山育ちの冒険者 この都会(まち)が快適なので旅には出ません
41.急な依頼
展示会は大盛況だった。
まず、天候に恵まれた。
開催してから十日あまり、ずっと晴天だ。
季節は夏。気温は高いが湿度が低めだったおかげで、比較的過ごしやすかったのも幸いした。
展示会の会場には、平日は多く、休日はもっと多くの来場者がやってくることになった。
警備としての仕事を与えられたステルだったが、あまりの客の多さに実態は雑用に近くなっていた。
一応、基本的には会場内の与えられた範囲を見回ったり監視してはいる。
しかし、いつの間にか道案内、トラブルの受付と解決など、朝から晩まで忙しく働くこととなっているのだ。
とにかく忙しいのである。
かなりの来場者を見込んで、警備の人間は多めに確保されていたが、それでも足りない。
この様子だと緊急増員が必要だとユリアナが疲れた顔で語っていた。
そんなわけで、ステルは珍しく少し疲れていた。
「……疲れた……」
会場内に用意された関係者用の部屋で、ステルは大きく息を吐いてそう呟いた。
窓から見える空の色は暗く、夜の訪れを知らせている。
室内にはちょっとした作業に使うための長い机と椅子が並び、ステルはその席で配られた冷たいカフェオレを飲んでいた。
展示会は閉館直後で、室内は今も関係者が出たり入ったりしている。
誰も彼も疲労が濃い。
展示会が始まって十日。最初の休日をなんとか乗り切った後で、関係者の疲れは早くもピークに達していた。
「あと二週間か……」「頑張って生き残ろう」「聞いた話だと、そろそろ評判を聞いた地方の人が来始めるらしいぜ」「ほんとかよ……」
ステルの耳に、周囲のそんな恐ろしい話が聞こえてきた。
考えないようにしよう。
これ以上の混雑を想像しかけたが、どうにか思いとどまった。自分一人で頑張ってどうにかなる規模では無いのだ。
とにかく人が多い。今のところ軽犯罪しか起きていないが、もし大がかりな犯罪をしくまれたら対処できるとはとても思えない。
幸い、魔剣の警備だけは万全だ。
剣姫クリスティンを初めとした優秀な人材が常に張り付き、魔剣に何かしようとする不届き者を容赦なく捕まえている。
大抵は好奇心から触れようとした者がちょっと痛い目にあうくらいだが、一度など学者崩れのならず者が暴れかけて、それをあっさりと制圧して見せた。
死と隣り合わせの日々を過ごす現役上位冒険者は無尽蔵の体力を見せつつ、今日も元気に魔剣の警備を続けている。
クリスさんがいてくれてよかったよ。
素直にそう思う。おかげで大分気楽だ。忙しいけれど。
そんなことを考えているうちに、飲み物が空になった。
帰る準備も整っているので、手早く片付けをしてから外に出る。
「やっほー。ステル君、いつも通りの時間にご帰宅ね」
リリカがいた。
「リ、リリカさん、今日は残らなくていいんですか?」
とりあえず、帰宅時間を把握されていることについては無視しつつ聞いた。
「もうちょっとだけ居残り。想定以上の来客で色々やらされることになっちゃってね。休憩中よ」
学生ながら関係者の中でもかなり深いところいるリリカは毎日忙しく働いている。たまに遅くなりすぎてユリアナとホテルに泊まっているようだ。
何となく、二人は展示場からホテル・エイケスタへと繋がる手入れの行き届いた庭園内の道を歩くことになった。
リリカの主な仕事場はホテル内だ。この道はホテルの宿泊客と一部関係者しか使わないので、人の少ない裏道としてステルもたまに使っていた。
「忙しいみたいですね」
「おかげさまでね。でも、結構楽しいわ。それでステル君、なにか面白いことあった?」
充実した笑顔を浮かべながらそんなことを聞いてくるリリカ。
冒険者になることについて悩んでいたのが嘘のような表情だった。多分、忙しさが個人的な悩みを一時的に置き去りにしてくれているのだろう。
「この展示会自体が面白いできごとですよ。あ、でも昨日から来た芸人さんがすごい人気ですよ」
「え、うそ。ステル君それ見たの? すごい噂になってて、取材が来たってやつよね? わたし、中で作業してて見れてないのよね」
「人が増えすぎたんで、そっちに回されまして。明日も来るって言ってました」
その芸人は全身に仕込んだ魔導具を使ってあの手この手の技を見せるというもので、ステルは仕事も忘れて食いついてしまったほどだ。おかげで面白がられて向こうから話しかけられてしまった。
「へー、話したんだ。ちょっと羨ましいかも。明日も来たら教えてちょうだいね。忙しくて無理かな?」
「多分、なんとかなります」
リリカの職場までステルなら走ればすぐだ。忙しさの度合いにもよるが、警備仲間にお願いすればそのくらいの時間は稼げるだろう。
たわいのない話をしながら歩き、そろそろホテル・エイケスタの敷地に入ったあたりだった。
「ステル君。まだいたようで良かった」
「ラウリさん」
「支部長さん」
アコーラ市冒険者協会第十三支部支部長が、待ち構えていた。
「久しぶりだね。二人とも元気そうでなにより」
「ラウリさんはちょっと顔色悪いわね」
「まあ、仕事が少し立て込んでいてね……」
リリカの言う通り、ラウリは顔色が悪かった。あまり寝ていないようだ。
例の魔法結社のことはいまだに片付いていない。間違いなく魔剣が狙われていることを考えると安心できないのだろう。
「さて、二人の時間を邪魔するのも悪いので、先に用件を言おう。ステル君、依頼だ」
ラウリの言い方にリリカはちょっと嬉しそうな顔をしたが、ステルはそれに気づくことなく怪訝な顔で返す。
「依頼と言われても、僕は会場の警備があるんですが……」
「そこは何とかする。例の結社の隠れ家と思われる場所が判明した。踏み込むので協力して欲しい」
「あの、わたしは席を外した方がいいですか?」
気をつかったリリカが聞く。
対してラウリは首を横に振った。
「リリカ君は関係者だから構わないさ。……急な話で申し訳ないが、実行は二日後だ」
「急ですね」
「できるだけ憂いは断っておきたい」
はっきりと、そして深刻な口調でラウリは言い切った。
気持ちはわかる。ステルも警備中に「ここで魔法結社の連中がなだれ込んできて魔法を乱射したらどうしよう」と考えたことは一度や二度ではない。
「僕の他に人はいないんですか?」
展示会はアコーラ市をあげての行事だ。冒険者協会だって人員を優先して回してくれるだろう。
わざわざ九級冒険者のステルを使う必要などないのではないだろうか。
「展示会でアコーラ市内に人が増えたこともあり、他の冒険者も忙しい。それと結社の案件はこれだけじゃない。私が信頼している腕利きで、ある程度自由が利きそうなのは君だけだ」
この支部長はこういう面で嘘を言う人物では無い。
そう考えたステルは、この依頼を受けることを決めた。会場の警備は、自分でなければできない仕事では無い。
「わかりました。ちゃんと僕の代わりの人員をまわしてくださいね。すごく忙しいので」
「約束しよう。リリカ君、すまないね。ステル君を少し借りるよ?」
「いえ、わたしも殆ど会ってませんから」
「そうなのかい? ステル君、もう少し友人には気を使ってあげなさい」
「え? あ、はい」
どういうわけか諭される感じで叱られた。わけがわからない。
「詳細はこの書類に書いてあるので目を通しておいて欲しい。それと、明日は休みにして準備をするといい。話は通してある」
そう言って書類を手渡すと、ラウリは去って行った。
「話は通してって……ステル君が依頼を受ける前提で万事整えて来たってことよね」
「たしかに……」
自分が断ったらどうするつもりだったんだろう? ラウリのことだ、その対策もあったのかもしれない。
とはいえ、ステルに断る理由がないのは事実だ。ほぼ確実に依頼を受けるものとして動いていたのだろう。
「リリカさん、そんなわけで僕は明日は来ません」
「うん、仕方ないわね。気をつけて」
ステルの言葉に、リリカはちょっとだけ寂しそうに答えた。
まず、天候に恵まれた。
開催してから十日あまり、ずっと晴天だ。
季節は夏。気温は高いが湿度が低めだったおかげで、比較的過ごしやすかったのも幸いした。
展示会の会場には、平日は多く、休日はもっと多くの来場者がやってくることになった。
警備としての仕事を与えられたステルだったが、あまりの客の多さに実態は雑用に近くなっていた。
一応、基本的には会場内の与えられた範囲を見回ったり監視してはいる。
しかし、いつの間にか道案内、トラブルの受付と解決など、朝から晩まで忙しく働くこととなっているのだ。
とにかく忙しいのである。
かなりの来場者を見込んで、警備の人間は多めに確保されていたが、それでも足りない。
この様子だと緊急増員が必要だとユリアナが疲れた顔で語っていた。
そんなわけで、ステルは珍しく少し疲れていた。
「……疲れた……」
会場内に用意された関係者用の部屋で、ステルは大きく息を吐いてそう呟いた。
窓から見える空の色は暗く、夜の訪れを知らせている。
室内にはちょっとした作業に使うための長い机と椅子が並び、ステルはその席で配られた冷たいカフェオレを飲んでいた。
展示会は閉館直後で、室内は今も関係者が出たり入ったりしている。
誰も彼も疲労が濃い。
展示会が始まって十日。最初の休日をなんとか乗り切った後で、関係者の疲れは早くもピークに達していた。
「あと二週間か……」「頑張って生き残ろう」「聞いた話だと、そろそろ評判を聞いた地方の人が来始めるらしいぜ」「ほんとかよ……」
ステルの耳に、周囲のそんな恐ろしい話が聞こえてきた。
考えないようにしよう。
これ以上の混雑を想像しかけたが、どうにか思いとどまった。自分一人で頑張ってどうにかなる規模では無いのだ。
とにかく人が多い。今のところ軽犯罪しか起きていないが、もし大がかりな犯罪をしくまれたら対処できるとはとても思えない。
幸い、魔剣の警備だけは万全だ。
剣姫クリスティンを初めとした優秀な人材が常に張り付き、魔剣に何かしようとする不届き者を容赦なく捕まえている。
大抵は好奇心から触れようとした者がちょっと痛い目にあうくらいだが、一度など学者崩れのならず者が暴れかけて、それをあっさりと制圧して見せた。
死と隣り合わせの日々を過ごす現役上位冒険者は無尽蔵の体力を見せつつ、今日も元気に魔剣の警備を続けている。
クリスさんがいてくれてよかったよ。
素直にそう思う。おかげで大分気楽だ。忙しいけれど。
そんなことを考えているうちに、飲み物が空になった。
帰る準備も整っているので、手早く片付けをしてから外に出る。
「やっほー。ステル君、いつも通りの時間にご帰宅ね」
リリカがいた。
「リ、リリカさん、今日は残らなくていいんですか?」
とりあえず、帰宅時間を把握されていることについては無視しつつ聞いた。
「もうちょっとだけ居残り。想定以上の来客で色々やらされることになっちゃってね。休憩中よ」
学生ながら関係者の中でもかなり深いところいるリリカは毎日忙しく働いている。たまに遅くなりすぎてユリアナとホテルに泊まっているようだ。
何となく、二人は展示場からホテル・エイケスタへと繋がる手入れの行き届いた庭園内の道を歩くことになった。
リリカの主な仕事場はホテル内だ。この道はホテルの宿泊客と一部関係者しか使わないので、人の少ない裏道としてステルもたまに使っていた。
「忙しいみたいですね」
「おかげさまでね。でも、結構楽しいわ。それでステル君、なにか面白いことあった?」
充実した笑顔を浮かべながらそんなことを聞いてくるリリカ。
冒険者になることについて悩んでいたのが嘘のような表情だった。多分、忙しさが個人的な悩みを一時的に置き去りにしてくれているのだろう。
「この展示会自体が面白いできごとですよ。あ、でも昨日から来た芸人さんがすごい人気ですよ」
「え、うそ。ステル君それ見たの? すごい噂になってて、取材が来たってやつよね? わたし、中で作業してて見れてないのよね」
「人が増えすぎたんで、そっちに回されまして。明日も来るって言ってました」
その芸人は全身に仕込んだ魔導具を使ってあの手この手の技を見せるというもので、ステルは仕事も忘れて食いついてしまったほどだ。おかげで面白がられて向こうから話しかけられてしまった。
「へー、話したんだ。ちょっと羨ましいかも。明日も来たら教えてちょうだいね。忙しくて無理かな?」
「多分、なんとかなります」
リリカの職場までステルなら走ればすぐだ。忙しさの度合いにもよるが、警備仲間にお願いすればそのくらいの時間は稼げるだろう。
たわいのない話をしながら歩き、そろそろホテル・エイケスタの敷地に入ったあたりだった。
「ステル君。まだいたようで良かった」
「ラウリさん」
「支部長さん」
アコーラ市冒険者協会第十三支部支部長が、待ち構えていた。
「久しぶりだね。二人とも元気そうでなにより」
「ラウリさんはちょっと顔色悪いわね」
「まあ、仕事が少し立て込んでいてね……」
リリカの言う通り、ラウリは顔色が悪かった。あまり寝ていないようだ。
例の魔法結社のことはいまだに片付いていない。間違いなく魔剣が狙われていることを考えると安心できないのだろう。
「さて、二人の時間を邪魔するのも悪いので、先に用件を言おう。ステル君、依頼だ」
ラウリの言い方にリリカはちょっと嬉しそうな顔をしたが、ステルはそれに気づくことなく怪訝な顔で返す。
「依頼と言われても、僕は会場の警備があるんですが……」
「そこは何とかする。例の結社の隠れ家と思われる場所が判明した。踏み込むので協力して欲しい」
「あの、わたしは席を外した方がいいですか?」
気をつかったリリカが聞く。
対してラウリは首を横に振った。
「リリカ君は関係者だから構わないさ。……急な話で申し訳ないが、実行は二日後だ」
「急ですね」
「できるだけ憂いは断っておきたい」
はっきりと、そして深刻な口調でラウリは言い切った。
気持ちはわかる。ステルも警備中に「ここで魔法結社の連中がなだれ込んできて魔法を乱射したらどうしよう」と考えたことは一度や二度ではない。
「僕の他に人はいないんですか?」
展示会はアコーラ市をあげての行事だ。冒険者協会だって人員を優先して回してくれるだろう。
わざわざ九級冒険者のステルを使う必要などないのではないだろうか。
「展示会でアコーラ市内に人が増えたこともあり、他の冒険者も忙しい。それと結社の案件はこれだけじゃない。私が信頼している腕利きで、ある程度自由が利きそうなのは君だけだ」
この支部長はこういう面で嘘を言う人物では無い。
そう考えたステルは、この依頼を受けることを決めた。会場の警備は、自分でなければできない仕事では無い。
「わかりました。ちゃんと僕の代わりの人員をまわしてくださいね。すごく忙しいので」
「約束しよう。リリカ君、すまないね。ステル君を少し借りるよ?」
「いえ、わたしも殆ど会ってませんから」
「そうなのかい? ステル君、もう少し友人には気を使ってあげなさい」
「え? あ、はい」
どういうわけか諭される感じで叱られた。わけがわからない。
「詳細はこの書類に書いてあるので目を通しておいて欲しい。それと、明日は休みにして準備をするといい。話は通してある」
そう言って書類を手渡すと、ラウリは去って行った。
「話は通してって……ステル君が依頼を受ける前提で万事整えて来たってことよね」
「たしかに……」
自分が断ったらどうするつもりだったんだろう? ラウリのことだ、その対策もあったのかもしれない。
とはいえ、ステルに断る理由がないのは事実だ。ほぼ確実に依頼を受けるものとして動いていたのだろう。
「リリカさん、そんなわけで僕は明日は来ません」
「うん、仕方ないわね。気をつけて」
ステルの言葉に、リリカはちょっとだけ寂しそうに答えた。
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