転移した先は彼女を人質にとるムゴい異世界だった
第一話「わけありの異世界転移」
ふと、目を覚ました。明るい空間の中で一人、立っていた。
「お前は捕らわれたのさ。悪魔にな」
邪悪で憎たらしげな声が、どこともつかぬ場所からかけられる。辺り一面が真っ白で頼りなく、水底のような静寂に包まれて居心地が悪い。
「お前は彼女をないがしろにし過ぎたのだ」
その言葉がいやに鼻についた。
「お前は誰だ。誰がそんなことを言えるんだよ」
しんと、ぬくみのない冷たさが差した。
「あいつはだいぶ惚れ込んでたようだが」
すると突然目の前に気味の悪い、人の顔をした石が現れて憎たらしい声音で俺に言いつけた。気がおかしくなるようだ。
「くッ、だ、だれだよ! 第一あいつは、お、おかしいんだ!」
「ふはははっはっはっは」、忌々しい図太い笑い声。「ああ、愉快だ。お前のような奴に出会えてな。俺はお前を捕らえたんだ。何のために? お前を懲らしめるためにさ。子供を押さえつける鬼のようになぁはっは」
「な、なんだよ、どうせ夢だろ。こんなのさっさと醒めるっつんだ、くっ、くそっ、おいっ!」
いくら頬をつねれども醒めることは無い。受け入れたくもない事実をぐっと飲みこんだ。そうか、俺は本当に囚らわれてしまったのだ。眼の前の憎たらしい顔に。そしてあいつらに。
「無駄むだ、それよりもなあ? お前は俺から使命を仰せつかうのだ。恭しく頂戴しろよ?」
鼻から息を吹いて笑った。
「な、なんだよ、いったい」
悪魔は尊大な調子で言った。
「お前は今から異世界に飛ばされるのさ。そこでただ飛ばすんじゃつまらない、お前に彼女の命をたくそう。そうだな、お前がおざなりに扱えば扱うほど彼女の命は削られ蝕まれていくと。これでどうだ? そしてお前が本当に彼女を受け入れれば彼女は救われ、二人笑顔でハッピーエンド、元の世界に無事戻って来る。あるいは魔の森の果ての……ふぅっはっは。どちらにせよ変わらぬことだ。鎖で縛られた二人、せいぜいあがいてみせろよな? ふぅっはっあっあ」
「おい待てよ! なんだよ、何が始まるんだよ!」
その問いかけも空しく、人面石は醜悪に満ちた顔を湛えながら、何もない白い空間の向こうへ霧消した。
そして俺は囚われたのだ。異世界という檻の中に。
目が覚めて、俺は前に下っていく草原に横たわっていることに気づいた。身にまとっているものは胡散臭い冒険者のような服だ。何もないのどかな草原の風景を眺めていると心が不必要に落ち着く。ファンタジーでしかないような光景だ。
すると遠くで獣の吠えた声がする。夜空を見回してみると、遠くから巨大な竜が迫ってくるのが見えた。そりゃあもうでかい、ジャンボジェットぐらいかなあ。
「ぐぁっ!」と頓狂な声を出す。衝撃に草がちぎれそうになっていた。
はやる心を落ち着け、ゆっくりため息を出した。なあんで竜なんているんだろうなあ、この世界に竜がいるなんて知らなかった、なんて当たり前のことを思う。
見る見るうちにそれはどこかへ消え去っていき、とうとうポツンと点になって消えた。
ふと何気なく左の方に目をやると、となりに桜川 理恵という少女が眠っていた。
上体を起こして、ぽっかり穴が開いたかのように茫然と見下ろしていると、長い眠りから目覚めた姫はそっと目を開き、とりとめのない瞳でこちらを向いた。俺の方を見るなり、何が起こっているか問うどころか、にこやかな微笑みを寄越した。
俺は思わずちょっとした怖気を覚えていた。
頭上から煌々と月光の照らす中を、ふさふさと草が風に鳴りはじめた。正面の坂を下って行った所にある湖が波を打ち、そこに月光が乱れて反射する。
ぺたりと地面に横にすわったまま眠たげに右目をこする理恵が、
「もう少しこっちに」と言うのを気にも留めずに、漠然とした意識のまま悪魔の言葉を思い出していた。
辺り一帯どこを見ても、全く覚えのない風景だ。きっとここが異世界だというのは本当なのだろう。弱冠十七歳にして異世界か。
それじゃああの、『お前がおざなりに扱えば扱うほど彼女の命は削られ蝕まれていく』という言葉はどうなんだろう。本当だとしたらどうなる。いや、俺の知ったことじゃない。そんな嘘臭い話があるわけないだろう。さっさとこんな世界からお暇して、いつものくだらない日常に戻るんだ。
そんなことを考えているとも知らずに、理恵は地面についていた俺の右手にそのやわらかい温かな左手を伝わせて、
「どうやって戻るの?」なんてのんきなことを。
「知るかよ、そんなの」とそっけなく答えた。
俺の態度に失望したり興をそがれたりもせず、理恵は左右に結った髪をそっとかき上げ、ふふ、と含み笑いをした。
彼女の月光に照らされた細く高い鼻と控えめの唇とが艶やかに光る。ほんの少し吊りぎみの目尻に、ひらいた眼の大きな円弧とが対極をなして目力を形作る。前髪がパツンと切り揃えられているから、なおさら強調されているのかもしれない。
あごの骨のラインのはっきり見えるほど薄く引きしまった肉が、丸顔ながらもしつこさを感じさせないすべりの良い輪郭を描き出している。かくし味のように軽く添えられた首の肉付きが気高い印象を与えていて、全体としては美少女というか華奢な感じだ。
しかしこの肉付きはやせ過ぎだろう。
「ねえ、月がきれい」
「知るかよ」と、ため息交じりに目を月から逸らした。
「今日はどこで寝れば良いと思う?」
「そんなの」と言いながらも思いとどまり、辺りを見回したが、だだっ広い草原の端の方に小屋が見えた。
「あそこに泊めてもらうしかないな」
「ちょっと手、貸してくれる?」ときめこまやかな手を差し出した。
躊躇を押し切って、
「自分で立てるだろ」と、振り向かずに小屋の方へ進んでいった。
背の低い草をかき分けながら、俺はぬぐい切れない恐怖から逃れるように首を振った。あんな言葉でまかせだろ。呪いなんてのがあるはずない。
たどりついた小屋をみると、中はこぎれいな部屋一つで何に使われているのかは見当もつかなかったが、一晩泊まるぐらいなら差し支えないだろうと思い、そこを使わせてもらうことにした。理恵は控えめに扉から入って少し居住まいをただしたが、俺は疲れた体に耐えかねたように横になった。
「こぉーら何やっとんじゃいこんなところで!」
「……なんだ?」
寝ぼけ眼を擦りつつ出口に目をやったが、どうやらちっこい小動物系の女子がわめいているようだ。窓からは眩いばかりの日光が鋭く差し込んでいた。どうやら朝が来たらしい。目に刺さる朝日ったらありゃしない。
「ちっこくなんかないわい! それより、なんでこの小屋でいちゃいちゃしとんじゃい! ここは私の小屋だぞ」
「ああ、そうなのか。悪い悪い。今すぐ出て行くよ」
そう言って出口に向かい、颯爽と出るつもりが、なぜかその少女に服を引っ張られた。
「な、なんだよ」
ちょいちょいと右手で指し示す先には、すやすやと眠り続ける理恵の姿があった。ぐっすり寝ているのに気づき気兼ねしたのだろうか。
出て行かなくてもよいということになった俺はせっかく異世界人の一人目に出会ったので、色々と尋ねてみることにした。
「そうだ、ここはなんて国なんだ?」
「他でもないイシュット王国、英雄伝説を持つ国、その東南の方だよ。そんなかでもここは自然ばかり多い地域だ」というと、彼女は釣り用具を小屋の隅に置いた。
「それで、お前はどこに住んでるんだ?」
「すぐ行った所に家があるよ、小さめのな。そこに爺さんと二人で暮らしてるんだ。質素な暮らしだけどな。それなりにやることはあるよ。何せここら辺には猛獣が出るからな」
わざわざ退治するのだろうか。
「へえ大変だな。その、今はどのくらい、いや、退治する人間とかいないのか? 騎士とかいるのか?」
「騎士だぁ? あんたらめんどくさいこと考えてるんじゃないだろうな。ま、それならいるさ。数はそんなに多くないし、特にここらへんじゃ滅多にお目にかかれるもんでもないけどね」
「そうか」
そんな時代なのか、ここは。というか本当に異世界なのかよ。昨日までは疑り半分だったのに。騎士なんてものがいるのならと聞いてみたい事もいろいろあったが、あえて聞こうとはしなかった。
するといつの間にか起きていた理恵が横合いから、
「ここら辺に町は無いの?」と言って、さり気ない動作で俺の左腕に抱き着いた。振りほどこうとしてもしっかりつかまれていてなかなか抜けない。
「町ぃ? ええ、ここから西にある程度行くと大き目の町に着く。そこならひとしきり揃うだろうな。あそこの町は、1万都市だ。この国ん中でもそこそこ大きい方だろう。でもそこに行くまでには山を越えなくちゃならないし、いや、それよりもお前らにはやってほしいことがあるんだ。対価としてな」
「対価だって?」
「そう」
なんだかいい予感はしないんだが……。未だに左腕にくっついている理恵もきょとんと呆けている。
「な、なんでこんな古ぼけた長槍なんか渡す必要があるんだ……? もしかして旅のお供にこれをくれるのか?」
「んなわけあるかい!」
いきなり怒鳴られた。
「対価だ対価。お前らには例の猛獣を倒して貰おう」
「いやいや、いくら何でも猛獣は無いだろ、猛獣は。どんな猛獣だか知らんがせめて私と釣りしてー、ぐらいにとどめて置けよ」
「ふふふ、そんなに甘くはないということだよ」
そういう少女の目は怪しげにぎらついた。
「ちぇっ。そうだ、そういえば聞いてなかったけどお前、名前はなんだ? 俺は、海翔、こっちが理恵」理恵は恭しく会釈した。
「私はチェリーだ。チェリーと呼んでくれ」
いや、そう呼ぶけどさ。それ以外になんて呼ぶんだろう。
「わかった。それで、チェリー、その、猛獣とやらはどこにいるんだ」
「そこ」と言って小屋の出口から、左の森の方を指さした。夜には気にも留めなかったがどうも森があったらしいな。
「あの森をまっすぐ進んでいくと少し開けたところがある。そこに時々そいつが通るんだ。その時にさっと一突きしてくれればいいんだ」
「いいやちょっと待て、そんな簡単そうに言うけど、誰も倒せてないから今もうろついてるんだよな? そんな奴をどうやって俺達が」
「ま、精々頑張ってくれや」という少女はにやにやと笑っていた。
こいつ、人を殺す気だろ。いくら対価とはいえ俺達じゃなかったら誰もやらないでずらかってるところだぞ。胃や俺達だってそんなことはしたくないんだが……、いきなり命のかかっていることなんて……。
断るに断れず、言われた通り森に入ったが、チェリーは少し離れたところを木に隠れながら、こそこそとついてきているようだ。
当の俺と理恵は、俺が右手に槍を携え、理恵は右手で俺の左腕を掴みながら胸を押し当てている。ってそれじゃダメだろ。
そのまま進んでいくこと幾分、言われた通り視界の先が開けてきた。どうやらここがその、猛獣が出る場所、らしい。
「来ないわね」、こおるような澄んだ声で理恵が言った。
「まだ付いたばっかりだぞ。ん?」
するとどうだろう、遠くの方から激しい地響きが、猛烈な勢いで迫ってくるではないか……!
このままではまずいな、当たり前か!
「こ、ここは私が何とかするから、海翔は後ろに下がってて」
「それじゃお前が」という俺の腰は思いっきり引けていた。
そうこうしている内にも、迫りくる地響きは容赦なく、おまけに激しい音を立てながら木をぶっ倒しているようだ。小鳥が激しく鳴きながらどこかへと飛び立っていく。ああ、俺も飛び立っていきたいよ、こんな異世界から。
さらに猛獣はずんずんと俺達に接近し、ついにバッと、その正体を現した。それも正面から。なんというか、豚とイノシシを足して二で割ったようなやつだ。トラック張りの巨体をいきなり繰り出してきやがった。
「うぎゃああああああああああ」っと、二人は叫びながら一目散に逃げだした。もと来た道の方へ。こうなりゃ端もへったくれも無いのだ。
「や、やばい。このままじゃ、死ぬ……」
すると理恵が長いスカートを翻して、震える手で槍を構えた。
「やっぱり私が止めないと……」
覚悟を決めたような、いつもより目力の強い目で猛獣と正面対峙した。
「む、無茶だぞ! あんな巨大なの」
「下がってて、ここで私が仕留める」
くそ、やけに頼もしくしやがって。俺が何もしないのも格好が付かないし。
すでにして猛獣は手遅れなほど眼の前に接近していた。そして思いっきり跳躍してきやがった。完全にやる気なのだ。
「やああああああああああああ!」
理恵は悲鳴とも雄たけびともつかない声で、腰が引けながら足を地に張り、槍を構えている。
するとその像よりもでかい巨体が、「きゃっ」という理恵の悲鳴と共に俺の方に倒れかかってくる。多分槍ではなくスカートにすべったのだろう。いや、そんな考察をしている場合ではないぞ、俺よ。
祈るように槍を天高く構えて全力で目をつぶって俯いた。誰か助けてくれ……。俺達の手には負えそうもないぜ、悪いな人面石よ、何の苦悶も無いままのたれ死にそうだ。
祈りが通じたのか、頭上で鈍い唸り声が聞こえた。それが、奴の目に突き刺さった槍のおかげだと知る前に、俺は倒れかかって来たその重さに耐えきれずに後ろに転げた。視界の端にチェリーの笑い転げている姿が見えた。くそっ、お前あとで覚悟しとけよな、と激しく転げながら思った。
「お前は捕らわれたのさ。悪魔にな」
邪悪で憎たらしげな声が、どこともつかぬ場所からかけられる。辺り一面が真っ白で頼りなく、水底のような静寂に包まれて居心地が悪い。
「お前は彼女をないがしろにし過ぎたのだ」
その言葉がいやに鼻についた。
「お前は誰だ。誰がそんなことを言えるんだよ」
しんと、ぬくみのない冷たさが差した。
「あいつはだいぶ惚れ込んでたようだが」
すると突然目の前に気味の悪い、人の顔をした石が現れて憎たらしい声音で俺に言いつけた。気がおかしくなるようだ。
「くッ、だ、だれだよ! 第一あいつは、お、おかしいんだ!」
「ふはははっはっはっは」、忌々しい図太い笑い声。「ああ、愉快だ。お前のような奴に出会えてな。俺はお前を捕らえたんだ。何のために? お前を懲らしめるためにさ。子供を押さえつける鬼のようになぁはっは」
「な、なんだよ、どうせ夢だろ。こんなのさっさと醒めるっつんだ、くっ、くそっ、おいっ!」
いくら頬をつねれども醒めることは無い。受け入れたくもない事実をぐっと飲みこんだ。そうか、俺は本当に囚らわれてしまったのだ。眼の前の憎たらしい顔に。そしてあいつらに。
「無駄むだ、それよりもなあ? お前は俺から使命を仰せつかうのだ。恭しく頂戴しろよ?」
鼻から息を吹いて笑った。
「な、なんだよ、いったい」
悪魔は尊大な調子で言った。
「お前は今から異世界に飛ばされるのさ。そこでただ飛ばすんじゃつまらない、お前に彼女の命をたくそう。そうだな、お前がおざなりに扱えば扱うほど彼女の命は削られ蝕まれていくと。これでどうだ? そしてお前が本当に彼女を受け入れれば彼女は救われ、二人笑顔でハッピーエンド、元の世界に無事戻って来る。あるいは魔の森の果ての……ふぅっはっは。どちらにせよ変わらぬことだ。鎖で縛られた二人、せいぜいあがいてみせろよな? ふぅっはっあっあ」
「おい待てよ! なんだよ、何が始まるんだよ!」
その問いかけも空しく、人面石は醜悪に満ちた顔を湛えながら、何もない白い空間の向こうへ霧消した。
そして俺は囚われたのだ。異世界という檻の中に。
目が覚めて、俺は前に下っていく草原に横たわっていることに気づいた。身にまとっているものは胡散臭い冒険者のような服だ。何もないのどかな草原の風景を眺めていると心が不必要に落ち着く。ファンタジーでしかないような光景だ。
すると遠くで獣の吠えた声がする。夜空を見回してみると、遠くから巨大な竜が迫ってくるのが見えた。そりゃあもうでかい、ジャンボジェットぐらいかなあ。
「ぐぁっ!」と頓狂な声を出す。衝撃に草がちぎれそうになっていた。
はやる心を落ち着け、ゆっくりため息を出した。なあんで竜なんているんだろうなあ、この世界に竜がいるなんて知らなかった、なんて当たり前のことを思う。
見る見るうちにそれはどこかへ消え去っていき、とうとうポツンと点になって消えた。
ふと何気なく左の方に目をやると、となりに桜川 理恵という少女が眠っていた。
上体を起こして、ぽっかり穴が開いたかのように茫然と見下ろしていると、長い眠りから目覚めた姫はそっと目を開き、とりとめのない瞳でこちらを向いた。俺の方を見るなり、何が起こっているか問うどころか、にこやかな微笑みを寄越した。
俺は思わずちょっとした怖気を覚えていた。
頭上から煌々と月光の照らす中を、ふさふさと草が風に鳴りはじめた。正面の坂を下って行った所にある湖が波を打ち、そこに月光が乱れて反射する。
ぺたりと地面に横にすわったまま眠たげに右目をこする理恵が、
「もう少しこっちに」と言うのを気にも留めずに、漠然とした意識のまま悪魔の言葉を思い出していた。
辺り一帯どこを見ても、全く覚えのない風景だ。きっとここが異世界だというのは本当なのだろう。弱冠十七歳にして異世界か。
それじゃああの、『お前がおざなりに扱えば扱うほど彼女の命は削られ蝕まれていく』という言葉はどうなんだろう。本当だとしたらどうなる。いや、俺の知ったことじゃない。そんな嘘臭い話があるわけないだろう。さっさとこんな世界からお暇して、いつものくだらない日常に戻るんだ。
そんなことを考えているとも知らずに、理恵は地面についていた俺の右手にそのやわらかい温かな左手を伝わせて、
「どうやって戻るの?」なんてのんきなことを。
「知るかよ、そんなの」とそっけなく答えた。
俺の態度に失望したり興をそがれたりもせず、理恵は左右に結った髪をそっとかき上げ、ふふ、と含み笑いをした。
彼女の月光に照らされた細く高い鼻と控えめの唇とが艶やかに光る。ほんの少し吊りぎみの目尻に、ひらいた眼の大きな円弧とが対極をなして目力を形作る。前髪がパツンと切り揃えられているから、なおさら強調されているのかもしれない。
あごの骨のラインのはっきり見えるほど薄く引きしまった肉が、丸顔ながらもしつこさを感じさせないすべりの良い輪郭を描き出している。かくし味のように軽く添えられた首の肉付きが気高い印象を与えていて、全体としては美少女というか華奢な感じだ。
しかしこの肉付きはやせ過ぎだろう。
「ねえ、月がきれい」
「知るかよ」と、ため息交じりに目を月から逸らした。
「今日はどこで寝れば良いと思う?」
「そんなの」と言いながらも思いとどまり、辺りを見回したが、だだっ広い草原の端の方に小屋が見えた。
「あそこに泊めてもらうしかないな」
「ちょっと手、貸してくれる?」ときめこまやかな手を差し出した。
躊躇を押し切って、
「自分で立てるだろ」と、振り向かずに小屋の方へ進んでいった。
背の低い草をかき分けながら、俺はぬぐい切れない恐怖から逃れるように首を振った。あんな言葉でまかせだろ。呪いなんてのがあるはずない。
たどりついた小屋をみると、中はこぎれいな部屋一つで何に使われているのかは見当もつかなかったが、一晩泊まるぐらいなら差し支えないだろうと思い、そこを使わせてもらうことにした。理恵は控えめに扉から入って少し居住まいをただしたが、俺は疲れた体に耐えかねたように横になった。
「こぉーら何やっとんじゃいこんなところで!」
「……なんだ?」
寝ぼけ眼を擦りつつ出口に目をやったが、どうやらちっこい小動物系の女子がわめいているようだ。窓からは眩いばかりの日光が鋭く差し込んでいた。どうやら朝が来たらしい。目に刺さる朝日ったらありゃしない。
「ちっこくなんかないわい! それより、なんでこの小屋でいちゃいちゃしとんじゃい! ここは私の小屋だぞ」
「ああ、そうなのか。悪い悪い。今すぐ出て行くよ」
そう言って出口に向かい、颯爽と出るつもりが、なぜかその少女に服を引っ張られた。
「な、なんだよ」
ちょいちょいと右手で指し示す先には、すやすやと眠り続ける理恵の姿があった。ぐっすり寝ているのに気づき気兼ねしたのだろうか。
出て行かなくてもよいということになった俺はせっかく異世界人の一人目に出会ったので、色々と尋ねてみることにした。
「そうだ、ここはなんて国なんだ?」
「他でもないイシュット王国、英雄伝説を持つ国、その東南の方だよ。そんなかでもここは自然ばかり多い地域だ」というと、彼女は釣り用具を小屋の隅に置いた。
「それで、お前はどこに住んでるんだ?」
「すぐ行った所に家があるよ、小さめのな。そこに爺さんと二人で暮らしてるんだ。質素な暮らしだけどな。それなりにやることはあるよ。何せここら辺には猛獣が出るからな」
わざわざ退治するのだろうか。
「へえ大変だな。その、今はどのくらい、いや、退治する人間とかいないのか? 騎士とかいるのか?」
「騎士だぁ? あんたらめんどくさいこと考えてるんじゃないだろうな。ま、それならいるさ。数はそんなに多くないし、特にここらへんじゃ滅多にお目にかかれるもんでもないけどね」
「そうか」
そんな時代なのか、ここは。というか本当に異世界なのかよ。昨日までは疑り半分だったのに。騎士なんてものがいるのならと聞いてみたい事もいろいろあったが、あえて聞こうとはしなかった。
するといつの間にか起きていた理恵が横合いから、
「ここら辺に町は無いの?」と言って、さり気ない動作で俺の左腕に抱き着いた。振りほどこうとしてもしっかりつかまれていてなかなか抜けない。
「町ぃ? ええ、ここから西にある程度行くと大き目の町に着く。そこならひとしきり揃うだろうな。あそこの町は、1万都市だ。この国ん中でもそこそこ大きい方だろう。でもそこに行くまでには山を越えなくちゃならないし、いや、それよりもお前らにはやってほしいことがあるんだ。対価としてな」
「対価だって?」
「そう」
なんだかいい予感はしないんだが……。未だに左腕にくっついている理恵もきょとんと呆けている。
「な、なんでこんな古ぼけた長槍なんか渡す必要があるんだ……? もしかして旅のお供にこれをくれるのか?」
「んなわけあるかい!」
いきなり怒鳴られた。
「対価だ対価。お前らには例の猛獣を倒して貰おう」
「いやいや、いくら何でも猛獣は無いだろ、猛獣は。どんな猛獣だか知らんがせめて私と釣りしてー、ぐらいにとどめて置けよ」
「ふふふ、そんなに甘くはないということだよ」
そういう少女の目は怪しげにぎらついた。
「ちぇっ。そうだ、そういえば聞いてなかったけどお前、名前はなんだ? 俺は、海翔、こっちが理恵」理恵は恭しく会釈した。
「私はチェリーだ。チェリーと呼んでくれ」
いや、そう呼ぶけどさ。それ以外になんて呼ぶんだろう。
「わかった。それで、チェリー、その、猛獣とやらはどこにいるんだ」
「そこ」と言って小屋の出口から、左の森の方を指さした。夜には気にも留めなかったがどうも森があったらしいな。
「あの森をまっすぐ進んでいくと少し開けたところがある。そこに時々そいつが通るんだ。その時にさっと一突きしてくれればいいんだ」
「いいやちょっと待て、そんな簡単そうに言うけど、誰も倒せてないから今もうろついてるんだよな? そんな奴をどうやって俺達が」
「ま、精々頑張ってくれや」という少女はにやにやと笑っていた。
こいつ、人を殺す気だろ。いくら対価とはいえ俺達じゃなかったら誰もやらないでずらかってるところだぞ。胃や俺達だってそんなことはしたくないんだが……、いきなり命のかかっていることなんて……。
断るに断れず、言われた通り森に入ったが、チェリーは少し離れたところを木に隠れながら、こそこそとついてきているようだ。
当の俺と理恵は、俺が右手に槍を携え、理恵は右手で俺の左腕を掴みながら胸を押し当てている。ってそれじゃダメだろ。
そのまま進んでいくこと幾分、言われた通り視界の先が開けてきた。どうやらここがその、猛獣が出る場所、らしい。
「来ないわね」、こおるような澄んだ声で理恵が言った。
「まだ付いたばっかりだぞ。ん?」
するとどうだろう、遠くの方から激しい地響きが、猛烈な勢いで迫ってくるではないか……!
このままではまずいな、当たり前か!
「こ、ここは私が何とかするから、海翔は後ろに下がってて」
「それじゃお前が」という俺の腰は思いっきり引けていた。
そうこうしている内にも、迫りくる地響きは容赦なく、おまけに激しい音を立てながら木をぶっ倒しているようだ。小鳥が激しく鳴きながらどこかへと飛び立っていく。ああ、俺も飛び立っていきたいよ、こんな異世界から。
さらに猛獣はずんずんと俺達に接近し、ついにバッと、その正体を現した。それも正面から。なんというか、豚とイノシシを足して二で割ったようなやつだ。トラック張りの巨体をいきなり繰り出してきやがった。
「うぎゃああああああああああ」っと、二人は叫びながら一目散に逃げだした。もと来た道の方へ。こうなりゃ端もへったくれも無いのだ。
「や、やばい。このままじゃ、死ぬ……」
すると理恵が長いスカートを翻して、震える手で槍を構えた。
「やっぱり私が止めないと……」
覚悟を決めたような、いつもより目力の強い目で猛獣と正面対峙した。
「む、無茶だぞ! あんな巨大なの」
「下がってて、ここで私が仕留める」
くそ、やけに頼もしくしやがって。俺が何もしないのも格好が付かないし。
すでにして猛獣は手遅れなほど眼の前に接近していた。そして思いっきり跳躍してきやがった。完全にやる気なのだ。
「やああああああああああああ!」
理恵は悲鳴とも雄たけびともつかない声で、腰が引けながら足を地に張り、槍を構えている。
するとその像よりもでかい巨体が、「きゃっ」という理恵の悲鳴と共に俺の方に倒れかかってくる。多分槍ではなくスカートにすべったのだろう。いや、そんな考察をしている場合ではないぞ、俺よ。
祈るように槍を天高く構えて全力で目をつぶって俯いた。誰か助けてくれ……。俺達の手には負えそうもないぜ、悪いな人面石よ、何の苦悶も無いままのたれ死にそうだ。
祈りが通じたのか、頭上で鈍い唸り声が聞こえた。それが、奴の目に突き刺さった槍のおかげだと知る前に、俺は倒れかかって来たその重さに耐えきれずに後ろに転げた。視界の端にチェリーの笑い転げている姿が見えた。くそっ、お前あとで覚悟しとけよな、と激しく転げながら思った。
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