているというこの現状に対する後ろめたさみたいなものが湧いてくる。
結果として大輝くんを独占したい、という気持ちよりも私の中では罪悪感が勝ってしまい、テンションはすっかりと下がっている様に感じられた。


「おはよう、子猫ちゃん」
「…………」


なのに何でこの男はまだこの調子なのか。
朝からこのテンションはちょっときつい。
一人で窓際に立って、サンシャインを浴びる俺、とか呟いているのだから。


「大輝くん……今日なんだけど……」
「ん?」
「何処に行くとか、決めているの?」
「予定のことか……ノープランだ」
「…………」


見たこともないキメ顔で大輝くんが得意そうに言う。
何だろう、ウザさが昨日よりも増している気がしないでもない。


「こんなことに巻き込んでしまって申し訳ないのだけど……」
「どうした、子猫ちゃん」


運ばれてきた朝食を食べながら、私は考える。
このまま行けるところまで行ったところで、やはり二人揃って野垂れ死ぬのがオチなのではないかと。
私なんかが出来ることは限られているし、あの家から離れて生きていけるなんて、まだ到底思えない。


私一人が勝手に死ぬならともかく、大輝くんまで巻き込むのはやっぱり違う。
それに……大輝くんをこんなにも独り占めできたではないか。
……いつもと違うことが多すぎて何だか不気味ではあったけども。


だから……。


「今日、この後少し観光したら帰りましょ。そして、二人で怒られましょう。巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「…………」


大輝くんはふっと笑って、私を見る。
何だかイラっとする笑顔だと思う。


「おうちが恋しくなっちまったか、仕方のない子猫ちゃんだ。なら仕方ない。観光して、帰ろうぜ」
「ええ、そうね……仕方ないわよね、私……お土産買って帰りましょ」


こんな大輝くんはきっと、メンバーの誰も見たことがないはずだ。
だとすれば、私は間違いなく他のメンバーが誰も知らない大輝くんを独り占めできたことになる。


私たちは笑いあって、この後の予定を話し合った。

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