獣耳男子と恋人契約

花宵

36、変わらない人

 あれから五日が経ち、コハクは明日退院の日を迎えようとしていた。


 私が病室を訪ねると、彼はいつもベッドに腰かけて窓から外を眺めている。

 何か物思いにふけるようにある一点を見つめたまま微動だにしないかと思うと、ため息をこぼして足をブラブラさせたりしていた。

 どこかもの寂しそうなその背中に、私はなるべく明るく声をかける。


「コハク、こんにちは」

「桜、今日も来てくれたんだ! 嬉しいな」


 私を見るなりコハクは花が咲いたようにぱーっと満面の笑みを浮かべた。その笑顔にすごく癒やされる。


「うん、コハクが入院しているのは私のせいだからね……」


 しかし私の言葉を聞いて、コハクは一気に寂しそうな表情へ早変わり。


「僕の所に来てくれるのは、責任から?」


 言葉選びを間違えたと思い私が急いで訂正すると、コハクは少し不機嫌そうにジト目で私の方を見ながら尋ねてきた。


「じゃあどうして?」

「それは……」


 馬鹿正直にコハクに会いたいから……なんて、今の状態で言えるはずがない。

 私が言いよどんでいたら、コハクは俯いて自分の手を見つめながら静かに呟いた。


「ねぇ、桜。何があったのか、教えてくれないかな? どうして僕が入院してるのか、何故君と偽物の恋人を演じてたのか。君に関わることだけすっぽり記憶が抜けちゃってて全然分からないんだ」

「コハクが知りたいなら……少し長くなるけど、いい?」

「うん、教えて」


 それから私はコハクと偽の恋人になった経緯と理由、私が無茶をして屋上から飛び降りたのを助けるために大怪我して入院している事を話した。

 途中気持ちが通じあって本物の恋人になった事は言っていない。


「そうだったんだ……聞いても全然実感ないけど、君が言うなら本当の事なんだろうね」


 そう言って、コハクは哀しそうに笑った。


「私の問題はコハクのおかげで解決したから、今度は私が貴方の力になりたい。だから責任だけでここに来ているわけじゃない。出来る事なら何でも協力したいっていう私の意志で、今ここに居るんだよ」


 彼の不安を取り除きたくて、私が今伝える事が出来る精一杯の理由を述べた。すると、コハクの表情が少しだけ和らいだ。


「じゃあさ、僕が退院したらどこか遊びに付き合ってくれない?」

「いいけど……まだあまり無理しない方がよくないかな? 体力も筋力も衰えてるだろうし」

「それなら心配ご無用」


 そう言ってコハクはこちらへ近付き、「ごめんね?」とイタズラな笑みを浮かべて私を横向きに抱き上げた。


「え、ちょっと、コハク?!」

「湿っぽい話はこれでおしまい。散歩に付き合って」


 突然の事にあたふたしている私にそう言って、コハクは普通に歩き始めてしまった。

 廊下を出て数人の患者さんや看護士さんとすれ違うと、皆驚いたようにこっちを見ている。


 入院中の患者にお姫様抱っこされて院内を歩くなんて……。


「自分で歩けるから降ろして」

「嫌だ、僕をおじいちゃん扱いした罰だよ」


 じたばたしながら必死に抗議しても、コハクはプイッと顔を横に向けて聞く気がないようだ。

 こういう時、コハクは決して折れてくれない。結局、彼が満足するまで為す術がないのが現状だ。しかしそれでもこの状況は耐えられない。


「恥ずかしいから止めて! 皆見てるよ……」


 と羞恥心に耐えきれず抗議するも


「僕達、恋人なんだからいいでしょ?」


 そう言って無邪気な笑顔を浮かべられたら、私はコハクに逆らえない。


「うー……」


 惚れた弱味とはこの事だろうか。心臓が早鐘のように鳴ってうるさく感じた。


「桜の頬、林檎みたいに真っ赤だよ?」

「誰のせいだと思ってるの!」

「僕のせいだったら嬉しいな」


 コハクの言葉に驚き、私は思わず彼の顔をじっと見つめる。

 一緒に遊園地に行った時のように、ニコニコと悪びれもなくコハクは笑っていた。


「僕の顔に何かついてる?」

「ううん、何でもない」


 記憶を失ってもコハクは前と変わらない。その事が何だか少しだけ嬉しかった。



 その後、彼に連れられやって来たのは緑豊かな病院の中庭だった。

 きちんと整備されて植えられた落葉樹が生い茂り、歩道は煉瓦通りになっていて、所々にお洒落なベンチがある。

 残暑厳しい季節だけど、日差しを木々が遮り煉瓦道にはキラキラと木漏れ日が差し込む程度で、そこまで暑さを感じさせない。

 程よい風に揺られてざわめく木々の音が、ここが病院だという事を忘れさせてくれる癒し空間だ。


「のどかだね、まるで公園の中にいるみたい」

「そうだね、確か中央には噴水もあるんだよ。行ってみよう」


 そう言ってコハクは手を差し出してきて、私は驚きから思わず彼の手と顔を交互に見た。


「どうしたの? 行こう」

「うん」


 恐る恐る自分の手を彼のそれに重ねると、コハクはギュッと握り返してくれた。

 少しゴツゴツして硬い大きなコハクの手。懐かしい手の感触に私は幸福感で満たされていた。


 たとえ記憶が戻らなくても、こうやって少しずつ距離を縮めていけたら、いつかはこの恋も実る日が来るかもしれない。

 今は偽の恋人だけど、いつかは本当の恋人になれるように頑張ろう。

 これからは、少し積極的に行ってみようかな。彼の横顔を見ながら、私は決意を新たにした。


「桜、何だか嬉しそうだね」

「うん、コハクが傍に居てくれるから私は嬉しいんだ」

「どうしたの急に?」


 目を丸くして尋ねるコハクに「そのままの意味だよ」と私は笑って答えた。


「変な桜」


 今はまだ、私の気持ちの本意は伝わらなくてもいい。

 でもいつか、私の言葉で貴方を満開の笑顔に変えて見せるよ。

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