虚空の灯明

一榮 めぐみ

7. 時間稼ぎ

 隣り町に着くと、夕暮れ時だった。アイキが腹が減ったとうるさいので、すぐに食事をして宿に入った。


 国外へ行くときに兵士が利用する宿なので、スムーズに部屋を借りることが出来た。兄さんならまだしも、オレはこの町に来ることは無いし、王子と言ってもオレを知らない国民は意外と多い。宿の人に案内されて、アイキとオレは別々の部屋へ通された。すっかり陽が落ちて部屋の中は真っ暗だけど、明かりを点けることができないので、月明かりを頼りにソファへと腰を下ろした。


 町の警備兵と話をしたものの、リューナはこの町を訪れていないようだ。ということは、やはり森に行ったのだろうか。森で夜を明かすとは思えないので、入れ違いでミストーリに帰ったのかもしれない。


「ルーセス、入るよ」


 アイキの声が聞こえて扉が開くと、オレが返事をするよりも先にアイキが入ってくる。


「明かりを点けに来たよ、あと他に何が必要かなぁ……」
「……なぁ、アイキ」
「ん、ちょっと待って。先に明かりを点けるからさ」
「ああ、すまない」


 アイキはランタンを取り出すと魔法で火を灯し、ベッドの脇に置いた。そのままオレの横にすとんと座ると、にっこりと笑った。


「ルーセスと二人でお泊りするのなんて初めてかも。わくわくするな♪」
「いつも城で一緒に過ごしてるんだから、同じことだろ?」
「そんなことないよ。こんなに小さな宿の狭い部屋で……他には誰もいない」
「気持ち悪いことを言うな。オレはアイキと寝るつもりはないぞ……?」
「変なこと言うなよ、オレだってさすがにそれはないって!」


 アイキは食事をした後、レストランの小さなステージで歌を披露した。普段は自分からステージに上がることは無いけれど、自分からここで歌いたいと言い出したので、とても驚いた。レストランを利用していた客が大歓声をあげると、次第に町じゅうから人が集まりだして、大騒ぎになった。


 歌ったあとのアイキはいつも上機嫌だ。


「明日の朝になったら、ミストーリに帰ろう。リューナも帰っているかもしれない」
「ルーセス、明日のことは明日、考えたほうが良いと思うよ。ほら……想像もできない明日がやってくるかもしれないだろう?」
「何を言ってるんだ、アイキ……?」


 アイキは返事をせずに、にっこりと笑っている。部屋の中は仄暗く、ランタンの明かりのせいか、アイキの笑顔が妖しく見える。


「この部屋は二階だ……窓からは逃げられない。宿の入口はひとつ。階段もひとつだったよな」
「何の確認をしているんだ……?」
「――――ルーセス」


 アイキが突然、オレの腕を掴んだ。わけがわからずに、アイキの手を離そうとするけれど、力が強くて離せない。


「どうしたんだ……離せよ」
「ルーセスはオレが守るよ。オレは護衛兵だからね……でも、どうしようかな」


 アイキはそう言うと、困ったように俯く。ふと耳を澄ますと、廊下から数人分の足音が聞こえてきた。ごつごつとした足音は、町人のものというよりは、オレや兵士が履くような重い靴の音だ。アイキはオレの腕を掴んだまま立ち上がると、点けたばかりのランタンの火を消して仕舞いこむ。そのまま、窓際まで静かに歩いた。


 何が起きているのかも分からない……けれど、アイキはあの足音を警戒しているのだろう。気配を消したほうがいいのかと、何も言わずに黙っていた。アイキは窓を開けると外に向かって、ごにょごにょと何かを呟いている。


「やばいやばいやばい……もう少し時間を稼がないと……!」


 そうしている間にも、足音が徐々に近づいてくる。……とはいえ、オレは王子だ。自分の国の兵士に追われる理由など何もない。何も――――。


「やっ……やめろよルーセス! オレ男だってば、可愛いけどさっ!!」
「――バッ、バカ、大きな声を出すな!」


 焦って横を見てみると、アイキは楽しそうにニヤニヤと笑っている。ふと腕を引かれると、アイキが耳元で囁く。


(時間稼ぎ……他に思いつかなかった!)
(えっ……?)


「あっ、だめだよ……! そんなことされたら……ああっ!」


 アイキは笑いをこらえるようにくくっと肩を揺らすと、オレに眼で合図を送った。あきらかに、さっきまで近づいていた足音が止まっていることに気が付く。何のための時間稼ぎなのかもわからないけれど、オレを知っている兵ならば、確かに扉を開くことに躊躇うだろう……。


 アイキが再び耳元で囁く。


(ルーセスも! なんか言ってよ!)
(なんかって……)


「いいだろう? アイキ……もっとその綺麗な体を見せてくれ!」


 言っておいて恥ずかしくなる。ちらりと横を見ると、アイキが変な顔をしていた。


(ルーセス……なんかキモい……)
(キモい?!)


 恥ずかしいやら腹立たしいやらで、オレは掴まれていない手で、アイキの横腹のあたりをぎゅぅ、とつまんだ。


「痛っ! 何すんだよ! 痛くするなって!!」
「おまえがオレを掴んでるんだろ!」
「だって、離したらルーセスは何するかわかんないだろ?!」
「大丈夫だっ! 悪いようにはしないっ!」


 いつの間にか、アイキと互いに掴み合うように向かい合っていた。アイキはニヤニヤしている。


「だから、ルーセスはキモいんだって! 女の子とするときもそんな感じなわけ?」
「バッ……バカ言うな!」
「そんなに照れるなよ……ほら、優しくしてあげるよ。王子さま♡」
「あっ、やめろッ! あ……っ!」


 アイキがオレをくすぐってくる! だが、笑うのはマズイと思って必死にこらえると、変な声が漏れる……。羞恥心ばかりが強くなり、顔が紅潮するのがわかる。やられてばかりではオレもプライドが許さない……! なんとかアイキにやり返してやろうとアイキが掴む腕を引き離そうとする。


「アイキぃぃ……じっとしてろっ!」
「そんなこと言っても……ルーセスの体は正直みたいだけど!」
「あっ、アイキ……あっ!」


 アイキの腕を掴み、黄土色の瞳をじっと見つめると、すぐ目の前でアイキが吹き出すのを必死にこらえながら肩を震わせている。オレも必死に笑いをこらえているけれど、そろそろ限界だ……!


「オレはルーセスが大好きだー!!」
「おっ……オレもアイキが大好きだぁぁ!!」


 ――ガタン!


 物音がして、ハッとしてそこに視線を向ける。扉の方ではなく、すぐ横にあった窓だ。そこには、冷たい視線をこちらに向けているリューナの姿があった。大きな白いものがリューナの向こう側に見える。


「――――リューナ?!」
「なにしてんの……アンタたち。ほんっと、ルーセスってキモ……」
「いや、これにはワケが――!!」


 オレが言い訳をしようとすると、アイキがひょいと窓へと飛び移る。


「さっ、行くよ、ルーセス!」
「早くしなさいよっ!」
「ぅわっ……!」


 オレはアイキに掴まれたまま強引に窓の外に引きずり出されると、リューナの後ろに見えていた白いものに乗せられた。


「なっ……なんだ? このもふもふは……!」
「詳しい話は後でするから、急ぎましょ!」


 白いもふもふがふわりと動くと、一気に町の外へと飛び出し、森の方へと駆け抜けて行く。振り落とされないようにもふもふにしがみつくと、なんとか体勢を整えた。振り返ると、ミストーリの兵士たちがオレたちのいた宿のあたりや町の周囲にも、うろうろしているのが見えた。


「何だってあんなに兵を寄こして……」
「ルーセスを捕まえに来てたみたいだよ。捕まえるっていうか……とにかく、あんまり良いカタチでのお迎えでは無いみたいだね」
「アイキは気づいてたのか……?」


 アイキは何も答えずに、申し訳なさそうに微笑んだ。そのままリューナの方へと振り向くと、パッと表情を変える。


「すっごいタイミング良かったよ! リューナ!!」
「そうなの? あたし的にはすっごく悪かった気がするけど」
「……とりあえず、森に身を潜めよう。話はその後だ」


 知らない声が聞こえてきた。リューナのすぐ横に誰かいるようだけれど、オレはもふもふに捕まるのに精一杯で、声の主を確かめることができなかった。

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