Untitled

雁木夏和

Untitled 01-002 take02

「はっ……」

 辺りを見渡す。雨の降った後なのか足の裏には湿った草の感触が広がる。木、木、木。遮蔽物に木しかない以上、ここは森だ。まず生存を確保する為には、今の危険度を確認する必要がある。傾斜がある。平地じゃない。ここは山だ。

「いきなり山は不味いだろ。しかも裸かよ」

 この世界の山は、人の考えつかないような摩訶不思議な出来事が次から次へと絶え間なく起こるのだ。万能の力があろうがなかろうが、無策で単独で山に入るのは自殺行為に等しい。

 しかし、待て。あれよあれよとツノという光に話を進められ、いつのまにか山に素っ裸で放り出された。これは俗に言う異世界転生ではなかろうか。今直面している問題は多々あるが、まずは何よりも下山だ。

 辺りを見渡す。虫やら鳥などの小動物の気配は感じられども、獣の類の気配は感じられない。安直かも知れないが、大まかな傾斜を見積もり、方向を定め一直線に下山していく。獣道すらない樹海を転ばぬように、慎重に駆けるが存外に速度が出る。加護の片鱗を垣間見た。自分の知覚、身体能力は何倍、何十倍にも強化されているようだ。

 草木を巧みに掻き分けながら、獣じみた速度で斜面をくだっていく。木や岩が勝手に移動するものだからふと気を抜けば、行き先も来た道も分からなくなってしまう。

 どうにも、ここにいると、時間感覚が曖昧になる。太陽が頭上にさんさんと輝いていたと思えば、でたらめな方向に移動したり、急に隠れたりして、昼だか夜だか分からない。




  突然開けた場所に飛び出した。見渡す限りの原っぱだ。歩みを止めて来た方向を振り返っても同様に原っぱが地平線の彼方まで続いている。一瞬で知覚できる異常だ。幻覚かなにかに囚われているのだろうか。


 その時、全身が警鐘を鳴らす。周囲の様子を探る。

「近すぎだろ!」

 敵を感知したのは後方わずかの至近距離。毛の塊がおおきく振りかぶって、今にも殴ってこようとしているではないか。

「速すぎだろ!熊か!?」

 怯え怯え振り返ると、身の丈三米を超す灰色の熊が、腕を徐々に徐々に振り下ろしてきているではないか。とにかく怖い。咄嗟のこのとに自然と全身に力が入り体が硬直する。体重と速度の乗った熊の一撃が背面に直撃する。

「っぐ、あぐっ!!」

 爪が背骨もろとも背中の全て諸々をえぐり取っていく。その衝撃は体を遥か前方に弾き飛ばす。痛さのあまりに呼吸が出来ない。あまりにも勢い弾き飛ばすものだから、ものすごい回転がかかり、停止するまでの間に欠損した背骨が全部辺りに飛び散ってしまってしまった。

 原っぱに静止した瞬間に肋を強く打ち付けてしまい、奇妙な絶叫と大量に吐血してしまう。
熊は遥か後方で獲物の死に行く姿をただただ眺めている。しばらく叫んでいる間に、血は止まり肉や骨がメキメキと音をたてながら生えてきている。瞬きする間に体の修復が終わり、想像を絶する痛みは消えたが、口の中や喉の奥は自分の血がこびり付いて呼吸しづらい。なんだったら立ち上がりたくない。

 熊が異変に気付いて、追撃をかけようとしてきている。泣き言の前に、対応しなくてはいけない。全ての状況に適応可能な加護も、ただ垂れ流しているだけでは、到底対応しきれるようには思えない。

 熊の姿が倒れる様に前傾になった瞬間、視界から突然消える。仮説に過ぎないが、縮地法の一種だろう。この広大な草原の幻覚と縮地法の組み合わせで相手の死角から必殺の一撃。それがこの熊の定石じょうせきなのだろう。

 冷静に考えて、幻覚や縮地法のようや芸当が普通の熊にできる訳がない。誰かの眷属と考えるのが妥当だろう。ここで下手に返り討ちにして、怒りを買うのは得策ではない。

 相手の幻覚や縮地法の種が分かるまでは、慎重に戦おう。気を抜くとまた手痛い攻撃をくらいかねない。体はいくら耐えれても、心は何度もあの痛みに耐えられないだろう。

 体を素早く丸め、転がりながら体制を整え走り出す。与えられた能力のひとつを試してみよう。自身の周囲に気を張り巡らせる。気は霧状に拡がり周囲一帯に無事に拡散した。

「ふぅー。これでよし」

 はじめての気の扱いに、違和感はなかった。身体にある蛇口をひねってやれば、ただただ溢れ出してくる。

 俺はツノから得た加護を、全ての状況に適応可能な能力と呼ぶには相応しく思えない。現在自分に備わっている能力は以下の通りだ。

 身体能力、及び感覚器官の鋭敏化。視覚や聴覚などの感覚器官が数倍にも鋭利になっている。また、身体能力も大幅に増強されている。

 再生能力。先程熊に背中をまるまる剥ぎ取られた際に、怪音共に背中を修復した能力だ。体組織の半分も残っていれば、たちまち欠損した部位を勝手に修復してくれるだろう。

 変身能力。自らの体を都合のいいように作り変える能力だ。顔を変えることはもちろん、腕を増設したりと汎用性の高い能力だが、あまりの人間離れぶりに忌避感きひかんを懐かずにはいられない。

 そして、この時間泥棒。今周りに俺の気を充満させたのは、この力を使うためだ。俺の属性を浴びた気は無味無臭で大気中に漂い、触れた対象の速度を術者に還元する能力だ。

 無策を装い、適当に逃げ惑い、すきを意図的につくり攻撃を誘う。絶好の好機を熊は逃すことはなかった。俺の領域に熊が縮地法により突然後方に出現することによって、俺の時間感覚が加速する。同時に草原は消え、もとの鬱蒼とした木々の中に戻った。術者は熊自身で間違いないだろう。

 スローモーションで繰り出される刺突を悠々と躱して、熊の後方に足早に移動する。誰かの眷属であるこの熊を殺さず、この場を離脱しよう。熊にまとわりついた気をゆっくりと解きながら告げる。

「こちらに交戦の意志はない。人里を目指しているが、方向がわからない」

 徐々に動きに速度を取り戻していく熊は、距離を取って振り返り、歯茎を見せる険しい表情で思念を伝えてくる。

「臭い人間立ち去る。ここは我らの土地」

「分かった。すぐに立ち去ろう。どっちに行けばいい?」

 両手を上げ、交戦の意志がないことを示す。熊は二足で立ち上がり、森のある方向を向き、指差した。臭いとは失礼であるが、概ね話の分かる熊で良かった。

 なに、触らぬ神に祟りなしだ。頷いて、熊が指差した方向に一目散に駆ける。
間違いなく、ここは誰かの領地だ。禁足地に違いない。他の眷属に見つかる前にトンズラしたい。あんなに痛いのは二度とゴメンだ。




 細心の注意を払い全速力で森を半刻ほど進んだが、先程まであった小動物や虫の気配すら感じられない。

「ーーっ!?」

 すると突然、木々の隙間から人影が現れ、何かを振りかぶり距離を詰めてくる。それは鎧兜のようなものを纏っており、手に握るのは刀か。

 避けきれない。すかさず、両腕で頭部を守るが、防ぎきれるだろうか。白刃が勢いよく左手の甲に侵入してくる。一瞬の冷たさを感じる。思い切りの良い袈裟の一撃は重く、刀の制動は止まらない。

 左手の半ばから先と、右腕の肘から先の殆どがきり飛ばされ、刀のふくらが顔面をかすめる。
凄まじい勢いで鮮血が腕から吹き出し、急激にジンと痺れた痛みが襲う。

 急に大量の血を失ったものだから、足に力がはいらない。武者はその像をくゆらせながら、止めを刺そうと刀を再度上段に振りかぶる。

 まだ、死ねない。こんなところで死ぬのはゴメンだ。絶叫しながら、勢いよく横方向に捨て身で転がり、距離をとる。今日だけで一生分は叫んだ気がする。

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