明日はきっと虹が見える

モブタツ

3ー6

  用事が済んでから、健斗は急ぎ足で病院にやってきた。
  彼が病院に着いてから最初に会ったのは。
「お前、随分疲れてるじゃん…何かあったのか?」
  恵美花ではなく、私だった。
「私のせいで…看護師を呼ぶことになっちゃって」
「おばさんが言ってたのって、お前の事だったのか」
  どうやら連絡を受けていたようで、説明はしなくとも理解している様子だった。
「私は…何も変わってない」
「あの時からか?」
  廊下のベンチに座る私の隣に、彼は腰掛けた。
「人は…そう簡単には変わらないだろ」
「でも、私は一度死んだ。少しぐらい何かができるようになってても…いいはず。恵美花ちゃんに何かしてあげたくて…でも、結局苦しめちゃって。私、やっぱり変われなかった」
「そう判断するのはまだ早いって」
「でも…結果的には!」
  彼の顔を初めて見た。キョトンとしている。
「…ごめん」
「結構、大騒ぎになったみたいだな」
  お前の顔を見れば分かる、そう言った気がした。
「………」
  何も言えない。彼がどんな顔をしているかも、分からない。私の眼に映るのは、病院の廊下の床だけだった。
「大変とは、大きく変わることである」
  隣から、彼の声が聞こえた。
「え?」
「大きく変わるとは、大変なことである。本で読んだんだ。いい言葉だよな」
「…何が言いたいの?」
「人はそんな簡単には変われねぇってことだよ。人が変わることは物凄く大変。大きく変わることは、大変ってこと」
「なにそれ、ダジャレ?」
「真面目な話だよ。まぁ、お前が少しでも笑ってくれるなら、それでもいいけど」
「え?」
  それは、どういうことだろう。
「ケンちゃん!来てたんだ!」
  二人でクスクスと笑っていると、病室からおばさんと手を繋いで恵美花が出てきた。
  本当に、ケンちゃんと呼んでいる。
「あぁ。遅くなってごめんな」
「なのかは?部活?あれ?ケンちゃんも部活…」
「今日は無いよ。俺も菜乃花もね」
  部活…?
「そうなんだ!えっと…じゃあ、なのかは?」
「ルピナスで、店番してるよ」
「あ、そうなんだ!分かった!」
  不思議な点は、いくつもあった。
  でも、一際目立っていたのは。
「ケンちゃん!またマジックやって!トランプのやつ!」
  おばさんにも、私にも(記憶を失ってから)見せたことのない、キラキラの笑顔だった。
  数日前に見た、あの笑顔。
『エミね、コロネのおねーちゃんのこと、大好きだよ!』
  今は…私に、言ってくれないんだね。
「よし!じゃあ、あとでやってあげよう!」
「やったー!!」
  両手を挙げて喜ぶ彼女の無邪気な笑顔に、私の心は更に切なさを感じた。
  病室のベットに戻っていく恵美花の背中を見て、私は…。
  絶対に帰ってきてね。恵美花ちゃん。
  心の中でそう唱えた。
  いや、そうじゃない。
  絶対に、取り戻す。あの大切な思い出を。
「ケンちゃん」
  今度は、おばさんが健斗を呼んだ。
「店番、菜乃花と変わってくるよ」
「あぁ…分かった」
「エミちゃんのこと、よろしくね」
  あと…。と、私の方に寄ってきた。
「コロネのおねーちゃんも、ね」
  私を元気付けようとしているのか、無理に作った笑顔で私を見た。
  そうか、と、私は頭の中で何かがはじけたように気がついた。
  恵美花が彼に見せた笑顔。私には見せなかった笑顔。
  それは、母親であるおばさんにも見せていなかったのだ。
  辛いのは、私だけじゃなかった。おばさんが私に見せた作り笑いは、苦しみや辛さを押し殺すものということだったのだろうか。
「…はい」
  今の私にできることは、静かに返事をすることだけだった。恵美花の中には、健斗という優しいお兄さんがいる。親は親。知らないお姉さんは知らないお姉さん。そうやって、仕切りを作っている。私一人ではどうすることもできないなんて、最初から分かっていた。それでも、少しでも力になれたら良いなって…そう思っていた。
  見向きもされないって…やっぱり辛い。
  いくら前を見ようとしたって…やっぱり辛い。
「健斗。恵美花ちゃんを笑わせて」
「…え?」
「あの子には、やっぱり…」
  笑顔が似合う。
  最後の言葉、彼には届いただろうか。
  私の言葉を聞いていたのかは定かではない。が、彼はしばらくの間キョトンとした後「よし。分かった!」と言いながら病室に入っていった。
「私が今してあげられるのは、ここまで、かな」
  私も病室に戻らなきゃ。


  トランプが消える。
  恵美花は約束通り驚き、私もつられて驚いた。
  恵美花の持っていたトランプ。健斗はカードに何のマークが描かれているかは知らないはず。
  彼は、私を指差した。
  ポケットを見ろ、と。
「…?」
  手を入れると、トランプが入っていた。
「え…!?」
  カードに描かれている数字を、恵美花が持っているカードと照らし合わせる。
「お姉さんが持ってるカードと同じだ…!すごいすごい!ケンちゃん、凄いよ!」
  確かに凄い。いや、本当にすごい。
  なにが一番凄いのかと言えば、カードを当てた事よりも。

『これ、持っといて』
『なんで?』
『恵美花ちゃん、必ずこの数字選ぶから』
『う、うん…分かった』

  カードを事前に予想し、それを見事に当てたことだ。
  恵美花のことをここまで理解しているから、やっぱり恵美花は健斗にあんな笑顔を見せたのかもしれない。
「お姉さんも、なんかやって!」
「え?」
  恵美花は、突然私に気を向けた。
「こいつは、マジックはできないぞ」
「えー…そうなの?」
「でも、こいつが作る料理はマジで美味い」
「本当に!?お姉さん、お料理できるの!?」
  私の料理を食べたこと…覚えないんだ。
「うん。できるよ。今度、うちに遊びにおいでよ」
「やったー!!行く行く!」
  きっと、初めての感覚なんだろうな。
  まさか、泊まったことあるなんて思わないだろうし。
  でも、悪い気分ではなかった。
「ケンちゃんも行くんでしょ?」
「「え!?」」
  まぁ…別に泊めるわけじゃないし…。
「そ、そうだなぁ…」
  健斗の目は、私を見ていた。え、どうする?お前がいいなら俺は全然いいけど。と、目で訴えてきている。
「そうだよ。健斗も行くから、一緒においで」
「やったー!!」
  どんな手段でも彼女が笑顔になるならそれでいい、それが結論だった。男子を家に入れることはあまりなれていないが、まぁ祐樹を家に入れてると思えば大丈夫だろう。絶対そんな風には思えないけど。
「お姉さん、どうしてそんな顔してるの?」
  覗き込まれた彼女の顔にハッとなる。眉間にしわを寄せて色々考えていた私は、彼女からはどんな風に見えていただろうか。子供は真剣な表情のことを「怒っている」と勘違いしてしまう場合があるから気をつけねば。
「なんでもないよ」
「お姉さん、名前はなんていうの?」
  健斗が不思議な眼差しでこちらを見ている。
「……お姉さん、でいいよ」
  私に名前なんて…ないのだから。

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