アルティア戦乱記 -魔女と懐刀-

ノベルバユーザー316089

第七話 王女の責務②

「…………」


   ソレイル城塞の城壁。その鋸壁の上に立ち、武蔵は一番高く昇った満月を見上げていた。
   城塞の四隅と外郭二ヶ所、城門の左右に物見塔が建ち、中では見張りの兵達が敵の襲撃を警戒している。


   ソレイル城塞は真南に城門があり、北東西の三方を切り立った崖に囲まれた天然の要塞でもある。故に防備を正面に集中させるだけで、大抵の攻撃には耐えられるはずなのだ。しかし。


「既に消耗戦、か」


   物見塔の兵や城壁の守備兵を見回せば、槍の穂先は細かに欠け、鎧は傷だらけ。下の衣服もぼろぼろの状態だ。一人二人ならともかく、大体の兵がそうなのだから、現在のアルティア軍の情況は容易に想像出来る。
   援軍は無く、補給も望めず、死傷者は増えていく一方。ラピュセルの合流により士気は持ち直したものの、それだけではこの戦況は到底覆せない。


「…………」


   再び満月を見上げながら、頭の中で思考を巡らせる。
   次に総攻撃をかけられたら、それでおそらく王手だ。防戦一方ではすぐに壊滅。ならば打って出るしかない。だが、正攻法では到底敵の物量に対抗出来ない。


「父上ならば、どういたしますか」


   故郷ーーヒノモトは、今でこそ大きな戦は無いが、武蔵が幼い頃は、まさに戦国の末期だった。そして父は軍師として、何度か戦に参陣していたのを覚えている。
   その父から、武蔵は多くの知識を学んだ。きっかけはただの知識欲だったが、その知識を活かすとしたら、それはまさしく今を置いて他にはないはずだ。


「おぅ、こんな所にいたか」


   武蔵の思考を中断したのは、背にかけられた野太い声。


「探したぜ。若いの」


   そこにいたのは、バゼラン・ランバード将軍。ラピュセルとマーチル曰く、アルティア王国軍随一の豪将で、二人の剣の師。ラピュセル合流まで、総大将としてアルティア王国軍の残存部隊を率いていたという。


「俺に何か?」
「無けりゃ探さねぇだろうがよ」


   苦笑というには過ぎた陽気な笑み。武蔵より頭一つ以上高い背丈と、黒灰色の鎧を纏うことを除いても厚い胸板で無精髭の壮年だが、その笑顔が不思議とよく似合っていた。


「用は二つだ。まず一つ目だが」


   そこで、バゼランは背筋を伸ばして表情を引き締める。


「王女殿下をここまで送り届けてくれたこと、心から感謝する」


   両足の踵を揃え、左手に持つ斧槍ハルバードを石床に付け垂直にし、右の拳を胸の中心に当てながらの謝意。それがアルティア軍の敬礼なのだろう。


「王女……姫さんからももちろんだが、マーチルとルーミンからも色々と聞いた。お前さんがいなけりゃ、全員とっくに討たれていたとな」
「……俺がガレイル帝国の間者だとは」
「それはないだろ。ルーミンがお前さんのことを話す時の目を見りゃわかる」


   そう言えば、マーチルが言っていた。「あの子は人の本性を無自覚に見抜いているんです」と。腹に一物あれば、それを敏感に感じ取れるらしい。


「そういった意味で、あのイシトとかいうのも白だな。姫さんの引き抜きとはいえ、出が出だから一応尋問したが、ルーミンがまるで警戒してなかった」
「ああ……」


   ここに来る前に、少し話したことを思い出す。心なし疲労していたように見えたのはそのせいらしい。


「まあともかく、お前さんのおかげで俺達は御旗を喪わずに済んだってことだ。主のいない騎士なんざ、道化にもなれんからな」


   ガハハッ、と威勢よく笑う。屈託のない笑顔。部外者の、それも若輩者にも礼節を忘れない度量。何より、ルーミンの態度という、客観的に考えればありえない決め手での武蔵に対する無警戒。豪放磊落という言葉を体現したような人物だった。


「こちらも報酬を要求しているからな。礼は不要……と言いたいところだが、今は素直に受け取っておく」
「おう。受け取っておけ」


   それが、同時に武蔵が疑われずにここに置いてもらえることへの礼となるのだ。互いにそれがわかっていた。


「それで、もう一つの用件は?」
「ああ、それはな」


   ニヤリ、と。バゼランの顔に不敵な笑み。左手の斧槍を、風を切りながら横に大きく一閃させた。


「あいつらが口を揃えて絶賛していたお前さんの剣腕ちから、俺にも見せちゃあくれねえか?」




□□□□□




「ふぅ……」


   敬礼する見張りの兵に手を軽く挙げてその場を去りながら、ラピュセルは思わず重い嘆息を吐き出す。
   夕刻の戦で、撤退ではなく投降を選んだ一部の敵兵達。彼らから聴取した話の内容は、アルティア王国では到底考えられないものだった。


「三等市民……ふざけた制度ね」


   ガレイル帝国には、大きく分けて三段階の身分階級があるという。貴族階級の一等市民。庶民階級の二等市民。そして、奴隷階級の三等市民。
   ガレイル帝国軍の将兵は、一部仕官を除きほとんどが二等と三等市民で構成されている。主に部隊長やその側近は二等市民が、それ以外の、最前線で戦う多くの歩兵は三等市民が担う。無論、奴隷のため徴兵されたら拒否することは許されず、その際に国に家族を人質に取られる。逆らえば、一族皆殺し。戦場での命令無視や、敵への降伏でも同じだという。では何故彼らは、家族を殺されるかもしれないリスクを承知で、それでも降伏したのか。


「この戦に勝つだけでは……でも……」


   彼らの家族もまた三等市民、奴隷。戦場には出ずとも、何らかの過酷な労働を強いられている。炭坑や鉄火場、女性ならば娼婦など。いずれにしろ、労働環境や労働時間、またその扱いなど考慮されるはずもなく。つまり、家族が生きている保障は無いのだ。当然、彼らにその生死が知らされることはない。
   立場こそ敵味方に分かれているが、彼らもまたガレイル帝国に虐げられる被害者だった。だが、この戦は防衛戦。勝ったところで、彼らが自由になれるわけではない。また、ラピュセルが彼らを解放するべく動く義務も責任も無い。
   それでも、と。ラピュセルは思う。なんとか、彼らを自由にしてあげられないものだろうか。現状、それが無理な話であることは百も承知。しかし聞いてしまった以上、関係の無い他人事だとすっぱり切って捨てられるほど、ラピュセルは賢明でも薄情でもなかった。


「ラピュセル様!」


   やや俯き気味に歩いていたせいか、呼ばれるまで正面にいた人物に気がつかなかった。顔を上げると、そこにいたのは年若い騎士。


「ウィル。情況の確認は終わったの?」
「はっ。滞りなく」


   ウィル・ウィンストン。バゼランの腹心として彼に従う実直な騎士で、剣ではラピュセルの兄弟子にあたる、若草色の髪の若者。マーチルとルーミンの幼馴染みでもある。


「現在の味方の規模、それと状態は?」
「はっ。初めにここソレイル城塞に集まった部隊は、ランバード将軍旗下十の部隊。数、およそ四千。うち、今日までの負傷者は千二百。戦闘不能者は八百。死者数、およそ五百」
「……今戦えるのは三千にも満たないのね」


   報告するウィルの表情も曇っていた。万全でも寡兵だというのに、これでは正面から敵とぶつかることなどまず出来ない。籠城して守りに徹しても、もはやジリ貧だ。


「また、避難してきた市民の総数、およそ六百。城塞の備蓄食料は、もってあと一月程になります」


   その問題もあった。平時、ソレイル城塞はいざというときのための備蓄庫として使われていたが、やはりいざ戦となると、兵糧は凄まじい早さで消費される。このままでは、アルティアはガレイルの攻撃を受けても受けなくても力尽きてしまうだろう。


「ルシフォールはどこに?  彼から何か情報はーー」
「ラピュセルさまー!」


   唯一の知恵者に頼ろうとその名を口にした矢先、ウィルの向こうから走ってきたのはマーチルだ。


「ラピュセル様!  将軍とテンマさんが!」
「え?」




□□□□□




   城塞正門前。


「ーーらああああっ!」


   雄叫びとともに、バゼランの重い一撃が落とされる。食らえば必死。受けるは無謀。だが、見切れない速さではない。彼我の間合いを見極め、武蔵は真後ろに跳んだ。直後、バゼランの攻撃が地面を穿ち、砕かれた土塊が轟音をたてて激しく飛び散る。そこからバゼランは更に踏み込み、着地様を狙った横凪ぎ。その一撃を、武蔵は着地の勢いで上半身を低く沈ませて回避する。そのまま更に後方に大きく跳躍して距離をとった。


「おーおーどうした!  そろそろお前さんも反撃してこい!」
「……ならば」


   刀を脇に構え、地面を蹴る。瞬きの内にバゼランの懐へと飛び込み、脇構えからの左切り上げ。


「速えなおい!」


   言いながらも、バゼランは一歩下がりつつ斧槍の柄で刀を受けた。武蔵は返す刀で右薙ぎ、逆袈裟、唐竹割りを次々繰り出すも、図体に似合わない俊敏かつ的確な防御で全て防がれる。


「ぅおらあっ!」
「っ!」


   鍔迫り合いは、バゼランの怪力と重量に押し負けた。へたにその力に逆らえば隙が生まれる。逆らわずに肉体を衝撃の流れに乗せ、その勢いで空で体を捻り、片手をついてバック転。足から着地し、すかさず来た追撃を体半身を捻り回避。


「おおおおおっ!」


   気合いを吐き出し、右足を軸に回転。遠心力を乗せた一撃を放った。タイミングは完璧。大振りの攻撃直後で、バゼランは完全に体勢を崩している。回避も防御も不可能だーー常人ならば。


「ーーぬぅんっ!」


   鉄と鉄とがぶつかる鈍い音。刀と鎧、ではない。刀と、斧槍の石突き。


「なっ!?」


   さすがに驚愕を隠せなかった。攻撃を放ったままの体勢から、腕力だけで斧槍を引き、斬撃の軌道に石突きを割り込ませて防いだのだ。
   直後、はっとして意識を引き戻す。目の前でバゼランが斧槍、ではなく、拳を振り上げていた。


「ぅらあっ!」
「ぐっ!?」


   籠手に包まれた拳による打撃。辛うじて刀の腹に手を当てて受けたが、地に両足を着けたまま後方に弾かれる。ずざざざっ、と、草鞋が地面を抉る乾いた音。


「……ふぅ。まさかここまでやるたぁ思わなかったぜ。危うく一発もらうところだった」


   殴った手を振りながら、バゼランは不敵に笑っていた。その眼に邪気はなく、少年のように楽しそうに。


「……そっちこそ、デタラメな腕力だな。やりづらいことこの上ない」


   衝撃で両手が痺れていたが、つられて思わず苦笑する。


「さて。もう少し続けたいところではあるが、時間も遅い。何より、これ以上は部下達が見張りに集中できんことだし」


   言われて気がつく。いつの間にか、周囲には大勢の兵達が集まり、自分達の仕合いを見学していた。


「次で最後としようか」


   言って、バゼランの顔から笑みが消える。斧槍を大上段に構え、ゆっくり、ゆっくりと。両手を使い、斧槍を頭上で旋回させる。


「本気でいく。お前さんもそのつもりで来な」
「承知した」


   徐々に速度を増していく斧槍。それを見て、武蔵も集中を引き戻した。
   大きく血振りし、刀をーー鞘に納刀する。


「ん?  おい、そいつはどういう……」


   怪訝な顔をするバゼランには、行動で返答する。腰をわずか落とし、左手は鞘を持って親指は鍔にかけ、右手は柄に添えて。その構えで、それが仕合いの放棄ではなく、攻撃の準備であることを察しただろう。バゼランの口の端がわずかにつり上がった。
   そのまましばし、互いに無言のまま刻が流れる。ともすれば周りの兵達が固唾を飲む音まで聞こえそうな静寂。そして。


「ーーらああああああ!」
「ーーおおおおおおお!」


   同時に地を蹴る。瞬時に間合いが縮まり、互いに必殺の一撃を繰り出した。
   バゼランは旋回させた斧槍を大きく、それでいて速さも伴った攻撃を。武蔵は鯉口を切ると同時、刃を鞘走らせることで可能となる超高速の斬撃。すなわち、抜刀術を。刹那の間もなく、両者の一撃は互いを捉えーー


「そこまで!!」


   凛と澄んだ声が空を裂いた。同時、ビタッと。最大限勢いのついた互いの攻撃は、まるで見えない壁にぶつかったかのように綺麗に制止していた。バゼランの斧槍は武蔵の頭蓋を割る直前で。武蔵の刀はバゼランの首を裂く寸前で。
   正門側にいた兵達が慌てて道を開くと、ラピュセルがマーチルと若い騎士ーー確かウィルとか言っていたーーを従えて歩み寄って来た。


「まったく。バゼラン、血が騒ぐのはわかるけど、今は自重してちょうだい。あなたに怪我されたら困るんだから」
「へぇ?  姫さんは、俺が負けると踏みますかい?」
「そうは思ってないわ。かといって、勝てるとも思ってないけど」


   平然と口にされた言葉に、後ろでウィルがぎょっとしていた。周りの兵達もざわつき出す。
   バゼランは、アルティア随一の武を誇る将であるという。それは、この場にいる誰もが認めていることだろう。だがラピュセルは、そのバゼランですら、武蔵相手では勝てるかわからないとはっきり述べたのだ。


「……ふっ、はははははは!   違いない!  確かに俺自身、勝てると断言することは無理だ。負けるつもりは無論無いが」


   武器を降ろし、豪快に笑う。騎士として、主君からのその評価は屈辱だろうに、バゼランはまるで意に介していなかった。大した度量である。


「元からそのつもりだったが、今回はここまでだ。機会があったらまたやろうぜ。それじゃ、姫さん。騒がせちまってすみませんね」


   武蔵に満面の笑みを向けるとラピュセルに向き直り、敬礼して、周りの兵達にしっしっと手を振った。慌てて兵達がそれぞれの持ち場へと散っていく。


「ああ、そうそう。確かテンマだったな?  報酬の件だが、今俺の部下に調べさせている。判り次第纏めさせて、お前さんに届けさせよう」
「そうか。感謝する」


   それを聞き、武蔵は内心安堵の息を漏らした。正直なところ、アルティア軍の現状では、報酬ーーすなわち情報を調べられるか疑問だったからだ。


「ちぃっとばかし時間がかかると思うからよ。それまでは適当にのんびりしててくれ」
「……いや」


   言いながら去ろうとしていたバゼランが、予想と反したのであろう返事に振り返る。


「タダ飯を食らうつもりはない。乗り掛かった船でもある。契約は確かに完了したが、これも縁だ。報酬を受け取るまで、微力ながら助太刀しよう」
「本当に!?」


   食いついたのは、バゼランではなくラピュセルだった。武蔵の元まで駆け寄って、興奮した面持ちで詰め寄ってくる。


「本当に力を貸してくれるの?  無理してない?  あなたは本来無関係なのよ?  それでもいいの?」
「ああ。俺一人加勢したところでたかが知れているだろうが」
「そんなことない!  あなたが助力してくれるのなら心強いわ!」


   心底嬉しそうに、ラピュセルは武蔵の手を取ってぶんぶんと上下に振った。


「ありがとう!  報酬はなるべく急がせるから!」
「あ、ああ」


   子供のように喜ぶラピュセルに、おもわずたじろぐ。ふと見れば、ラピュセルの後ろでマーチルが微笑ましそうにこちらを眺め、バゼランは「へぇ~」とおかしそうにニヤニヤしている。そしてウィルという騎士は……憮然として、あまり面白くなさそうだ。


「よし!  そうと決まれば明日の軍議、テンマにも参加してもらいましょう!」
「は?  いや、さすがにそれは」
「いいの!  私が許す!」


   さすがに困惑したが、ラピュセルの喜色満面の笑顔を前に、反論する気も失せていった。


「……わかった。なら改めて、もうしばらくよろしく頼む」
「ええ!  こちらこそ!」


   差し出された、細く小さく華奢な手。それを見てはっとする。
   少女はこれから、この小さな手で強大な敵と戦わなくてはならないのだ。それも、勝てる見込みなどほとんど無い戦いを。不安でないわけがない。恐くなどないわけがない。それでも少女は戦うのだ。王女の責務を全うし、全ての民を救わんと。
   その手を握り、握手を交わす。間を置かず、少女の手に力が込められた。少しひんやりした、間違いなく年齢相応の手である。


   この少女を護らなければならない。


   報酬を受け取るまで。その言葉は、近いうちに撤回するだろう。それは、確信に近い予感。おそらくこの少女、ラピュセル・ドレークはーー


「さて。あなたは道中見張りでほとんど寝てないから、疲れも溜まっているでしょ?  今日はゆっくり休んでちょうだい」
「心得た」


   明日より挑むは、死出の旅路なのかもしれない。だが武蔵の心は久しぶりに、本当に久しぶりに、晴れ晴れと澄み渡っていた。




□□□□□




同時刻  ガレイル軍陣営


「つまりなにか?  テメエらはあっさり隊長やられちまったから、アルティアの王女の首も身柄も取れず、尻尾を巻いて逃げ帰ってきたと?」
「も、申し訳ありません!!」


   土下座し、ブルブルと震える兵を見下ろし、茶の長髪の男が忌々しげに舌打ちする。


「ちっ。役立たず共が。これだから奴隷も平民も使えねえ」
「つ、次は必ずや王女を討ち取ります故!  何卒!  何卒命だけは!」
「ああ?  テメエの命なんざ取ったところで汚えだけだろうが。さっさと失せろ」
「は、はっ!」


   脱兎の如く、兵は幕舎から去っていく。


「ちっ。面白くねぇ。部下共も、ラピュセルとかいう雑魚も」


   一人呟き、机に置いてあった飲みかけの葡萄酒を一息に飲み干した。空になったグラスを、無造作に放り投げる。


「タダでさえ面倒な仕事を更に面倒にしてくれやがって……タダじゃおかねぇ」


   男は腰の剣を抜き、近くの物を壊してしまうことも厭わず、大きく振り抜く。


「このガレス様が、全員皆殺しにしてやる。覚悟しておけ、アルティアの雑魚共が」

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