獣耳男子と恋人契約

花宵

31、仲直りの代償

『たとえ、この身がどうなろうと……桜は絶対、僕が守るよ』


 温かい何かに包まれて、全身に走る激しい痛み。

 でも次の瞬間、柔らかな光が私を優しく照らして痛みが和らいだ。

 あまりの心地よさに、私はそのまま意識を失った。

 気が付くと、見渡す限り何もない真っ白な空間に横たわっていた。

 全身の力が抜け、起き上がる事も声を出すことも出来ない。


 そうか、私は死んだんだ。

 その時、誰かが私の頭を優しく撫でた。


──桜、僕は君に出会えて幸せだったよ。


 聞き間違えるはずがない、愛おしい人の声。

 私もコハクに出会えて幸せだったよ。

 でも、最後にもう一度だけ、貴方の笑顔が見たかったな。


──今まで、本当にありがとう。


 お礼を言うのは私の方だよ。

 コハクが居てくれたら、私は過去と向き合えた。本当にありがとう。


──どうか、僕の分まで幸せになって欲しい。


 私はコハクと一緒に幸せになりたい。

 でも、その願いは……もう叶わないんだね。

 ……あれ? 死んだのは私の方で、それはこっちの台詞だよ?

 その言葉を最後に、コハクの気配がその場から消えた。


『コハク……』


 何度呼び掛けても、彼はそれ以来現れる事はなかった。

 瞳から一筋の涙が流れるのを感じた。



***



「ちょっと楓! 桜が涙を……っ!」

「桜! 起きてっ!」


 この声は、お母さんとお姉ちゃん?

 確かめたくて目を開くと、ぼんやりと視界に映ったのは、見慣れない天井と二つの人影。


「良かった! 桜、私が誰か分かる?」

「お母さん」

「じゃあ、あたしは?」

「お姉ちゃん」


 私、生きてたんだ。自分の手を見つめ、開いたり閉じたりしてみるときちんと動く。それどころか、屋上から落ちたというのに特に目立った外傷もない。

 あの時確かに、全身が地面に打ち付けられるような激しい痛みを感じた。でも次の瞬間、柔らかな光が私を照らして痛みが和らいでいった。あの光は夢じゃなかったんだ。


「楓、まだ美香ちゃん居るかもしれないから見てきて」

「分かった、任せて」


 美香ちゃん……美香ちゃん……桃井?


「お母さん、桃井は無事なの?」

「美香ちゃんね、毎日あんたのお見舞いに来て、そこの花瓶に花を活けてくれるのよ」


 母の視線の先を辿ると、オレンジ色の綺麗な花が飾られていた。


「その花はダリアっていうのよ。花言葉は確か……感謝だったかしら?」


 その時、病室のドアが勢いよく開いた。

 息を切らして走って現れたのは、お姉ちゃんと桃井だ。


「桜さん、無事でよかった……っ!」


 そう言って、桃井は勢いよく私に抱きついて来た。


「く、苦しいよ……」


 締め付けられる圧迫感に私の身体は悲鳴をあげた。


「あ、ごめんなさい……桜さん、貴方には感謝してもしきれないわ。私のせいでこんな事になってしまって本当にごめんなさい」


 桃井はそう言って深々と頭を下げた。

 床にはポタポタと、涙の雫が水溜まりを作ろうとしている。


「顔を上げて。私がそうしたいと思ってやった事だから。桃井は美希の分まで幸せになって欲しい。それが、私に出来る美希へのせめてもの恩返しだと思ったから、貴女には前を向いて生きて欲しい」

「分かった、約束するわ。それでも……本当にありがとう」


 私の言葉に桃井の涙はさらに一層酷くなったけど、 必死に涙を拭って笑ってくれた。

 その柔らかい笑顔が、どことなく美希に似ている気がした。


 あの後、私は二週間ぐらい寝たきり状態で、桃井は私の家族に今までの事を話して何度も謝りに来たらしい。

 最初のうちは受け入れられなかったみたいだけど、彼女の真摯な姿を見て和解したようだ。

 美容やお洒落など趣味の話が合うようで、姉と桃井はそれなりに仲良くなっていた。


「それよりも、その髪どうしたの?」


 驚いた事に、桃井は髪をバッサリとショートに切って黒く染めていた。


「これからは、素直にいこうと思って。本当は女の子らしい格好ってあまり好きじゃないの」

「そうなんだ。でもそっちの方が前より似合ってるかも」

「ありがとう」


 そう言って笑った彼女は何か吹っ切れたかのように、爽やかな印象を受けた。無事で本当によかった。

 ほっと胸を撫で下ろしたものの、あの奇妙な夢が気になり聞いてみる。


「そういえば、コハクは?」


 皆が一様に眉を下げて、今にも泣き出しそうな顔をしているのを見て、手のひらからじんわりと嫌な汗が出てくる。

 嫌な予感して、私は布団の端をぎゅっと掴んで、もう一度尋ねた。


「コハクはどうしたの?」

「コハク君は、アンタを庇って……っ。何とか一命は取りとめたけど、今も意識が戻らないのよ」

「コハクは……コハクは今どこに居るの?」

「集中治療室よ」


 それを聞くなり私はベッドから降りて歩こうとするが、足に力が入らなくて転ぶ所を桃井と姉に支えられた。


「桜さん、無理しないで!」

「ちょっと、そんな身体で一人じゃ無理よ!」

「肩貸してあげるから、一緒に行くわよ」

「桜さん、私はこっちを支えるわ」


 姉と桃井に肩を借りて、私はコハクが眠る集中治療室へと向かった。

 しかし家族しか面会出来ないため、二重の鉄の扉の先に私達は入れなかった。

 その時、たまたま先生が部屋から出てきたようで扉が開く。

 チラリと見えた光景に私は絶句した。


 コハクは至る所をギブスで固定されほぼ全身が包帯に包まれている。

 さらに何本もの管や点滴、モニターに繋がれていて、本当に生きているのか分からない程、酷い状態だった。

 あまりの光景に、私はその場で泣き崩れた。


 そのまま眠ってしまったようで、気がついたら辺りはもう暗くなっていて自分の病室のベッドで横になっていた。

 あの時見た夢は、コハクが私に最後のお別れを言いに来たのだと今になって分かった。そう思うと、枯れてしまったと思っていた涙がまた止めどなくあふれてくる。


 私が無茶をしなければ、コハクはこんな目に遭わずにすんだ。でも、そうしなければ桃井を救う事は出来なかった。

 どちらが正しいのかなんて私には分からない。どちらを選択していても、きっと私は後悔したのかもしれない。

 人の命を天秤にかける事なんて、出来ないのだから。


 悲観的になってはだめだ。前向きに行こうと決めたばかりじゃないか。

 コハクは、まだ生きている。彼のために今の私に出来る事を考えよう。泣いてばかりいても、コハクはきっと喜ばない。


 とりあえず今は、コハクが意識を取り戻してくれるよう誠心誠意お祈りするしかなかった。


──どうか、コハクの命を助けて下さい

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