アルティア戦乱記 -魔女と懐刀-

ノベルバユーザー316089

幕間 奴隷将軍

  フランシール大陸西部は、かつて幾つかの小国が相争っていた。
  それら全てを下し、大陸西部を制圧したのが現在のガレイル帝国である。
  そして敗北し、ガレイル帝国に占領された国々の人々は、一部の例外を除き余すことなく三等市民=奴隷とされた。








「ーーどうかしたの?」
「いや……手入れが行き届いているなと」
「そうね……うちとは大違い」


  ソレイル城塞東砦の地下。
  そこは地下牢が連なる広々とした空間で、その最奥は重要人物を軟禁するための独房となっている。
  分厚い鉄扉と隙間の無い石壁に囲まれ、壁に掛けられた松明しか光源が無く、ベッドと簡素なトイレしか設置されていないそこに抱いた感想は、意外にも前向きなもの。


「体の調子はどう?」
「大丈夫だ。こちらの魔導士は腕がいいらしい」


  レイサに問われて、ブライスは右腕を軽く回しながら問題ないことを伝える。
  ブライスが目覚めたのはつい先程のこと。
  腹部に開いた風穴は綺麗に塞がれており、痛みはまったく感じない。
  レイサ曰く、アルティアの魔導士が数人で治癒魔法を施してくれたらしい。それも王女の指示で。
  ついでに、ブライスとレイサが同じ独房に入っているのも王女の計らいによるとのこと。


「甘々なお姫様よね。一度殺されかけた相手に対して」


  憎まれ口を叩くものの、声音に険は感じられない。
  よく手入れされた独房をみれば、恐らくは通常の牢屋も同じように手入れがなされているのであろうことは想像に容易い。


「……惜しいな」


  ブライスがぽつりと漏らした呟きに、レイサは何も答えない。






  ブライスは、かつてガレイル帝国に滅ぼされたある小国の王族の血筋だった。
  祖父の代で国は滅び、王族を含めた全ての民が奴隷とされ、以後は悲惨な強制労働の日々。
  生まれた時既に奴隷だったブライスは、滅亡前の祖国を知らない。
  しかし、父からは物心ついた頃から、毎日のように祖国のことを話して聞かされていたことを覚えている。
  幼い時分故に詳細はほとんど覚えていないが、一つだけ心に刻まれた祖国の教えがあった。
  騎士道である。
  力こそ正義のガレイル帝国では、あらゆる『道』が軽んじられている。
  生まれながらにその正義に曝されてきたブライスにとって、父から聞かされたその規範はあまりに心地好くブライスの胸に染み入っていた。
  その父が過酷な労働により遂に病に倒れ、満足な治療も受けられずに他界したのは二十年程前のこと。
  その父が、今際の際に遺した言葉。
  「国を取り戻してくれ」
  以来、それがブライスの人生となった。






「このままでは、アルティアの者らが辿る末路は我らと同じものとなる」
「そうね」


  記憶の最後にある、アルティアの残党に告げられた司令の通告。
  その日が訪れた時、間違いなくアルティア王国は真に滅亡する。
  いくら将兵が奮闘し、知恵を絞って策を弄そうとも、総勢十万の大軍を相手に三千に満たないアルティア軍が勝つ見込みは皆無。


「わかってはいたけど」
「うん?」
「気に入ったのね」
「ああ」


  自分は王女を始めとしたアルティアの者たちを気に入っている。
  レイサはとっくに気がついていた。恐らく、部下たちも同様だろう。






  ガレイル帝国では年に一度、首都のコロシアムで大規模な武術の御前試合が開催される。
  対戦相手の生死は問わない危険な競技だが、優勝者は皇帝との謁見が許され、褒美として望みの品が下賜される。
  金、女、そして地位。
  その御前試合の最大の特徴は、出場に必要な条件がないこと。つまり、奴隷でも参加できるということだ。
  ブライスは郊外に捨てられていた錆びだらけの剣を拾い、過酷な労働の合間を縫ってひたすらに鍛練を積んだ。
  もし正当な剣術を学んだ者がその様子を見たのなら、それは鍛練とは到底呼べない、ただ剣を振り回しているだけだと嘲笑しただろう。
  だがそれでも、ブライスは日夜剣を振るい続けた。
  それしか強くなる方法を知らない故に。
  それしか望みを果たすための道を知らない故に。
  そして、御前試合当日。
  ブライスは、奇跡的に優勝した。






「同じなのだ。あの者らは」
「そうね……確かに、そうだわ」


  敵であっても筋を通す誠実さ。
  強大な敵に諦めず立ち向かう勇敢さ。
  そして、力及ばず敗れゆこうとしている未来。
  全てが、重なるのである。
  自身の信念に。
  自身の執念に。
  そして、恐らくは自身の末路に。


「どうするの?」


  問われ、ブライスはレイサの顔を見る。
  その表情は、いたずらっぽく笑っていた。
  どうせ、もう心は決めているんでしょ?
  言葉にせずとも、その顔がそう語っている。
  たまらず苦笑した。


「お前はいいのか?」
「これでもあなたの妻なのよ?」
「そうだな……感謝する」


  レイサの満足そうな微笑みに、ブライスの心も奮い立つ。






  皇帝と謁見したブライスが望んだのは、今の地位。
  かつて同じように御前試合で優勝した者が、同じように祖国の復興を願い出たことがあるという。そして、その願いは叶えられなかったことも聞き及んでいた。
  叶えてもらえる願いにも例外はあるらしい。
  ならばと、ブライスが採った手段。
  それは将軍の地位を得て、戦で功を上げること。
  功を上げ続けて地盤を固め、やがては祖国の復興とはいかずとも、祖国の領地拝領を願い出ること。
  それが叶えば、自身が領主という形で祖国の地に戻ることができる。
  かくしてブライスの願いは叶えられ、奴隷から一転貴族となり、一軍を預かる将軍となる。
  そして将軍ともなれば、住居も豪華な屋敷が用意された。当然、住み込みで働く使用人も相当数宛がわれる。
  レイサは、その使用人の内の一人だった。






「しかし、あとはどのようにここを出してもらうかだが」
「あら。素直に願い出ればいいんじゃないかしら」
「素直に?」
「ええ。あなたの性分は、たぶん向こうも承知してる。ならヘタな理由をでっち上げるより、正直に宣言した方が伝わると思うんだけど」
「……そうか。そうだな」


  たしかに、自分にはその手の駆け引きの才は無い。そういうのはレイサの領分だ。
  ならば、愚直に己の信念を通すのみである。






  その後、他愛ない雑談を切っ掛けに意気投合。
  紆余曲折を経てレイサを妻として迎え入れたブライスだが、そんな彼に周囲の者たちは冷ややかな視線を向け、陰口を叩いた。
  使用人を娶るなど仮にも貴族として言語道断。やはり所詮は元奴隷だ、と。
  将軍の特権として与えられた部隊の人選権を利用し集めた兵員が軒並み奴隷ーー補充要因として強制徴兵された奴隷兵ではなく、ブライスが私財で『持ち主』から買い取り、全面的に面倒をみたーーであったことも手伝い、いつしか一つの渾名がつけられた。
  それがーー。






「もとより帝国への忠義無し。ならば」


  レイサが頷くのを確認し、ブライスは右手を強く握り締める。


「奴らに目にもの見せてくれよう。捨て石と吐き捨てられた者たちの意地ーー『奴隷将軍』の名にかけて」

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