明日はきっと虹が見える

モブタツ

3ー7

「それで、エミちゃんはなんて言ったの?」
  放課後のミニ会議。いつも私に見せている素っ気ない態度で、菜乃花は聞いた。
「やっぱり、恵美花ちゃんは自分のことを8歳だって。菜乃花のことも健斗のことも、中学生だって言ってた」
「やっぱりね…」
「でも、俺が手品やったら喜んでたぞ?」
「そりぁ、あんたのこと大好きだもん」
  恵美花と話したあの日、彼女は少し、気になることを言っていた。
『なのかは?部活?あれ?ケンちゃんも部活…』
  気にしたことなかったけど、二人とも中学生の時は部活をやっていたらしい。どんな理由があったかは分からないし、きっと特別な理由もないだろうが、高校では部活に入らなかったのだろう。昇降口に設置されている自動販売機で買ったオレンジジュースをほんの少し口に含み、喉を湿らせながら考えた。
「お前、また難しい顔してるなぁ。今度はどうしたんだよ」
「いや…別に」
  健斗の顔が視界に入り込んだ時、私はあることを思い出した。
「あんた、そんなに四六時中いろんなこと考えて疲れないの…?」
  いや、思い出したと言うよりかは…今、気づいたと言う方が正しいかもしれない。
「なんか引っかかることがあるなら言いなよ。こっちも気持ち悪いじゃん?」
  彼女の言葉を引き金に、少しだけ尋ねることにした。
「…二人って、中学の時何部だったの?」
  私が慎重に質問するには、訳がある。
「何、そんなこと聞いてどーすんの」
「なんとなくだよ」
「…?」
  健斗はキョトンとしている。
「あたしはバレー部だったよ。もちろんボールの方ね、踊る方じゃなく。健斗は」
  そこで、菜乃花は喋るのをピタリと止めた。
「そういえば、高一の時もやってたよね?あんたってなんで辞めた…」
「俺はバスケ部だったよ」
  菜乃花の言葉を遮って、そう言った。
  突然の言葉に菜乃花も驚き、固まってしまっている。
  私は気づいた。
『なのかは?部活?あれ?ケンちゃんも部活…』
『今日は無いよ。俺も菜乃花もね』
  恵美花の言葉を聞いた彼は、一瞬だけ寂しそうな表情をしていた。あんな顔、普通はしない。何か事情があるって、鈍感な私でも気付くことができた。
「健斗、高校でもやってたの?」
「…少しの間だけね」
「あんた、急にやめたよね。なんで」
「続けられなくなったんだよ」
「…っ」
  彼の真剣な眼差しと声に、私も菜乃花も言葉を失った。
「……ごめん。理由は言えないんだ」
  私達の様子に気づいたのか、彼はとっさに謝る。
  教室から人が消えていく。放課後にここに残っている人なんて片手で数えられるほどである。時間が経つにつれて私達は、私達の空間の中の静けさを全身で感じることができるようになっていった。
  彼の口はそれ以上開くことはない。菜乃花も驚いたまま動かない。
  開きっぱなしになっている窓から控えめな風が入ってきた。
  彼がいつも読んでいる小説が、彼女の髪の毛が、そして、私の心が揺らされていく。
  私と彼は不思議な関係だと、そう実感できた。
  彼のことをもっと深く知りたいと思うことが…できた。
「帰ろっか」
  無意識に放った私の言葉が、彼と彼女の背中を押した。
「美優、待たせてるんだった」
「ほんっとにあんたってシスコンだね」
「うっせーな。妹を大切にして何が悪いんだよ」
  二人はお互いを茶化しあって笑っている。
  私の無意識に出た言葉が、止まっていた時間を動かした。
  …そんな気がした。



  雲行きが怪しかった昼ごろとは打って変わって、空が黄金色に染まり始めた。綺麗な夕焼けである。
  高校の近くのバス停で兄を待ち続けていた美優は少々不機嫌な顔で「…遅い」と、一言だけ呟いた。彼女にミニ会議のことを伝えていなかったらしく、私が説明すると、お姉さんが関わってたのなら仕方がない、と妥協してくれた。
「恵美花ちゃん、そろそろ退院するんだってな」
「回復するの早いよね」
  帰り道の話題も、もちろん恵美花の話題だった。
  私は二人のやり取りを黙って聞いていることしかできなかった。
  ひどい頭痛を起こしてしまった責任は私にあったから。
「…お姉さん?」
  そんな私を見かねたのか、美優は心配そうに声をかけてきた。
「まーた難しい顔して。お前、疲れてんだろ」
「…いや。疲れてはないけど…」
「気にすんなよ」
  …………え?
「お兄ちゃんから聞きましたよ。お姉さんは何も悪くないです」
「そっか…聞いてたんだ」
  私の弱点は、意外と顔に出てしまうこと。
  そして、その顔を見られていても気づかないこと。
  周りの人達は、みんな視野が広いのに、いつも私は自分のことばかり考えている。もちろん、恵美花のことは心配。でも、それよりも、あの事態を引き起こした自分を責めていた。周りの人は「お前は悪くない」と優しく声をかけてくれるけど、絶対にそんなことはないんだって、決めつけていた。
「責めてもしょうがないだろうが。お前があんな感じにしてくれたから、少しだけ進展があったんだろ?」
「え、そうなの?お兄ちゃん」
「あぁ。記憶を取り戻す段階で必要な手順らしい。最も、正しい手順ではないがな。今回の恵美花ちゃんは、あんな感じになると『記憶が取り戻せそう!』っていう状態らしいんだ」
「じゃあ…やっぱり、お姉さんは何も悪くないじゃないですか」
「…うん」
  菜乃花が言っていた通りだ。
『健斗はいつもうちらに元気をくれる』
  どんな形でも、彼は元気付けようとしてくれる。
  そして、本当に前向きになれてしまう。彼の言葉には、やっぱり不思議な力がある。
  どんな形でも、と言ったが、例えば…。
「そうだ。ファミレス行こうぜ」
  例えば、こんな形。
「お兄ちゃん、お金あるの?」
「めっちゃある。時間は残り少ないけどな!」
「お兄ちゃん…」
「お前は行けるか?」
「健斗、時間は残り少ないって?」
「行けるか、行けないか、どっちだ」
「い、行ける」
  ふと、美優が浮かない顔をしている様子が目に入った。
「よし。じゃ、決まりだな」
  駅前のファミレスへ!と意気込んで歩いていく彼をよそに、美優は俯いたまま何も言わなかった。

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