天空の妖界

水乃谷 アゲハ

妖怪倩兮と妖怪雪女

 ため息交じりに思わずらした独り言は、後ろの茶目にはもちろん前にいる茶目の父親を名乗る男にも聞こえていた。そして茶目の父親は、大袈裟おおげさに腕を振っておどけて見せた。

「よ、妖怪? やだなぁ。そんな非科学的な存在を信じているのか君は」

倩兮けらけらって妖怪の存在を今この瞬間信じたよ。その気持ち悪い程顔に作られたまま治る事ない笑顔と、人でもさらいそうな冷たい目は俺の知っている特徴と同じだな」

「……お前普通の人間じゃないな?」

 未だに口の笑みを崩す気配はないが、眼だけは俺を冷たく睨んでいる。男の後ろにある階段からは他の人が上がってくる気配もない。

固有結界こゆうけっかい張っているのと、そのセリフから確定したな。お前は妖怪だわ」

「お前の口からその単語が出てきた事から、お前も一般人じゃないって事は分かった」

 固有結界とは、妖怪が作り出せるあるルールを持った空間の事だ。妖怪ごとにルールは違うし、腐るほどいる妖怪の結界を暗記するなんて一年かけても不可能だ。でも、推測はできる。

「気配削除か何かってところだな?」

「外れだ。俺の作り出す固有結界のルールは時間軸変換じかんじくへんかん。結界に包まれた空間だけを選んだパラレルワールドへ飛ばせる能力だ。今この空間は、世界だ」

「ぱ、パラレル……何?」

 めんどくさい事を言うなよこいつ……。おかげで後ろの茶目が首捻ってんだろうが。

「パラレルワールドだよ。並行世界って言っても難しいよな。簡単に言えば、未来の可能性の数だけ世界があるって言われていて、その世界全てをパラレルワールドというんだ。例えばお前の元に俺が来ない可能性や、俺が来る前にお前が落ちていた可能性が無いとは言い切れないだろ? そういう事だ」

 俺の説明している間に茶目の父親を名乗る倩兮はこっちに何らかの攻撃をしてくるだろうと予想して父親を見ながら説明をしていたのが、父親の方は茶目と一緒に説明を聞き入っていた。

「どうした? 今俺を襲えば絶対やれただろうに何もしないのか?」

「ほぉ、戦闘の素人である人間ごときが俺達妖怪に戦闘の指針を語るか。殺しがいのある男だが、それ故残念だな。お前が感じられる妖力が強い物一つだけだとは。複数を感じられないのが至極残念だ。既に攻撃したのに気が付かないのはそういう事だろう?」

「は?」

 言われた言葉につられて後ろを見ると、茶目の姿が無かった。それどころか、彼女の立っていた位置の転落防止用フェンスさえも消えていた。

「ちょっ、嘘だろお前!」

 思わず、俺もフェンスから身を乗り出して確認した。すると、下に茶目の姿が姿。さっきも言ったように俺は目がいいわけじゃないから、地面に茶目の死体があったら見えなかっただろう。しかし、茶目の体はフェンスと共に手を伸ばせば届く場所で横たわっていた。

「……氷」

 彼女とフェンスを支えてるそれは、確かに氷だった。それもかなり厚い氷で、ちょっとやそっとの衝撃で折れることは無いだろう。そしてそんな氷が、ビル全体をゆっくりと覆い始めた。

「お、お前何をした!? 人間ごときがこんな氷を出したと言うのか?」

「もしそうだとしたら、俺はお前の台詞に驚いて後ろを向いたりしない。……それに、犯人はお前の後ろにいるしな」

 本当に今日は妖怪によく出会うと言いたいところだが、倩兮の後ろに立っていたのは、さっき会ったばかりの雪女だった。少し肩で息をしているあたり、目当ては一応持っておいたこの白い鞄だろう。

「よ、ようやく見つけました……。鞄を間違った私が言うのもおかしいと思うんですが、良ければ鞄を返してほしいのですが……あれ、そんな状況じゃない?」

「最後の台詞が無くてそのまま助けれてくれてりゃ最高だったよ……。まぁ、見ての通りだ。あんたの氷が無かったら俺はあの茶目って女を殺してしまうところだったよ。感謝する」

「貴様……」

 雪撫と言っただろうか、その雪女の姿を見て倩兮は引き下がる。というか俺の横まで下がってきたんだけどなんなんだこいつ。口元にあった笑顔は完全に消え失せ、雪撫の方を怯えた顔で見つめている。

「よ、妖界でも片手で数えられる実力だと言われた雪撫がなぜここの人間界にいる……? そしてなぜ人間側につく? お前は俺達妖怪側の立場だろ。この俺達を囲う様に広げている氷を今すぐ砕いて茶目を下へ落とせ」

 震えた指を雪撫に向けてそう指示するが、雪撫はそれに応じる事なくゆっくりと俺達に近づいてきた。倩兮は逃げる様に後ずさりをして、出来る限り彼女から距離を取る。
 俺は警戒を解いて茶目へと手を伸ばしてフェンスの内側へと引き込んだ。どうやら運がいいのか悪いのか気絶してくれたようだ。

「う~ん、あの人倒したら鞄返してくれますか? というか、中身見てませんよね!?」

 茶目の無事を確認するべく彼女の横に座り込んで肌に触れている俺の横へ雪撫も座り込んでそう聞いてきた。いや、近い近い。おかげで雪撫の瞳には雪の結晶の模様が入ってるとか要らない情報が手に入っちまった。

「人の鞄の中身を見る程人間として落ちているように見えるか? 大丈夫だ。そのままだよ」

「なら安心しましたよ。じゃあ、あのケラさんをさっさと倒して鞄を返してもらいますか」

「あ、あいつケラさんっていうの?」

「うん、妖界にいた頃からへらへらしながら嘘をつくのが得意だった妖怪だったんです。詐欺及び殺妖犯として妖界の指名手配犯になってたけど、いないと思ったら人間界に逃げていたようですね。それとも選別?」

 倩兮けらけらのケラさんねぇ。安易というかなんというか、捻りの無い名前だよな。というか、妖怪も自分の世界の事は妖界って言うんだな。学校で分かりやすくするために名付けた訳じゃないのか。

「お、お前は妖界警察じゃないだろ! 俺を倒す理由が無いはずだ。それよりも、敵である人間が二人、お前の近くにいるんだから殺せよ!」

 かなりごもっともだと思う事をケラさんは言うが、雪撫は俺に「ちょっと待っててね」と小さく言うと、拳を握って立ち上がった。怯えた倩兮ことケラさんを真っ直ぐ見つめ返す。

「いやぁ、殺す理由もないんじゃないかなぁ。私は人間が敵だと思わないし、むしろ人間に軽く手を出す妖怪の方がよっぽど同じ妖怪として敵だと思うなぁ」

「何? それは違うぞ雪撫。人間だって食料である家畜を殺す。私利私欲の為に自然だって破壊する。それを何年も続けていて、誰もそれに文句を言わない理由は一つ。それが生きていくために必要な過程であり、真実だからだ。俺達だって人間を食料にする者の為に殺して何が悪い?」

「ん~、まぁ言っている事は分かるけど、私は嫌いな理論かな。それに、人間の誰もが牛を殺しているわけじゃないでしょ? 屠畜場法とちくじょうほうって法律知らないの?」

 いや、むしろそんな難しい法律をなぜお前が知っているんだよ……。屠畜場法というのは、飼っているペットでも家畜でも、許可なく殺してはいけないという法律だ。人間でも国に認められた場所、方法でないと殺してはいけないって、法律で定められてるというのを知らない人の方が多い可能性まであるぞ。

「へ、屁理屈はいい! 今の俺達はそのとちくなんたらなんか引っかからないからいいんだよ! さっさとやれよ雪撫!」

「……私、自分の気に入った人じゃないと名前呼ばれるのも、命令されるのも嫌いなんだよね」

 おぉ、なんかすげぇ周りの気温が下がった気がする……。冷たい声と攻撃的に光りだした拳を見て、後ろにいる俺さえ息を飲んだ。

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