アルティア戦乱記 -魔女と懐刀-

ノベルバユーザー316089

第十四話 影に鳴る羽音

  やはりおかしい。
  今武蔵の思考を占めるのは、その疑問ばかりだった。
  何故、いるはずの人間がどこを探しても見つからないのか。
  何故、道行く人間に聞いても誰一人として目撃すらしていないのか。
  武蔵が城塞の中を回り始めたのが今朝早く。ふと窓から空を見れば、既に日が沈み始めていた。ほぼ一日中、広い城塞を歩き回っていたことになる。
  城塞南砦に一度戻った際、戦場より帰還した兵が味方の勝利を伝えていたものの、それにしては何やら不穏な様子だったのが気にはなる。
  しかし、それは後で子細を聞けばいい。今やるべきは、あの人物の捜索である。


「どこにいる……?」


  だが、やはり一向に見つからない。
  もはやそれだけでも十二分に怪しいところではある。だが無論それだけでは、その人物が裏切り者である根拠としては弱いし、何より証拠にはならない。
  決定的な証拠を掴むには、まず直接その尻尾を掴む必要がある。
  だが、それがわかっていながら見つからない。
  さすがに焦りが生まれ始めた頃。


(ここは……あの扉か)


  気がつけば、再びあの謎の扉の前に戻ってきていた。
  城塞内で、唯一まだ入れていない場所だ。無意識のうちに、最も気になる所に足が向いていたらしい。
  だが昼間に試した通り、この扉は開かない。どころか魔法に阻まれて、壊すことも不可能だった。
  もしかしたら今度は開きはしないかと、試しに扉のノブに手を伸ばしーー


「おに~いさ~ん」
「っ!?」


  唐突なその声は、背後から。直前まで、何の気配も感じなかったにも関わらず。
  咄嗟に左手は鞘を掴み、いつでも刀を抜く体勢を取りつつ勢いよく振り返る。
  そしてーー絶句した。


「ねーねー。こんな所で何してるの?」


  一見すると、その容貌はルーミンと同世代の無邪気な女の子だ。
  白色のキトンを左肩のみ留めて着付けた時代錯誤な服装をしているが、それが瑞々しい肌と、くるくるとカールした金髪によく似合っている、のだろう。
  だが、武蔵が呆気にとられた原因はそれではない。


「おにいさん一人でこんな所にいるなんてヒマなの?  じゃあさ~、アタシと遊ぼうよ!」


  原因は、その背中から生え揃った、天使の如き大きな羽。


「うーんとね。何して遊ぼっか?」


  ふよふよと、砦故の高さを誇る天井付近まであっという間にその体を浮かせていく。


「なんかここごちゃごちゃしてるし、かくれんぼがいいかな?  それとも鬼ごっこ?」


  問いかけながらこちらを見下ろすその瞳に邪気は無い。それがますます武蔵を困惑させる。
  この天使のような羽を持つ少女は何なのか。いつの間に、何処から現れたのか。


「あ、それとも、アタシが一番大好きな遊びにしよっか!」


  ふと気づく。
  視界に映る周囲の景色の色が、すべてくすんだ灰色に塗り変わっていることに。


「アタシが一番大好きな遊びはねーー殺し合い♪」


  同時だった。
  武蔵が左側に積まれていた木箱の陰に飛び込むのと、羽持つ少女が右手をそちらに向けて突き出したのは。
  直後、爆発。


「ぐぅっ?!」


  吹き飛んだのは、武蔵が直前まで立っていた床。その爆風に圧され、体が障害物の無いホールに投げ出された。
  急ぎ立ち上がり刀を抜く。
  追撃はなく、少女は満面の笑みでこちらを見下ろしていた。


「すごーい!  おにいさん速いんだね!」


  その口調からは変わらず邪気は感じられず。
  だが、その眼には変化があった。
  笑顔のまま、純粋とすら感じられた瞳の光。それが、今は獲物を見定めた獰猛な獣のものに変貌している。


「だけど魔力は感じないから、魔法は使えないのかー。じゃあ、アタシがそっちに合わせてあげる♪」


  そう言うなり、今度は笑顔まで変質する。
  無邪気な笑顔から、邪気に満ちた妖しい笑みに。
  少女はふわりと床に足が着く寸前まで高度を下げ、背中の羽をバサリと大きく広げた。


「シャキーン♪」
「っ!?」


  またも目を疑った。
  今の今まで有機的だったその羽が淡く輝き、直後一瞬で無機質、金属的なモノに変わってしまったのだ。
  間違いなく魔法だ。だが、少女は呪文の詠唱などしていない。思えば先ほどの爆発も、少女はただ右手を突き出しただけだった。


「それじゃ、よーいどん!」


  まるでかけっこでも始めるかのような掛け声とともに、少女が放たれた矢の如くーー文字通り飛んできた。
  金属と化した羽。右側のそれをすれ違い様に叩き込んでくる。


「ちぃっ!」


  咄嗟に刀で受けて防御し、その瞬間確かに見た。その羽はただの金属ではなく、巨大な刃だ。
  もし直撃を受ければ、まず間違いなく真っ二つ。


「ええーい!」


  掛け声と共に、少女が羽を振り抜いた。
  見た目とは裏腹な、ともすればバゼラン以上なのではと思しき凄まじい力。耐えられず、武蔵の体が宙を舞い、後方へと弾き飛ばされる。
  背中に一瞬の衝撃と、何かを押し開いた間隔。フロアを繋ぐ扉に直撃したらしい。
  そのまま今度は落下していき、想像していたよりも長い時間の後、体が床に叩きつけられた。


「ぐっ……!」


  辛うじて受け身は取ったものの、衝撃の全てを流すことはできず。
  元々の倦怠感もあり、体がとてつもなく重く言うことを聞かない。
  焦る思考に動きが着いてこれず、結果のろのろと、常の武蔵からは考えられない隙だらけな立ち直りになった。
  しかし、懸念していた追撃は来ない。
  上を見上げて、初めて階段を落ちていたのだと知った。
  そして、少女は階段の上からふよふよと浮き上がってこちらを見下ろしている。


「準備できたー?」


  ぶんぶんと手を振りながら、少女は大声で問いかけてくる。


(なるほど、遊びか……)


  思わず舌打ちする。
  あの少女にとって、『殺し合い』とは本当にただの遊びなのだ。
  問答無用の命のやり取りではない。少女なりの明確なルールのもと、公平な条件下で武蔵と遊んでいるだけに過ぎない。


「できたねー?  それじゃあもっかい行くよー!  今度は左!」


  少女が初速からもの凄い速さで突撃してきた。
  宣言通り、左側の羽を振り抜こうと体を小さく捻っている。
  そして羽の刃が、武蔵の首を狙って振り抜かれんとする瞬間。武蔵は勢いよく膝を曲げて姿勢を低くし、その一撃をすんでのところで回避。
  そこから体を半回転させつつ、立ち上がりながら刀を振るった。
  が、素早い動きでかわされて、切っ先が服の端を掠めるのみ。そして、刀を振り抜いた姿勢で少女と目が合う。


(しまった……!)
「ちゃーんす♪」


  この体勢では、胴ががら空き。
  当然そこを狙われた。
  空中でくるりと一回転。 軽やかな羽の斬撃が、武蔵の胴に叩きつけられーー肉を裂く音はなく、代わりに金属と金属がぶつかる音が響く。


「へぇー、やるぅ~!」


  少女が感心の声を上げた。
  空いていた左手で咄嗟に脇差しを抜き、辛うじて受け止めたのだ。


「おおおおっ!」


  こんな体勢で鍔迫り合いをするつもりはない。しても簡単に押し負けるのは明白だ。
  即座に右手の刀を振るう。


「ざんねん、はっずれ~!」


  そんな不安定な状態からの一撃が当たるはずもなく、少女はまたも素早く飛んで回避。


「次はこうだー!」


  空中で宙返りし、羽ばたいたと思うと急降下。床すれすれのところで滑空し。


「えーい!」


  低い位置から跳ね上がるような斬り上げが襲いくる。
  後方に跳びつつ、かわしきれない羽の先端部は刀で受け流す。


「まだまだだよ!」


  だが、攻撃は止まらない。
  まるで徒手空拳での格闘の如く、左右の羽刃を交互に素早く繰り出してくる。


(この……!)


  刀と脇差しの二刀を持ってなんとか捌くも、少女の手数が多く反撃に移る隙がない。
  募る焦りを表すかのように、防戦一方のままじりじりと後退を続けていき。


「っ!」


  背中が壁に当たった。
  ニタリと、少女の口角が邪悪に吊り上がる。
  瞬間、少女の羽が形状を変えた。羽の先端部が錐状に変化したのだ。
  ーーまずい。


「ええい!」
 

  一際大きく右側の羽を振りかぶってからの、高速の刺突。狙いは、頭。


「くっ!」


  直撃の寸前で横っ飛びし、辛うじての回避。そのまま床を転がりながら片膝立ちになり、両手の刀を構えながら少女を睨む。
  羽の刺突は、石壁をあっさりと貫通していた。喰らっていたら、自身の頭がああなっていただろう。


「あはは♪  今のも避けるんだー。やっぱりおにいさんやるね!」


  心底楽しそうに言いながら、石壁に深々と突き刺さった羽を簡単に引き抜いている。
  最初の一撃でも感じたが、やはり見た目からは想像もつかない力だ。
  二撃目以降は手を抜いていたのだろう。明言してはいないが恐らく、少女なりのルールに従って。


「うんうん!  ここ最近の遊び相手の中では、おにいさん間違いなく一番強いよ!  活きの良さは断トツだね!」


  その物言いに、知らず苦笑が漏れでてしまう。
  活きの良さときた。この少女にとって、自分などあくまで獲物にすぎないらしい。


「よーし、体も暖まってきたし。ここからはちょっとルールを変更してーーえ?」


  不意に、少女から笑みが消えた。
  横を向き耳に手を当て、まるで内緒話を聞いているかのように、明後日の方角に神経を集中させている。


「……え~!  これから面白くなるところだったのに~!」


  何やら不満を喋りだした。
  察するに、何者かと魔法で会話をしているらしい。


「なんだよー、遊び方はアタシの好きにしていいって約束じゃん!  知らないよ、キミの都合なんて!」
「…………」


  口論が始まっているらしいその様子を、武蔵はただ見ていることしかできない。
  はっきり言って隙だらけだ。仕掛けようと思えばいつでも仕掛けられる。


「それはそっちの不手際でしょ!  アタシには関係ないじゃん!」


  だが、武蔵は仕掛けない。
  否、仕掛けることができないでいた。
  恐らくは少女の方もそれがわかっている。だからこそ、平気でこちらから視線を外しているのだ。
  へたに動けば、その瞬間武蔵は返り討ち。それを互いに理解しているが故に。


「はいはいわかってますよーだ。帰ればいいんでしょ帰れば。まったく……」


  そこで会話は終わったらしく、少女は落胆のため息と共にこちらへと視線を戻した。


「ごめんね?  どうやら時間切れみたい。この続きはまた今度ってことで」


  たはは、と笑ってそう言うと、少女は指をパチンと鳴らす。
  瞬間、それまで灰一色だった景色がみるみるうちに元の色彩を取り戻していき。


「ーーうわぁっ!?」
「な、なんだ!?  急に人が!?」
「テンマ殿……と、誰だあれは!」


  不意に聞こえるどよめき。
  周囲を見回せば、いつの間にか現れた民や守備兵が一様にこちらに驚愕と困惑の視線を送っている。
  いや、違う。
  いつの間にか現れたのは彼らではなく、自分たちなのだろう。
  あの灰色の景色は、恐らくあの少女が展開していた結界のようなもの。それを解除したことで、急にこの場に現れたかのように彼らには見えたのだ。


「それじゃ、アタシはこれで。また遊ぼーねー♪」


  朗らかに武蔵に手を振り、少女はいつの間にやら元に戻していた白い羽を羽ばたかせ、真上に上昇。
  見上げると、天井のすぐ下あたりの空間に大きな光の輪が出現していた。
  その輪の中心に少女が飛び込むと、まるで吸い込まれたかのようにその体が輪の中へと消えていき。光の輪が消え去ると、もはや少女の痕跡はどこにも残っていなかった。


「テンマ殿、今のは一体……?」
「…………」


  駆け寄ってきた守備兵の問いに対する答えなど、武蔵が持ち合わせるはずもなく。
  抜き身の刀を納めることも忘れ、武蔵は少女が消えた天井をただ睨み続けていた。

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