獣耳男子と恋人契約

花宵

【閑話】大切な人(コハク視点)

『さむい……このまま、死んじゃうのかな……』


 降りしきる雨が、容赦なく僕の体温を奪ってゆく。道路に横たわったまま、動く事さえ出来やしない。


『だれか……たすけて……』


 弱々しく叫んでも、誰にも僕の言葉は届かない。

 僕が人間の姿をしていたならば、誰か助けてくれたのかもしれない。

 でも今の僕の状況は、狐が車に轢かれて死にかけている様にしか見えない。


 可哀想に……と同情の視線がくるか、嫌なものを見たと目を逸らされるだけ。


 身体の痛みと激しい雨で僕の体力は限界に達しようとしていた。


 このまま目を閉じたら楽になれるかな。

 少しだけなら、いいよね。


「大丈夫? 安心して、私が君を助けてあげるから」


 小さな少女が傘で雨を遮るようにして、声をかけてきた。

 彼女は着ていた白いカーディガンを脱いで、僕を優しく包み込んで抱き上げると、何処かへ走り出す。


 ああ、とても温かい。

 あまりの心地よさに僕はそのまま意識を手放した。


 あの後、僕は何とか一命をとりとめた。


 助けてくれた少女は、学校帰りに毎日僕の様子を見に来ては、優しく話しかけてくれる。

 彼女の名前は『さくら』と言うらしい。

 さくらは明るくて、優しくて、笑顔のとても可愛い女の子だった。


「シロちゃん、具合はどう?」


 その当時、僕はさくらにシロちゃんと呼ばれていた。

 白いからシロちゃん。単純なネーミングだけど、さくらが僕の事を呼んでくれるなら名前なんて何でもよかった。


「はやくお外で遊べるようになるといいね。今日はコスモス持ってきたよ」


 さくらは狭いゲージの中から出られない僕を気遣って、少しでも外の空気を感じられるようにと、毎日違う花や木の実などを持ってきてくれた。

 そして、楽しそうに今日の出来事を話してくれて、さくらに会えるその時間がすごく待ち遠しかったのを覚えている。


 彼女が話す内容によく『カナちゃん』という子が出てくるのが少し気になった。

 仲の良い女友達なんだろうけど、少し嫉妬してしまう。

 こんな形じゃなくて、人間の姿で僕は君と出会いたかったなんて思っていた。



 妖怪の女の子は皆、高飛車で怖い。

 地位と名誉を重んじていて、ハーフの僕を汚らわしいものを見るような目で見てはサッと視線を逸らす。

 逆に本家の血筋を引く僕の従兄をうっとりとした眼差しで見つめては、黄色い声援を上げている。


 正直僕は女の子が苦手だった。

 でも、さくらだったら一緒に居ても怖くないし、逆に楽しくて心地よい。

 それに何より、彼女の無垢な笑顔が僕の目を惹きつけて止まなかった。

 さくらが笑いかけてくれる度に、僕の心臓は尋常じゃないほどけたたましく鳴り続けて、胸がどうにかなりそうだった。

 気が付けば、いつの間にか僕はさくらの事が好きになっていた。



 妖怪白狐の血が流れている僕は、普通の人より自己治癒能力が高い。その奇跡的な回復力で、一週間が経つ頃には本当は怪我は治っていた。

 さくらの傍に居たかった僕は、わざと怪我しているフリを一週間ほど続けていたっけ。


 ちょうどそんな時、母にやかましく言われたらしい父が僕を迎えに来た。さくらにお別れも言えないまま、僕は問答無用で父に連れられその地を後にした。


 この恩は決して忘れない。いつか必ず恩返しに行こう。

 空を駆ける流星群を眺めながら、僕は心にそう強く誓った。



 家に帰った僕は、人間の姿で生活できるように修行に励んだ。

 ハーフの僕は人間の世界でも、妖怪の世界でも中途半端。それなら楽な方でいいやと逃げていたけど、さくらに恩返しがしたい一心で、僕は人間として生きる事を選んだ。



 それから月日が流れ、僕は人間としての生活にも大分慣れた。

 恩返しをするため、久しぶりにさくらに出会った町へ帰ってきたが、彼女に会う事は出来なかった。

 のどかな景色が広がるその町は学校の数もそこまで多くなく、妖術を使ってちょっといけない方法で調べたりしたけど、見つからない。

 どうやら僕がこの町を離れている間に、彼女は引っ越してしまったようだ。

 時間の許す限り僕は彼女を捜すも、さくらという名前しか分からないため、捜索はかなり難航した。


 一年が経った頃、叔父の勤める聖蘭学園にもさくらという女の子がいると聞いて、藁にもすがる思いで僕はその子に会いに行った。

 そこで目にしたのは、紛れもない僕が探していたさくらだった。

 しかし驚いたことに、彼女の表情から以前の様な笑顔が消え去っていた。


 キラキラと輝いていた瞳は、色彩を映していないかのようにどんよりと曇っている。


 彼女の身に何があったのか。

 何が原因でそうなってしまったのかは分からない。

 だけど、このままではさくらが消えてしまいそうな気がした。


 さくらには笑顔がとても似合うんだ。

 また昔のように笑って欲しい。

 願わくば、僕にもう一度あの笑顔を見せて欲しい。


 その一心で、僕は両親を説得してこの地に移り住む事を決意した。

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