これはきっと夢。

鈴木ソラ

これはきっと夢。4話




結局あれから、プリンスとは学校に来てから一言も交わしていない。もともと俺から話しかけることもなく、何気ない会話の始まりはいつもプリンスからだった。

何かが変だというのは分かるのに、それがなんなのか、どうしてなのか、俺にはちっとも分からない。


昼休みの教室でぼーっとそんなことを考えていれば、バタバタと廊下を駆けて、クラスメイトの一人がすごい形相で教室に顔を出した。

「す、すげーことになってるぞあっち…!」

廊下の向こう側を指さしてそう言うと、クラス中がわっと彼の指さす方を覗きに廊下へ出た。何事かと思って自分も廊下の向こうを覗けば、廊下の突き当たりには何だかものすごい人集りができていた。

「…あれもしかして、全部、松任谷ファン…?」

誰かがそう呟けば、周りの男子は皆情けなく口を開いたままそれを見つめていた。俺ももちろんそれに混ざって、ほとんど女子生徒の背中しか見えない廊下の突き当たりにじっと目を凝らしていた。

……転入初日よりひどい、なんでいきなりこんな人集りが…。

俺はそこでハッととあることに気づいた。

……もしかして…今まで俺がそばに居たから、誰もプリンスに話しかけようとしなかったとか?

今思えば、校内ではほとんどプリンスといることが多い。帰り道を一緒に帰れば必然的に校外でもそうなる。アイドルのプリンスと、消極的で陰キャラの俺が一緒にいれば、その異様さにファンの女子生徒も寄りづらくなっていたのかもしれない。でも今は、邪魔者の俺がいなくなったことで急にこんなことに。

………で、でも…俺ひとりなんかといるより、ああやって大勢に囲まれてた方が、プリンスらしい…よね…。

その名の通り俺は、みんなからしたら邪魔者で。なら俺は今まで通りで誰にも迷惑かけないところから見ているだけの方がよっぽどいい。



午後の授業が始まると、プリンスはチャイムが鳴り終わってから少しして、急ぎ気味で教室に戻ってきた。どうやらファンの子たちに捕まって、なかなか抜け出せなかったようだ。

「アイドルは授業遅刻しても許されんのなー」

教室の中でどこからか、ひそひそとそう話す声が聞こえた。俺に聞こえたのだから、きっと隣の席のプリンスにも聞こえているはずだ。俺がちらりとプリンスの方を見ると、プリンスはまるで聞こえていないかのように何ら変わらない様子で、席に着いた。俺はその瞬間、ぎゅっと胸のあたりが苦しくなって俯いた。まるで、俺まで悪口を叩かれたみたいな気分だ。





放課後、生徒も皆部活動に向かい静かになった夕方の廊下を昇降口の方へ歩く。クラスの人と二人でやるはずだった今日の日直の仕事も全部押し付けられ、俺はやっとたった今日誌を提出し終え帰れるところだ。

なんだか、ひとりでこの昇降口を出るのも少し久しぶりに感じて寂しい。なんて、プリンスと帰り道を共にするようになったのは、たった2日前くらいのことなのに。それにいつも、事務所に呼び出されて忙しいみたいだし。

昇降口を出て少し歩いたところで、校門に向かってすごい人集りが移動していくのが見えた。一瞬で、あの中心にプリンスがいるだろうということが伺える。

………お昼休みには授業まで遅刻しちゃったのに、放課後もまだ捕まってるなんて…。

ぼうっと突っ立ってその人集りを見つめていると、女子生徒たちの隙間から一瞬、プリンスの顔が見えた。

「……!」

少しの隙間から覗いたプリンスは、すごく困っているような様子だった。授業以外の時間ずっとああやって大勢に囲まれていては、確かに気は休まらないだろう。俺は、その場で俯いて自分の足元を見つめた。鞄を持つ左手に自然と力がこもる。

なにやってんの、俺……馬鹿だ。人に囲まれてる方がプリンスらしいって、なに。そんなのアイドルのプリンスであって…今あそこにいるのは、俺と同じ男子高校生の松任谷 結太朗のはずだ。あんなふうにしつこく取り囲まれて、誰だって見ればわかる、迷惑がってるじゃんか。アイドルだから強く断れないってだけなのに、なんで俺、あれ見て納得しちゃってたんだろう。

昨日俺は助けられたのに、こんなとこで見て見ぬふりしたら絶対、あとで後悔する。

そう思ったときには、もう既に俺は勢いよく一歩踏み出していた。そのままずかずかと大きな人集りに向かって一直線に歩く。色めき立つ女子生徒の間を無理に掻き分けなんとか前に進もうと試みる。しかし黄色い声をあげてプリンスに夢中になる女子生徒たちは周りなんか少しも気にしていないようで、俺は足を何度も踏まれる。

…こ、こんなの…グッズの初回限定盤狙いに並んだ行列に比べたら、なんてことない…!

「っ…すみませ、通してくださ…、」

もう少しでプリンスの元だろうかと思ったところで、一瞬だけ覗いた隙間からはプリンスの手がちらりと見えた。俺はその一瞬も見逃さず、すかさず自分の腕を伸ばしてその手を掴んだ。すると瞬時に、掴んだはずの腕に逆に掴まれて、思いっきりグイッとそちらへ引っ張られる。人と人の間を無理やり割り込んで、俺の体が人集りの中心へ引き込まれる。


「っわ、」

目を開ければ、俺はプリンスの胸の中に飛び込んでいて、周囲から怪訝な視線を浴びていた。プリンスはこちらを少し驚いた様子で見つめていた。至近距離のプリンスに一瞬俺の思考がストップするも、すぐに中心ここへ来た意味を思い出して囲まれた周囲をぐるりと一度見回す。

「…お、俺の……俺の友達に、何か用ですか!よ、用ないなら、このあと予定あるんで!じゃあ!」

俺がそう声を張り上げて言うと、さっきまで黄色い声を上げて楽しそうにしていた女子生徒たちは、一瞬にして静まり返った。俺はその隙に、プリンスの手を取って勢いよくその人集りを抜けて走った。プリンスの様子なんか少しも気にしないで、俺は走り続けた。




「皐月くん!」

後ろから強く名前を呼ばれ、俺はハッと我に返りぴたりと足を止めた。

「もう、ここまで走れば大丈夫だよ、誰も追いかけてきてないみたい」

そう言われ俺は、今夢中で走ってきた距離に気づく。いつの間にかもうこんな所まで来ている、とやっと自覚した。おかげで運動不足な俺の身体は、はぁはぁと悲鳴をあげている。今走ってきたせいか、それともさっきの緊張からか、どちらともつかないが心臓はバクバクと忙しなく動いている。

「……はぁ、はぁ……。…ご、ごめ…こんなとこまで連れて来ちゃって…」

何も考えずに走ったから、学校から駅とは真逆の方向に来ちゃった…。

大丈夫、と一言だけ言って微笑んだプリンスは、日頃鍛えているからか、息切れなんてひとつもしていなかった。いや、俺が運動できなさすぎるのももちろんあるのだけど。

「皐月くん、ありがとう」

突然プリンスは、そんなことを言った。俺はいつも通りその笑顔に赤面して、俯く。

「あ、ありがとうなんて、そんな…。迷惑かもしれないって、思ったけど、…どうしても見過ごせなくて…」
「迷惑なんかじゃないよ。困ってたから、助かった」

プリンスはそのあと、それに、と付け足してこちらをじっと見つめた。俺はオウム返しに聞き返して、その続きを待つ。


「…"友達"って言ってくれたの、すごく嬉しかった」

本当に幸せそうな顔で微笑むので、俺は一瞬だけ石のように固まった。まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかったし、何を返していいか迷ってしまった。

「……ぁ、え……そ、そんなことが嬉しいのっ?俺なんか、友達で…」
「うん、皐月くんだから嬉しいんだよ」

ほぼ即答でそんなふうに言われ、俺の顔はさらに真っ赤に染まる。きっともう、見ていられないくらいに赤いんだろう。

「ずっと、皐月くんと友達になりたかったから」

トドメを刺すかのように微笑まれ、俺の心臓がぎゅうっと悲鳴をあげている。苦しい、けど嬉しい。そんな感情がぐるぐると俺の中で暴れていた。そんな中で俺は、ひとつの事に気づいてしまう。

「……もしかして…俺が昨日、松任谷くんとは友達じゃない、みたいに言ったから…気にしてた…?」

俺が思わずそう聞いてしまうと、プリンスは少し目を丸くしてから、恥ずかしそうに視線を逸らした。俺はテレビでは普段見ないそのレアなプリンスの表情に、さらに心臓を締め付けられた。

「…恥ずかしいけど、そう。思ったよりも落ち込んじゃって、話しづらくてさ…ごめんね?」
「っ、…こ、こっちこそごめんっ……全然気づかなくて…ほんとにごめんね…?」

俺の何気ない一言で、そんなにもプリンスを悲しませていたなんて。俺は少しも気づかなかった。俺が少し落ち込んでいると、プリンスがふいにくすりと笑った。

「さっき、突然手掴まれて、皐月くんだって気づいたら思わず引っ張っちゃったんだよね」
「え、えぇ?で、でも、もみくちゃにされて動けなかったから、助かったよ…」

あぁもう、本当にこの松任谷 結太郎という男は、俺を喜ばせるのがどれだけ得意なんだろうか。

「もう俺たち、友達でいいよね?」

またふいに、そんなふうに聞かれ、俺の心臓は跳ねる。俺はファンとして複雑に思いながらも、もちろん断ることなんてできなくて、こくこくと首を縦に振る。そうするとプリンスはまた幸せそうに、よかった、と笑うので、俺の体力ゲージはあっという間に瀕死寸前まで追い込まれた。




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