2.5D/リアル世界の異世界リアル
第4話
4
膝枕ならぬ本枕にガッカリして40分くらいが経っただろうか。
……うん、正直まだ癒美ちゃんにはガッカリしてるんだが、それはさておき。
俺と奇姫は男子寮を目指して歩いていた。
そんで色々とあった。……大変だった。
再土下座の後のことだ。奇姫が「じゃあ早速エントリーよ!」と言い、俺は彼女に連行されるような形で屋外に出ると、そこは俺の知らない学校の敷地だった。
暮れなずむ空の下で右も左も分からないまま校舎玄関へと連れ込まれ、俺はそこでまず『自分の下駄箱の場所を知らない』というピンチを迎えた。
「し、しまった!」
「は? なに?」
「俺としたことが内履き洗っちまったんだった!……しょうがない、来客用のスリッパ使うか」
「……、いつ洗ったのよ……?」
今すぐ自分の下駄箱を調べるのは不可能だ。奇姫が知っていると思えないのもあるが、そもそも俺が彼女に尋ねるのは不自然だ。
「し、しまった!」
「今度はなによ!?」
職員室前の廊下に設置された端末機。その近代的な機械で大会へのエントリーをするらしいのだが、起動させて真っ先に『学籍番号の入力』を求められたのだ。
し、知ってるわけねえだろっ(常考)!
「じ、実は俺……。今1週間の停学食らってて学籍番号が使えないんだった……」
「なわけあるかっ! ええい、往生際が悪いわよ憑々谷子童! 入力しなさい!」
「くそっ、もうダメか!」
俺は自棄になって自分の高校の学籍番号を入力。するとあら不思議、正常に次の画面に移った。『ようこそ憑々谷子童さん』とモニタの上部に表示されていた。
「な、なるほど。これも都合良く設定だったか……って、名前ふざけてるだろ」
憑々谷はまだ良しとしても、子童はアウトだろ。つまりクソガキってことだろ。
嫌がらせ目的でこの漢字にしたとしか思えないぞ。神様め。
「指紋認証もクリアっと。……これでいいんだよな?」
「おーっほっほっほ! もちろんバッチリよ♪」
俺はニッコリ満面な奇姫にドキッとしながらも、無事手続きを完了させた。
だがその直後、彼女は俺に背を向けて歩き出した。
「それじゃ、あたしは他にやることあるから。ここでお別れね」
「し、しまった!」
「晩御飯はたらこパスタにしーよおっとぉ!」
あ、コイツ無視したぞ!
もう用済みって感じに決め込もうとしてやがる!
「ま、待ってくれ! 頼むっ!」
「……………………。まだなんかあんの?」
奇姫を引き留めることに成功するが、彼女の顔が怖かった。
汚物を見るような目ってこういう目なんですね。絶句。だが言わなければ!
「お、俺、これでも体調があまり良くなくてだな……? だからその、面倒だとは思うんだが、俺の部屋まで付き添ってはくれないか……?」
「はあぁ? あのね、男子寮に女子が入れるわけないじゃないの」
「! な、なら男子寮の前まででいい! お、お願いできないか?」
やばい、見かけだけなら必死に異性を誘ってるよ。超恥ずかしい。
俺は男子寮がどこにあるか知りたいだけなのに。
「……っ! わ、わかったわよ。そんなに真顔で迫られちゃ断るに断れないわ……」
奇姫が明後日の方向を見つつ、髪の毛を弄りながら呟いた。
おぉデレたぞ。やっぱコイツ俺にオチてるな。ラノベ主人公サマサマだ。
―――かくして俺は、奇姫の歩調にこっそり合わせて男子寮を目指し現に至っている。無論、同年代の異性と肩を並べて歩くなんて初めてだった。他の生徒達とすれ違う度にカップルに見えてるんじゃないかってドキドキしてしまう。
あぁ、俺は今、とても幸せです(感涙)。
(…………。それにしても、ずいぶんと男子寮が遠いな……?)
もう軽く10分は歩いている気がするんだが。どんだけ敷地がデカいんだ。大学のキャンパスかよ。
「さっきから思ってたんだけどさ。あんた、余所見しすぎじゃない?」
「! そ、そうか?」
隣の奇姫が不満とばかりに俺を睨んできた。
ううむ? 感づかれないように自重してたつもりなんだけど……。
苦笑して流そうとする俺に対し、しかし奇姫は口を紡ぐ。
「まるでこの学園を初めて訪れたみたいな印象を受けるわ。だからそういうの、もう入学から半年は経ってるんだしやめて欲しいの。見てて嘆かわしいわ」
「す、すまん」
「……現在地や行きたい施設を知りたい時は、学園マップのアプリを使えって入学式の日に説明されたでしょ? スマホに登録しなかった?」
「いや……したと思う。……した」
俺は当然ながら入学式の日の記憶なんてあるはずがない。だが『してる・してない』の二択しかないので、俺はやむを得ず『してる』を選んだ。
というか今スマホ持ってるかどうかなんて意識してなかったな。俺は鞄に入れとく派だからな。『今鞄持ってない=今スマホ持ってない』みたいな等式が無意識にできあがってた。
(……うん、まぁそこは問題じゃないよな。俺の頭からスマホの存在が抜け落ちてたのが問題だ。リアルでほとんど使ってないからだよチクショウめ)
と、なぜか不意に奇姫が立ち止まった。
「……ん? 急にどうしたんだ?」
首を捻って訊ねる。と同時、俺はいつの間にか周囲に人気がなくなっていることに気づいた。
(んん? ここって森の入口だよな。この先に男子寮があるのか……?)
「ないわよ」
「……、は?」
えっ、奇姫に俺の思考を読まれた……?
もしかしてこれも夢の中の設定だったりするのか……?
「あのね、男子寮はこっちじゃないし、学園マップのアプリはあたしがテキトーに作った嘘なのよ。あるわけないじゃない憑々谷子童。……ううん、憑々谷子童に変装した誰かサン?」
奇姫は俺と向き合いニタニタと笑い始めている。……な、なんだこれ。
つまりどういう展開だ? 急すぎて全くついていけないんだがっ。
「まぁそれでも指紋認証はクリアできてたし? あんたが本物の憑々谷子童である可能性は残ってるわ。だから当初は透明化して尾行しようとしてたんだけど、さっきあんたに呼び止められてしまったしね? 今更そんな慎重になっても仕方ないことなのかなって考え直したの。……だってそうじゃない? あんた、本物と違ってメチャクチャ弱そうだもん」
…………。すまん、誰か要約してくれないか(汗)。
奇姫の発言がまるで耳に入ってこないんだ。えっと、日本語なのは間違いないよな? 偶然日本語っぽく聴こえてるわけじゃないんだよな?
「だから―――確かめさせて。あんたが憑々谷子童だってんなら、ましてや学園最強だってんなら、これくらい造作もなくいなせるはずよッ!」
奇姫が右腕を真横に伸ばし、なにかの合図のように指を鳴らす。すると次の瞬間、彼女のすぐ脇に鎮座していた巨大な岩石が、天高く浮かび上がった!
「ふあっ!? な、ななななななな……!?」
俺は宙に浮かぶ岩石に目を固定したまま後ずさった。
こ、これ、絶対に逃げたほうがいいやつだよな? に、逃げるべきだよな?
に、にににに、逃げんぞっ!
「―――ふふ! させると思う?」
再び指で鳴らす不吉な音。すると今度は俺を取り囲むように火柱が立ち上がった!
あっぢぃ! これじゃ逃げられないッ!
「おーっほっほっほ! さぁ、どうするの!? 大人しく捕まった方が身のためだと思うけど!?」
「……っ! ゆ、夢だ……。これは夢なんだ……!」
奇姫の言葉を聞き流し、俺は小動物のように怯え始める。
だがそう、これはただの夢なんだ。俺の頭上にじわじわと移動してくるあの岩石も、俺の吸える空気を着実に減らしているこの火柱も、現実から切り離された代物。ありえない現象だし怖がる必要なんてなにもないんだ!
この世界は、どこまでいっても夢でしかないんだからな!
(だけど……。本当にこれは夢なのか―――?)
目が覚めたらこの世界だったんだぞ? じゃあここが現実の世界じゃないのか?
2人の美少女にビンタされたけど普通に痛かったぞ? 痛かったら目が覚めるものじゃないのか?
痛いんだったらあの岩石に押し潰されたら、どうなる?
この火柱のせいで酸欠になったら、どうなる?
もしかせずとも俺は―――《《死ぬんじゃないのか》》?
「……やれやれ。ようやく現実逃避から脱却してくれたみたいだねー?」
「!? あ、アリスか!?」
俺は縋るような思いでアリスバンドからの呼びかけに応じた。だが声はしたものの彼女の姿は認められなかった。それもそのはず、まだあちらの世界が外殻によって塞がれたままだったからだ。
「助けてくれ! 俺は今、見ず知らずの生徒に殺されかけてんだ!」
「あー、うん。そっちの状況はだいたいわかっちゃいるんだけどさぁ……」
迫る命の危機にハラハラせずにはいられない俺とは裏腹、アリスの調子は驚くほどのどかなものだ。
「……おい。まさか俺をこのまま見殺しにする気じゃないよな?」
「や、やだなー、神様が目の前の犯罪をムシするわけないじゃん……?」
「だよな! じゃあ早くこっちきてあの岩とこの炎を何とかしてくれ!」
「…………」
「おいなぜ黙り込む!? そのだんまりは許されねえぞ!?」
俺は待ちきれなくなってアリスバンドの外殻を剥がそうと試みる。だが思いのほか表面がつるつるしてて指先に力を加えられない。む、無理ゲーだ!
火の手が強まって着実に侵食されていく安全地帯。立ち込めつつある黒煙が俺の気管支に到達し、ゴホゴホと咳が出た。
「や、ヤロっ! こうなったら足で踏み砕くしかねぇな……!」
「それはらめぇー! ゲートが潰れちゃうよぉー!」
「知るかよ! そっちで勝手にA〇フィールドでも出しとけばいいだろ!?」
「あ、そだね。よよいのよいじゃん」
……よよいのよい? いやつまりどっちだよ?
「―――ねぇ、気でも狂った? さっきからブツブツ誰と話してんの?」
揺れ動く炎のカーテン。
その合間から奇姫は愉しそうに俺を見物していた。
(くそッ! やっぱアイツは俺を殺す気だ。これが冗談だったら俺を助けてもいい頃合いのはずだしな……!)
気づくと俺は奇姫に口撃を始めていた。
「るせぇ! このなんちゃって意識高い系の姫っ娘野郎が! おーっほっほっほとか、いちいち時代が古いんだよ! その鮮度のねぇ高笑いひとつのせいで、こっちの勃つモンも勃たなくなっちまうだろうが! とりま慰謝料払えよゴラァ!!」
「んなっ!?」
奇姫がうろたえた様子を見せる。だがそれはほんの一瞬だった。
驚愕に見開かれた彼女の瞳が、すぐさま正気―――勝気を取り戻す。
「……ほほっ、この度はお熱いなか遠吠えしていただいてどうもありがと。それじゃ負け犬さん、そろそろ舌を出して命乞いしてもらうわよ?」
「命乞い? ははは、俺がするわけねーだろーが!」
とうとう頭上に到着した岩石を見上げながら、俺は場違いにも笑ってしまった。そう、場違いだ。おかしい。俺はさっきまで確かに怯えてたのに、こうしてあとは落ちるだけとなった岩石を、まるで今か今かと待ち望むような気分だ。なぜだろう?
「いわゆる……主人公補正ってやつじゃないの?」
「! ああ! そういうことか!」
アリスの一言で俺は納得した。主人公補正。なるほど、どうりでこの土壇場になっても死亡フラグが回収されそうな気配がしないわけだ。つまり俺はこれからも生きているから余裕ぶっているのだ。
「や、そもそも死亡フラグぽいのあった?」
……む。ぶっちゃけ無かったかもしれないな……。
「ま、まぁいいんだよフラグなんて。無かったら無いんだし、あったんなら『俺の主人公補正で折れた』ってことだろ。どっちにしろ俺が死ぬ心配はない!」
「ま、またブツブツと……! あ、あたしをシカトすんじゃないわよ、憑々谷子童の偽者! さっさと命乞いしなさい! じゃないと本当に岩を落とすわよ!?」
「だから落とせばいいだろ」
「は、はぁ!? あんた、死にたいの!?」
バーロー、まだ彼女もできたことないのに死にたいわけないだろ(常考)。
「あははー、策がないのによく言うねえー?」
「うっせ、ラノベ主人公はボーっとしててもモテるんだ。だったらなにも考えなしなぐらいで死ぬはずないだろ。これ常識、テストじゃサービス問題だ」
「……うん。キミ今、自ら死亡フラグを立てたっぽい気がするんだけど……?」
心配と呆れを含んだアリスの声。しかし俺の自信はウナギのぼりに増すばかりだった。ついには奇姫に挑発してしまう。
「どうした? まさかだがお前、俺にここまで仕掛けておいてあの岩を落とさないつもりはないよな?」
「っ!?」
「別の訊ね方をするぞ……。お前、『偽者と思って殺したら実は本物でした』って最悪のオチに、ビビってたりしてないよな?」
「っ!?」
「してないよな?」
「し、してないわよ! だいたいあんたは偽者! 偽者じゃないとこんなあたしみたいな自己中になんて……ああいう甘い言葉、絶対に囁いてくれないんだからッ!」
「甘い言葉……? あぁ、超大当たりってやつか?」
「そ、それよ! あたしの知ってる憑々谷子童が、軽々と言うわけないッ!」
……いや、それはどうなんだ? 仮にもう1人の俺が本物で、俺が偽者だったなら、ちゃんと本物が『超大当たり』って言ったことになるんだが。
(……って、なんだこのややこしさは? そもそも奇姫は俺の二重人格を疑ってるわけじゃないんだろ。本物が憑々谷子童で、偽者が『彼に変装した誰かさん』って予想なんだろ)
そうだ。今の俺みたいに二重人格と疑って本物偽者って言ってるわけじゃない。ごく単純に、俺が憑々谷子童のフリをしていると疑っているのだ。
「そうか。じゃあ俺はお前に話を合わせてやるしかないか……」
「は、はあ?」
憑々谷子童の本物と偽者。二重人格という意味ではなく、赤の他人という意味で偽者を定義したなら―――。
「つーかお前さ? 肝心なこと忘れてないか?」
「な、なによ……?」
「俺の女子風呂覗き未遂事件はどうなってるんだよ? それを俺が知ってんのは、俺が本物の憑々谷子童であるなによりの証拠だろ」
俺はあえて空とぼけてみた。そう、この指摘に対する回答は俺自身がすでに持ち合わせている。
(だってそうだろ! この美少女は透明人間になったり相手の思考を読んだり、岩石を空中に浮かばせたりできるんだ!)
だったら相手の過去を盗み見る異能力者がいても全然不思議じゃない。
この学園はそういうチカラを得た少年少女が集まっていると考えられるわけだ!
「だいたいなぁ、俺が今こんな目に遭ってんのは、お前がヒトの言葉に素直じゃないっていう、それだけのことから起きてんだぞ? とにかくまずは信じて受け止めろよ。超大当たりって言われたんなら普通、お世辞くらいに思っておくもんだからな?」
「う、うるさいうるさいうるさい! そんな真面目腐った説教こそ、あの憑々谷子童がするわけないんだってばぁぁぁぁぁぁ!!」
瞬間、奇姫がついに3度目を鳴らした。
もうどうにでもなってしまえと、見るからに捨て鉢な様子だった。
巨大な岩石が俺の頭上へ向けて落下を始める。すでに避けられる空間はない。周りの火柱が俺の逃げ場を奪いきっていた。
絶体絶命とはまさにこのこと。岩石に押し潰されて死ぬか。火炙りになって死ぬか。ラノベ主人公じゃなかったらここで人生にピリオドを打たれていただろう。
【―――俺は、まだ死ねない!】
おお! どうせくるだろうなと思ってたけどもう1人の俺じゃないか!
地味に影薄くなってたけど大丈夫か!?  この状況をウマく切り抜けてくれるんだよな!? 頼むぞ俺!!
【発効せよ、真氷城塞!】
そう叫ぶやいなや俺は右足を上げすぐさま靴底を大地に再着陸させた。
するとどうだろう。たったそれだけのイケてない技名と動作で、俺を取り囲んでいた火柱が一瞬で―――氷柱にすり替わった!
「こ、これは派生能力!? あんた、本物の憑々谷子童だったの!? さ、寒ッ!」
奇姫の愕然とする声音。だが俺は完全無視だ。すぐそこまで落下中の岩石が接近しているッ。
【発効せよ、武神ノ剛腕!】
ウホッ、両腕がムキムキになった! キモいけどいける、袖が破けてアリスバンドもミシミシいってるけどこれで勝てる!
【うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!】
俺はラスボスにトドメを刺す勢いで気合を入れると、か〇はめ波をするみたいな要領で両手首をくっつける。そしてそれを―――落ちてきた巨大な岩石へ思いきり解き放った!
衝突し拮抗する力と力。
だが俺は両の奥歯を強く噛み締め、勝利を確信して笑った。
(まったく、ラノベ主人公は最高だぜ! キツイ目に遭ってるのは違いないけどさ、体育祭とかで活躍するのとは比べモノにならんほどの快感じゃないか! 俺そもそも体育祭で活躍したことないけど!)
【―――しまっ!?】
(…………………………………………………………。はい???)
強制的に俺は足下を見る。……んんん? どうして俺の脚が見る見る内に凍り付いてんだ? このままじゃ膝まで凍り付いちまって、とてもじゃないけど立って居づらいじゃないか―――。
【くそっ! 異能力の制御がおろそかになっていたのかっ……!】
え? それってつまりどういうこ
……………………………………………………………………………………。
「あわわわわ……。結局死亡フラグ回収されちゃってるし……」
アリスがそう小さく呟いたのが、辛うじて聴き取れた。
遠くでは少女の悲鳴が上がっている……ような気がした。
膝枕ならぬ本枕にガッカリして40分くらいが経っただろうか。
……うん、正直まだ癒美ちゃんにはガッカリしてるんだが、それはさておき。
俺と奇姫は男子寮を目指して歩いていた。
そんで色々とあった。……大変だった。
再土下座の後のことだ。奇姫が「じゃあ早速エントリーよ!」と言い、俺は彼女に連行されるような形で屋外に出ると、そこは俺の知らない学校の敷地だった。
暮れなずむ空の下で右も左も分からないまま校舎玄関へと連れ込まれ、俺はそこでまず『自分の下駄箱の場所を知らない』というピンチを迎えた。
「し、しまった!」
「は? なに?」
「俺としたことが内履き洗っちまったんだった!……しょうがない、来客用のスリッパ使うか」
「……、いつ洗ったのよ……?」
今すぐ自分の下駄箱を調べるのは不可能だ。奇姫が知っていると思えないのもあるが、そもそも俺が彼女に尋ねるのは不自然だ。
「し、しまった!」
「今度はなによ!?」
職員室前の廊下に設置された端末機。その近代的な機械で大会へのエントリーをするらしいのだが、起動させて真っ先に『学籍番号の入力』を求められたのだ。
し、知ってるわけねえだろっ(常考)!
「じ、実は俺……。今1週間の停学食らってて学籍番号が使えないんだった……」
「なわけあるかっ! ええい、往生際が悪いわよ憑々谷子童! 入力しなさい!」
「くそっ、もうダメか!」
俺は自棄になって自分の高校の学籍番号を入力。するとあら不思議、正常に次の画面に移った。『ようこそ憑々谷子童さん』とモニタの上部に表示されていた。
「な、なるほど。これも都合良く設定だったか……って、名前ふざけてるだろ」
憑々谷はまだ良しとしても、子童はアウトだろ。つまりクソガキってことだろ。
嫌がらせ目的でこの漢字にしたとしか思えないぞ。神様め。
「指紋認証もクリアっと。……これでいいんだよな?」
「おーっほっほっほ! もちろんバッチリよ♪」
俺はニッコリ満面な奇姫にドキッとしながらも、無事手続きを完了させた。
だがその直後、彼女は俺に背を向けて歩き出した。
「それじゃ、あたしは他にやることあるから。ここでお別れね」
「し、しまった!」
「晩御飯はたらこパスタにしーよおっとぉ!」
あ、コイツ無視したぞ!
もう用済みって感じに決め込もうとしてやがる!
「ま、待ってくれ! 頼むっ!」
「……………………。まだなんかあんの?」
奇姫を引き留めることに成功するが、彼女の顔が怖かった。
汚物を見るような目ってこういう目なんですね。絶句。だが言わなければ!
「お、俺、これでも体調があまり良くなくてだな……? だからその、面倒だとは思うんだが、俺の部屋まで付き添ってはくれないか……?」
「はあぁ? あのね、男子寮に女子が入れるわけないじゃないの」
「! な、なら男子寮の前まででいい! お、お願いできないか?」
やばい、見かけだけなら必死に異性を誘ってるよ。超恥ずかしい。
俺は男子寮がどこにあるか知りたいだけなのに。
「……っ! わ、わかったわよ。そんなに真顔で迫られちゃ断るに断れないわ……」
奇姫が明後日の方向を見つつ、髪の毛を弄りながら呟いた。
おぉデレたぞ。やっぱコイツ俺にオチてるな。ラノベ主人公サマサマだ。
―――かくして俺は、奇姫の歩調にこっそり合わせて男子寮を目指し現に至っている。無論、同年代の異性と肩を並べて歩くなんて初めてだった。他の生徒達とすれ違う度にカップルに見えてるんじゃないかってドキドキしてしまう。
あぁ、俺は今、とても幸せです(感涙)。
(…………。それにしても、ずいぶんと男子寮が遠いな……?)
もう軽く10分は歩いている気がするんだが。どんだけ敷地がデカいんだ。大学のキャンパスかよ。
「さっきから思ってたんだけどさ。あんた、余所見しすぎじゃない?」
「! そ、そうか?」
隣の奇姫が不満とばかりに俺を睨んできた。
ううむ? 感づかれないように自重してたつもりなんだけど……。
苦笑して流そうとする俺に対し、しかし奇姫は口を紡ぐ。
「まるでこの学園を初めて訪れたみたいな印象を受けるわ。だからそういうの、もう入学から半年は経ってるんだしやめて欲しいの。見てて嘆かわしいわ」
「す、すまん」
「……現在地や行きたい施設を知りたい時は、学園マップのアプリを使えって入学式の日に説明されたでしょ? スマホに登録しなかった?」
「いや……したと思う。……した」
俺は当然ながら入学式の日の記憶なんてあるはずがない。だが『してる・してない』の二択しかないので、俺はやむを得ず『してる』を選んだ。
というか今スマホ持ってるかどうかなんて意識してなかったな。俺は鞄に入れとく派だからな。『今鞄持ってない=今スマホ持ってない』みたいな等式が無意識にできあがってた。
(……うん、まぁそこは問題じゃないよな。俺の頭からスマホの存在が抜け落ちてたのが問題だ。リアルでほとんど使ってないからだよチクショウめ)
と、なぜか不意に奇姫が立ち止まった。
「……ん? 急にどうしたんだ?」
首を捻って訊ねる。と同時、俺はいつの間にか周囲に人気がなくなっていることに気づいた。
(んん? ここって森の入口だよな。この先に男子寮があるのか……?)
「ないわよ」
「……、は?」
えっ、奇姫に俺の思考を読まれた……?
もしかしてこれも夢の中の設定だったりするのか……?
「あのね、男子寮はこっちじゃないし、学園マップのアプリはあたしがテキトーに作った嘘なのよ。あるわけないじゃない憑々谷子童。……ううん、憑々谷子童に変装した誰かサン?」
奇姫は俺と向き合いニタニタと笑い始めている。……な、なんだこれ。
つまりどういう展開だ? 急すぎて全くついていけないんだがっ。
「まぁそれでも指紋認証はクリアできてたし? あんたが本物の憑々谷子童である可能性は残ってるわ。だから当初は透明化して尾行しようとしてたんだけど、さっきあんたに呼び止められてしまったしね? 今更そんな慎重になっても仕方ないことなのかなって考え直したの。……だってそうじゃない? あんた、本物と違ってメチャクチャ弱そうだもん」
…………。すまん、誰か要約してくれないか(汗)。
奇姫の発言がまるで耳に入ってこないんだ。えっと、日本語なのは間違いないよな? 偶然日本語っぽく聴こえてるわけじゃないんだよな?
「だから―――確かめさせて。あんたが憑々谷子童だってんなら、ましてや学園最強だってんなら、これくらい造作もなくいなせるはずよッ!」
奇姫が右腕を真横に伸ばし、なにかの合図のように指を鳴らす。すると次の瞬間、彼女のすぐ脇に鎮座していた巨大な岩石が、天高く浮かび上がった!
「ふあっ!? な、ななななななな……!?」
俺は宙に浮かぶ岩石に目を固定したまま後ずさった。
こ、これ、絶対に逃げたほうがいいやつだよな? に、逃げるべきだよな?
に、にににに、逃げんぞっ!
「―――ふふ! させると思う?」
再び指で鳴らす不吉な音。すると今度は俺を取り囲むように火柱が立ち上がった!
あっぢぃ! これじゃ逃げられないッ!
「おーっほっほっほ! さぁ、どうするの!? 大人しく捕まった方が身のためだと思うけど!?」
「……っ! ゆ、夢だ……。これは夢なんだ……!」
奇姫の言葉を聞き流し、俺は小動物のように怯え始める。
だがそう、これはただの夢なんだ。俺の頭上にじわじわと移動してくるあの岩石も、俺の吸える空気を着実に減らしているこの火柱も、現実から切り離された代物。ありえない現象だし怖がる必要なんてなにもないんだ!
この世界は、どこまでいっても夢でしかないんだからな!
(だけど……。本当にこれは夢なのか―――?)
目が覚めたらこの世界だったんだぞ? じゃあここが現実の世界じゃないのか?
2人の美少女にビンタされたけど普通に痛かったぞ? 痛かったら目が覚めるものじゃないのか?
痛いんだったらあの岩石に押し潰されたら、どうなる?
この火柱のせいで酸欠になったら、どうなる?
もしかせずとも俺は―――《《死ぬんじゃないのか》》?
「……やれやれ。ようやく現実逃避から脱却してくれたみたいだねー?」
「!? あ、アリスか!?」
俺は縋るような思いでアリスバンドからの呼びかけに応じた。だが声はしたものの彼女の姿は認められなかった。それもそのはず、まだあちらの世界が外殻によって塞がれたままだったからだ。
「助けてくれ! 俺は今、見ず知らずの生徒に殺されかけてんだ!」
「あー、うん。そっちの状況はだいたいわかっちゃいるんだけどさぁ……」
迫る命の危機にハラハラせずにはいられない俺とは裏腹、アリスの調子は驚くほどのどかなものだ。
「……おい。まさか俺をこのまま見殺しにする気じゃないよな?」
「や、やだなー、神様が目の前の犯罪をムシするわけないじゃん……?」
「だよな! じゃあ早くこっちきてあの岩とこの炎を何とかしてくれ!」
「…………」
「おいなぜ黙り込む!? そのだんまりは許されねえぞ!?」
俺は待ちきれなくなってアリスバンドの外殻を剥がそうと試みる。だが思いのほか表面がつるつるしてて指先に力を加えられない。む、無理ゲーだ!
火の手が強まって着実に侵食されていく安全地帯。立ち込めつつある黒煙が俺の気管支に到達し、ゴホゴホと咳が出た。
「や、ヤロっ! こうなったら足で踏み砕くしかねぇな……!」
「それはらめぇー! ゲートが潰れちゃうよぉー!」
「知るかよ! そっちで勝手にA〇フィールドでも出しとけばいいだろ!?」
「あ、そだね。よよいのよいじゃん」
……よよいのよい? いやつまりどっちだよ?
「―――ねぇ、気でも狂った? さっきからブツブツ誰と話してんの?」
揺れ動く炎のカーテン。
その合間から奇姫は愉しそうに俺を見物していた。
(くそッ! やっぱアイツは俺を殺す気だ。これが冗談だったら俺を助けてもいい頃合いのはずだしな……!)
気づくと俺は奇姫に口撃を始めていた。
「るせぇ! このなんちゃって意識高い系の姫っ娘野郎が! おーっほっほっほとか、いちいち時代が古いんだよ! その鮮度のねぇ高笑いひとつのせいで、こっちの勃つモンも勃たなくなっちまうだろうが! とりま慰謝料払えよゴラァ!!」
「んなっ!?」
奇姫がうろたえた様子を見せる。だがそれはほんの一瞬だった。
驚愕に見開かれた彼女の瞳が、すぐさま正気―――勝気を取り戻す。
「……ほほっ、この度はお熱いなか遠吠えしていただいてどうもありがと。それじゃ負け犬さん、そろそろ舌を出して命乞いしてもらうわよ?」
「命乞い? ははは、俺がするわけねーだろーが!」
とうとう頭上に到着した岩石を見上げながら、俺は場違いにも笑ってしまった。そう、場違いだ。おかしい。俺はさっきまで確かに怯えてたのに、こうしてあとは落ちるだけとなった岩石を、まるで今か今かと待ち望むような気分だ。なぜだろう?
「いわゆる……主人公補正ってやつじゃないの?」
「! ああ! そういうことか!」
アリスの一言で俺は納得した。主人公補正。なるほど、どうりでこの土壇場になっても死亡フラグが回収されそうな気配がしないわけだ。つまり俺はこれからも生きているから余裕ぶっているのだ。
「や、そもそも死亡フラグぽいのあった?」
……む。ぶっちゃけ無かったかもしれないな……。
「ま、まぁいいんだよフラグなんて。無かったら無いんだし、あったんなら『俺の主人公補正で折れた』ってことだろ。どっちにしろ俺が死ぬ心配はない!」
「ま、またブツブツと……! あ、あたしをシカトすんじゃないわよ、憑々谷子童の偽者! さっさと命乞いしなさい! じゃないと本当に岩を落とすわよ!?」
「だから落とせばいいだろ」
「は、はぁ!? あんた、死にたいの!?」
バーロー、まだ彼女もできたことないのに死にたいわけないだろ(常考)。
「あははー、策がないのによく言うねえー?」
「うっせ、ラノベ主人公はボーっとしててもモテるんだ。だったらなにも考えなしなぐらいで死ぬはずないだろ。これ常識、テストじゃサービス問題だ」
「……うん。キミ今、自ら死亡フラグを立てたっぽい気がするんだけど……?」
心配と呆れを含んだアリスの声。しかし俺の自信はウナギのぼりに増すばかりだった。ついには奇姫に挑発してしまう。
「どうした? まさかだがお前、俺にここまで仕掛けておいてあの岩を落とさないつもりはないよな?」
「っ!?」
「別の訊ね方をするぞ……。お前、『偽者と思って殺したら実は本物でした』って最悪のオチに、ビビってたりしてないよな?」
「っ!?」
「してないよな?」
「し、してないわよ! だいたいあんたは偽者! 偽者じゃないとこんなあたしみたいな自己中になんて……ああいう甘い言葉、絶対に囁いてくれないんだからッ!」
「甘い言葉……? あぁ、超大当たりってやつか?」
「そ、それよ! あたしの知ってる憑々谷子童が、軽々と言うわけないッ!」
……いや、それはどうなんだ? 仮にもう1人の俺が本物で、俺が偽者だったなら、ちゃんと本物が『超大当たり』って言ったことになるんだが。
(……って、なんだこのややこしさは? そもそも奇姫は俺の二重人格を疑ってるわけじゃないんだろ。本物が憑々谷子童で、偽者が『彼に変装した誰かさん』って予想なんだろ)
そうだ。今の俺みたいに二重人格と疑って本物偽者って言ってるわけじゃない。ごく単純に、俺が憑々谷子童のフリをしていると疑っているのだ。
「そうか。じゃあ俺はお前に話を合わせてやるしかないか……」
「は、はあ?」
憑々谷子童の本物と偽者。二重人格という意味ではなく、赤の他人という意味で偽者を定義したなら―――。
「つーかお前さ? 肝心なこと忘れてないか?」
「な、なによ……?」
「俺の女子風呂覗き未遂事件はどうなってるんだよ? それを俺が知ってんのは、俺が本物の憑々谷子童であるなによりの証拠だろ」
俺はあえて空とぼけてみた。そう、この指摘に対する回答は俺自身がすでに持ち合わせている。
(だってそうだろ! この美少女は透明人間になったり相手の思考を読んだり、岩石を空中に浮かばせたりできるんだ!)
だったら相手の過去を盗み見る異能力者がいても全然不思議じゃない。
この学園はそういうチカラを得た少年少女が集まっていると考えられるわけだ!
「だいたいなぁ、俺が今こんな目に遭ってんのは、お前がヒトの言葉に素直じゃないっていう、それだけのことから起きてんだぞ? とにかくまずは信じて受け止めろよ。超大当たりって言われたんなら普通、お世辞くらいに思っておくもんだからな?」
「う、うるさいうるさいうるさい! そんな真面目腐った説教こそ、あの憑々谷子童がするわけないんだってばぁぁぁぁぁぁ!!」
瞬間、奇姫がついに3度目を鳴らした。
もうどうにでもなってしまえと、見るからに捨て鉢な様子だった。
巨大な岩石が俺の頭上へ向けて落下を始める。すでに避けられる空間はない。周りの火柱が俺の逃げ場を奪いきっていた。
絶体絶命とはまさにこのこと。岩石に押し潰されて死ぬか。火炙りになって死ぬか。ラノベ主人公じゃなかったらここで人生にピリオドを打たれていただろう。
【―――俺は、まだ死ねない!】
おお! どうせくるだろうなと思ってたけどもう1人の俺じゃないか!
地味に影薄くなってたけど大丈夫か!?  この状況をウマく切り抜けてくれるんだよな!? 頼むぞ俺!!
【発効せよ、真氷城塞!】
そう叫ぶやいなや俺は右足を上げすぐさま靴底を大地に再着陸させた。
するとどうだろう。たったそれだけのイケてない技名と動作で、俺を取り囲んでいた火柱が一瞬で―――氷柱にすり替わった!
「こ、これは派生能力!? あんた、本物の憑々谷子童だったの!? さ、寒ッ!」
奇姫の愕然とする声音。だが俺は完全無視だ。すぐそこまで落下中の岩石が接近しているッ。
【発効せよ、武神ノ剛腕!】
ウホッ、両腕がムキムキになった! キモいけどいける、袖が破けてアリスバンドもミシミシいってるけどこれで勝てる!
【うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!】
俺はラスボスにトドメを刺す勢いで気合を入れると、か〇はめ波をするみたいな要領で両手首をくっつける。そしてそれを―――落ちてきた巨大な岩石へ思いきり解き放った!
衝突し拮抗する力と力。
だが俺は両の奥歯を強く噛み締め、勝利を確信して笑った。
(まったく、ラノベ主人公は最高だぜ! キツイ目に遭ってるのは違いないけどさ、体育祭とかで活躍するのとは比べモノにならんほどの快感じゃないか! 俺そもそも体育祭で活躍したことないけど!)
【―――しまっ!?】
(…………………………………………………………。はい???)
強制的に俺は足下を見る。……んんん? どうして俺の脚が見る見る内に凍り付いてんだ? このままじゃ膝まで凍り付いちまって、とてもじゃないけど立って居づらいじゃないか―――。
【くそっ! 異能力の制御がおろそかになっていたのかっ……!】
え? それってつまりどういうこ
……………………………………………………………………………………。
「あわわわわ……。結局死亡フラグ回収されちゃってるし……」
アリスがそう小さく呟いたのが、辛うじて聴き取れた。
遠くでは少女の悲鳴が上がっている……ような気がした。
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