気分は下剋上 肖像写真

こうやまみか

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「そうなのですね。だからこんなにも面白い『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』も見つけることが出来たのですね」
 百合香ちゃんが何度も繰り返すのでそんなに面白いのかと興味がわいた。
 幼い頃はともかく、中学生以降は娯楽としての読書をしなくなった。母が病弱だったせいもあり、学校から帰れば母に話しかけるとか母も喜んでくれる――ただ子供が勉強していて怒る親は居ないと思うが――勉強をしていたので。もともと勉強が好きだったので、母の儚さを強く感じる笑顔はいわば有り難いおまけというか副産物といった位置付けだったが。
「そんなに面白いですか?宜しければ内容を教えて頂いて良いでしょうか」
 そう水を向けると百合香ちゃんは咲きたての染井吉野に似た頬に満開の笑みを浮かべた。
「推理小説としての面白さも抜群ですが、殺人のナゾとかはネタバレになるので……。とにかく冬のロンドンでミイラとなって亡くなった人がいて、何故そんな遺体になったのかを解き明かすのです」
 百合香ちゃんが銀の鈴のような声に相応しくない――といってもフィクションである小説の中の殺人事件だから、好きなドラマの話をしている時と同じような感じなのだろうが――内容を話している。百合香ちゃんがドラマを観るかどうかは聞いていなかったが。
「ロンドンは寒いですので、凍死ということはあってもミイラにはなりにくいですからね。
 それをホームズが解き明かすのですか?」
 ネタバレというのは、多分どうやって殺したのかとか犯人は誰かなどをその人が読む前に言ってしまうことだろう。
 そういえば、百合香ちゃんに気に入って貰うために寄った本屋さんで祐樹が「あのマンガだけはダメです。読んでしまえば、物凄く面白い推理小説のトリックから犯人までが先に分かってしまうので」みたいなことを言っていたし。
 百合香ちゃんが純銀の鈴を転がすような笑い声を立てた。
「そう思いますよね。だってホームズは名探偵だと――少なくとも推理小説を読んでいる人は全員――思い込んでいますから。
 それが、夏目漱石が書いた章と、ワトソン先生が書いた章が順々に来るのです。もちろんそれは作者の人がそれらしく書き分けているのですけれど。
 ホームズって、初対面の人の職業とか経歴を当てるのが得意ですよね」
 幼い頃に読んだ記憶が脳裏に蘇ってくる。
「そうでしたね。ワトソン先生と初めて会った時にも、職業が医師だとか、軍医として外国に行っていたとか言ってもいないのにピタリと当てたので驚いたと書いてあったと記憶しています」
 百合香ちゃんの鈴を転がすような笑い声がいっそう楽しげに弾んでいる。
「夏目漱石も悩みが有って……シェイクスピアのことを習っている先生の勧めでベーカー街221に行くのですが、その場面が」
 小さなレディに相応しい感じで可愛い手が口を覆っている。よほど面白かったのだろう。
 

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