Untitled

雁木夏和

Untitled 01-003 take02

 武者との距離をとり、振り返りながら状況を確認する。顔面からの大量の出血により、視界が大幅に塞がれている。左手と右腕の出血は半ば収まりをみせている。先程の回復速度から察するにもうすぐ修復が始まるだろう。

 陣笠じんがさの奥に潜む、襲撃者の顔を一瞥いちべつするが、顔というものに認識できない。顔であるということは分かるが、どのようなつくりをしたというまでの情報を持ち合わせていないようだ。

 十中八九、呼び名はあまつあれど、人の形をした魑魅魍魎ちみもうりょうの類で間違いないだろう。傷口からメキメキという奇音と共に肉が生えてくる。顔の血を拭い、踵を返し全力で武者との距離をとる。

 足力はこちらの方に軍配があがるようで、武者との距離はどんどん開いていく。失った部位が完全に修復した頃には武者の姿は、はるか後方のようだ。また新しく生えた腕や手は、もとのものと比べると青白く、境目がくっきりと分かる。

 怖いし、このまま逃げよう。どうにも先程の熊のように話が通じる気がしない。気がつくと股の間か足にかけて生暖かさを感じる。迫りくる死の恐怖を感じ、いつの間にやら失禁していたのだ。

 そんなことは歯牙にもとめず、目に涙をためながら、ただひたすらに全速力で森を駆け抜けていく。木々の枝や鋭利な葉が、体に無数の傷をつけていく。

 また、突然開けた場所に飛び出した。まずい、また何かが起きた。と、思わずにはいられなかったが、どうやら様子がおかしい。けたたましい火薬の炸裂や、怒号が聞こえる。

「戦場か?」

 周りを見渡すとこ、手前と奥に小高い丘が二つ、その間に数百の足軽や徒士が野戦を繰り広げる平原を挟み、二つの陣が睨み合っている。

 戦国時代さながらの、様子である。状況に圧倒されながらも、方策を練る。よし、山に引き返すのは絶対に嫌だ。戦場の隅を気取られないように迂回しよう。

「戦場に全裸の血まみれの男がいたら、問答無用で殺されそうだしな」

 手前の陣の遥か後方の森と平原の隙間を、糸を縫うように周りを警戒しながら、駆け抜けていく。

 主戦場は小高い丘に挟まれた平原で、投石や火縄銃やらの応酬が続いている。戦も序の口のようで、両陣営が距離を保って睨み合っている。その数、ざっと見積もって五百と五百。その主戦場の脇をいくつもの少数部隊がかため、睨み合っている。

「曲者め、止まれぃ!」

 突然の怒声に身をビクつかせ、その方向を確認してみる。まるで気配を感じなかった森の木々の隙間から、数人の前懸具足まえかけぐそくを装備した兵士が行く手を阻まれ、足を止めざるを得ない。

「やべぇ。終わった。積んだかも……」

 あれよあれよと総勢五名の足軽に包囲され、槍を突き付けられる。泣き言は虚しく、兵士達の詰問の声にかき消される。

「ええい!怪しい奴め!ここで何をやっておったのだ!」

 ああ。俺だって俺がいかにも怪しい奴だと思うよ。裸だし、血まみれだし、なんだったらアンモニア臭い。

「貴様、吉岡方の斥候の者か?」

 吉岡というのは、あちらにある陣。つまりこちら側と敵対関係にある、敵将の名前であろう。先程の武者とは違い陣笠の下には、彫りの深い髭面のいかつい男たちの顔が睨みを効かせているのがしっかりと認識できる。陣笠に前懸具足となると、足軽だろうか。

「俺は怪しい者じゃありません。道に迷って、彷徨っていただけで、吉岡という名もにも心当たりはございません」

 言っててバカバカしく思えてしまった。怪しい奴めと問われて、怪しくないなどと答えては火に油を注ぐようなものではないか。両手を頭上に高く上げ、敵対の意思がないことを伝える。

「では、百歩譲って道に迷っていたとして、何故にすっぽんぽんなのだ!」

 俺が何故裸なのか。さっきこの世界に産まれ落ちたからだろか。産まれるということはやはり、産まれたままの姿で現れるのが道理なのだろうか。馬鹿なことを考える前に言い訳を考えなければ。ことと次第によってはここで全てが終わってしまう。

「裸なのには訳がございます。先程ままで意識を失っていたのですが、意識を取り戻してみると、裸で森に突っ立っており、命かながらここまで逃げてきたのです」

 全て真のことだ。包み隠さず、状況を説明してやったぞ。

「戯けが!誰がそのような、世迷い言を信ずるものがおろうか!ええい、切り捨ててくれるわ!」

 戯けとは間違いなく俺のことだ。俺も俺自身を戯けであると、自覚している。下手に嘘をついてボロが出るよりはマシだと思ったんだ。

御生ごしょうです!直ちに、ここより離れますので、命ばかりはお助けください!」

 それでも、俺を殺さんといきりたった足軽は俺の方へ距離を詰めてくる。時間泥棒はどうだ。などと一考してみるが、この人数の時間を一度に奪うことは出来ない。さらにこの包囲から脱出するには些かばかりか、まるで自信がない。

「まぁ待て、左の字よ。一度陣に戻って竹内殿に伺いを立ててみてはどうか?殺すのはそれからでも遅くはなかろう」

 佐の字と呼ばれた男の隣の男が、静止を呼びかける。ありがとう。出来たら殺さないでほしいです。

「畝助の言うとおりだ。そうしよう。敵方の情報を引き出せるやもしれぬしな。なによりこのような場所にいては、取れる手柄も取れぬというもの」

 足軽の中でも少し風格のある男が同意し、集団の方針が決定したようだ。足軽の一人が俺の後方に周り、手に縄をかけようとする。暫時ざんじ、数人の時間を奪い、槍を奪い取りなどと一考してみたが、集団にすきはなく、あっというまに捕縛は完了した。

「この命にかけて申します!断じて、敵方の斥候などではございません!本当なんです、信じてください!」

 決して見苦しくても、一瞬たりとも命乞いは忘れない。命あっての物種だ。必ずこの場から脱出してやるという不退転ふたいてんの思いを固める。陣に連れ込まれてはそれこそ脱出の機会を永久に失ってしまいかねない。

「ええい、いちいちとうるさい奴め。誰かクツワのようなものは無いか?それとこの男の見苦しい粗末なイチモツを隠す物もだ」

 両脇を抱える男の一人が集団に問いかける。クツワも見苦しい粗末なだの形容も不要だが、イチモツを隠す物ばかりはありがたい。

「へへへ。俺にいい考えがあるぜ」

 後ろにいる左の字と呼ばれる男がヘラヘラと答え、おもむろにズボンを脱ぎ始め、終いに下半身が丸出しになる。自らのフンドシを手に持ち、こちらに近寄ってくる。

 他人の脱ぎたての下着を履くのには抵抗はあるが、無いよりはマシ。などと思ったのが、甘かった。佐の字は手に持ったフンドシを俺の頭に被せ、顔を隠すように縛り上げた。ほのかな温かさを感じ、最悪である。

「へへへ。どうでい?」

 という、佐の字の一言に集団がどっと湧く。俺はコイツがマジで嫌いだ。異世界転生初日が、ここまで困難で屈辱的なものになってしまうとは。

 耐え難い屈辱を受け、何もする気になれないでいる俺を、両脇の男に引かれ陣に連行されてゆく。

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