明日はきっと虹が見える
2ー5
 人生において、辛い経験を好む人はいない。しかし、生きている上で幸せな経験と辛い経験の片方だけを体験することはないだろう。両方経験することで、人は大人になる。チョコもパンも食べるから、チョココロネは美味しい。
  パンを幸せ、チョコを辛い経験と例える。
  パンもチョコも好きだという人は、幸せな経験は楽しく味わい、辛い経験は自分の成長のためだと思える人。私は、そんな人になりたいと思っている。
「…ペットが先程亡くなったんです」
  今、彼女はチョコを渋々食べている。変な例えだが、今私はそう思っている。
「それで落ち込んでたんだね」
  祐樹が温めたココアを差し出す。小さく、掠れた声で「ありがと」と笑った。
  ペットが亡くなった。悲しいことだ。いつも一緒にいた存在が突然いなくなってしまった時の悲しみは、人もペットも同じものである。彼女が悲しんでいる理由が少しずつ分かっていくと、逆にココアは少しずつ無くなっていった。
「…お姉さん」
  ココアがあと少しになった時、彼女は私の目は見ずに切り出す。
「あたしにとって大切な人が、今病気なんです。恐らくもう…治らないでしょう。…余命も宣告されてます」
  漢字ドリルに書き込んでいた祐樹の鉛筆が止まる。
  同様に、私も動かなくなった。
「もちろん、ペットも大事でした。その人と同じくらい。でも、本当はペットの余命も知ってたんです。あたしはそれを知っていながら、何もしてあげられなかった。あたしは…どうしたら良かったんでしょうか」
  空になったコップを、祐樹はさっさと片付けた。
  正直、答えはないだろう。残念ながら美優の気持ちを完全に理解することは不可能だ。それは、自分がその状況に置かれたことがないからである。
「どうしたら良かったかなんて、誰にも分からないよ」
「そう…ですよね」
「でも、ほら。今があるでしょ?」
「今?」
「美優ちゃんのペットだって、きっと亡くなるまで楽しく過ごせてたと思う。違う?」
「いえ……最後の方は、できる範囲で一緒に遊んであげました」
「それなら、きっとその子も未練はないんじゃないかな」
  何も言わない。沈黙の時間が続く。
  祐樹はまた漢字ドリルに字を書き込み始めた。
「正直なこと言うとさ。私も同じ状況下になったら、どうしたらいいか分からなくなるよ。その時は、誰かに相談するな。それが一番良い策だと思うし」
  だから、きっとあなたの行動は正しいよ。そう伝えた。
  私の声は聞こえているようだが、彼女はピクリとも動かなくなってしまった。
「…………ありがとう………ございます」
  涙を流しながら、彼女は絞り出すように言った。
  しばらくして美優は涙を拭い、祐樹が持ってきた二杯目のココアに手をつけた。
「お姉さんは命を断とうとしたことがあると聞きました」
  兄から。と後付けの言葉をしっかりと聞き取る。
  健斗…余計なこと言いよって…。
「お姉さん、何があったんですか?」
  なんと答えようか。大袈裟に言うつもりはないし、隠すつもりもない。だからといって自慢することなんかじゃないし。
「…いじめられてたの」
  悩みに悩んだ末、正直に答えることにした。
「え…」
「水もかけられたし、弁当も捨てられた。上履きがなくなって、机が落書きだらけになって、下駄箱の中に虫を入れられて。他には…」
「お、お姉さん!も、もう…結構です」
「被害妄想なんかじゃないよ。むしろ…被害妄想であって欲しいくらい。それで、私は耐えきれなくなって、生きることをやめようとした」
「……」
  息を飲む美優と祐樹をよそに、私は淡々と話し続けた。
「ほんと、すごくギリギリ。私があと一歩出れば終わるって時に、健斗が現れてね」
「お兄ちゃん…が…」
「そ。それで、私にすごく大きな声で怒鳴ったの。この先も生きていく未来があるのに、勝手に終わらせようとすんな!って、少しだけ不思議な言い方をしてたけど、その言葉で目が覚めたよ」
  お兄ちゃんが…と、もう一度口にする。祐樹は相変わらず固まったままである。
「健斗がいなかったら、私は恵美花ちゃんにも、美優ちゃんにも出会ってなかったね。それに、祐樹にも悲しい思いをさせてさ。そんなことを全く考えずに、私は飛び降りようとした。自分のことを必要とする人間なんて、この世には1人もいないって勝手に思い込んでたからさ」
  でも、それは違っていた。
  この世に必要とされている人間なんて、初めから1人もいない。必要とされているか、されてないかで生死を決めようとするのが当たり前ならば、きっと大勢の人が死んでいるだろう。でも、少し視点を変えれば、人にはみんな生きる意味が生まれる。お互いに支え合うこと。それが答えである。
  しかし、それはお互いが同じタイミングで、同じ力加減で支え合うことではない。絶対に不可能だ。
  時に辛い時があれば、片方が楽な思いをできるように片方がより辛い思いをする。もう片方が、助けられる。
  お互いが交互にそうすることで、人は皆生きる意味を見出すことができる。
  人という字は人と人とが支え合って、というのは建前。実際は片方が片方を支えて、片方が楽な思いをしている。人間なんてそんなものである。
  私が辛い思いをしている間、私をいじめているグループの人間共は爽快な気分を味わうことができた。私が時間を割いてキーホルダーを探してあげることで、恵美花は日が暮れるまで草むらを探し続ける羽目にはならなかった。
  さっきの考え方からすれば、しっかりと「人」という字が成り立っている。
  そして、私はこうして様々な人に出会い、生きる意味を見つけることができた。
「……そうやって考えるようになったから、もう死ぬのはやめたの」
「お姉さんって…大人、なんですね」
「大人?そんなわけないでしょ。ただ一度死んだことがあるだけだよ」
「……ねーちゃん…………」
「それでもね、美優ちゃん。やっぱり、大切な存在がいなくなることは悲しいことだよね。私も、もしそんな状況になったらどうしたらいいか…って、さっきと同じこと言ってるね」
  お互いの目を合わせて、クスクスと笑う。
  心配性の弟は、少し安心したように微笑んだ。
「……また、来ていいですか?今度はお兄ちゃんも連れて。」
  男の子を…家に上げるのか。
  少し悩みどころだが、まぁ大丈夫だろう。
「いいよ。またおいで」
  …なんだか、少しだけ心の整理ができました。
  ニッコリと笑った美優は、ココアが好きだったのか、それともここに来て話ができたことが嬉しかったのか、よく分からない言い方をして、玄関に向かった。
「…………………………良かった」
  漢字ドリルをパタンと閉め、祐樹は私と共に玄関で美優を見送ることにした。本当は家まで送って行くつもりだったけど「ここで大丈夫ですよ。近所ですし」と断られてしまっては、私はしてあげられることはこれくらいだろう。
「祐樹君。ココア、ありがとうね。美味しかったよ」
「いえ。また来てください」
  私からゆっくりと去って行く彼女の背中は、どこか、まだ寂しそうに縮こまっている気がした。
「ねーちゃん」
「…ん?」
「生きててくれて、ありがとうね」
  弟の珍しく素直な言葉に、返す言葉が見つからなかった。
  パンを幸せ、チョコを辛い経験と例える。
  パンもチョコも好きだという人は、幸せな経験は楽しく味わい、辛い経験は自分の成長のためだと思える人。私は、そんな人になりたいと思っている。
「…ペットが先程亡くなったんです」
  今、彼女はチョコを渋々食べている。変な例えだが、今私はそう思っている。
「それで落ち込んでたんだね」
  祐樹が温めたココアを差し出す。小さく、掠れた声で「ありがと」と笑った。
  ペットが亡くなった。悲しいことだ。いつも一緒にいた存在が突然いなくなってしまった時の悲しみは、人もペットも同じものである。彼女が悲しんでいる理由が少しずつ分かっていくと、逆にココアは少しずつ無くなっていった。
「…お姉さん」
  ココアがあと少しになった時、彼女は私の目は見ずに切り出す。
「あたしにとって大切な人が、今病気なんです。恐らくもう…治らないでしょう。…余命も宣告されてます」
  漢字ドリルに書き込んでいた祐樹の鉛筆が止まる。
  同様に、私も動かなくなった。
「もちろん、ペットも大事でした。その人と同じくらい。でも、本当はペットの余命も知ってたんです。あたしはそれを知っていながら、何もしてあげられなかった。あたしは…どうしたら良かったんでしょうか」
  空になったコップを、祐樹はさっさと片付けた。
  正直、答えはないだろう。残念ながら美優の気持ちを完全に理解することは不可能だ。それは、自分がその状況に置かれたことがないからである。
「どうしたら良かったかなんて、誰にも分からないよ」
「そう…ですよね」
「でも、ほら。今があるでしょ?」
「今?」
「美優ちゃんのペットだって、きっと亡くなるまで楽しく過ごせてたと思う。違う?」
「いえ……最後の方は、できる範囲で一緒に遊んであげました」
「それなら、きっとその子も未練はないんじゃないかな」
  何も言わない。沈黙の時間が続く。
  祐樹はまた漢字ドリルに字を書き込み始めた。
「正直なこと言うとさ。私も同じ状況下になったら、どうしたらいいか分からなくなるよ。その時は、誰かに相談するな。それが一番良い策だと思うし」
  だから、きっとあなたの行動は正しいよ。そう伝えた。
  私の声は聞こえているようだが、彼女はピクリとも動かなくなってしまった。
「…………ありがとう………ございます」
  涙を流しながら、彼女は絞り出すように言った。
  しばらくして美優は涙を拭い、祐樹が持ってきた二杯目のココアに手をつけた。
「お姉さんは命を断とうとしたことがあると聞きました」
  兄から。と後付けの言葉をしっかりと聞き取る。
  健斗…余計なこと言いよって…。
「お姉さん、何があったんですか?」
  なんと答えようか。大袈裟に言うつもりはないし、隠すつもりもない。だからといって自慢することなんかじゃないし。
「…いじめられてたの」
  悩みに悩んだ末、正直に答えることにした。
「え…」
「水もかけられたし、弁当も捨てられた。上履きがなくなって、机が落書きだらけになって、下駄箱の中に虫を入れられて。他には…」
「お、お姉さん!も、もう…結構です」
「被害妄想なんかじゃないよ。むしろ…被害妄想であって欲しいくらい。それで、私は耐えきれなくなって、生きることをやめようとした」
「……」
  息を飲む美優と祐樹をよそに、私は淡々と話し続けた。
「ほんと、すごくギリギリ。私があと一歩出れば終わるって時に、健斗が現れてね」
「お兄ちゃん…が…」
「そ。それで、私にすごく大きな声で怒鳴ったの。この先も生きていく未来があるのに、勝手に終わらせようとすんな!って、少しだけ不思議な言い方をしてたけど、その言葉で目が覚めたよ」
  お兄ちゃんが…と、もう一度口にする。祐樹は相変わらず固まったままである。
「健斗がいなかったら、私は恵美花ちゃんにも、美優ちゃんにも出会ってなかったね。それに、祐樹にも悲しい思いをさせてさ。そんなことを全く考えずに、私は飛び降りようとした。自分のことを必要とする人間なんて、この世には1人もいないって勝手に思い込んでたからさ」
  でも、それは違っていた。
  この世に必要とされている人間なんて、初めから1人もいない。必要とされているか、されてないかで生死を決めようとするのが当たり前ならば、きっと大勢の人が死んでいるだろう。でも、少し視点を変えれば、人にはみんな生きる意味が生まれる。お互いに支え合うこと。それが答えである。
  しかし、それはお互いが同じタイミングで、同じ力加減で支え合うことではない。絶対に不可能だ。
  時に辛い時があれば、片方が楽な思いをできるように片方がより辛い思いをする。もう片方が、助けられる。
  お互いが交互にそうすることで、人は皆生きる意味を見出すことができる。
  人という字は人と人とが支え合って、というのは建前。実際は片方が片方を支えて、片方が楽な思いをしている。人間なんてそんなものである。
  私が辛い思いをしている間、私をいじめているグループの人間共は爽快な気分を味わうことができた。私が時間を割いてキーホルダーを探してあげることで、恵美花は日が暮れるまで草むらを探し続ける羽目にはならなかった。
  さっきの考え方からすれば、しっかりと「人」という字が成り立っている。
  そして、私はこうして様々な人に出会い、生きる意味を見つけることができた。
「……そうやって考えるようになったから、もう死ぬのはやめたの」
「お姉さんって…大人、なんですね」
「大人?そんなわけないでしょ。ただ一度死んだことがあるだけだよ」
「……ねーちゃん…………」
「それでもね、美優ちゃん。やっぱり、大切な存在がいなくなることは悲しいことだよね。私も、もしそんな状況になったらどうしたらいいか…って、さっきと同じこと言ってるね」
  お互いの目を合わせて、クスクスと笑う。
  心配性の弟は、少し安心したように微笑んだ。
「……また、来ていいですか?今度はお兄ちゃんも連れて。」
  男の子を…家に上げるのか。
  少し悩みどころだが、まぁ大丈夫だろう。
「いいよ。またおいで」
  …なんだか、少しだけ心の整理ができました。
  ニッコリと笑った美優は、ココアが好きだったのか、それともここに来て話ができたことが嬉しかったのか、よく分からない言い方をして、玄関に向かった。
「…………………………良かった」
  漢字ドリルをパタンと閉め、祐樹は私と共に玄関で美優を見送ることにした。本当は家まで送って行くつもりだったけど「ここで大丈夫ですよ。近所ですし」と断られてしまっては、私はしてあげられることはこれくらいだろう。
「祐樹君。ココア、ありがとうね。美味しかったよ」
「いえ。また来てください」
  私からゆっくりと去って行く彼女の背中は、どこか、まだ寂しそうに縮こまっている気がした。
「ねーちゃん」
「…ん?」
「生きててくれて、ありがとうね」
  弟の珍しく素直な言葉に、返す言葉が見つからなかった。
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