劣戦火に寄るエルケレス

蓬莱の人

プロローグ『魔物殺しの刻印』

 アーケウリテウス大陸の東端に位置する山々に囲われた小さな農村、そこでは多くの作物と肉が収穫できる事からその村では一度として、食糧難に陥った事はない。しかし、その年は――

 家の壁から入る冷たい空き間風に起こされる。髪の隙間を通り抜け顔の真上を吹きぬけ髪を揺らしていた。少し鬱陶しさを感じながらもその異様な寒さと胸騒ぎで無理矢理体を前に起こし、腕を天井に向けて高く伸ばす。

 欲を言えばもう少し寝ていたかった、昨日は畑を耕すのに日が落ちてもずっと、耕し続けていたから腰も腕も少し痛む。そんな思いを頭の中で巡らせながら、再び入る空き間風に思わず肩まで二枚の毛布を持ち上げた。


 「さむっ...!」


 起きてからの第一声はその一言、それからはすぐに『何故こんなに寒いのか』が頭を過る。もしかしたら、雪が積もったのかもしれない、童心に帰ったような気持ちで早速、外をヒビの入った小窓から覗いてみる。

 期待とは裏腹に、雪すら降っていない。異常気象であったとしても珍しい物が見れたのならば、少しは我慢できたと言うのに、それからの行動は早く、芋を育てている畑が心配になり、すぐに村の西にある畑へと走って行く。

 足下の地面は踏む度に微かにシャリシャリと薄い氷が割れるような音がしていた、地面は一定の足音で踏み鳴らされる。


 「そんなに急いでどうした」


 前方から声を掛けられ、顔を向け立ち止まる。そこにいたのはシエルダの見知った顔のお爺さんだった。この如何にも長生きをしていそうな爺さんは向かいの家に住んでいる、ルケイと言う薬剤師で、数年前に畑を買ったらしい。


 「爺さんも畑が心配になったのか?」


 「この気候だ、この村の作物の半分は芋を占めているんだ、心配になるのは当たり前だろう、にしてもなんでこんなに寒いんだ」


 普段、一年中暖かい気候の地域の為、芋を育てやすく、この土地の名産が芋の為にこの爺さんは作物が無くなるのではないかと心配して出てきた様だ。


 「なら爺さんの畑も見てきてやるよ」


 こんな寒空に爺さんを一人、畑に向かわせるのも心配になり、代わりに見に行く事にした。


 「そりゃぁ助かる、ついでに水もあげてきて置いてくれよ」


 抜け目の無い爺さんめ...。ため息をつきながらも、見てくると言ってしまったので、わかったよと渋々引き受け、いつかこの時の仮を返してもらおうと考えながら、急ぎ足で畑へと再び足を向けた。

 息を切らして漸くついたと気を緩めると、膝の上に手の平をつけて中腰になり、息を整える。肩を揺らしながら、口から吐き出される息は白く、目にも確かに見えるほど。寒い中こんなに走ったのだから当たり前か、と途切れながらも言うと、視界には凍りついた芋と荒らされた畑が写った。


 「なんだよこれ......」


 緩やかな丘に団々畑で作られた、この芋畑は全てで四haヘクタールもの広さだった、しかしそれら全てが荒らされているのは誰が想像できただろうか、その光景を前に数十秒の間は呆然と立ち尽くしていた。

 遠くから微かに何かの声が聞こえた。それを切っ掛けに気がつかされ、シエルダは村に体を向ける――


 「今の声は」


 畑の荒らされた姿が脳裏を過る、それを考えると頬を冷や汗が伝うのを感じた。再び足を村へと向けて走り出す、地面を強く蹴る度に想定したくもない事が次々と脳裏を目まぐるしく巡る、そしてその予想は当たってしまった。

 村には火が放たれ、その中で不気味に嗤う骸骨に、気がつけば足は...村の中央へと向かっていた。

 どうして、何故...。

 言葉を幾ら並べようとしても思考は考えることを拒絶する、何故ならば現実は幾ら考えようとも、訴えようとも変わってはくれない、嘘だとは言ってくれない。頬を冷や汗ではなく、涙が流れた。熱い炎の中を、血に染まる地面を駆け抜ける、自分が愛した、自分が生れた、自分が大切にしたこの村を、何故...何故......。


 「なんで、こんなっ!ふざけるなぁっ!」


 男の声は広く村に響き渡る、しかしそれでは終わらない。足元から崩れ落ちる、現実はこれでもかと言うほどに残酷だった。先程まで話していた老人の首が目の前にある、男はそれを拾い上げた。無理矢理に斬られた首の傷からは血が絶え間なく出続け、顔は青白く、最早一目で生きてはいないと言う事がわかる程に。

 女性の声が聞こえる、恐怖に震える人間の声が。


 「いや、いや...やめて......来ないで...」


 手が届きそうな程近くで、幾つもの断末魔に、金属の音に、カタカタとなる骨の音に男はいつしか、骸骨の頭を背後から老人の頭で割っていた。

 グチャッ

 老人の首は左の頭部から血が滲み、少し変型してしまう。男の手は力を失った様に老人の首を地面に落とす。


 「何故こうなった...」


 シエルダの手は震えていた。冷たい夜空の下、その夜空の寒さと変わらないのでは無いか、そう思う程の冷たさに身も心も震えていた...。自身の両肩を抱きしめる。女性の虚ろな目の死体を目の前にして――

 暗い空間に一人、遠くで騒がしい音が聞こえる。その中で一人、置いていかれた人のように隅で踞っていた。あんな現実は受け入れたくはない...。言葉がグルグルと頭と空間を巡る。何故こんな現実が起きているのか、考えてもわからない...けれども今は、この状況をなんとかしないと...皆がいるこの村を――

 骸骨が使っていた剣を手に取る。血に染められた2尺程の剣で地に伏せた骸骨の首を切り落とし、何かにられる様に道をひたすら真っ直ぐに走る。

 目を血走らせながらも、血に濡れた道を走り続ける、先にはこの骸骨たちの中でも三倍ほど大きく、重厚な鎧を身につけている骸骨がいた。それを見つけると歯から血が出るほどに噛み絞め、剣を突き立て、頭をめがけて刺した。

 巨大な骸骨の後頭部を剣が貫く、それと同時に手の平が熱く焼かれ、どちらが上げたのかわからない悲痛な叫び声をあげる。

 手の平から伝わる焼けつく痛みにふと、我に返り怒りに身を任せていた思考を落ち着かせることができた。それもつかの間、自身の周囲に転がる臓物と村の仲間の死体を見て顔は一気に青ざめ、恐怖を感じ、剣を握りしめ必死に逃げ出した。

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