獣耳男子と恋人契約

花宵

30、交わらない想い

 気が付くと私は桃井の前まで歩み寄っていた。


「本当に……ごめんなさいっ」


 太陽の光でジリジリと焼けた熱い地面に両膝をついて深々と頭を下げた。

 こんな事をしたって許されるとは思っていない。

 だけど、桃井の気持ちを考えると身体が勝手に動いていた。

 いくら鈍感な私でも分かる。彼女が私にしてきた事は、全ては美希を思っての事だ。

 そして、彼女をここまで狂わせてしまったのは間違いなく私のせいだ。


「そんな事したって美希はもう戻って来ないのよ!」


 桃井は私の襟元を掴むと、強制的に顔を上げさせた。

 今にも殴りかからんばかりの彼女の様子に、「桜!」とコハクが心配してこちら駆け寄って来る。

 しかし私は、「大丈夫だから、コハクは手を出さないで」と言って彼を止めた。


「あの子を裏切っておいて、どうして貴女は笑っていられるの?」


 襟元を掴む手に力を込めながら、冷ややかな視線をこちらに向けて桃井は静かに呟いた。

 次の瞬間、気持ちが爆発したように彼女は血相を変えて怒りをぶちまけた。


「貴女にとって美希がただの友達の一人に過ぎなかったとしても、あの子にとって貴女は唯一無二の親友だったのよ! なのにどうして、あの子の気持ちを踏みにじるような事をしたのよっ! 貴女が居れば、大丈夫だと……思ってたのに……っ!」


 その時、彼女の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。

 桃井にとって美希がどれだけ大切な存在だったのか、痛い程気持ちが伝わってくる。

 だからこそ、私もその思いに応えるように彼女の瞳を正面からしっかりと捉えた。

 そして、優しく彼女の手に自分の手を添えて思いを伝えた。


「私にとっても美希は、かけがえのない大切な親友。その気持ちは昔も今も変わらない。だけど、最後に電話を貰った時、大事な試合前で自分の事しか考えられなくて、美希の異変に気付けなかった。それどころか、美希が何に苦しんでいたのかその理由さえも知らなかった、私は駄目な親友。空手も止めて、いじめにも耐えて、ずっと自分を責め続けた。でもそれでは美希が悲しむだけだとコハクが私に気付かせてくれたから、前を向こうと決めた。あの子に誇れる自分になれるように。だから、私は笑う」


 桃井は掴んでいた私の襟元から手を離してくるりと身体を翻すと、フェンスの方へ静かに歩み寄った。

 雲一つない綺麗な青空を眺めながら、彼女はそっと口を開く。


「あの子、最後まで携帯を握りしめていたそうね……」


 先程までとは信じられないくらい穏やかに話す桃井に、私は目を伏せて静かに言葉を返した。


「私が電話を切った後、美希はそのまま……」

「悔しいわね……私の方には電話さえ掛かって来なかったわ」


 その時、初めて本来の彼女と会話出来た気がした。

 フェンスに手をかけ、地上を見詰めながら彼女は静かに語り始める。


「本当は薄々気付いていたわ……貴女が本当に悪いわけじゃない事を。どれだけいじめても、貴女は決して学校を休もうとしなかった。抵抗もせずにただそれを受け入れ続ける貴方を見て、美希の事を本当に後悔してるんだって。でも……貴女を痛めつける事で、気付かないようにその気持ちに蓋をしていた。そうしないと、私には何も残らない気がして」


 桃井は身体を翻して、私の方を向くと「辛い思いをさせて、悪かったわね」と悲しそうに笑った。


「私の方こそ、美希を守れなくてごめんなさい」


 頬をつたって、次々と涙が流れていく。今までの楽しかった事や辛かった事など、様々な思い出が入り乱れて私の中を駆け巡った。


「でもね、やっぱり私は貴女を許せないの。あの子は本当に貴女の事が好きだった……だからこそ、美希がどういう思いでここから飛び降りたのか考えると許せない」


 そう言って、桃井はフェンスの縁をそーっと手でなぞった。


「本当は『これからの時間』も、もっと貴女と一緒に泣いたり笑ったり色んな思い出を作っていきたかったはず。だけど、『貴女と過ごす楽しい今の時間』を壊したくなくて、美希は辛い事を貴女には言わなかった。どちらの時間も叶えてあげる事が出来たのは、紛れもなく貴女だけだったのに、その気持ちに気付いてあげられなかった事が、私には許せない」


 静かにそう呟いた後、桃井にはフェンスに足をかけた。


「危ないよ! 止めて!」


 私の制止も聞かずに桃井はフェンスの上に立ってこちらを向く。


「だから私は、貴女にトラウマを植え付ける。私達姉妹の事を忘れる事がないように……さようなら」


 涙を流しながら綺麗に微笑んだ後、静かに彼女は後ろに身体を傾けた。


──桃井を死なせてはいけない


 気が付いたら、身体が勝手に走り出していた。


「桜……っ!」


 コハクの悲痛な叫びが聞こえた気がした。

 でも、私の身体は止まらない。

 加速をつけて跳躍し、片手を軸にしてフェンスを飛び越えた。

 落ちていく桃井の腕を掴み、渾身の力で彼女を二階のベランダに投げ入れた。


 空手を止めてから、かなり身体がなまったな。

 目前に広がる青空を眺め、ああ今日は本当にいい天気だなと呑気な事を考える。

 これからどうなるのか、意識したくなかったから。


 美希も、この景色を見ていたんだね……今、会いに行くよ……今度は一緒に何をして遊ぼうか?


 コハク……もっと貴方の傍で色んな思い出を作りたかった。約束、守れなくてごめんね……

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