氷結のテルラ
三、心通の鍵
「……んん」
眩しい太陽の光がアカリの瞼をチクチクと刺激する。その光を浴びたアカリの脳は徐々に稼働し始め、今が朝だと認識した。二人くらいなら余裕で寝れるほどのベッドで眠っていたアカリは体を起こし、鉛のように思い瞼を擦る。
「あ、起きた? おはようアカリ」
目を覚ましたアカリにそう呼びかけた声はテルラのものだった。
声のした方へと首を向けると、エプロン姿のテルラがアカリの元へと歩み寄ってきていた。料理でもしていたのだろうか。
「……ここは?」
「ここは私達の家だよ。結構いい雰囲気でしょ?」
アカリはそう言われて周囲を見回す。
お世辞にも広いとはいえないが、確かにこの木造作りの家はしっかりと整頓されていて、なんだか爽やかな気持ちにもなれて、テルラの言う通りいい雰囲気だった。
「うん、とても落ち着く感じがする」
ツンとする木の香りで脳がすっきりとしたアカリは、率直に感じたことを言葉にした。
その言葉を聞いたテルラはふふっと笑みを浮かべる。
「もうすぐ朝ご飯できるから、そこに座って待ってて」
テルラはそう言いながら、これまた木造のテーブルとイスを指さし、台所のほうへと戻って行った。
手慣れた様子で料理をするテルラの姿は、アカリに今まで朝食を用意してくれていた祖母のことを思い出させた。
(ちゃんと天国に行けたかな……)
テルラの用意してくれた朝食はサンドイッチだった。
たまごサンドにツナサンド、レタスとハムのサンドイッチなど色とりどりで、よだれを垂らしてしまいそうになるほど美味しそうだ。
アカリは最初にたまごサンドを手に取り、一口かじる。
「どう? 美味しい?」
テーブルに肘をつき、首を傾げテルラは尋ねる。
たまごサンドを口の中でもぐもぐさせていたアカリは、よく噛んでからゴクリと飲み込み、
「とっても美味しいよ。今まで食べてきた中で一番かも」
「ふふっ、ありがとう」
そう言うとテルラもツナサンドを手に取り、口にした。
アカリもそれに倣って手を進める。長い間眠っていたからかどうかは分からないが、空腹感が限界に達していてそのペースはかなり早かった。
ひとしきり食事を終え、水を口に流したアカリにはテルラに聞きたいことがあった。
自分の身体のことだ。
アカリは一度命を落とし、魂は死にきれなかったが身体は失ったと聞いていた。
だがアカリは当たり前のように目覚め、当たり前のように体を起こし、当たり前のように朝食をとった。
違和感などなく、これは自分自身の身体であると断言できる。
「五日間」
「へ?」
テルラは突然、右手の五本指を立ててそう言った。
あまりに突拍子もなく、別のことを考えていたアカリは変な声を漏らしてしまう。
「アカリが眠っていた時間のことだよ」
「そんなに眠っていたのか……」
空腹度合いから長い時間眠っていたのは分かっていたが、せいぜい一日やそこらだと思っていたアカリは少々驚く。
「そ。本当によく眠ってたよ。また死んじゃったのかと思って心配しちゃった」
「ご、ごめん」
なるべく人に心配をかけまいと生きてきたアカリは、テルラの言葉に申し訳ない気持ちになった。
しかしテルラは落ち込むアカリに、逆に申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「い、いやこちらこそごめん。冗談だからそんな顔しないで?」
それを聞いたアカリはホッとすると同時に、ちょっと複雑な気持ちになる。
「心配、しなかったんだ……」
「……アカリってちょっとめんどくさいね?」
雪のように白く、細い両の眉をへの字に曲げるテルラ。
心配されたら落ち込み、心配されてなくても落ち込むアカリはちょっとどころではなくめんどくさいと自覚し、そしてまた落ち込むという負の連鎖に陥った。
「お、落ち込ませるために冗談とか言ったんじゃなくてね、最初からアカリがいつ起きるか分かってたからそう言ったんだよ」
「それってどういう……」
「どうもこうも言葉の通りだよ。アカリがいつ、どの時間に起きるか分かってたから心配なんてしてなかったってこと。その証拠にほら、朝食だってほとんど待たせなかったでしょ?」
言われてみればそうだった。五日間も寝ていたのに、いつ起きるか分からなかったら朝食を前もって準備するなんてできるはずがない。毎朝毎朝作っていたというなら話は別だが、そんな無駄になりそうなことを進んでする理由もないし、その様子もない。
「それはね、私とアカリが繋がってるからだよ。言ったでしょ? この世界で私達はデュオなの。だからアカリが考えてることでもなんでも分かっちゃうんだよ」
それを聞いたアカリは唖然としてしまう。確かにテルラの意識の中にいたときにデュオになってと、心通わせる関係になってと言われ、承諾した。
しかしそれは、親睦を深めていき心許せる関係になろうとかそんな意味だと思っていて、まさか本当に文字通り心通わせる関係になることだとは思わなかった。
にわかには信じ難いと思ったアカリはこんな質問をしてみる。
「じゃあさ、僕がさっき何を考えてたか分かる?」
テルラはふふっと小さく笑い、
「なんなら、その答えも分かるよ? 今のその身体は、私の力で前の世界のアカリの身体を参考に完全再現したもの。そして、私の意識の中に閉じ込めてた魂をそのまま流し込んだの」
テルラは華奢な腕で、力こぶを作るポーズを取りながら言った。
決して口にしていない考え事を完全に見抜かれ、その上答えまで言われてしまえばアカリはもう信じるほかなかった。
「どう? 信じてくれた?」
「うん。さすがにそこまで見抜かれてちゃ信じないわけにもいかないよ。それにしても私の力って……」
テルラに気絶させられる前に言っていた言葉をアカリは思いだす。
「(私は天使テルラ。改めてよろしくね!)」
そう、テルラは自分のことを天使だと言っていた。だがそのことを言及する前にアカリは気絶させられてしまったのだ。
この身体を再現したという力も天使と関係あるのだろうかとアカリは考える。
「関係あるというか、その力も天使の力そのものだよ」
「え?」
「え? ってアカリが聞いたんだよ?」
アカリは無意識に声に出してしまったのかと一瞬思ったが、すぐに心の中が伝わってしまっているのだと気づく。
考えること全てテルラにお見通しであると思うと、なんともいえない違和感と恥ずかしさが入り混じる。
「僕は聞いてない!」
「ふふっ、相変わらずいい反応するなぁ、アカリは」
アカリが椅子からガタっと音をたてて立ち上がりながら言うと、テルラは心底楽しそうに笑う。
普通なら文句の一つも言いたくなるところだが、テルラの笑顔は怒りなど早々に忘れさせてしまうほどに暖かく、惹かれるものがあった。
そんなことを思ってると、テルラはいつの間にか顔を鼻と鼻とがくっついてしまいそうなほどの距離まで近づけて、
「私の笑顔、可愛い?」
「も、もう! いい加減にしてってば!」
流石にしつこく感じたアカリは怒鳴ってしまう。
「ごめんごめん。そうだね、ずっとこのままだと私もなんだか悪いことしてる気になっちゃうし、はいこれ」
そう言ってテルラは服のポケットからあるものを取り出し、アカリに差し出す。
アカリはテルラの手のひらに乗ったそれを受け取る。
「鍵……?」
アカリは受け取った鍵を見回す。形状はなにも特長のない細長い丸型で、色は薄い水色。何に使うかは分からなかった。
するとそれを見たテルラがなにやらおかしな行動をし始めた。
「な、な、な、なにをしてるの!」
テルラはいきなり上着を脱ぎだし、下着姿になったのだ。
顔を真っ赤にしたアカリは、咄嗟に目を逸らしてしまう。一体テルラは何がしたいのか、アカリには見当もつかなかった。
「ほら、私の下着姿に欲情してないでこっち向いて?」
「よ、欲情なんかしてない!」
アカリはあらぬ誤解を解くべく、勢いよく振り返り反論する。
しかし、振り返るとテルラが上着を脱いだ意味が分かった。答えはへそのいくらか上にある丸い空洞のようなものだ。
「その穴は……?」
「これはその鍵、『心通』の鍵の穴だよ。アカリも上脱いでみて?」
そう言われてアカリは、テルラが着せてくれたのだろう寝間着を脱ぎ、自分のへその上の部分を見てみる。
そこにはテルラのものと全く同じ空洞があった。
「そこに差してみて」
アカリは言われた通り、自分の腹部の空洞に鍵を差し込んだ。
すると、―――ガッチャンと腹部のなかで蠢くように音がした。
だが、アカリの身体に特に異変はない。
「これで何か変わったの?」
「うん。その鍵をかけると、私はアカリが心の中で何を考えてるか分からなくなるの。アカリは私の心、何も分からなかったでしょ? それは私があらかじめ鍵をかけておいたからなんだよ」
自分の心がすり抜けてしまっていることにばかり気を取られていたからか、その逆のことは全く考えていなかった。
だが今思えば、文字通り心が通っているというならば一方通行にアカリの心だけ見透かされるのは意にそぐわない。
なぜ、最初からそれに気づけなかったのだろうか。アカリは少々悔しく思った。
「なんか、ずるい」
「ごめんってば。そのお詫びに私の可憐な素肌を見せてるんだよ。こんな姿見せるのアカリだけなんだからね……?」
「……」
「な、なに? そんなにまじまじ見つめられると、デュオだからってさすがに恥ずかしいというかなんというか……」
「いや、テルラって意外とむ……んんん」
そこまで言いかけると、テルラは咄嗟に左手で胸を覆い隠し、アカリの口を右手で塞いだ。
そうするテルラの眼差しは、およそ今まで穏やかだったテルラのものとは思えないほど鋭いものだった。
「それ以上言ったら私怒るからね!? 私が怒ったらこんな家粉々になっちゃうからね!?」
そのテルラの形相を見たアカリは、一度は捨てたはずの命の危機を感じて首を縦に振る。
するとテルラはアカリの口を抑えつけるのをやめ、服をずぽっと被る。
「これ本当に鍵かかってるのかなぁ……」
アカリが独り言のように小さな声で呟くと、テルラが服の首元の部分から目をギロッと覗かせ、
「なにか言った」
「い、いや、なにも……」
これを機にアカリは、テルラに胸の話をするのは絶対に避けようというこの世界で初めての誓いを立てた。
~~~
アカリとテルラは食事を終え、片づけを終えてから再びテーブルで向かい合わせになる。
「それで僕はこれからどうすればいいの? 異世界にきたのはいいけど何していいか分からなくてさ」
「それなんだけど、アカリには都市にある魔法学校に通ってもらおうと思うの」
「魔法ってあの魔法……?」
「アカリがどんな魔法を想像してるのか分からないけど、多分その魔法だよ」
目の前にいる天使の存在だったり、先刻腹部に差した鍵だったりで前の世界とは異なる部分が多々あるのは分かっていたので、アカリはもしかしたら魔法もあるかもしれないと思っていたが、やはり実際にあると言われるとワクワクしてしまう。男の子はみんなそんなものだろう。
そしてアカリはあることに気が付く。
「もしかして、テルラとデュオの僕ならテルラが使える魔法使えるんじゃ……!」
「ふふっ。アカリはそういうことには気が付くんだね。そう、アカリの思っている通り私の魔法をアカリは使えるよ」
「本当!?」
アカリは目を輝かせて、テルラの話に食いつく。
その様子にテルラは若干引きながら、
「でもね、知識がないと魔法は使えないの。魔法は勉強と同じでしっかり学んで、練習を重ねないといくら力があっても使えないんだよ。まあ使うだけなら、私がついてるアカリなら出来るけどそれだとアカリ自身が強くならないからね」
「そう、なんだ……」
最初から使えないというのと勉強という単語で、気分上々だったアカリはまったく正反対の気分になった。アカリは勉強が大の苦手だったのだ。
「気分の落ちようがすごいね……」
「でもそれならテルラが教えてくれればいいんじゃないの? わざわざ学校なんて行かなくてもさ」
「それは……。自分でいうのもあれだけど魔法に関しては私、感覚で出来ちゃうんだよね。だから魔法を人に教えるのは苦手なんだよ、あはは……」
感覚で出来てしまう人というのはどこにでもいるもんなんだなとアカリは思った。元の世界でも勉強しなくてもテストでいい点数を取ってしまう人はクラスに一人はいたもんだ。
「つまり、魔法学校に行くのはそういうことなんだね」
「そそ。それで私からプレゼントがあるんだよ」
テルラはそう言うとよいしょと立ち上がり、アカリが寝ていたベッドの近くにあるクローゼットへ向かう。
そこからテルラが取り出したのは、紺色のブレザーに灰色のズボンだった。
「それは、制服?」
「そ。結構いい感じでしょ? きっとアカリに似合うと思うよ」
アカリがその制服を見て思いだしたのは、前の世界のことだった。
どうしても制服というものを見ると、嫌な思い出しか出てこない。
「ごめんね。やっぱり見たくなかったよね」
暗い表情を浮かべるアカリにテルラは申し訳ないといったようにそう声をかける。
「……うん。そんなことないって言ったら、嘘になるかな。でも……」
「でも?」
「でも行ってみたくもある、かな」
「アカリ……!」
学校というものがトラウマになっているのは事実で、二度と行きたくないと思っていた。だけど一からやり直せるのだったら、今度こそはいい学校生活を送ってやるという意思は前々からあったのだ。
「テルラ、僕学校行くよ。せっかく違う世界に来たんだし、マイナス思考はやめないと損だよね」
「そう言ってくれて嬉しいよ。もし、アカリを虐めてやろうとかそんなこと考えてるやつがいたら私がやっつけてやるから安心してね」
アカリはまだ何も分からないこの世界での生活が楽しみに思えてきた。
眩しい太陽の光がアカリの瞼をチクチクと刺激する。その光を浴びたアカリの脳は徐々に稼働し始め、今が朝だと認識した。二人くらいなら余裕で寝れるほどのベッドで眠っていたアカリは体を起こし、鉛のように思い瞼を擦る。
「あ、起きた? おはようアカリ」
目を覚ましたアカリにそう呼びかけた声はテルラのものだった。
声のした方へと首を向けると、エプロン姿のテルラがアカリの元へと歩み寄ってきていた。料理でもしていたのだろうか。
「……ここは?」
「ここは私達の家だよ。結構いい雰囲気でしょ?」
アカリはそう言われて周囲を見回す。
お世辞にも広いとはいえないが、確かにこの木造作りの家はしっかりと整頓されていて、なんだか爽やかな気持ちにもなれて、テルラの言う通りいい雰囲気だった。
「うん、とても落ち着く感じがする」
ツンとする木の香りで脳がすっきりとしたアカリは、率直に感じたことを言葉にした。
その言葉を聞いたテルラはふふっと笑みを浮かべる。
「もうすぐ朝ご飯できるから、そこに座って待ってて」
テルラはそう言いながら、これまた木造のテーブルとイスを指さし、台所のほうへと戻って行った。
手慣れた様子で料理をするテルラの姿は、アカリに今まで朝食を用意してくれていた祖母のことを思い出させた。
(ちゃんと天国に行けたかな……)
テルラの用意してくれた朝食はサンドイッチだった。
たまごサンドにツナサンド、レタスとハムのサンドイッチなど色とりどりで、よだれを垂らしてしまいそうになるほど美味しそうだ。
アカリは最初にたまごサンドを手に取り、一口かじる。
「どう? 美味しい?」
テーブルに肘をつき、首を傾げテルラは尋ねる。
たまごサンドを口の中でもぐもぐさせていたアカリは、よく噛んでからゴクリと飲み込み、
「とっても美味しいよ。今まで食べてきた中で一番かも」
「ふふっ、ありがとう」
そう言うとテルラもツナサンドを手に取り、口にした。
アカリもそれに倣って手を進める。長い間眠っていたからかどうかは分からないが、空腹感が限界に達していてそのペースはかなり早かった。
ひとしきり食事を終え、水を口に流したアカリにはテルラに聞きたいことがあった。
自分の身体のことだ。
アカリは一度命を落とし、魂は死にきれなかったが身体は失ったと聞いていた。
だがアカリは当たり前のように目覚め、当たり前のように体を起こし、当たり前のように朝食をとった。
違和感などなく、これは自分自身の身体であると断言できる。
「五日間」
「へ?」
テルラは突然、右手の五本指を立ててそう言った。
あまりに突拍子もなく、別のことを考えていたアカリは変な声を漏らしてしまう。
「アカリが眠っていた時間のことだよ」
「そんなに眠っていたのか……」
空腹度合いから長い時間眠っていたのは分かっていたが、せいぜい一日やそこらだと思っていたアカリは少々驚く。
「そ。本当によく眠ってたよ。また死んじゃったのかと思って心配しちゃった」
「ご、ごめん」
なるべく人に心配をかけまいと生きてきたアカリは、テルラの言葉に申し訳ない気持ちになった。
しかしテルラは落ち込むアカリに、逆に申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「い、いやこちらこそごめん。冗談だからそんな顔しないで?」
それを聞いたアカリはホッとすると同時に、ちょっと複雑な気持ちになる。
「心配、しなかったんだ……」
「……アカリってちょっとめんどくさいね?」
雪のように白く、細い両の眉をへの字に曲げるテルラ。
心配されたら落ち込み、心配されてなくても落ち込むアカリはちょっとどころではなくめんどくさいと自覚し、そしてまた落ち込むという負の連鎖に陥った。
「お、落ち込ませるために冗談とか言ったんじゃなくてね、最初からアカリがいつ起きるか分かってたからそう言ったんだよ」
「それってどういう……」
「どうもこうも言葉の通りだよ。アカリがいつ、どの時間に起きるか分かってたから心配なんてしてなかったってこと。その証拠にほら、朝食だってほとんど待たせなかったでしょ?」
言われてみればそうだった。五日間も寝ていたのに、いつ起きるか分からなかったら朝食を前もって準備するなんてできるはずがない。毎朝毎朝作っていたというなら話は別だが、そんな無駄になりそうなことを進んでする理由もないし、その様子もない。
「それはね、私とアカリが繋がってるからだよ。言ったでしょ? この世界で私達はデュオなの。だからアカリが考えてることでもなんでも分かっちゃうんだよ」
それを聞いたアカリは唖然としてしまう。確かにテルラの意識の中にいたときにデュオになってと、心通わせる関係になってと言われ、承諾した。
しかしそれは、親睦を深めていき心許せる関係になろうとかそんな意味だと思っていて、まさか本当に文字通り心通わせる関係になることだとは思わなかった。
にわかには信じ難いと思ったアカリはこんな質問をしてみる。
「じゃあさ、僕がさっき何を考えてたか分かる?」
テルラはふふっと小さく笑い、
「なんなら、その答えも分かるよ? 今のその身体は、私の力で前の世界のアカリの身体を参考に完全再現したもの。そして、私の意識の中に閉じ込めてた魂をそのまま流し込んだの」
テルラは華奢な腕で、力こぶを作るポーズを取りながら言った。
決して口にしていない考え事を完全に見抜かれ、その上答えまで言われてしまえばアカリはもう信じるほかなかった。
「どう? 信じてくれた?」
「うん。さすがにそこまで見抜かれてちゃ信じないわけにもいかないよ。それにしても私の力って……」
テルラに気絶させられる前に言っていた言葉をアカリは思いだす。
「(私は天使テルラ。改めてよろしくね!)」
そう、テルラは自分のことを天使だと言っていた。だがそのことを言及する前にアカリは気絶させられてしまったのだ。
この身体を再現したという力も天使と関係あるのだろうかとアカリは考える。
「関係あるというか、その力も天使の力そのものだよ」
「え?」
「え? ってアカリが聞いたんだよ?」
アカリは無意識に声に出してしまったのかと一瞬思ったが、すぐに心の中が伝わってしまっているのだと気づく。
考えること全てテルラにお見通しであると思うと、なんともいえない違和感と恥ずかしさが入り混じる。
「僕は聞いてない!」
「ふふっ、相変わらずいい反応するなぁ、アカリは」
アカリが椅子からガタっと音をたてて立ち上がりながら言うと、テルラは心底楽しそうに笑う。
普通なら文句の一つも言いたくなるところだが、テルラの笑顔は怒りなど早々に忘れさせてしまうほどに暖かく、惹かれるものがあった。
そんなことを思ってると、テルラはいつの間にか顔を鼻と鼻とがくっついてしまいそうなほどの距離まで近づけて、
「私の笑顔、可愛い?」
「も、もう! いい加減にしてってば!」
流石にしつこく感じたアカリは怒鳴ってしまう。
「ごめんごめん。そうだね、ずっとこのままだと私もなんだか悪いことしてる気になっちゃうし、はいこれ」
そう言ってテルラは服のポケットからあるものを取り出し、アカリに差し出す。
アカリはテルラの手のひらに乗ったそれを受け取る。
「鍵……?」
アカリは受け取った鍵を見回す。形状はなにも特長のない細長い丸型で、色は薄い水色。何に使うかは分からなかった。
するとそれを見たテルラがなにやらおかしな行動をし始めた。
「な、な、な、なにをしてるの!」
テルラはいきなり上着を脱ぎだし、下着姿になったのだ。
顔を真っ赤にしたアカリは、咄嗟に目を逸らしてしまう。一体テルラは何がしたいのか、アカリには見当もつかなかった。
「ほら、私の下着姿に欲情してないでこっち向いて?」
「よ、欲情なんかしてない!」
アカリはあらぬ誤解を解くべく、勢いよく振り返り反論する。
しかし、振り返るとテルラが上着を脱いだ意味が分かった。答えはへそのいくらか上にある丸い空洞のようなものだ。
「その穴は……?」
「これはその鍵、『心通』の鍵の穴だよ。アカリも上脱いでみて?」
そう言われてアカリは、テルラが着せてくれたのだろう寝間着を脱ぎ、自分のへその上の部分を見てみる。
そこにはテルラのものと全く同じ空洞があった。
「そこに差してみて」
アカリは言われた通り、自分の腹部の空洞に鍵を差し込んだ。
すると、―――ガッチャンと腹部のなかで蠢くように音がした。
だが、アカリの身体に特に異変はない。
「これで何か変わったの?」
「うん。その鍵をかけると、私はアカリが心の中で何を考えてるか分からなくなるの。アカリは私の心、何も分からなかったでしょ? それは私があらかじめ鍵をかけておいたからなんだよ」
自分の心がすり抜けてしまっていることにばかり気を取られていたからか、その逆のことは全く考えていなかった。
だが今思えば、文字通り心が通っているというならば一方通行にアカリの心だけ見透かされるのは意にそぐわない。
なぜ、最初からそれに気づけなかったのだろうか。アカリは少々悔しく思った。
「なんか、ずるい」
「ごめんってば。そのお詫びに私の可憐な素肌を見せてるんだよ。こんな姿見せるのアカリだけなんだからね……?」
「……」
「な、なに? そんなにまじまじ見つめられると、デュオだからってさすがに恥ずかしいというかなんというか……」
「いや、テルラって意外とむ……んんん」
そこまで言いかけると、テルラは咄嗟に左手で胸を覆い隠し、アカリの口を右手で塞いだ。
そうするテルラの眼差しは、およそ今まで穏やかだったテルラのものとは思えないほど鋭いものだった。
「それ以上言ったら私怒るからね!? 私が怒ったらこんな家粉々になっちゃうからね!?」
そのテルラの形相を見たアカリは、一度は捨てたはずの命の危機を感じて首を縦に振る。
するとテルラはアカリの口を抑えつけるのをやめ、服をずぽっと被る。
「これ本当に鍵かかってるのかなぁ……」
アカリが独り言のように小さな声で呟くと、テルラが服の首元の部分から目をギロッと覗かせ、
「なにか言った」
「い、いや、なにも……」
これを機にアカリは、テルラに胸の話をするのは絶対に避けようというこの世界で初めての誓いを立てた。
~~~
アカリとテルラは食事を終え、片づけを終えてから再びテーブルで向かい合わせになる。
「それで僕はこれからどうすればいいの? 異世界にきたのはいいけど何していいか分からなくてさ」
「それなんだけど、アカリには都市にある魔法学校に通ってもらおうと思うの」
「魔法ってあの魔法……?」
「アカリがどんな魔法を想像してるのか分からないけど、多分その魔法だよ」
目の前にいる天使の存在だったり、先刻腹部に差した鍵だったりで前の世界とは異なる部分が多々あるのは分かっていたので、アカリはもしかしたら魔法もあるかもしれないと思っていたが、やはり実際にあると言われるとワクワクしてしまう。男の子はみんなそんなものだろう。
そしてアカリはあることに気が付く。
「もしかして、テルラとデュオの僕ならテルラが使える魔法使えるんじゃ……!」
「ふふっ。アカリはそういうことには気が付くんだね。そう、アカリの思っている通り私の魔法をアカリは使えるよ」
「本当!?」
アカリは目を輝かせて、テルラの話に食いつく。
その様子にテルラは若干引きながら、
「でもね、知識がないと魔法は使えないの。魔法は勉強と同じでしっかり学んで、練習を重ねないといくら力があっても使えないんだよ。まあ使うだけなら、私がついてるアカリなら出来るけどそれだとアカリ自身が強くならないからね」
「そう、なんだ……」
最初から使えないというのと勉強という単語で、気分上々だったアカリはまったく正反対の気分になった。アカリは勉強が大の苦手だったのだ。
「気分の落ちようがすごいね……」
「でもそれならテルラが教えてくれればいいんじゃないの? わざわざ学校なんて行かなくてもさ」
「それは……。自分でいうのもあれだけど魔法に関しては私、感覚で出来ちゃうんだよね。だから魔法を人に教えるのは苦手なんだよ、あはは……」
感覚で出来てしまう人というのはどこにでもいるもんなんだなとアカリは思った。元の世界でも勉強しなくてもテストでいい点数を取ってしまう人はクラスに一人はいたもんだ。
「つまり、魔法学校に行くのはそういうことなんだね」
「そそ。それで私からプレゼントがあるんだよ」
テルラはそう言うとよいしょと立ち上がり、アカリが寝ていたベッドの近くにあるクローゼットへ向かう。
そこからテルラが取り出したのは、紺色のブレザーに灰色のズボンだった。
「それは、制服?」
「そ。結構いい感じでしょ? きっとアカリに似合うと思うよ」
アカリがその制服を見て思いだしたのは、前の世界のことだった。
どうしても制服というものを見ると、嫌な思い出しか出てこない。
「ごめんね。やっぱり見たくなかったよね」
暗い表情を浮かべるアカリにテルラは申し訳ないといったようにそう声をかける。
「……うん。そんなことないって言ったら、嘘になるかな。でも……」
「でも?」
「でも行ってみたくもある、かな」
「アカリ……!」
学校というものがトラウマになっているのは事実で、二度と行きたくないと思っていた。だけど一からやり直せるのだったら、今度こそはいい学校生活を送ってやるという意思は前々からあったのだ。
「テルラ、僕学校行くよ。せっかく違う世界に来たんだし、マイナス思考はやめないと損だよね」
「そう言ってくれて嬉しいよ。もし、アカリを虐めてやろうとかそんなこと考えてるやつがいたら私がやっつけてやるから安心してね」
アカリはまだ何も分からないこの世界での生活が楽しみに思えてきた。
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