異世界人の主人公巡り ~そんなに世界は素晴らしいかい?~
三ノ世界でフンニューレロレロッパー
ハザマからわたしの世界に戻ってきたわたしとマガリさんだけれども、これからどうなるんでしょう。
「もうネるぞMs.高槻」
マガリさんはそう言うと異界テントを放り投げた。
異界テントは黒いピラミッドみたいな四角錐型で手乗りサイズだ。
マガリさんのマントの裏に入っていたようだ。
異界テントは放っておくと独楽みたいに四角形の部分が上になって核の部分が下になり逆四角錐になった。
マガリさんが異界テントを踏むと異界テントにマガリさんは吸い込まれた。
わたしも恐る恐る異界テントに足を乗せてみた。
異界テントの黒がわたしの周りを伝って登ってきた。
ちょっと怖くて目を瞑るわたし。
「Ms.高槻」
マガリさんの声がした。
目を開くと黒いけど暗くない不思議な空間にわたしとマガリさんの二人っきりだった。
「世界をコえるマエにアいたいヒトはいるかい?」
会いたい人か。小学校の頃仲が良かった恵鯉香ちゃんと話がしたいな、ほんの少しで良いから。
あと、他に特に会いたい人はいないかな。
でも、マガリさんの言っていることは、この世界に未練があるならそれを晴らしておけって事だろう。
わたしがやりたいこと。
この世界でわたしがしたいこと。
未練つまり、わたしの憧れ。
「ねえ、マガリさん。満月の下、わたしと一緒にいてください」
自由な二十四時間をわたしはマガリさんと分かち合いたかった。
「Ms.高槻、キミがソレをノゾむなら」
OKが出た。
心の中で暴れ回る名も知らぬ感情がわたしを悶えさせた。
思考が言語化しない。
フンニューレロレロッパーという歓喜の叫びが胸の中を満たしている。
少しは落ち着いた。
わたしは、誰かと二人でデートすることに密かに憧れていた。二人で夜道を歩いて手を繋いだりなんかして、あとは公園に行ったり、あとは、あとは、あとは
なんなのだろうこの感覚は、心の奥に秘めていた思いが静かに溢れているみたいだ。
妙な感覚だ。感傷的になるとはつまりこういうことなのだろう。
頬を涙が伝った。これまで見てきたこと聞いてきたことが頭の中をぐるぐる巡る。
頭がジーンと暑くなる。
心拍数もゆっくり上昇する。
さっきハザマでマガリさんと離れたときと同じ感じだ。
どくん。
背中に手が回った。
顔が布とその先の堅い何かに包まれる。
正体は見ずとも解った。ここには二人しかいないし、この感触は忘れようがない。
マガリさんの胸だ。
わたしはさっきみたいに思いっ切り泣いた訳じゃない。
むしろ静かに泣いた。
涙を出来うる限り枯らさぬように、マガリさんの胸の中に少しでも長くいられるように、静かに泣いた。
マガリさんは優しく何も言わずにわたしを抱いてくれた。
わたしの胸が強く脈打って、息が苦しくなった。
わたしははぁはぁと喘いでしまった。
意識が遠のいた。
異界テントの中は快適だ。
ああ、意識が落ちていく。
わたしの目が覚めた。
つまり、いつの間にかわたしは眠ってしまっていた。
マガリさんの寝顔はとても美しかった。
それにしても異界テントは暖かくわたしを包み込んでいる。まるで地球の重力が働いていないみたいだ。そしてゼリーみたいな流動体に空間が満たされている。
異界テントの中は上下左右暗闇ですぐ自分が迷子になる。
それでも慣れればすこぶる快適だ。
だが出口が分からない。
これどうやって出るの?
ここでわたしはなにかとち狂ってマガリさんを起こそうと頭を撫でてしまった。
撫で心地が最高だ。
癒される。
マガリさん可愛い。
と、わたしは正気を無くしていたのだ。
何秒か何時間かは見当もつかない。
あと、予習復習せずに眠るのは久々だったな。
修学旅行中以来かな。
ああ、別の世界に飛んだら勉強する必要ないのか。
幼少より鎖に繋がれた象は、大きくなってその鎖を力で外せるようになっても鎖に繋がれたままだという。
もしも軽い親切で鎖を外したら象は遠くへ行くのだろうか。
それとも鎖に縛られたままで行けた範囲しか行かないのだろうか。
鎖は象の体だけでなく心も縛るのだろうか。
わたしは何に縛られているのだろう。
そんな思考の袋小路に落ちたわたしをマガリさんが拾ってくれた。
「デるぞ。Ms.高槻」
すると、マガリさんはマントの裏から白い異界テントを取り出しました。
よく見ると黒い異界テントとは違い白い異界テントは正四面体だった。
白い異界テントから光が溢れて教室だった。
窓から降り注ぐ朝焼けが眩しい。
時計を見ると朝の6時30分だった。
教室には誰もいなかった。
わたしとマガリさんが出てきた場所に異界テントは残っていなかった。
異界テントは使い捨てなのだろうか?
そうだとすればわざわざ昨日買いに行ったのにも合点が行く。
今日、授業受けようか受けまいか迷ったが、納めとして受けておくべきだ。わたしの心がそう命じた。
ただ、その前に靴を確保したい。
そういえば、昨日はハザマで靴下で歩き回ったのに足が全然痛くならなかったな。
靴は家に置いてあるが出来るのならば父様と鉢合わせたくはない。
父様は世間体を気にしてわたしの家出を大事にしていないことは確信が持てるが、裏を返せば出方が読めないということだ。
まあ、考えても分からないことは考えない。
これまで、わたしはそうして生きてきた。
「ねえ、マガリさん。わたしの家の様子が知りたいのだけれど出来る?」
マガリさんは黒マントの裏から白い手鏡を取り出した。
その手鏡に慣れ親しんだ家の玄関が映った。
わたしの靴は黒い革靴。
父様が高校の入学祝いに買ってくださった物だ。
父様は見栄っ張りだから、ブランド物をわたしに選ぶ。
「マガリさん、父の様子はわかる?」
マガリさんの前で父様と父を呼ぶのは抵抗があった。
手鏡の映る場所が変わり食卓で寝込む父様の姿があった。
周囲に散らばる缶ビールを見るに昨晩飲み明かして酔い潰れたのだろう。
「マガリさん、昨日みたいにわたしを家に飛ばして。忘れ物があるの」
「承知した。Ms.高槻」
昨日みたいに前触れも何もなく景色が変わる。
感覚としては本を読む集中が、大きな音とかでプツリと切れてしまったときが近い。
まるで、世界が切り替わるようなあの感覚はあまり好きじゃない。
父様は図書館で借りてきた洋書の原本を読んでいるときは勉強していると思って何も言ってはこなかったな。
昨日とほぼ変わりない家の玄関だ。
靴を履いて鞄をとった。
「マガリさん、もう用は済んだよ」
また教室に戻った。
ガララララと扉を開ける音がした。
「おはよう、あれっ高槻さん?一番乗り取られちゃったか」
教室にスポーツ推薦で入学した人以上の印象を持っていない渡辺さんが入ってきた。
いつのまにかマガリさんはいなくなっていた。
「ああ、ちょっとね。陸上部はどう?」
渡辺さんは面食らったような顔をしました。
「順調も順調。大順調よ。これは来月の大会自己ベスト更新間違いなしよ。それにしても珍しいね」
「えっ、なにが」
「いや、高槻さんって世間話とかあんまりしないクチだと思っていたからさ」
言われてみればクラスメイトとろくに会話した思い出がない、もう半年以上も同じ学舎で学んできたというのに。
「そうかもね。大会、がんばって渡辺さん」
「ああ、がんばるよ」
そう言うと渡辺さんはガッツポーズを返してくれた。
わたしは会話を続けられない気まずさからトイレに逃げた。
会話から角を立てずに離れるには尿意に身をゆだねるのが楽だ。
それにしても、みんなともう今日で会うのは最後だと考えるとちょっと寂しいものだな。
なんか、普段話しかけていない人ともすごい話したくなってしまう。
トイレから出ると担任で世界史を担当されている斎藤先生がいらっしゃった。
「あっ、高槻か。こんな時間に珍しいな」
「何となく早く来ちゃいました」
「そうか」
「いつも、ありがとうございます。斉藤先生」
「どうした急に?」
そう言うと斉藤先生は男子トイレに入られた。
はてさて、これから始業まで何をしようか。
教室や扉の前に陣取って普段あまり関わりのない人と話してみようか。
そんな気持ちがわたしを動かした。
思えばわたしはこれまで自分で考えて生きるというよりも感情のまま生きてきた。
なにかをするのも将来のためとかそんな理由は後付けで、明日少しでも叩かれたくないとか場当たり的な理由でしかなかった。
これまでのそんな駄目なわたしをきっぱりと否定できるほど立派な人間ではない。
というわけで正門へ歩いて向かう。
旅先の恥は掻き捨てという言葉がある。もう二度と会うことはないだろう相手には饒舌になることを意味することわざだ。
まさしく、今のわたしはそのような精神状態にあるのだろう。
正門の前に立って知っている人を捜す。
こうして立っていると小学校の時のあいさつ運動を思い出す。
あいさつ運動とは正門の前に立って通りかかる生徒におはようと声をかけるものだ。
わたしは副学級委員だったので参加していたが、なんの効果があったのかは分からなかった。
今にして思えば人と人とを少しでも関わらせるためだったんだろう。あまり効果があったとは思えないが。
知っている人はなかなか現れない。
こういう時は何分経ったか意味もなく気になるものだ。
「あれ、高槻さん?おはよう、なにやってんの?」
いつも黒板を丁寧に消したりしてくれている松本君がわたしに話しかけてきた。
「ああ、ちょっとね」
「そっか」
「いつも、ありがとうね松本君」
「どうしたのいきなり?」
「うふふっ」
わたしは微笑みながら走り去って松本君から逃げた。
なにか思い枷のような物から解き放たれた気分だ。
これが、俗にいうフンニューレロレロッパーの境地なのだろう。
「わたしはっ、自由だぁ」
なんて台詞を左足で大地を蹴って右足を軸に回転しながら両手を広げて意味もなく叫んだ。
誰かに感謝を伝えるのがこんなにも気持ちがいいなんて知らなかった。
「ねぇ、なにやってるの?」
体育の神田先生に見られてしまった。
若い女性の先生だ。
わたしは今確実にどこかおかしくなっている。
もしくは、普段の自分がおかしくって今が素の自分なのかもしれない。
人の目があると人は冷静になる物だ。
逆に一人だと、突拍子もないことをしてしまうこともある。
今のわたしはまさしくその状態だ。
「なにをやっているんでしょう、わたしは?」
本当にわたしが分からなくなってきた。
「大丈夫?」
「さあ、どうでしょうか?」
「さあって」
「いつも、ありがとうです。神田先生」
「どうしたのよ。高槻」
わたしは照れくさくなって逃げ出した。
感謝の撃ち逃げといえばいいのだろうか。
それとも辻感謝なんてのも悪くないな。
わたしはそんなこんなで会う人会う人に感謝の言葉を言っては逃げを繰り返した。
クラスメイトの大半や先生、購買のおばちゃん用務員や芝刈りの人なんかに別れの気持ちで感謝を伝えた。
どういう心境の変化なのか聞かれることもあったが、はぐらかして答えた。
学校が終わる頃には昨晩のマガリさんとのことが夢みたいに思えてきた。
これからどうしようかな。
「Ms.高槻。ドウだ?」
マガリさんがどこからともなく出てきた。
辺りに人はいなかった。
「もうネるぞMs.高槻」
マガリさんはそう言うと異界テントを放り投げた。
異界テントは黒いピラミッドみたいな四角錐型で手乗りサイズだ。
マガリさんのマントの裏に入っていたようだ。
異界テントは放っておくと独楽みたいに四角形の部分が上になって核の部分が下になり逆四角錐になった。
マガリさんが異界テントを踏むと異界テントにマガリさんは吸い込まれた。
わたしも恐る恐る異界テントに足を乗せてみた。
異界テントの黒がわたしの周りを伝って登ってきた。
ちょっと怖くて目を瞑るわたし。
「Ms.高槻」
マガリさんの声がした。
目を開くと黒いけど暗くない不思議な空間にわたしとマガリさんの二人っきりだった。
「世界をコえるマエにアいたいヒトはいるかい?」
会いたい人か。小学校の頃仲が良かった恵鯉香ちゃんと話がしたいな、ほんの少しで良いから。
あと、他に特に会いたい人はいないかな。
でも、マガリさんの言っていることは、この世界に未練があるならそれを晴らしておけって事だろう。
わたしがやりたいこと。
この世界でわたしがしたいこと。
未練つまり、わたしの憧れ。
「ねえ、マガリさん。満月の下、わたしと一緒にいてください」
自由な二十四時間をわたしはマガリさんと分かち合いたかった。
「Ms.高槻、キミがソレをノゾむなら」
OKが出た。
心の中で暴れ回る名も知らぬ感情がわたしを悶えさせた。
思考が言語化しない。
フンニューレロレロッパーという歓喜の叫びが胸の中を満たしている。
少しは落ち着いた。
わたしは、誰かと二人でデートすることに密かに憧れていた。二人で夜道を歩いて手を繋いだりなんかして、あとは公園に行ったり、あとは、あとは、あとは
なんなのだろうこの感覚は、心の奥に秘めていた思いが静かに溢れているみたいだ。
妙な感覚だ。感傷的になるとはつまりこういうことなのだろう。
頬を涙が伝った。これまで見てきたこと聞いてきたことが頭の中をぐるぐる巡る。
頭がジーンと暑くなる。
心拍数もゆっくり上昇する。
さっきハザマでマガリさんと離れたときと同じ感じだ。
どくん。
背中に手が回った。
顔が布とその先の堅い何かに包まれる。
正体は見ずとも解った。ここには二人しかいないし、この感触は忘れようがない。
マガリさんの胸だ。
わたしはさっきみたいに思いっ切り泣いた訳じゃない。
むしろ静かに泣いた。
涙を出来うる限り枯らさぬように、マガリさんの胸の中に少しでも長くいられるように、静かに泣いた。
マガリさんは優しく何も言わずにわたしを抱いてくれた。
わたしの胸が強く脈打って、息が苦しくなった。
わたしははぁはぁと喘いでしまった。
意識が遠のいた。
異界テントの中は快適だ。
ああ、意識が落ちていく。
わたしの目が覚めた。
つまり、いつの間にかわたしは眠ってしまっていた。
マガリさんの寝顔はとても美しかった。
それにしても異界テントは暖かくわたしを包み込んでいる。まるで地球の重力が働いていないみたいだ。そしてゼリーみたいな流動体に空間が満たされている。
異界テントの中は上下左右暗闇ですぐ自分が迷子になる。
それでも慣れればすこぶる快適だ。
だが出口が分からない。
これどうやって出るの?
ここでわたしはなにかとち狂ってマガリさんを起こそうと頭を撫でてしまった。
撫で心地が最高だ。
癒される。
マガリさん可愛い。
と、わたしは正気を無くしていたのだ。
何秒か何時間かは見当もつかない。
あと、予習復習せずに眠るのは久々だったな。
修学旅行中以来かな。
ああ、別の世界に飛んだら勉強する必要ないのか。
幼少より鎖に繋がれた象は、大きくなってその鎖を力で外せるようになっても鎖に繋がれたままだという。
もしも軽い親切で鎖を外したら象は遠くへ行くのだろうか。
それとも鎖に縛られたままで行けた範囲しか行かないのだろうか。
鎖は象の体だけでなく心も縛るのだろうか。
わたしは何に縛られているのだろう。
そんな思考の袋小路に落ちたわたしをマガリさんが拾ってくれた。
「デるぞ。Ms.高槻」
すると、マガリさんはマントの裏から白い異界テントを取り出しました。
よく見ると黒い異界テントとは違い白い異界テントは正四面体だった。
白い異界テントから光が溢れて教室だった。
窓から降り注ぐ朝焼けが眩しい。
時計を見ると朝の6時30分だった。
教室には誰もいなかった。
わたしとマガリさんが出てきた場所に異界テントは残っていなかった。
異界テントは使い捨てなのだろうか?
そうだとすればわざわざ昨日買いに行ったのにも合点が行く。
今日、授業受けようか受けまいか迷ったが、納めとして受けておくべきだ。わたしの心がそう命じた。
ただ、その前に靴を確保したい。
そういえば、昨日はハザマで靴下で歩き回ったのに足が全然痛くならなかったな。
靴は家に置いてあるが出来るのならば父様と鉢合わせたくはない。
父様は世間体を気にしてわたしの家出を大事にしていないことは確信が持てるが、裏を返せば出方が読めないということだ。
まあ、考えても分からないことは考えない。
これまで、わたしはそうして生きてきた。
「ねえ、マガリさん。わたしの家の様子が知りたいのだけれど出来る?」
マガリさんは黒マントの裏から白い手鏡を取り出した。
その手鏡に慣れ親しんだ家の玄関が映った。
わたしの靴は黒い革靴。
父様が高校の入学祝いに買ってくださった物だ。
父様は見栄っ張りだから、ブランド物をわたしに選ぶ。
「マガリさん、父の様子はわかる?」
マガリさんの前で父様と父を呼ぶのは抵抗があった。
手鏡の映る場所が変わり食卓で寝込む父様の姿があった。
周囲に散らばる缶ビールを見るに昨晩飲み明かして酔い潰れたのだろう。
「マガリさん、昨日みたいにわたしを家に飛ばして。忘れ物があるの」
「承知した。Ms.高槻」
昨日みたいに前触れも何もなく景色が変わる。
感覚としては本を読む集中が、大きな音とかでプツリと切れてしまったときが近い。
まるで、世界が切り替わるようなあの感覚はあまり好きじゃない。
父様は図書館で借りてきた洋書の原本を読んでいるときは勉強していると思って何も言ってはこなかったな。
昨日とほぼ変わりない家の玄関だ。
靴を履いて鞄をとった。
「マガリさん、もう用は済んだよ」
また教室に戻った。
ガララララと扉を開ける音がした。
「おはよう、あれっ高槻さん?一番乗り取られちゃったか」
教室にスポーツ推薦で入学した人以上の印象を持っていない渡辺さんが入ってきた。
いつのまにかマガリさんはいなくなっていた。
「ああ、ちょっとね。陸上部はどう?」
渡辺さんは面食らったような顔をしました。
「順調も順調。大順調よ。これは来月の大会自己ベスト更新間違いなしよ。それにしても珍しいね」
「えっ、なにが」
「いや、高槻さんって世間話とかあんまりしないクチだと思っていたからさ」
言われてみればクラスメイトとろくに会話した思い出がない、もう半年以上も同じ学舎で学んできたというのに。
「そうかもね。大会、がんばって渡辺さん」
「ああ、がんばるよ」
そう言うと渡辺さんはガッツポーズを返してくれた。
わたしは会話を続けられない気まずさからトイレに逃げた。
会話から角を立てずに離れるには尿意に身をゆだねるのが楽だ。
それにしても、みんなともう今日で会うのは最後だと考えるとちょっと寂しいものだな。
なんか、普段話しかけていない人ともすごい話したくなってしまう。
トイレから出ると担任で世界史を担当されている斎藤先生がいらっしゃった。
「あっ、高槻か。こんな時間に珍しいな」
「何となく早く来ちゃいました」
「そうか」
「いつも、ありがとうございます。斉藤先生」
「どうした急に?」
そう言うと斉藤先生は男子トイレに入られた。
はてさて、これから始業まで何をしようか。
教室や扉の前に陣取って普段あまり関わりのない人と話してみようか。
そんな気持ちがわたしを動かした。
思えばわたしはこれまで自分で考えて生きるというよりも感情のまま生きてきた。
なにかをするのも将来のためとかそんな理由は後付けで、明日少しでも叩かれたくないとか場当たり的な理由でしかなかった。
これまでのそんな駄目なわたしをきっぱりと否定できるほど立派な人間ではない。
というわけで正門へ歩いて向かう。
旅先の恥は掻き捨てという言葉がある。もう二度と会うことはないだろう相手には饒舌になることを意味することわざだ。
まさしく、今のわたしはそのような精神状態にあるのだろう。
正門の前に立って知っている人を捜す。
こうして立っていると小学校の時のあいさつ運動を思い出す。
あいさつ運動とは正門の前に立って通りかかる生徒におはようと声をかけるものだ。
わたしは副学級委員だったので参加していたが、なんの効果があったのかは分からなかった。
今にして思えば人と人とを少しでも関わらせるためだったんだろう。あまり効果があったとは思えないが。
知っている人はなかなか現れない。
こういう時は何分経ったか意味もなく気になるものだ。
「あれ、高槻さん?おはよう、なにやってんの?」
いつも黒板を丁寧に消したりしてくれている松本君がわたしに話しかけてきた。
「ああ、ちょっとね」
「そっか」
「いつも、ありがとうね松本君」
「どうしたのいきなり?」
「うふふっ」
わたしは微笑みながら走り去って松本君から逃げた。
なにか思い枷のような物から解き放たれた気分だ。
これが、俗にいうフンニューレロレロッパーの境地なのだろう。
「わたしはっ、自由だぁ」
なんて台詞を左足で大地を蹴って右足を軸に回転しながら両手を広げて意味もなく叫んだ。
誰かに感謝を伝えるのがこんなにも気持ちがいいなんて知らなかった。
「ねぇ、なにやってるの?」
体育の神田先生に見られてしまった。
若い女性の先生だ。
わたしは今確実にどこかおかしくなっている。
もしくは、普段の自分がおかしくって今が素の自分なのかもしれない。
人の目があると人は冷静になる物だ。
逆に一人だと、突拍子もないことをしてしまうこともある。
今のわたしはまさしくその状態だ。
「なにをやっているんでしょう、わたしは?」
本当にわたしが分からなくなってきた。
「大丈夫?」
「さあ、どうでしょうか?」
「さあって」
「いつも、ありがとうです。神田先生」
「どうしたのよ。高槻」
わたしは照れくさくなって逃げ出した。
感謝の撃ち逃げといえばいいのだろうか。
それとも辻感謝なんてのも悪くないな。
わたしはそんなこんなで会う人会う人に感謝の言葉を言っては逃げを繰り返した。
クラスメイトの大半や先生、購買のおばちゃん用務員や芝刈りの人なんかに別れの気持ちで感謝を伝えた。
どういう心境の変化なのか聞かれることもあったが、はぐらかして答えた。
学校が終わる頃には昨晩のマガリさんとのことが夢みたいに思えてきた。
これからどうしようかな。
「Ms.高槻。ドウだ?」
マガリさんがどこからともなく出てきた。
辺りに人はいなかった。
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