アルティア戦乱記 -魔女と懐刀-

ノベルバユーザー316089

第五話 砦を目指して②

「はぁ~あ」


   馬の手綱を引いてトボトボと歩きながら、褐色の肌に茶髪の青年は大きな溜め息を吐き出した。
   青年は名をイシトという。姓は無い。伝統的に姓を持たない部族の出身だ。
   彼の、正確には彼の部族の故郷は大陸の西端に位置していた小国である。当然、今はガレイル帝国領として統治されている。
   彼の部族は、昔からの遊牧民だ。故に馬の調教に優れ、ガレイル帝国でも軍馬の調教師として「働かされている」。


「……はぁ~あ」


   再度大きな溜め息。
   彼は、今の職場が嫌いである。
   ガレイル兵は、とにかく馬を大事にしない。全てがそうというわけではないが、大抵の兵士は馬をただの消耗品としか考えていないのだ。少なくとも、彼が配属された部隊では。


「あいつら、大丈夫かな……」


   先程商人風の二人組を追いかけていった三騎。だが彼が心配しているのは、ガレイル兵でも商人でもなく馬達だ。商人達には、運が悪かったと諦めてもらう他ない。
   そも調教師であるイシトがこんな所にいる理由は、特にストレスの強かった馬達を広い場所でのびのびとさせてやるためだった。この街道沿いは、北側に山脈があり、その麓には森が広がっている。だが、街道の南側は広大な草原で、危険な動物もいない。馬にとっては最高の環境だ。
   だが、陣から出発しようした矢先にあの偵察隊と鉢合わせ、自分達の馬が怪我で走れないからそいつらをよこせと、余った一頭を除いて一方的にイシトから奪ったのである。
   そして案の定、彼らの馬の扱いは雑であった。無駄に鞭を打ち、手綱を力任せに引く。三頭とも温厚な性格故に逆らうことはしていなかったが、その瞳は一様に嫌がっていた。せっかくストレス発散のためにと連れ出したのに、あれでは逆に更にストレスを溜めてしまう。


「……ん?」


   ふと前方を見て、彼は足を止めた。遠くに、複数の人だかりと三頭の馬が見える。間違いなく、偵察隊が乗り回していた馬達だ。だが、その偵察隊の姿が無い。


「あっ」


   見つける。三人とも、人だかりからわずか離れた場所で倒れている。どうやら、あそこの集団に倒されたらしい。よく見れば、追われていた商人達も一緒だ。


「…………」


   イシトは隠れるでもなくーーそもそも隠れられる場所も無いがーー、再び馬の手綱を引いて歩きだした。




 □□□□




「ありがとうございますありがとうございます助かりました~!」
「本当、あんた達が来てくれなかったらウチらどうなってたか。ありがとうね」


   ガレイル兵達を倒して後。アスクルとミリナと名乗った二人組が、前者はそれはもう凄まじい勢いで頭をペコペコと上げては下げながら、後者は可愛らしくウインクなどしながらそれぞれに感謝の意を示す。


「いいのよ。二人とも怪我はないかしら?」
「はい!  おかげさまでかすり傷一つありません!」
「良かった。見たところ、商人みたいだけど」
「そうよー。ウチら、最近ライール共和国からこの国に来たんだけど」
「まさか、ガレイル帝国に攻撃されていたとは知らず、追われてしまいまして」


   一通りの事情を聞く限り、行商のためアルティア王国に入国したはいいが、ライール共和国では今回のガレイル帝国の侵攻は伏せられていたらしい。そのため戦の真っ最中であることを知らず、行商の度にいつも通るこの街道を歩いていた最中、襲われてしまったとのこと。


「せっかく来てくれたところを申し訳ないけど、今はすぐにでもライールに引き返した方がいいわ。ここに留まっていても、安全は保障出来ないから」
「そうみたいですね……いいかい、ミリナ?」
「うん。すぐ出発しましょでもその前に」


   言いながら、ミリナはバッグの一つを開け、中からごそごそと何かを取りだし、ラピュセルに手渡す。物は薬瓶で、中には青色の液体がなみなみと入っていた。


「まさかこれ、『魔源水エーテル』!?」
「そ。助けてもらったお礼にどうぞ。貴重な品だから大事に扱ってよ?」


   魔源水エーテルとは、魔力を含んだ清浄な液体で、これを魔導士が飲むと失われた魔力を回復することが出来る。精製が難しく、また専用の設備も必要なため、非常に希少かつ貴重な物だ。まともに購入しようとすれば、少なくとも三月は一日一食で過ごさなければならなくなるだろう。


「いいの?  こんな高価な物」
「いいのよ。もともと偶然手に入っただけだし、高価過ぎて買い手もつかないから、ウチらが持ってても宝の持ち腐れだしね」
「……じゃあ、ありがたくいただくわ。ありがとう、とても助かる」
「どういたしまして。それじゃ、ウチらはこれで」
「本当にありがとうございました!  次にお会いした時、御入り用でしたらぜひご利用を。可能な限りお安くさせていただきますので!」


   そうして、二人の商人は去っていった。無事にライール共和国にたどり着けるといいのだが。


「さてと。どう、その子達の様子は」


   アスクルとミリナの姿が見えなくなったあと、ラピュセルは馬の様子を見ていたマーチルとルーミンの元へと向かう。
   白馬と栗毛馬二頭、計三頭の馬を無事に確保していた二人だが、揃ってその表情は曇りぎみだ。


「怪我は無いようなんですが、その」
「怯えてるねー」
「え?」


   三頭を順に眺める。
   逃げ出しこそしないものの、その眼はあちこちを見て視線が定まらず、耳も忙しなくバラバラに動いている。不安を感じている仕草だ。
   馬は基本的に臆病な動物だが、軍馬であるならば、当然戦場に出るための訓練を施されているはずで、大きな戦ならばまあともかく、先程のような小競り合い以下の衝突程度で怯えるなど考えずらい。そうであるならば、到底軍馬など向いていない個体である。


「…………」
「ラピュセル様?」


   おもむろに、ラピュセルは一番手前にいた白馬に、斜め前方から歩み寄った。刺激しないようゆっくりと。


「大丈夫よ。恐くない」


   そして、語りかける。いきなり触れることはせず、少しだけ距離をとって。
   そうしてしばらく動かない。ただ努めて優しくその白馬を見つめ、時折小さく声をかける。そんなことを何度か続けた。


「あ」


   気がついたルーミンが声を漏らす。
   忙しなく動いていた白馬の耳が止まり、顔をまっすぐにラピュセルの方へと向けたのだ。ラピュセルに興味を抱いたらしい。あるいは明確に警戒心を抱いたか。
   賭けだ。
   ラピュセルは再びゆっくりと、今度はすぐ手前まで近づく。そして、その頬をそっと撫でた。


「大丈夫よ。大丈夫」


   撫でながら、語りかけることもやめない。敵ではないと信じてもらえるよう、子供をあやすように。


「…………」


   白馬の瞳が、ラピュセルをまっすぐに見つめた。そして。


「……ありがとう」


   白馬が、ラピュセルの頭に頬擦りをした。気持ちが伝わったようで、警戒を解いてくれたらしい。一頭が心を許してくれれば、あとの二頭もそう時間はかからず気を許してくれるだろう。


「ラピュセル」


   少し離れた場所で周囲を見張っていた武蔵が、微かな警戒を声音に込めてこちらを呼ぶ。
   そちらに視線を転じると、街道の向こう、ガレイル兵達が来た方角から、馬の手綱を引いた褐色肌に茶髪の青年がこちらにまっすぐ向かって来ていた。


「あんた達、アルティア王国の人?」
「……そうだけど、あなたは?」


   かなり近く、武蔵の目前まで無造作に近づいてきた青年からの問いかけに敵意は感じない。警戒しつつも応じると。


「ありがとな」


   予想外の言葉が青年の口から発せられた。


「あいつら、馬のこと使い捨ての道具としか思ってなくてさ。せっかく俺が愛情込めて世話しても、必要ないのに鞭打ったり、酷いときは戦場に置き去りにしたり」


   青年の後ろで倒れているガレイル兵達を親指で指しながら、苛立ちを隠さずそう話す。


「あなた、ガレイル軍の人間じゃないの?」
「ガレイル軍所属ではあるけど、兵士じゃなく軍馬の調教師だよ。それに、生粋のガレイル人でもない」


   つまり、ガレイル帝国に忠誠を誓っているわけではないらしい。よくよく見れば、武器も携行していないようだ。


「とにかく、あいつら兵士のせいで、うちの馬達みんなストレス溜まってんだ。で、特にストレス溜まってたのが、今姐さんに懐いてるそいつだよ」
「あ、姐さん?」


   おそらくさほど離れていない年齢の青年からいきなりの姐さん呼びに面食らう。が、青年はお構い無しに話を続けた。


「そいつ温厚な性格だから、そのぶんストレス溜まりやすい。だから、扱いが雑なガレイル軍の軍馬には特に向いてないんだよ」
「そ、そう……」
「ねぇねぇ」


   と。いつの間にか青年の隣にいたルーミンが口を開いた。ルーミンの視線は、青年が手綱を握る馬、黒毛馬に向いている。


「この馬も軍馬に向いてないの?」
「ん?  ああいや、こいつは度胸と落ち着きがあるから、軍馬には最適だよ。ただ」


   青年は言葉を切り、武蔵にしばし視線を送る。


「そうだな……兄さん、乗ってみるかい?」
「……俺か?」


   ラピュセル同様、いきなり兄さんなどと呼ばれ、武蔵もやや面食らう。とはいえ武蔵も青年から敵意は感じていないようで、とうに警戒は解いていた。


「こいつは軍馬としては優秀なんだが、プライドが高くて乗り手を選ぶもんでね。俺が配属された部隊じゃ、隊長すらこいつに乗れなかったんだ」
「ほう……」


   そう言われ、武蔵が興味深げに黒毛馬を見る。その視線を受けてか、黒毛馬の瞳も武蔵を見つめた。
   しばしの間、一人と一頭の視線が交錯する。


「乗せてくれ」
「あいよ。振り落とされないよう気をつけてな」


   青年が一歩横にずれ、入れ代わりに武蔵が黒毛馬のすぐ横に立つ。一度ぽんと黒毛馬の首をそっと叩き、あぶみに足をかけ、そのまま一息にくらに跨がった。直後、黒毛馬がいななき、両前肢を高く振り上げ、後ろ肢だけで立つ格好になった。いきなりのことに、ラピュセルは思わず息を飲む。


「へぇ」


   反して、青年は感嘆の声を上げていた。
   跨がった直後の、まだ充分な騎乗姿勢が取れていないタイミングでの振り落とし。並みの者なら、背中からまっすぐに落馬していただろう。
   だが、武蔵は耐えていた。手綱を握りしめ、最悪な姿勢にも関わらず制御を試みている。


「兄さん、次は前後に揺さぶりにくるぞ!  耐えるんだ!」


   はたして青年の忠告通り、黒毛馬は一度体勢を戻すと、前肢と後ろ肢で交互に跳ね、武蔵を振り落としにかかった。


「くっ!」


   なおも武蔵は耐える。激しく揺さぶられながら、落とされまいと食らいついていた。
   それがどのくらい続いたのか。黒毛馬の動きは少しずつ収まり、やがて完全におとなしくなる。


「……終わったのか?」
「みたいだね。兄さん、試しに御してみ?」


   青年に促されるまま、武蔵は手綱を引いて歩行の支持を出す。


「おー!」


   ルーミンが歓喜の声を上げた。黒毛馬が、武蔵の支持通りに歩きだしたのだ。


「すごいすごーい!  暴れ馬がテンマっちの言うこと聞いてるー!」
「要するに、あれは乗り手を試していたのでしょうか?」
「そうみたい、ね」


   自分に乗りたいのなら、それぐらい耐えてみせろと。つまりはそう言いたかったのだろう。


「お見事、兄さん。記念だ、そいつは兄さんに譲るよ」
「……いいのか?」
「いいさ。どのみち、部隊に戻ったところで誰も乗りこなせないんだ。それに」


   言いながら、青年は黒毛馬の頬を撫でる。


「こいつのこんな嬉しそうな眼は初めてみたしさ」


   青年が言うのは、黒毛馬の乗せるに値する主人を得た喜びだろうか。


「姐さん達も。よければ、そいつらまとめて面倒みてやってくれ。うちに戻っても、たぶんストレスで早死にしちまう」
「わかった。ありがたくいただくわ……馬が好きなのね、あなた」
「ああ。人間よりもね」


   冗談めかして青年は笑う。
   だが冷静に考えれば、これは青年にとって明らかに利敵行為。ガレイルの陣に戻り、もし万が一この件が露見したら、確実に青年は処刑されるだろう。


「あなた、名前は?」
「俺?  イシト」
「そう。私はラピュセル」
「へぇ。ラピュセル姐さんか…………え?」


   名乗り返すと、青年ーーイシトの顔色が変わった。さすがに敵の名前は聞いているだろう。だがそれには構わず、ラピュセルは続けた。


「あなた、こちらの調教師になる気はない?」

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