これはきっと夢。
これはきっと夢。3話
結局昨日は、一睡もできなかった。
「……はぁ…」
だってだって、こんなのどう考えても、夢だよね?それじゃなかったら、ドッキリ企画か何かに違いないって。
突然学校に大好きなアイドルが転校してきて、隣の席で、帰り道一緒しちゃったりしてさ。あんな間近でプリンスの爽やかスマイル拝んじゃって、まだ握手会にすら行ったことなかったのにラッキーな事故で体抱きとめられちゃったり、見れば見るほど王子様みたいにかっこいいんだもん。
「…ほんと、どうなってるの…」
昨日の一日だけで幸せすぎて心臓が痛い…。夢なら、さっさと覚めて欲しいような欲しくないような。
昨日は家に帰ってからずっと音楽番組の録画を繰り返し見てたら、さっちゃんに早く寝ろって叱られちゃった。でも結局興奮で寝られなくて、これまでに発売されたシングル聴き回したり、FLAREの特集されてる雑誌見返しちゃったりして、ほとんど寝れてないんだよね…。
今日学校に来たらやっぱり隣の席にプリンスはいるし…もしかして俺、頭おかしくなっちゃったとかじゃないよね?
そんなふうに考えを巡らせながら、俺は一人放課後の教室で突っ伏した。
ちなみにさっき、あのプリンスにまた一緒に帰ろうと誘われた。あんなふうに笑顔を向けられたら、誰だって断れるはずがない。結局教室を出る直前にプリンスが先生に呼び出されちゃって、俺は少しの間ここで待つことにした。転校してきたばかりで、いろいろ忙しいらしい。
俺はテキトーに時間を潰そうと、鞄の中からFLAREの写真集を取り出した。数ヶ月前に発売されて、今では持ち歩くほど俺の心の保養になっている。
一ページずつ捲っていけば、プリンスも蓮様もかっこよく写真に収められている。二人とも俺と同じ高校生なのに、こうして写真集に収められている姿からはアイドルらしさしか感じられない。
…アイドルってどうしてこんなに、幸せな気持ちにしてくれるんだろう…。
遠くから誰かの声がした。怒ってるような、低いトーンで何か言っている。何を言っているかは聞き取れないけど、おそらく何か鋭い言葉で、右から、前から、いろんな方向から聞こえる。
「───キモすぎなんですけど」
突然目の前から飛んできたその声に、俺はバッと勢いよく顔を上げた。
「……っえ、」
いつの間にか眠ってしまっていたのか、目を開けると目の前には、知らない女子生徒が数人。俺を囲むようにして立っていた。その視線の先には、俺が開きっぱなしにしていた机の上の写真集があった。
「あんたホモ?ほんとありえないよね」
「男が男のアイドル追い掛けてるとか笑える〜」
「もしかして憧れちゃってたりとかしてんの?」
「はぁ?ないんですけどー。あんたみたいなのがファンとかFLARE可哀想じゃん?」
女子生徒はみんなキャハハと耳をつんざくような、甲高い笑い声をあげる。俺は訳が分からないまま、この場から一刻も早く脱しようと、机の上の写真集を震える手で閉じて慌てて鞄を手に持った。かあっと顔が熱くなるのが、自分でも分かった。ガタッと席を立って逃げようとした瞬間に、教室の前で誰かの足音が止まった。
「なにしてるの?」
その声に、俺はハッと廊下の方に視線をやる。そこに立っていたのは、じっとこちらを見つめるプリンスだった。女子生徒も、びくりと肩を震わせてそちらを振り向いた。
「…ま、松任谷くん、あのね、違くて、」
「…そうそう、うちら、別にいじめようとかじゃなくてさ…」
女子生徒は慌てたように次々と引きつった表情で口を開く。しかしプリンスは、何も言わずにじっと見つめるだけだった。プリンスがつかつかとこちらへ歩み寄ってくると、それを恐れるように女子生徒は一歩後ろへ引いて道を開けた。
「待たせてごめんね、皐月くん。帰ろう」
机の上の閉じた写真集を静かに拾い上げて、プリンスは無表情のままそう言った。
「……あ、うん…っ」
俺はしばらく硬直していた足をやっと踏み出して、教室を出て行くプリンスの後を追った。すれ違った女子生徒は皆、至極居づらそうに眉をひそめていた。
校舎を出て校門まで来てやっと、プリンスはぴたりと歩みを止めた。外はもう夕焼けでオレンジ色に染まって、西陽もまぶしい。
「結構待たせたよね、ほんとごめん、俺が一緒に帰ろうって誘ったのに」
こちらを振り返ると、どこか悲しそうな顔をしてこちらを見つめた。俺はそれを見て、心臓がぎゅっと掴まれるような感覚に陥った。
プリンスのこんな表情、初めて見た。
俺は慌てて首をぶんぶんと横に振った。
「お、俺の方こそ、き、キモイよね、そんな写真集持ち歩いてたりとか…!あ、あはは、さっきの子たちが言ってた通り、だよほんと、ごめんね」
俺は溢れる羞恥のなか苦し紛れに、精一杯の笑顔で取り繕う。
こ、こんなとこプリンスに見られて…嫌われたら終わりだ…。
そう危惧していれば、プリンスは片手に持ったままだった写真集を俺の目の前に差し出した。
「ううん、そんなことない。俺はすっごく、嬉しかったよ」
プリンスは優しくそう言って微笑んでくれるので、心臓がぎゅっと握り潰されるかと思うくらい、喉の辺りまで苦しくなった。俺が何も言えないままでいると、プリンスは俺の左手を取って、写真集を握らせてくれた。またプリンスに触れてしまったとか、そんなことを考えて、体温は上がるばかりだ。
「…で、でも、さっきの子たち、無視しちゃってよかったの…?あの子たちきっと、FLAREのファンだよ」
再び歩き始めるプリンスに着いていくように、少し距離をとって隣を歩いた。
「うん、俺の友達を傷つけるような子に好かれてても、あんまり嬉しくないしね」
そう呟いたプリンスはいつもと変わらなかったが、俺は思わずぴたりと足を止めてしまった。それを不思議に思ったのか、プリンスも立ち止まってこちらを振り向いた。
「…お、俺と、ぷ……松任谷くん、が……友達……?と、とんでもないよっ、そんなの…」
だってあの、FLAREの、プリンスと友達とか、怒られるよ。誰にって、全国のFLAREファンに決まってるじゃん。俺なんかが友達じゃ、プリンスの価値とか評判とか、万が一どこかで悪影響でもあったらダメじゃん。ほらさっきみたいに、俺に矛先向くならまだいいけど、もしプリンスが叩かれでもしたら。
「ごめん、俺が勝手に思い上がってただけみたい、迷惑だよね」
頭の中でいろいろと考えていれば、プリンスはそう言って、微笑んだ。いつもの爽やかなスマイル、とは、少し違った。
…………あれ…なんか、俺が思ってたのと、違う。
俺が何も言えないまま呆然と足元を見つめていると、プリンスの制服のポケットで、スマホが震える音が聞こえた。プリンスが俺に背を向けてから、その呼び出しに応答する。
「…………はい、そうですか、分かりました。……はい、すぐ行きます」
電話を終えると、プリンスはこちらを振り向く。
「ごめんね、また仕事のことで呼び出されちゃった、せっかく待っててくれたのに」
「う、ううん、気にしないで…!」
俺が慌ててそう返すと、プリンスは申し訳なさそうに悲しそうな顔をした。
「…じゃあ、また明日」
プリンスはそう一言だけ言って、少し急ぎ足で行ってしまった。俺はただそれをぼーっと見つめて、さっき感じた違和感にまだ浸っていた。
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