天空の妖界

水乃谷 アゲハ

パニック! 雪女!

「ままま、待て! くぅ!」

 俺に憑りついた雪撫が出口で仁王立ちしてしまっている為に、ケラさんの逃げ場は無くなった。屋上から飛び降りようにも、自分の身長の何倍もの高さまで伸びている氷の壁が作られていて叶わない。

「わ、分かった! と、取引をしよう。もうお前の目の前からは姿を消すし、人間に迷惑を掛けないと約束する! た、頼む見逃してくれ!」

「……敵の言葉程信用してはいけないものって無いと思うんだよね。それに、私は一度許さないと思った人は何があっても許さないんだ」

「い、いいのか! 俺を殺したらお前が大事にお――」

 出来る限り距離を置こうという考えなのか、尻餅をついたまま下がるケラさんを見て、雪撫は先ほどと同じ形の武器を一瞬で作り出した。
 そして、普段の俺には絶対に出来ない速度でケラさんの隣へと移動し、頭のすぐ横へと武器を突き刺す。

「それ以上凪君の事を喋ったら許さないよ?」

 優しそうな言い方に感じると思うが、雪撫の様子を目の当たりにしている俺は全く感じない。握りしめた槍は小刻みに震えているのを見ればかなりの力で握っているのが分かる。顔も笑顔ではあるが、ケラさんの血の気の引いた顔を見るあたり、めっちゃ冷たい笑顔なんだろうなぁ。

「見逃してあげる事は出来ないかな。人間にもう手を出さないとも言い切れないからね。でも、殺す事もしないよ? というか、妖怪は人間界で死なないって知らないの?」

「し、知っている。殺すななんて言ってない。見逃せと言っているんだ。もしここで致命傷を負うとどうなるか知っているのか?」

「ん? 地獄の審判こと茨木童子いばらきどうじの所に送られる手筈なのは知ってるよ? そこで、罪を問われて最悪の場合死刑になるんだよね」

 それを聞いたケラさんは、ずっと上がっていた口角を下げ、真っ青な顔をした。

「ししし、知っているなら!」

「あれ、さっきケラさんは言ったよね? 自分がやっていた事は妖怪として普通の事なんだって。それなら胸張って逝けばいいんじゃないかな?」

 そんな雪撫の言葉に、ケラさんは言い返す事が出来なかった。言葉と共に、地面から抜いた槍を脳天めがけて落とされていたからだ。

「……もし、凪君じゃなくて別の友達についてだったら見逃したかもね」

 淡い光に包まれて、存在が薄れていくケラさんを見ながら雪撫は言うと、全身から力を抜く。

「っと、あぶねぇ」

 体から離れたと気が付いたのは、俺の体が傾いてすぐだった。ギリギリ足を前に出せた為、倒れるまでには至らなかった。

「戻るなら言って――いや、なんでもない。気は済んだか?」

 俺の体から離れてなお、ケラさんのいた地面を少し悲しそうに見つめる雪撫に訊くと、

「あ、あはは。どちらとも言えませんね」

 納得はしていないのか、引きつった笑顔で頬を掻く。
 その後、何を思ったかおもむろに自分の頬を叩き、目を閉じて自分の胸に手を当て、ゆっくりと深呼吸をした。

「……はい、もう大丈夫です。こちらの事情に巻き込んでしまってすみませんでした」

 目を開いた頃には、先ほどの引きつった笑顔が消え、柔らかい笑みに戻っていた。

「そういえば成り行きであなたと共に戦う事になりましたが、あなたはなんで私を助けてくれたんですか?」

「ん? あぁ、まだ言ってなかったか? 俺は最近異常発生しているという妖怪を退治する為に勉強してる陰陽師みたいなもんなんだ。って言ってもまだ本物じゃな――おいこら逃げんなって」

 俺の話を聞いていて、笑顔のまま固まっていた雪撫だが、陰陽師の名前を聞いて回れ右をするのを見て、思わず肩を掴む。
 そんな俺の手を見て、後ろを振り返った雪撫は目に涙を溜めて不安そうに俺を見ている。

「まぁ聞けって。別にお前を倒すつもりで名乗った訳じゃないから安心しろって。俺はあまり妖怪退治に興味は無いんだ」

「ほ、本当ですか? 信じますよ? 信じていいんですね?」

「あぁ、それに俺は退治できる技術なんて無いしな。まぁ、そんな事はいいんだ。ただ、大事な事だから確認したい事がある」

「だ、大事な事ですか?」

 俺の言葉を信じて、とりあえず落ち着いた雪撫は小首をかしげる。いや、こいつもしかして忘れてるのか?

「あぁ。俺にとってはすげぇ大切な事なんだけど、お前、俺の鞄どこやった?」

 ここに来てくれた時、雪撫の手に俺の鞄は見つからなかった。でも、確かにこいつは俺の鞄を勘違いして持って行ったよな?
 初め、俺の言葉にさらに首を傾げていた雪撫は、やがて焦った顔をして固まった。

「おい?」

「違うんです違うんです! あの時に鞄を間違えたのはすぐに分かったので、急いであそこに戻ったのですが、姿が見えなかったので鞄だけ置いて街に来たんです!」

「……は?」

 ちょっと待て、こいつの言った事をまとめると……俺の鞄を出会った場所に捨てて俺を探していたってのか!? どういう思考をしたらそうなった!

「わわ、悪気は無かったんです!!」

「悪気の問題じゃ無くねぇか!?」

 必死な彼女の弁解に思わずツッコミを入れた時、女性の笑いを堪える様な声が聞こえてきた。目の前にいる雪撫は、どうしようかと動き回って笑うどころじゃない。となれば答えは一つだ。
 俺は、雪撫の奥にいる大葉茶目を見た。すると、いつの間にか目を覚ました茶目が俺たち二人を見て笑っていた。

「あ、あぁごめん。堪えようと思ったんだけど、流石にそっちの子が面白くて耐えられなかったのよ」

「いや、まぁ体に異常は無さそうだし良かった。というか、お前はこの子見えてんの?」

 普通、妖怪は人の目に見える事はない。俺みたいに妖怪が見える能力を持った者かその血筋で無ければ見える事も無ければ声が聞こえる事も無い。

「あぁ、私の家は代々霊感が強い一族でね。触れる事は出来ないんだけど、声を聞いたり姿を見る事は出来るんだよ」

「へぇ……ま、そんな事はいいか。で、もう大丈夫なのか?」

「ん……大丈夫じゃないって言ったら何してくれんの?」

「はぁ? まぁ、背負って下まで運んでやる事くらいならしてやれるぞ?」

「ふぅん、じゃあお願いしようかな? あぁ、だんだん意識が遠くなってきた!」

「意識が遠くなった人間は立ち上がって両腕を前に突き出したりしないけどな」

 とはいえ、自分の口から言った事を実行しないわけにもいかないので、茶目を背負って階段の方向へと歩く。未だパニック状態になっている雪撫はほっといても大丈夫だろう。





「……真はさ」

「あん?」

 長い階段を転ばない様に降りている時、茶目が真剣な口調で口を開いた。

「真はいつもあんな奴等と戦う為の学校に通っているの?」

 あんな奴等っていうのは、やはりケラさんや雪撫という妖怪の事を指しているのだろう。よっぽど怖かったのか、俺の首に回している腕が震えていた。

「……まぁな。自分で選んだ道だし後悔はしていないさ」

「後悔はしてないか……」

「あぁ。お前はどうだ? 助かった今、あそこで死んでいたら悔いが残らなかったって思うか?」

「……その質問はずるいよ」

「思わないからずるく感じるんだろ。まぁ、その気持ちは正しいんだと思うぞ」

「そっか」

 その時、聞き覚えのある音楽が階段に響き渡った。それが茶目のケータイから流れる着信音だと気が付くのに時間はかからなかった。
 茶目は、器用にポケットに入ったケータイを取り出すとケータイ画面を見る。

「え……!?」

「あ? どうした?」

「お、おか、おか……」

「おか?」


「お母さんから電話……」

 驚いた顔で、茶目は何度も自分のケータイと俺の顔を見比べた。

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